第1話 ろうそくを消したら、17歳で死ぬモブでした
土日9時に1話ずつ投稿しています。
今回は連載記念で3本投稿いたしますので、ぜひご覧ください。
【リーゼside】
ろうそくを吹き消した瞬間、リーゼは思い出した。
(わたし、17歳で病没するモブだ)
祖父母の屋敷の小さな食堂だった。卓の上には、料理人が焼いてくれた木苺のケーキがある。15本のろうそくから、細い煙が立ちのぼっていた。
「リーゼ? どうしたの」
祖母の声で我に返る。祖父も心配そうにこちらを見ていた。
「……いえ。ありがとうございます、お祖母様。お祖父様も」
笑うべき場面だと分かっていた。けれど口元は、いつものように動かなかった。
祖母は困ったように微笑んで、リーゼの皿にいちばん大きな一切れをのせた。この4年、祖母は毎年そうしてくれた。
◇
その夜、リーゼは寝台の上で天井を見つめていた。
頭の中に、知らないはずの記憶があふれている。白い壁の狭い部屋。夜更けまで握りしめていた遊戯の道具。前世の自分は、ある乙女ゲームにすべてを注いでいた。
(思い出した。全部、思い出した)
リーゼは勢いよく起き上がった。
(全ルート周回済み。スチル回収率は完全制覇。公式ファンブックは本編編と外伝編の2冊、角が丸くなるまで読んだ。限定版のおまけの小冊子まで持ってた。誰か一人じゃなくて、登場人物の全員が好きな箱推しだった)
好物も、癖も、誰にも言えない秘密も知っている。攻略対象の家族の誕生日まで言える。それが前世の彼女の、ささやかな自慢だった。
(そのゲームの世界に、わたしが生まれ変わってる……!)
リーゼは枕をつかみ、顔をうずめた。そのまま足をばたばたさせる。顔はあいかわらず無表情だった。
けれど、ひとしきり暴れたあと、リーゼの足は止まった。
公式ファンブックの、家系図の頁。アーレンス侯爵家の枝の端に、小さな文字でこうあった。
――リーゼロッテ・アーレンス(17歳で病没)
本編のエピローグにも、一行だけあった。ヒロインの物語の幕が下りたあと、後日談の文字がいくつも流れていく。その中に、こうあった。
――その冬、宰相家の次女が病で亡くなった。
立ち絵もない。台詞もない。名前と享年と季節だけの、背景の一行。
それが、自分だった。
(……よりによって、そこなのね)
リーゼは枕を抱えたまま、ゆっくりと仰向けに戻った。
4年前、リーゼはこの屋敷に預けられた。本家では継母に「笑わない子」と呼ばれ続けた。父も兄も姉も、かばいきれなかった。だからずっと、厄介払いされたのだと思っていた。
けれどファンブックには、別のことも書いてあった。父は娘を守るために手放したのだという。
(……知ってる。愛されてたのは、知ってる)
本家を出た朝のことを思い出す。馬車に乗る前、父は硬い顔のままリーゼの前に膝をついた。
――15になったら、戻ってきなさい。必ずだ。
あのときは意味が分からなかった。それでも、リーゼは小さくうなずいた。約束は約束だ。デビューの支度もある。15になった今、本家へ戻らなければならない。
(お継母様がいるのよね。あの人、苦手。ファンブックでも「外面がいい」の一言で片づけられてたキャラだし)
気が重い。リーゼは枕に顔を半分うずめた。
(でも、大好きなゲームの登場人物たちと、同じ屋根の下で暮らせるのよね。お兄様にお姉様、テオ。推しゲームの一家を、毎日すぐそばで見られる)
それは、少しだけ楽しみだった。
(残りは2年。いちばんいい場面を見届けて、17になったら静かに退場しよう。背景の一行らしく、誰の手もわずらわせずに)
頭数に入れなくていい。自分はそういう役なのだから。
リーゼは目を閉じた。明日から荷造りを始めよう。
◇
本家から迎えの馬車が来たのは、それから10日後だった。
祖母は門の前でリーゼの手を長く握り、祖父は黙って肩掛けを直してくれた。
雨上がりの街道で、馬車が急に止まった。
「お嬢様、道に何か倒れておりまして」
御者の声に、リーゼは窓を開けた。ぬかるみの中に、白い外套の誰かがうずくまっている。子どもにも老人にも見える、年の分からない姿だった。
「放っておきましょう。物取りの罠かもしれません」
「いいえ。止めて」
リーゼは泥の中に降りた。靴がすぐに汚れる。気にせず膝をつき、水筒を差し出した。
白い誰かは、ゆっくりと水を飲んだ。濡れた肩が震えている。リーゼは祖父が直してくれた肩掛けを外し、そっとかけた。
「……ずいぶん、生きづらそうな心だね」
銀色の目が、じっとリーゼを見上げていた。
「お礼に、ひとつだけ。あなたの声が、聞いてほしい人にちゃんと届きますように」
言い終えると、その人は森のほうへ歩き出した。リーゼが瞬きをしたときには、もう姿がなかった。ぬかるみには足跡さえ残っていない。
(今の、なんだったのかしら。声が届くように、ね。素敵な言い回し)
旅の祈りのようなものだろう。リーゼはそう受け取って、泥だらけの靴で馬車に戻った。
◇
本家に着いたのは、日暮れだった。
門をくぐると、見覚えのある庭が広がっていた。4年前、リーゼはこの庭を一人で歩いて馬車に乗った。見送りに出てきた継母が、最後に言った言葉も覚えている。
