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パドマの箱庭  作者: 菌床
四章:あの花情恋意をもう一度
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81:八歳児の恋風


 約一年程ユーデス様と手紙のやり取りをしていたが、そういえば触れられなかった話題だったなと年始早々に届いた文面を読んで思わず顔を上げた私に隣でまったりとしていたレム兄様も微睡んだ瞳を開く。


「レム兄様、王子殿下の婚約発表がされましたよ」

「…」


どうやらレム兄様は興味が無いようだ。

擡げた頭を再び毛足の長いカーペットに沈め、うとうとと穏やかな瞬きを繰り返す姿に控えるマノンが苦笑を零していた。


「おめでたい話題ですね」

「そうね、やっと公に披露目も終えてユーデス様達も一安心でしょう」

「御相手は何方でしょうか?」

「グレース・リュクスイユ公爵令嬢ですって」


私はお会いした事が無い御令嬢だが、リュクスイユ公爵家は存じている。


デュドネ王国には三つの公爵家が存在する。

流通のネウストラ公爵家、宗教のアンヴァリッド公爵家、そして政務のリュクスイユ公爵家、とそれぞれの家の特徴を捉えて謳われている御三家は、歴史も家格も他家より一段も二段も上である。

確かにクロヴィス王子殿下の傍には、ネウストラ公爵家嫡男のユーデス様とアンヴァリッド公爵家のイザイエ様が控えているがリュクスイユ公爵家の姿は無い。

かの家の子息はもう二十代も半ばを過ぎている。


手紙によると次代の姫であるグレース様は殿下と同い年だそうだ。

ただ誕生日が年始に近いので、特例無しで殿下と同じ時期に学院へ通われる。

殿下の学院生活はドラマのような青春の日々になるだろう。


「良いなぁ、婚約者と一緒に学院を過ごせるなんて」

「お嬢様も学院で素敵な出会いを見つければそうなりますよ」

「そうだね!ふふっ、楽しみ!」


マノンの穏やかな言葉に笑顔で相槌を打つ。

私の脳内で描かれていた未来図は到底口に出せなかった。

あぁ、ユーデス様と折角一年学院が被るのになぁ。

もしかしたら私の学院生活は、仲睦まじい婚約者たちを眺める日々になるかもしれないのか。

どうか彼の婚約者が私と同年で無い事を願うばかりである。

ま、そこまで未練たらたらしているとも限らんが。


気を取り直して手紙の続きを読む。

はぁ、グレース様はどうやら結構おっとりしたタイプらしい。

頭は良いがマイペースで殿下との会話も時折ぶつ切りされるらしく、最初の茶会後に殿下が零した感想も「イザイエと話しているみたいだった」との事らしい。

幼馴染の同性に例えるって、クロヴィス殿下。

まぁ慣れた空気なら居心地も良いだろう、仲良くやってくれ。


何より、これでリュクスイユ公爵家も次代の王家と縁が繋がれた。

現在進行形で宰相職を担う閣下は権力を持ちすぎだが、まぁそれくらいしないと影に埋もれてしまう程他の公爵家の興隆が凄まじいから丁度良かろう。

成程、ユーデス様が春に零していたのはこの点かと今更合点を得ながら読み進めていたが、ある一文に差し掛かると目が滑ったかともう一度冒頭へ視線を戻した。


「………」

「お嬢様?」

「大変、ユーデス様がまた春にいらっしゃる」

「それは良かったですね」


主の心持ちを察している有能な侍女が微笑ましそうに頷いてくれる。

だが反して主人はむっつりとした面持ちのままだ。


「殿下やイザイエ様も御一緒よ」

「…それは、大変ですね」


足早にマノンがお父様に時間を頂くよう先触れを出すよう廊下へ向かう。

その足音を聞きながら、私は再び文に目線を落とした。


『婚約者に一年も会わない私が在り得ないと周りというか、一人だけが騒ぎ立てており、不要だと断じる私を置いて勝手に遊びに行きそうなのが現状だ。

 面目ない。誠に恐縮で申し訳無いが、春に一度其方へ顔を出したい。

 婚約者持ちだという建前をこう使われるとは想像だにしていなかった。』

(でしょうよ…何なんだよクロヴィス殿下…)


