第11話 デビューと、核心の一言
更新を日、火、木、土に変更しました。
次回は、27日(火)です、おつきあいいただけると嬉しいです。
また、ジャンルを現実世界(恋愛)→異世界(恋愛)へ変更いたしました。
【リーゼside】
王宮の大広間は、光でできているようだった。
天井から下がる燭台が、数えきれないほどの炎を抱えている。磨かれた床がその光を映し返し、足元にもう一つの天井があるように見えた。楽団の弦が静かに音を合わせている。
「アーレンス侯爵家、リーゼロッテ嬢」
呼び出し係の声が高らかに響いた。
父の腕に手をかけて、リーゼは階段を一段ずつ降りた。夢に3日も出てきた階段だ。現実のほうが少しだけ短い。
(お父様、正装だと3割増しで渋い……。宰相の徽章、近くで見ると細工がこんなに細かいのね)
父の腕が、わずかにこわばった。
横顔を見上げると、父はまっすぐ前を向いていた。いつもの無表情だった。ただ、耳の上のあたりが少しだけ赤い。
(階段、緊張するわよね。お父様も人の子だわ)
広間に降り立つと、ざわめきが波のように寄ってきた。
「あれが、アーレンスの聖女さま?」
「孤児院の件を言い当てたっていう」
「本当に笑わないのね。まるでお人形」
扇の陰から、いくつもの声がこぼれてくる。リーゼは聞こえないふりをした。本家に戻った日にも、同じようにしたことを思い出す。
父が足を止め、低い声で言った。
「アルベルトに代わる。私は陛下にご挨拶をせねばならん」
「はい。いってらっしゃいませ、お父様」
兄が滑るように隣へ来て、手を差し出した。最初の曲が始まる。
練習のときと同じ手が、背中に添えられた。兄は一度もつま先を踏まなかった。回るたびに藤色の裾が広がり、髪の真珠が燭台の光をはじく。
(お兄様、本番に強いのは昔から変わらないのね。今日は1回も踏まない。さすが)
兄の手に、ほんの少しだけ力がこもった。
曲が終わると、兄はリーゼを姉のそばへ連れていった。
「飲み物を取ってくる。ここを動くな」
兄が離れたとたん、人の輪が寄ってきた。
「アーレンス嬢、ぜひ一言だけ」
「来年の麦の値は上がりますかしら」
「うちの息子の縁談、東と西のどちらのお家がよろしいと思われます?」
リーゼは一歩下がった。背中に、ヨハンナの扇が触れる。
「わたくしは占い師ではございませんの。少しばかり勘がいいだけですわ」
(麦の値段なんて知らないわ……。原作に書いてあることしか分からないんだもの)
ヨハンナが、すっと前に出た。
「皆様、妹は今夜が初めての舞踏会ですの。お手柔らかにお願いいたしますわ」
社交界の華の笑みに、人の輪がわずかにほどける。
(お姉様、かっこいい……。扇の角度まで完璧)
姉の扇が、ほんの少しだけ傾いた。
◇
人の輪が割れたのは、その少しあとだった。
割れた先に、背の高い青年が立っていた。
濃紺の騎士団の礼装。一つに束ねた長い髪が、肩から背へ流れている。まわりには令嬢たちが集まっていて、青年は一人ひとりに穏やかな笑みを向けていた。
「今夜の月は遠慮深いようですね。皆様の前では、雲に隠れてしまって」
令嬢たちが一斉に笑う。青年は笑みを崩さないまま、会釈ひとつで輪を抜け出した。まっすぐこちらへ歩いてくる。
「ヨハンナ嬢。今宵もお美しい」
「ヴァルデン様。お久しぶりですわ」
姉と短く挨拶を交わしたあと、青年はリーゼに向き直った。
「アーレンス嬢。ユリウス・ヴァルデンと申します。先日は書斎で、ご挨拶もせず失礼をいたしました」
青年は流れるような所作で一礼し、リーゼのドレスに目をやった。
「そのお色、よくお似合いです。今夜の広間でいちばん、春らしい」
(さすが微笑みの貴公子。社交辞令の滑らかさが公式どおり)
隣で、ヨハンナがわずかに扇を揺らした。
「恐れ入ります」
リーゼが礼を返すと、ユリウスは笑みを深くした。
「噂を伺っています。先見の力をお持ちだとか」
また、その言葉だった。
リーゼは、父が預かるようになる前の、手紙の山を思い出していた。どの手紙も「次は何が見えますか」と尋ねていた。「ありがとう」と書いたものは、一通もなかった。
そして、目の前のこの人も、同じように呼ばれている。先見の公子、と。兄がそう言っていた。
「わたくしはただ、少し勘がいいだけですわ」
リーゼはそう答えてから、ユリウスを見上げた。
