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心の声がだだ漏れのモブ令嬢、推したちに全部筒抜けなんて知らない~どうせ17歳で死ぬので~  作者: なち
1章

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第2話 全員、聞いたな

【アルベルトside】


フォークが床で跳ねる音を、アルベルトは遠くに聞いた。


目の前の皿には、香草で焼いたエビが5尾並んでいる。料理長の自信作らしく、焼き色まで美しかった。


アルベルトはこの7年、エビを口にしていない。食べれば首筋に赤い斑が出る。軽いものだ。知っているのは医師と父だけだった。宴席では皿の端に寄せ、話に夢中なふりをして下げさせてきた。次期当主が食べ物ひとつに負けるなど、誰にも知られたくなかった。


それを今、妹が言った。


いや。言っていない。


アルベルトは妹の口元を見ていた。スープを飲み終えてから、リーゼの唇は一度も開いていない。それなのに声は聞こえた。すぐ隣で話しかけられたように、はっきりと。


「……どうかなさいまして?」


今度は口が動いた。4年ぶりに帰った妹が、小首をかしげてこちらを見ている。


(わたし、ナプキンの折り方でも間違えたかしら)


口は閉じたままだった。


ヨハンナのグラスが震えている。アルベルトは卓の下で、ヨハンナの靴先を軽く蹴った。グラスが止まる。


「……手が滑った」


父が言った。宰相府で大臣たちを黙らせるときの声だった。父は給仕が差し出した新しいフォークを受け取り、何事もなかったようにエビを切りはじめる。


アルベルトも倣ってナイフを持った。エビには触れず、付け合わせの芋を切る。


頭は冷えていた。数字の合わない帳簿を前にしたときと同じだ。驚くのはあとでいい。まず、何が起きているのかを確かめる。


1つ目。聞こえているのは誰か。


父の顔は石のようだった。だがフォークを落とした。ヨハンナとテオの様子は言うまでもない。家族は4人とも聞いている。


では、ほかの者は。


アルベルトは視線だけを動かした。リーゼの斜め後ろに若い給仕が控えている。水差しを抱えたまま、ぼんやりと窓の外を眺めていた。あの位置なら、声はアルベルトよりずっと近いはずだ。


戸口には執事のハインツがいる。こちらも澄ました顔のままだった。


思い返せば、兆しはもっと前からあった。リーゼが食堂に入ってきたとき、耳元で声がしたのだ。


――お父様……ファンブックの立ち絵より、少し痩せてる。


父はハインツを見た。アルベルトも見た。後ろに控えた執事が、無礼な耳打ちをしたのだと思った。ヨハンナは戸口を見ていたし、テオは部屋中を見回していた。誰もが声の主を探していたのだ。


(お兄様、エビをよけてる。……よかった。ご自分で分かってるのね)


アルベルトの手の中で、ナイフがわずかに滑った。


給仕が水を注ぎに来た。リーゼのグラスを満たし、次にアルベルトのグラスを満たす。その手は少しも揺れなかった。


使用人には、聞こえていない。


アルベルトは父を見た。父も同じ給仕を見ていた。目が合う。父はごく小さくうなずいた。


2つ目。どこまで届くのか。


「テオ」


弟の肩がびくりと跳ねた。


「厨房に行って、デザートを少し急がせてくれ。父上はこのあと書斎でお仕事がある」


テオは瞬きをした。それから兄の目を見て、何かを察したように立ち上がった。


「……うん。行ってくる」


「扉は閉めていけ。廊下の風が入る」


テオが出ていき、扉が閉まった。


食堂が静かになった。リーゼはエビを小さく切り、丁寧に口へ運んでいる。4年前と同じ、音を立てない食べ方だった。


(ここの料理長、腕がいい。お祖母様のお家の料理も好きだけど、ソースの深みが全然違う)


妹の視線が、ふとヨハンナに流れた。


(……お姉様、エビを食べる所作まで綺麗。顔面国宝ってこういう人のことね)


ヨハンナが盛大にむせた。


ナプキンで口元を覆い、身をよじって咳き込む。給仕が慌てて水を差し出した。リーゼが心配そうに腰を浮かせる。


「お姉様、大丈夫ですか」


「……ええ。ええ、平気よ。ちょっと香草が」


(むせかたまで優雅。わたしがやったら、ただの事故なのに)


ヨハンナは水を一気に飲み干した。耳まで赤い。アルベルトは唇の内側を噛んで、真顔を保った。


まもなく扉が開き、テオが戻ってきた。ほっとしたような、困ったような顔で席に着く。そしてアルベルトにだけ分かるように、小さく首を振った。


何も聞こえなかった、という意味だ。


(テオ、戻ってきた。……やっぱり落ち着かなそう。4年も離れてたら、知らない人みたいよね)


テオの眉がぴくりと動いた。


同じ部屋にいるときだけ、聞こえる。


デザートの木苺のタルトが運ばれてきた。父は一口だけ食べて席を立った。


「長旅で疲れただろう。今夜は早く休みなさい」


「はい、お父様。おやすみなさいませ」


(お父様、デザートは一口だけ。……甘いものがお好きじゃないのかしら。それとも、わたしがいて気まずいのかな)


