ゲームデザインの考察 ①
「素人のおっさんごときが、何を偉そうに語っているのか」
そう思われる向きは多数いらっしゃるだろう。
しかし、ここは私の書くエッセイである。
好きなことを、好きなように、偉そうに書かせていただきたい。
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## 私の考える“プロレスゲーム”とは
まず、私が考えるプロレスゲームについて書いていきたい。
私の記憶の中でプロレスゲームに触れたのは、1980年代からだ。
最初に遊んだのは、タカラトミーから発売された電子ゲーム――
ウォッチマン プロレス(デジプロ)
である。
ひたすらアントニオ猪木がアブドーラ・ザ・ブッチャーに、
ドロップキックや延髄斬りを当て続けるという、今思えばなかなかシュールなゲームだった。
その後は ザ・ビッグプロレス だろうか。
テクノスジャパンが開発した作品だが、
後にバンダイナムコエンターテインメントからファミコンに移植された
タッグチームプロレスリング のほうが有名かもしれない。
当時のプロレスゲームとは、
100円を入れてプレイしている間に、
ブレーンバスターやバックドロップ、ドロップキックを出せるかどうかを楽しむゲームだったと記憶している。
非常に難しく、一瞬で100円が溶けていく。
そういうものが一般的だった。
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## しかし、1本のソフトが歴史を変えた
そんな時代に、プロレスゲーム史を根底から覆す革命が起きた。
ファイヤープロレスリング コンビネーションタッグ。
ヒューマンが開発した、プロレスゲーム界隈では知らない者はいない伝説のゲームである。
ファミコンのディスクシステム専用ソフト プロレス を前身とする作品だ。
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## 何が革命だったのか?
それは、
好きな技を好きな時に出せること。
「何を馬鹿な、当たり前じゃないか」と思う人もいるだろう。
しかし、当時は今と違い、大技や必殺技を自在に出せるゲームデザインはほとんど存在しなかった。
多くの人が知っている“対戦格闘ゲーム”というイメージは、
ストリートファイター2 から始まったものだ。
初代ストリートファイターでは、波動拳のコマンドすら隠され、
“幻の技”扱いされていた時代である。
好きなように技を出せるゲームと言えば、
イー・アル・カンフー くらいしか思いつかない。
そんな時代の話だ。
ファイヤープロレスリングは、
好きなタイミングで好きな技を出せる。
多くのプロレスゲームファンが望んだ「自分のプロレス」ができる、画期的な革命だった。
ドラゴンクエストがミリオンヒットし、
日本のRPGが「ランダムエンカウント+コマンド選択式」に染まったように、
その後のプロレスゲームは、ファイヤープロレスリングのフォーマットに準ずるようになった。
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## ファイヤープロレスリングのフォーマットとは
ファイプロのフォーマットで特に重要なのは、
自動返しのシステム である。
敵の体力が十分にある場合、
パワーボムやバックドロップなどの大技を狙っても、
自動で返されてしまう。
これによって、
「自由に技を狙えるが、最初から大技で瞬殺はできない」
という絶妙なバランスが生まれた。
プレイヤーは自然と、
プロレス的な技の組み立て
を考えるようになる。
非常に考えられたゲームデザインである。
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## ダウン攻撃の存在も革命だった
ファイプロのフォーマットで忘れてはならないのが、
ダウン攻撃ができること。
サソリ固めやフライングボディプレス――
表現できないプロレス技がなくなったと言っても過言ではない。
対戦格闘ゲームでもダウン攻撃は一般的になったが、
当時はプロレスゲームの専売特許だった。
このダウン攻撃の優れた点は、
体力が十分な状態でムーンサルトプレスなどを狙っても、
すぐに起き上がられて自爆してしまうところだ。
結局、体力を十分に減らした終盤でないと、
ムーンサルトのような大技は決めにくい。
体力によって倒れている時間が変わる――
当たり前のように見えて、
実際のゲームデザインでは意外と思いつかない要素である。
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## 自動返し × ダウン時間 × グロッキー
### この3つが“プロレスらしさ”を作った
ここで重要なのは、
自動返しとダウン時間が相互にバランスを取り、
プロレスらしい技の流れを作るシナリオが描けていること。
さらに忘れてはならないのが、
グロッキー状態。
延髄斬りや浴びせ蹴りが気持ちよく当たる、
あの絶妙な調整である。
この隙のない、プロレスを心ゆくまで楽しんでもらおうという情熱こそ、
世のプロレスゲームファンを熱狂させた革命だった。