「……ヴァルデン様こそ、先見の公子と呼ばれていらっしゃるのでしょう。先が見える方は、お疲れになるでしょうね。当たっても、誰も褒めてくださいませんもの」
(……髪。それさえなければ素敵なのに)
ユリウスの微笑みが、そこで止まった。
消えたのではない。形は残っている。けれどその奥で、何かがぴたりと動きを止めたように見えた。その目が、まばたきを忘れてリーゼを見ている。
隣で、ヨハンナが扇を顔の前に広げた。
扇の縁が小刻みに震えている。細い肩も震えている。
「……姉君は、ご気分でも?」
ユリウスが、ようやく口を開いた。
「い、いえ。扇の骨が、少し……」
(お姉様、扇の骨ってそんなに震えるものだったかしら)
ユリウスは姉とリーゼを交互に見て、何かを言いかけた。けれど結局、何も言わなかった。
戻ってきた兄が、3人を見て足を止めた。果実水のグラスを二つ持ったまま、兄は妹の視線の先をたどる。束ねた長い髪に行き着いたところで、兄は小さく咳払いをした。
「公子。来ていたのか」
「アルベルト殿。……ええ、先ほど」
ユリウスの声は、もう元の滑らかさを取り戻していた。
二人が騎士団と宰相府の話を始めたので、リーゼは姉と並んで壁際へ下がった。果実水は甘酸っぱく、少しだけぬるかった。
さっきの言葉を、リーゼは胸の中で繰り返した。
当たっても、誰も褒めてくださいませんもの。
自分でも、なぜあんなことを言ったのか分からなかった。社交の場で口にするには、少し湿っぽすぎる。手紙の山のことを考えていたせいかもしれない。
「……リーゼ」
ヨハンナが扇を閉じて、そっと呼んだ。
「疲れていない? 顔が少し白いわ」
「白粉のせいですわ。マルタが張り切ってくれましたの」
(お姉様、心配性。今夜の主役の一人なんだから、わたしのことなんて気にしなくていいのに)
ヨハンナは何も言わずに、リーゼの手からぬるくなったグラスを取った。代わりに自分の冷えたグラスを握らせる。
(あら。お姉様のほうが冷たい。交換してくれたのね。優しい)
姉は扇をもう一度開いて、今度はさっきとは違う理由で顔を隠した。
◇
ユリウスに一曲を申し込まれたのは、夜も更けてからだった。
断る理由はなかった。兄の友人で、公爵家の嫡男だ。リーゼはおとなしく手を預けた。
ユリウスの踊りは、兄とは違う種類の正確さだった。兄が足の置き場を教えてくれるなら、ユリウスは次にどこへ行きたいかを先に知っている。まるで、リーゼの足が迷う前に道を空けてくれるようだった。
回るたび、束ねた髪の先が揺れる。
「一つ、伺っても?」
ユリウスが声を落とした。
「少しばかり勘のいいあなたに。来週は、何か見えますか」
からかうような口調だった。けれど目は笑っていない。試されているのだと、リーゼにも分かった。
どう答えても、噂がひとつ増えるだけだ。それなら、役に立つほうがいい。
「聞いた話ですけれど、来週の雨で、南橋が危ないそうですわ」
(原作の本編だと、来週の大雨で南橋が落ちる。けが人がたくさん出た事件。……言っちゃった。まあいいわ。誰も渡らなければ、それでいいもの)
ユリウスの足が、半拍だけ遅れた。
「……雨、ですか。この10日、空は晴れ続きですが」
「ええ。ですから、聞いた話と申し上げましたの」
「どなたから、お聞きに?」
「風の噂ですわ」
リーゼは表情を変えずに答えた。変えようとしても、口元はどうせ動かない。
曲が終わりに近づく。最後の1回りで、ユリウスは何も言わなかった。リーゼの手を離し、形どおりの礼をする。
顔を上げたとき、青年は窓の外を見ていた。広間の窓の向こうには、雲ひとつない夜空が広がっている。そのずっと先に、南の川があるはずだった。
遠くで、ベアトリスが扇の陰からこちらを見ていた。リーゼはそれにも気づかないふりをした。
(なんだか、変な人。噂の「微笑みの貴公子」って、もっと軽い人だと思ってたのに)
リーゼは首をかしげて、ユリウスの横顔を見上げた。
ユリウスの顔から、笑みが消えていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
ヨハンナお姉様の扇は、今夜だけで寿命がだいぶ縮んだと思います。 リーゼの一言、ユリウスにはどう聞こえたのか。
ブックマークや★で見守っていただけるとうれしいです。