――これでやっと、気味の悪い子の顔を見なくて済むわ。にこりともしないで、母親に似て熱ばかり出して。
小さいころから、季節の変わり目には必ず熱を出した。冬は一度寝こむと、半月は起きられなかった。母も体の弱い人だったと、使用人たちが話しているのを聞いたことがある。継母の言葉の後ろ半分だけは、嘘ではなかった。
玄関には、執事と数人の使用人が並んでいた。
その端で、胸元に揃いの金色のリボンをつけた侍女たちが、ひそひそと囁き合っている。継母が嫁いでくるときに連れてきた侍女たちだ。
「あれが、笑わないお嬢様?」
聞こえないふりをした。4年前にも、よく聞いた言葉だった。
そのとき、白髪まじりの侍女長が一歩進み出た。リーゼが幼いころから、この家にいる人だ。
「お帰りなさいませ、リーゼ様。お部屋は、以前と同じ東の角をご用意しております」
侍女長は囁く侍女たちを一瞥で黙らせ、リーゼにだけ深く頭を下げた。その目尻には、少しだけ涙がにじんでいた。
続いて、執事が丁寧に腰を折る。
「執事のハインツでございます。旦那様がたが食堂でお待ちです」
(執事のハインツ。ファンブックだと、名前だけのキャラね)
案内された食堂は、記憶よりずっと広かった。長い卓の上座に、父ゲオルクが立っている。その隣に兄アルベルト、姉ヨハンナ、弟テオ。
4年ぶりに見る家族だった。
(お父様……ファンブックの立ち絵より、少し痩せてる)
父の眉が、わずかに動いた。視線がリーゼの肩越しに、後ろのハインツへ向く。ハインツは澄ました顔で控えているだけだった。
リーゼはスカートをつまみ、深く礼をした。
「お招きいただき、光栄ですわ」
一瞬、食堂が静まった。
「……招いてはいない」
口を開いたのは兄だった。声が硬い。
「ここは、お前の家だ」
(お兄様、完璧主義で言葉が硬いのよね。でも身内には甘いって公式が言ってた)
隣のヨハンナが、けほっと咳をした。ナプキンで口元を押さえ、なぜか戸口のほうを見ている。テオは落ち着かない様子で、きょろきょろと部屋を見回していた。
卓には、空いた席が二つあった。
「奥様とエマお嬢様は、本日お茶会にお出かけでございます」
ハインツが静かに告げた。
(よかった。気味の悪い子の顔を見なくて済む、なんて見送り方をした人よ。会いたくもないわ)
父の手の中で、グラスがかちりと鳴った。兄の眉間に皺が寄る。姉はナプキンを握りしめ、じっと空席を見つめた。
リーゼは澄ました顔のまま、自分の席に着いた。
皆どこか落ち着かない。4年ぶりの娘に、どう接していいか分からないのだろう。リーゼはそう思った。
スープが運ばれ、ぎこちない会話が始まった。道中は無事だったか。祖父母は元気か。父の問いは短く、リーゼの答えも短い。
「……背が伸びたわね」
ヨハンナがそっと言った。リーゼは「はい」とだけ答える。
(お姉様、声まで綺麗。19歳、社交界の華。スチルでは横顔しかなかったけど、正面も完璧)
ヨハンナの手から、ナプキンがはらりと膝に落ちた。拾おうとした指先が、なぜか赤い。
テオだけが、ほとんど口をきかなかった。ときどき、何かを確かめるようにリーゼの顔を見る。
(テオ、大きくなった。14歳……原作のスチルより少しだけ幼い)
テオの手から、パンがぽとりと落ちた。
父が眉間を押さえ、兄が小さく咳払いをする。姉は拾ったナプキンを握ったまま、なぜか天井を見上げていた。
(みんな、疲れてるのかしら)
リーゼは首をかしげて、スープを口に運んだ。
「デビューの支度は、明日から始める」
父が低い声で言った。
「仕立て屋も呼んである。必要なものがあれば、遠慮なく言いなさい」
「ありがとうございます。わたくしは、あるもので十分ですわ」
(どうせ一度着るだけだもの。一番安い布で作ってもらおう)
父のスプーンが、皿の縁でかちりと鳴った。兄が何か言いかけて、口を閉じる。姉とテオが、そろって父の顔をうかがった。
誰も何も言わないまま、スープの皿が下げられた。
やがて、主菜が運ばれてきた。兄の前に置かれた皿を見て、リーゼは瞬きをする。香草で焼いたエビが、綺麗に並んでいた。
(あ、お兄様の前にエビ。……アレルギーなのに。軽いけど、蕁麻疹が出るのよね。あとで料理長に言っておこうかな)
からん、と硬い音がした。
父の手から、フォークが落ちていた。
兄が皿を見下ろしたまま固まっている。姉はナプキンを持つ手を止めた。テオは口を半分開けている。
4人の目が、まっすぐリーゼに向いていた。
リーゼの口は、閉じたままだった。
「……どうかなさいまして?」
誰も答えなかった。
(わたし、ナプキンの折り方でも間違えたかしら)
ヨハンナの持つグラスが、かたかたと震えだした。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
17歳で退場するはずの箱推しモブ令嬢と、その声を聞いてしまった家族の物語、はじまりです。
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