まだまだ十歳児だな、おっとまだ九歳か。

なら猶更このユーデス様の落ち着きを見習え。

婚約者に一年会わずとも構わないし、且つ態々会いに行くのさえ不要だと切り捨てられているぞ。

潔過ぎて私が泣きそうだわ。

どんだけ眼中に無いのか。


『宿泊地は王家に献上された別荘を使う予定だ、日数も最低限に抑えてみせよう。

 アレは誰が政務の振り分けをしているか都合よく忘れてくれているようだし。』

(怖い怖い怖い、ユーデス様が静かに御怒りである…)


というか政務はリュクスイユ公爵家の生業だろう。

そこから落とされた案件の精査までユーデス様が関わってるのか。

どんだけ彼は有能な御人なのだろうか、まだ八歳児だろうよ。


『まぁグウェンも兄君に話しがあるようだし、都合は良いと言えば良いのだが。』

(そんなの手紙でやりとりしてますよぉ…最近は学院に関する話ばかりですよ)


ギランお兄様の元に届くグウェンダル様からの手紙はちょくちょく一緒に読ませてもらっているが、大概学院でどんな事を学ぶかだとか王都周辺の観光地、遊び場になりそうな場所についての情報が主だ。

流石に婚約者が出来るのもあってか、王子殿下からの圧は減ったようだ。

それは素直に良かったと思う。

下手に巻き込んでしまい申し訳無かったよ、グウェンダル様。


それにしてもグウェンダル様から私向けの情報がとんと来ない。

王都の貴族界隈の情報に関したってラン兄様からお母様に通されるものばかりで、それを隣で聞く程度しか私の耳に届いていないのだが。

全く、やると言った事くらいやりなさい。

確かにあの悶着後にギランお兄様と話し合った事に関しての手紙は頂いたが、それっきりとはこれ如何に、である。


(私から調べて欲しい事を届ける術が無いってのは、やっぱり厳しいなぁ)


叶えばグウェンダル様にはヴュルテンベルク辺境伯家について調べて欲しかった。

と言っても貴家は王都で然程活動的では無いと、お父様もお母様も語られていたので得られる情報は多くは無さそうであるが。


我がストラス家は情報戦が滅法弱い事は分かっているのに、中々この課題ばかりは解消の糸口が見い出せないままでいるのだ。

本音を言えばそれこそユーデス様に相談したい事案である。

でも頼れない、流石にこれ以上は内容も相俟って猶更。


(アロイーズ様の忠告もあるし…でも、ユーデス様に相談出来たら)


未来は変えられるのだろうか?

分かるのは、今以上に私の心が傾ぐであろう事のみ。


不格好に終わらせられた恋をまだ大事に抱いているのか、ただの悪戯心の儘に我儘を申しているだけなのか判別の付かない王子殿下が会いに来たいと願い、グウェンダル様だってギランお兄様と話したい事ついでにきっと私の顔を見て、相変わらずの笑顔を浮かべてくれるだろう。

完全に巻き込まれた形のイザイエ様も呆れた笑みか、若しくはその大らかさで全て気にしないといった様相で微笑まれているのだろうか。


でも貴方は、私に会う必要など無いと断じる。

人にとやかく言われたとしても己を持ち、判じられる御人。

今回は、ただ尽力した婚約が潰えないように気を回す為に、仕方が無しに私に会いに来るのだと只管に事実として文に記す様に語られたのだろう。


(これが音の無い文章で良かった。

貴方の声音で直接聞いたら、私は淑女の表情を保てなかったでしょう…なんてね)


そんな事を考えながら密かに溜息を吐き出す。

寂しく思うのくらいは此方の勝手だ、好きにさせてもらう。

再び会えれば結局、そんな事を考えていた事も私は忘れるだろうから。

ああなんて滑稽で煩わしい感情。

これが初恋だなんて、余りにも可愛げが無い。


(…兎に角、まずはお父様にお知らせをしなければ)


顔を上げて私は何時もより少し足早にお父様の執務室へ向かった。

それこそ一年前を思い出すような状況だが、もう諦めたというか大抵の事に驚かなくなったのだろうか、お父様の立ち直りは早かったし、殿下達の滞在する別荘の受け入れ準備に関する手続きも速やかに行われた。

