↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
心の声がだだ漏れのモブ令嬢、推したちに全部筒抜けなんて知らない~どうせ17歳で死ぬので~  作者: なち
1章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/11

第9話 スケッチブックの画家ルート

【テオside】


木剣を振るたびに、腕の奥がじんと痺れた。


「そこまで。四半刻、休め」


教官の声で、見習いたちが一斉に地面へ座り込んだ。テオは汗をぬぐい、誰にも見られないように訓練場の裏手へ回った。


厩舎と武具庫のあいだに、古い石のベンチがある。そこは日陰で、馬の匂いがして、誰も来ない。


テオは上着の内側から、薄い帳面を取り出した。


手のひらより少し大きいくらいの、革張りのスケッチブックだった。炭筆を指先でつまみ、さっきまで目の前にあったものを描いていく。木剣を構える同期の背中。汗で額に張りついた前髪。柵の上で首をかしげる雀。


描き終えると、紙の右下の隅に小さく日付を書き入れた。


5の月、14日。


どの絵にも、必ず書く。描いたのがいつだったか、あとで分かるように。


4年前、テオは一つの日付を失くした。


姉が屋敷からいなくなった日だ。その朝、テオは剣の稽古に出ていた。帰ってくると、姉の部屋はもう空だった。見送りもしなかった。誰も教えてくれなかった。春のどこかの一日だったことしか、テオは覚えていない。


それからだった。何かを描くたびに、隅に日付を書くようになったのは。


騎士を目指す男が、絵など描くものではない。テオは誰にも見せたことがなかった。父にも、兄にもだ。


「テオ! 戻れ、組手の相手が足りん」


遠くから同期の声がした。テオは慌てて立ち上がり、帳面をベンチに置いたまま駆け出した。


戻ってきたときには、四半刻がとうに過ぎていた。


◇


ベンチには、先客がいた。


淡い色のドレスの姉が、膝の上に何かを広げて座っていた。脇には日傘と、見覚えのある水筒が置いてある。今朝、テオが屋敷に忘れてきたものだった。侍女長に頼まれて、届けに来てくれたらしい。


テオの足が止まった。


姉の膝にあるのは、テオのスケッチブックだった。


「……姉様」


リーゼが顔を上げた。いつもの、ほとんど動かない表情だった。けれど、紙をめくる指先だけがひどく丁寧だった。


「ごめんなさい。落とし物かと思って、持ち主の名前を探していたの」


(うそ。1枚目で分かった。この線はテオの線だわ)


テオは息を止めた。


姉の唇は、ぴたりと閉じたままだった。それなのに、声は耳のすぐそばで聞こえる。帰ってきた日の夜から、もう何度も経験したことだ。それでも、まだ慣れない。


「……べつに、大したものじゃないから」


テオは手を伸ばしかけた。リーゼはその手をよけるでもなく、ただ紙を1枚めくった。


雀の絵だった。


(……原作で一枚だけ出てきた、テオの絵。あのときと同じ、首をかしげた雀)


テオは伸ばしかけた手を止めた。


原作。姉の声によく出てくる言葉だ。家族の誰も知らない本の名前らしい。その本に、自分の絵が載っているという。


(原作のテオは、誰にも絵を見せないの。一枚だけ出てきたあの絵も、隠していた帳面から見つかったって話で……画家ルートがあればよかったのに)


画家、という言葉が胸に刺さった。


テオは、その言葉を自分に使ったことがない。一度も、だ。


「とても上手ね。わたくし、絵のことはよく分からないけれど」


姉は、口ではそれだけ言った。


(分からないなんてうそ。この雀、羽の一本一本まで生きてる。線が迷ってない。14歳でこれって、ちゃんと習ったらどこまで行くの。……だめ、泣きそう)


テオは顔を背けた。


反応してはいけない。協定を言い出したのは、自分だった。姉が口にしていない言葉に、顔色を変えてはいけない。


分かっている。それなのに、耳のあたりが熱くなる。


「……誰にも、言わないで」


どうにか、それだけ言った。


「騎士の家の男が絵なんて、って言われる。父上にも、兄上にも」


「言わないわ」


リーゼは静かにうなずき、帳面を閉じてテオに差し出した。


(言わない言わない。言うわけない。むしろ額に入れて、廊下に飾りたいくらい)


