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心の声がだだ漏れのモブ令嬢、推したちに全部筒抜けなんて知らない~どうせ17歳で死ぬので~  作者: なち
1章

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第15話 なぜ彼女だけ、銀ではない?

【リーゼside】


東屋の屋根に、午後の光がやわらかく溜まっていた。


庭の奥にあるこの小さな東屋が、リーゼは好きだった。薔薇の垣根が屋敷の窓をさえぎってくれる。ここなら誰の目も気にせず、ぼんやりしていられた。


「お待たせいたしました、リーゼ様」


マルタが盆を置いた。白い陶器のポットと、揃いのカップ。縁に小さな青い花が一つだけ描かれた、飾り気のない器だった。


注がれた紅茶から、甘い香りが立ちのぼる。


「奥様のお言いつけで、蜂蜜をいつもより多めにしております」


「ありがとう、マルタ」


「お一人のときは、どうぞお気楽に」


マルタはいつもの微笑みで一礼し、東屋の端に下がった。


リーゼは椅子の背にもたれた。このところ、体が少し重い。朝起きるのがつらい日もある。けれど医師は季節の疲れだと言ったし、もともと丈夫なほうではない。気にするほどのことではなかった。


風が垣根を揺らした。薔薇の葉が擦れる音のほかは、何も聞こえない。


昨日の広間のことを、リーゼはぼんやり思い出した。家族の肖像画。端でいいと言ったら、なぜか皆が黙ってしまった。兄に譲ったタルトは、最後まできちんと食べてもらえたのだろうか。


(テオの大きな絵、きっと素敵になるわ。お父様が真ん中で、お兄様とお姉様が両側で。……うん、ちゃんと絵になる)


口に出す相手のいない考えは、紅茶の湯気と一緒にほどけていった。


カップに手を伸ばす。


「リーゼ」


垣根の向こうから声がした。


振り向くと、兄が立っていた。片手に、見覚えのある焼き菓子の箱を提げている。


「お兄様? 宰相府は」


「午前に済ませた」


兄は短く答え、東屋の段に足をかけた。


その後ろに、もう一人いた。


背の高い青年だった。騎士団の濃紺の上着に、長い髪を背中でひとつに結んでいる。


「……ヴァルデン様」


リーゼはカップから手を離し、急いで立ち上がった。


「まあ、ようこそお越しくださいました。存じ上げず、お迎えもせずに」


「いえ。約束もなく押しかけたのは、こちらですから」


ユリウスは穏やかに微笑んだ。けれどその目は、リーゼの顔をじっと見ていた。何かを確かめるような目だった。


「……驚かれましたか」


「ええ、とても」


正直に答えると、ユリウスは一瞬だけ目を細めた。安堵とも落胆ともつかない顔だった。


「玄関で行き合った」


兄が箱を卓に置いた。


「孤児院の件の書類を届けに来たそうだ。ついでに、お前の顔を見たいと」


「アルベルト殿、それは言わない約束では」


ユリウスがわずかに言葉に詰まった。社交界では誰より口の立つ人だと聞いている。その人が、耳の端を少し赤くしていた。


(予告なしの訪問……原作に、こんな場面あったかしら。この人のところは一度さらっと見ただけだから、自信がないのよね)


兄が咳払いをした。


(それより、お兄様の箱。今日もタルト? 昨日の今日で? 推しが好物を2日続けて……これは幸せな日ね)


兄は無言で蓋を開けた。蜂蜜色のタルトが、昨日と同じように並んでいた。


「今朝、並んだ」


「お兄様が?」


「……たまたまだ」


ユリウスが何か言いたげに兄を見た。兄はそれを無視した。


マルタが足早に近づいてきた。顔にはいつもの微笑みがあったが、動きは少し硬かった。


「すぐに、お二人のお茶をご用意いたします」


「急がなくていいわ、マルタ」


マルタは一礼し、屋敷のほうへ小走りに去っていった。


(急に二人分なんて大変よね。あとでお礼を言っておかなきゃ)


垣根の向こうへ消える背中を、ユリウスが目で追っていた。振り返ったときには、もういつもの微笑みに戻っていた。


「いい東屋ですね。屋敷からは見えない」


「ええ。ですから、気に入っておりますの」


「いつも、ここでお一人で?」


「皆、忙しいですもの。わたくしのために手をわずらわせるのは、申し訳なくて」


ユリウスはそれ以上聞かなかった。兄は黙ったまま、開いた箱をリーゼのほうへ押しやった。いちばん大きな一つが、ちょうどリーゼの正面に来ていた。押しやる兄の手は、ほんの少しだけ乱暴だった。


リーゼは二人に席を勧めた。兄が右に、ユリウスが左に座る。小さな卓が急に狭くなった。


ユリウスは座るなり、リーゼの顔を見た。


「失礼ですが、お加減が優れないのでは」


「季節の疲れですの。お医者様もそうおっしゃって」


(昨日はお継母様にも言われたのよね。そんなに白いかしら。明日は白粉を少し控えめにしよう)