父の背中が、戸口でほんの一瞬止まった。


◇


書斎に4人がそろったのは、夜の鐘が鳴ってからだった。


ハインツが「奥様とエマお嬢様は、今夜から数日、先方の別邸にお泊まりになるそうです」と告げて下がっていく。扉が閉まり、足音が遠ざかるのを待って、父が口を開いた。


「全員、聞いたな」


誰も否定しなかった。


「給仕には聞こえていませんでした」アルベルトが言った。「ハインツにも。テオが廊下にいるあいだは、テオにも」


「扉一枚で、何も」テオがうなずく。「戻った瞬間に、また聞こえた」


ヨハンナが長椅子に沈み込んだ。


「……顔面、国宝」


「ヨハンナ」


「だって、あの子の口から出たのよ。いえ、口からは出ていないけれど」


ヨハンナは扇で顔を覆った。扇の上から、赤い耳がのぞいている。


「あの子、あんなことを考えていたの? ずっと?」


アルベルトも同じことを思っていた。


記憶の中のリーゼは、いつも黙っていた。継母に何を言われても、じっと下を向いていた。何を考えているのか分からない子だった。分からないまま、守りきれずに手放した。


その妹の頭の中が、あんなに騒がしかったとは。


「予言ではないな」


父が机の上で指を組んだ。


「エビの件は、すでにある事実だ。あの子は先を言い当てたのではない。頭の中で思ったことが、そのまま我々に聞こえている」


「『ファンブック』とか『原作』とかは?」とヨハンナが言った。「『公式』というのもあったわ」


「分からん」


父の答えは短かった。


「祖父母の家で、何か本を読んだのかもしれん。我々の知らない本だ。今は分からないものとして置いておく」


アルベルトはうなずいた。分からないことを、無理に決めつけない。父らしい判断だった。


それに、本の出どころよりも気になることがあった。


「あの子は、我々に聞こえていると気づいていません」


「ええ」ヨハンナが扇を下ろした。「気づいていたら、顔面国宝なんて思えないもの」


「……気味の悪い子」


テオが低い声で言った。食堂で聞いた、妹の声の中の一言だった。


「あの人、姉様が出ていくとき、そんなこと言ってたの」


父の組んだ指に、力がこもった。


4年前のあの朝、父は玄関で娘に約束をして、そのまま書斎へ戻った。宰相府からの急ぎの使いが待っていたからだ。馬車に乗るまで見送ったのは、継母だけだった。


「会いたくもない、と」ヨハンナが小さく繰り返した。「……当然よ」


アルベルトは父の横顔を見た。石のような顔の下で、何かが静かに燃えていた。


「ベアトリスには、何も悟らせるな」


父はそれだけ言った。


「どうして、こんなことが起きているんだろう」


テオのつぶやきに、答えられる者はいなかった。


ランプの芯が小さく鳴る。父は長いあいだ黙っていた。やがて、重い声で言った。


「……本人に、話すべきか」


最初に首を振ったのはテオだった。


「だめだ」


14歳の弟は、膝の上で拳を握っていた。


「知ったら、姉様はまた黙る」


声が震えていた。


「頭の中まで黙らせて、また何も言わなくなる。それで……また、消える」


誰も口を挟めなかった。


4年前、テオは10歳だった。朝の稽古から戻ったら姉がいなかった。泣いて父に詰め寄り、誰からも答えをもらえなかった。アルベルトはあの朝のテオの顔を覚えている。


――招いてはいない。ここは、お前の家だ。


アルベルトは食堂での自分の声を思い出した。


おかえり、と言いたかった。それだけのことが、あんなに硬い声になった。妹はそれを「お兄様は言葉が硬いのよね」と受け取っていた。そして「身内には甘い」とも。


口では言えなかったことを、妹は勝手に分かっていた。


「反応しない」


アルベルトは言った。


「何が聞こえても、顔に出さない。口にも出さない。あの子が気づかないように」


「……むせるのは?」とヨハンナ。


「努力してください」


「努力でどうにかなるものかしら」


「なる」父が言った。「するのだ」


父は3人の顔を順に見た。


「聞こえたことには答えない。だが、聞こえたことを無駄にもしない。それでいいな」


「はい」


「ええ」


「うん」


こうしてアーレンス家に、ひとつの協定ができた。


◇


翌朝、アルベルトは誰よりも早く起きた。


身支度を整え、朝食の前に厨房へ降りる。料理長が驚いて手を拭いた。若様が夜明けに厨房へ来るなど、初めてのことだった。


「昨夜のお料理に、何か」


アルベルトは一度だけ息を吸った。7年間、誰にも言わなかったことだ。


「私の皿に、エビは出さないでくれ」


料理長がきょとんとする。


「体に合わないんだ。……今まで言わなくて、すまなかった」


妹は「あとで料理長に言っておこうかな」と思っていた。帰ってきたその日に、兄の弱みを代わりに告げに来るつもりだったのだ。誰にも気づかれないように、一人で。


それだけは、させたくなかった。


厨房を出ると、窓の外が白みはじめていた。アルベルトは階段の上を見上げた。妹の部屋はまだ静かだ。


何が聞こえても、顔に出さない。


それがどれほど難しいか、アルベルトはこの朝、まだ知らなかった。

聞こえてしまった家族の「反応しない」生活が、ここから始まります。

兄の真顔がどこまで持つか見守っていただけたら、ブックマークや★で応援してもらえるとうれしいです。

本日はこの後もう1本投稿します。

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― 新着の感想 ―
そもそもなんで父は継母と再婚したのかな?後を継ぐ子供は十二分にいるのに。しかも子供まで作っているみたいだし。後継問題が出るから普通結婚はしても子供は作んないと思うのだけど。恋愛感情あるようにも見えない…
『父は4人の顔を順に見た』 3人じゃないですか?兄、姉、弟、後誰かいましたっけ?
聞こえてしまった家族の「反応しない」生活がすごくきになります。 ここから注目して読んでみます
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