テオは奥歯を噛んだ。笑いそうになったのか、泣きそうになったのか、自分でも分からなかった。


帳面を受け取る。手が少し震えた。


◇


テオは、姉の隣に腰を下ろした。


並んで座るのは、4年ぶりだった。姉の横顔を、こんなに近くで見るのも。


あの頃の姉は、もっと小さかった。いつも黙っていて、いつも一人でいて、それでもテオが転んだときだけは真っ先に駆けてきた。何も言わずに膝の土を払ってくれた、その手を覚えている。


そして、ある日いなくなった。


「姉様は、なんで急にいなくなったの」


言葉が、勝手に口からこぼれた。


言ってから、しまったと思った。訊いてはいけないことだった気がする。けれど、4年分の問いは一度出てしまうと、もう引っ込められなかった。


「僕、見送りもできなかった。朝、稽古から帰ったら部屋が空で。……誰も、何も教えてくれなかった」


リーゼは少し黙った。


風が吹いて、日傘の縁が揺れた。厩舎のほうで、馬が小さく鼻を鳴らす。


「お祖父様のお家の空気が、わたくしに合っていたの」


姉は、穏やかにそう言った。


「空気のきれいな田舎だったから。それだけのことよ」


きっと、何度も用意してきた答えなのだろう。すらすらと出てきた。


けれど同じ瞬間に、もう一つの声が重なった。


(厄介払いだと思ってた。でも本当は、お父様の優しさだったのよね)


テオは息をのんだ。


厄介払い。


姉は、そう思っていたのだ。捨てられたのだと。この家に要らない子だったから、遠くへやられたのだと。


10歳のテオは、違うことを考えていた。姉様は、この家が嫌で出ていったのだと。自分たちのことが、嫌いになったのだと。だから見送りもさせてくれなかったのだと。


違った。


姉は、出ていったのではなかった。嫌われたと思いながら、送り出されたのだ。


(お継母様とうまくいかなくて、お父様はわたしを守るために遠くへやった。……ちゃんと分かってる。分かってるから、もういいの)


もういい、と姉は言う。声には出さずに。


テオは膝の上の帳面を握りしめた。


姉様は、僕たちを嫌っていなかった。


4年間、胸の奥で固まっていた何かが、少しだけほどけていくのが分かった。そのかわりに、別の熱いものがこみ上げてくる。姉は一人で、厄介払いだと思いながら4年を過ごしたのだ。


「……そっか」


テオは、それしか言えなかった。


「空気が合ってたなら、よかった」


「ええ」


リーゼはうなずいた。口元は、やはり動かなかった。


◇


しばらく、二人とも黙っていた。


教官の笛が遠くで鳴っている。戻らなければ叱られる。それでも、テオは立ち上がらなかった。


帳面を開き、白い頁を出す。炭筆を握り直した。


「姉様」


「なあに」


「……毎週、描かせて」


リーゼが瞬きをした。


「わたくしを?」


「うん。毎週、一枚ずつ」


「笑わない顔を描いても、つまらないわよ」


姉は本気でそう思っているようだった。


(え、うそ。テオがわたしを描くの? いいの? わたし、画家テオの記念すべきモデル第1号? 原作にない展開すぎて頭が追いつかない)


テオは下を向いて、炭筆の先を紙に当てた。顔を上げたら、きっと笑ってしまう。


「つまらなくないよ」


それだけ言って、描き始めた。


姉の横顔。日傘の影。膝の上で重ねた手。閉じたままの唇。


線を引くたびに、姉がそこにいることを確かめている気がした。4年前、描いておけばよかったと何度も思った顔が、今は手の届くところにある。


(テオの手、迷いがない。……いいな。この子の絵、もっとたくさんの人に見てほしい)


描き終えるまで、姉はじっと動かずにいてくれた。


テオが帳面を向けると、リーゼは少し身をかがめてのぞき込んだ。


「……わたくし、こんな顔をしているのね」


(思ってたより、ずっとやわらかい顔。テオの目には、わたしがこう見えてるんだ)


姉の指先が、紙に触れる寸前で止まった。炭がこすれてしまうのを気にしたのだろう。


最後に、テオは紙の右下の隅に日付を書き入れた。


5の月、14日。


1枚目の、姉の肖像画だった。

日付を失くした弟が、日付を書き足していく回でした。 次回、いよいよデビューの支度と、髪の長いあの人の話が少し。

ブックマークや★で応援していただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
心の声に翻弄される家族の様子がとても面白く微笑ましい。こちらもつられて笑ってしまいます! お姉様の恋も気になるし、継母や継母が付けた侍女マルタとの絡みも気になり、続きが楽しみです。 1点気になる箇所…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。