兄が膝の上で指を組み直した。ユリウスはまだ何か言いたそうだったが、結局は小さくうなずいただけだった。


「南橋の件では、ご忠告に感謝いたします」


ユリウスが言った。


「補強が間に合いました。あのままなら先週の雨で、橋脚が一本ずれていたそうです」


「わたくしは、噂を耳にしただけですわ。騎士団の皆様のお手柄です」


(本当は、あの橋で荷馬車が落ちるはずだったのよね。落ちなかったのは修正力のおかげ。案外優しいところもあるのね)


兄のこめかみがぴくりと動いた。


「噂、ですか」


ユリウスは繰り返した。それから少し黙って、言葉を選ぶように口を開いた。


「デビューの夜、あなたがおっしゃったことを考えていました。当たっても、誰も褒めてくれない、と」


「……そんなことを申しましたかしら」


「言われました。あれから何度も思い出しています」


ユリウスは卓の上で指を組んだ。長い指だった。


「では、あなたご自身は? 当てたとき、誰かに褒められましたか」


リーゼは返事に困った。持ち上げかけたカップを、受け皿に戻す。


「わたくしは、少し勘がいいだけですもの。褒めていただくようなことは、何も」


(原作を知ってるだけです、ごめんなさい。褒められたらむしろ罪悪感で倒れちゃう)


兄がタルトを口に運んだ。黙々と、いつもより大きな一口だった。


ユリウスは何か言いかけて、やめる。代わりに、卓の上へ視線を落とした。


マルタが戻ってきた。盆の上で、銀のカップが二つ光っている。ポットも銀だった。


「お待たせいたしました」


マルタは兄とユリウスの前に、手早くカップを置いた。紅茶を注ぎ、銀の小皿を添える。その手つきは、いつもより少しだけ速かった。


卓の上に、器が三つ並んだ。


銀と銀、そして白い陶器。


リーゼは気にしなかった。客人と跡取りに銀を出すのは当然だ。一人のお茶に銀が出ないのも、この家ではもう当たり前のことだった。


リーゼは自分のカップを持ち上げた。まだ一口も飲んでいない紅茶は、少しぬるくなっている。


「なぜ彼女だけ、銀ではない?」


ユリウスの声だった。


さっきまでの穏やかな響きがなかった。低く平らな声が、まっすぐにマルタへ向いていた。


東屋が静まった。


リーゼはカップを持ったまま、動きを止めた。


「て、手違いで……」


マルタが言った。


「急いでおりましたので。すぐにお取り替えいたします」


マルタの手が、リーゼのカップへ伸びた。


兄が顔を上げた。


兄の目は、リーゼの手の中の陶器を見ていた。青い花がひとつだけ描かれた、飾り気のないカップ。兄の唇がかすかに動いた。


「一人のときの、素朴なカップ……」


独り言のような声だった。


兄の目が、ゆっくりとマルタへ移る。


「……いつもなのか」


マルタの手が宙で止まった。


リーゼは首をかしげた。


「ええ。一人のときは、いつもこれですの。わたくしは、このほうが気楽で」


言いながら、リーゼはマルタを見た。


マルタの顔から、色が消えていた。


唇が白い。微笑みの形だけが、張りついたように残っている。盆を持つ指が小刻みに震えていた。


(マルタ、どうしたのかしら。そんなに叱られると思ったの? わたしは別に……)


兄が立ち上がった。


リーゼの手から、そっとカップを取る。触れた兄の指は冷たかった。


兄は自分の銀のカップを傾け、紅茶を芝生に捨てた。空になった銀の中へ、リーゼの紅茶を注ぐ。


蜂蜜の甘い香りが、ふわりと広がった。


誰も息をしなかった。


銀の内側に、影が差した。


最初は光の加減かと思った。けれどそれは、紅茶の縁から滲むように広がっていく。磨き上げられた銀が、みるみるうちに鈍い黒へ変わっていった。


リーゼはそれを見ていた。


不思議なほど、驚かなかった。起きるのがつらかった朝。蜂蜜の多いお茶。筆を止めたテオの横顔。いくつもの小さなことが、音もなく一つの場所へ落ちていく。


ああ、と思った。


リーゼは顔を上げ、小さく首をかしげた。


「まあ、困りましたわね」


口元は、いつものように動かなかった。


(ああ、そっか。これが、わたしが17歳で死ぬ理由だったのね)


兄の顔から、血の気が引いていった。

第1部の山場、最後まで見届けてくださってありがとうございます。

銀のカップの色が変わる場面は、書いている間ずっと手が冷たかったです。 心に残るものがあれば、感想や★をいただけると本当に励みになります。

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― 新着の感想 ―
心の声聞こえるからちゃんと理解した上での反応だと兄に伝わるわけか・・・
最近この作品をみつけて、すぐに追いついて続きを楽しみにしています。
毒…やはり…心が冷たくなってしまった。 おしろいは…薬屋のひとりごとですかね。 これを切っ掛けに継母一味を排除、抹殺して欲しいです。
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