勿論勝手にはやらない。

王都から派遣された人を待ってからだ。


その中にちょっと面白い、いやかなり面白い人が居た。

彼は厩の担当らしいのだが我が家の厩にも興味があるようで、ちょくちょくと冬の間に顔を出してはユーデス様から贈られたサラブレッドの世話も手伝ってくれた。


随分馬、いや動物全般が好きなようで、私の傍らにぴったりと控えるレム兄様を目にした時のレオさんの相貌の崩れ方といったら無かった。


「ん~~~~今日も賢そうで可愛いねぇレムくん!」

「レオさん、その猫撫で声って外で出していいヤツじゃないです」

「出ちゃうんだよぉ、仕方ないじゃないですかぁ」


領主の娘にこの口調となるのは早かった。

いや寧ろ、レム兄様への口調がそれなので呆れて許したというか、何とも人の懐に上手く入り込むものだと思う。


「うんうん、今日も毛艶が最高だね!どうです?おすすめした配合は」

「お陰でよく食べますよ、その分私と走り回っています」

「ははは、無理はさせないようにね。

 レムくん偉いねぇ~ごはんいっぱい食べてるのぉ~ん~~~よしよし」


凄まじい可愛がりっぷりである。

何故人とは動物の前では語彙力と思考力が低下するのだろうかな。

私の周囲に居る成人男性のこういう姿を見た事が無かったが、前世では得てしてそういう人は居るのを知っているので私は耐えられたがマノンはダメなようだ。

今も冷え切った目でレオさんを見ている。

エタンがそんなマノンも愛しそうに見てるというかちょっと羨ましそうにしているのは何なんだ、深く考えたくない。


しかしこんな面白いレオさんだが腕は確かだった。

我が領に数頭も居ないサラブレッドが果たして厳しいこの地の冬を越せるのかと心配をし、バタバタとあれこれ準備しつつ何とか病気もせずに居てくれたが、まだまだお世話で足りてない部分はあったのだ。

そのところを手厚く彼がアドバイスしてくれたのもあり、厩で働く使用人達の多くもレオさんを信頼している。

これで次の冬からはサラブレッドたちも心地良く過ごせるだろう。

QOLは大事だよねやっぱり。


「それでやっぱり春が過ぎれば王都に戻ってしまうの?」

「ははは、めっちゃ此処居心地良いんですけどねぇ」


これだけ精力的に動き、動物愛に溢れた人だ。

人柄もあり、是非我が邸で働いて欲しいとすぐに直訴したのだが、やはり長年勤めた王都に愛着があるようで首を縦に振ってはくれなかった。

非常に残念である。


「レム兄様も寂しがるなぁ…」

「クゥン」

「ウッ!レムくん…そんな目で俺を見ないで…!!

 此処に居る間はめちゃくちゃ可愛がるからねっ!!」


そうは言うがレム兄様は私のお兄様である。

何か字面が宜しくない。

だがもう高齢に差し掛かるレム兄様の為になる内容も多く彼には教えて貰えているので文句は言えないし、何なら多分別途彼にはその時に報せを送るかもしれない。

それくらい、短時間で彼は我が邸に馴染んだ。


雪解けを待たずにサラブレッドへの乗馬訓練を開始した時にもレオさんは呼ばれ、あれこれとギランお兄様以上に私へ言いつけるのだから流石だと思う。

馬ファーストな言葉ばかりだが有難く頂戴する。

やっぱ動物は人間以上に気を配らなければならないよな、分かる。


「でも御嫡男も運動神経が良いし、リーシャお嬢様も筋が良いですね」

「本当?」

「ええ、落ちても怪我し無さそう」

「どういう意味」


落馬時を想定して受け身訓練も行ってはある。

だがそれより武術で学んだ事が活かされているのは気のせいではない。

私も、多分他の八歳児よりも体幹がしっかりしている自負はあるぞ。

これもギランお兄様と日頃から鍛錬している成果だ!


「目線の配り方とか、身体の使い方でしょうね。

 この調子なら輓馬に跨るのもすぐじゃないでしょうか」

「もう少し背が伸びないとねぇ」

「でも随分背も伸びましたよね」

「季節一つも見ていないのに…また適当な事言ってるぅ」

「ははは!俺が最初に見た時はレムくんの方が大きく見えましたもの」


それは私が眼中に無かったというだけだろう。

まぁレオさんなので別に気にしないが。

手綱を牽いてくれる背をぼんやりと眺めていた視線を、雪化粧した木々に向ければ己の吐き出した白が更にその視界を白くする。


「冬に馬を走らせる時は視界がより大事ね」

「御令嬢が吹雪の中を走る事など無いでしょうに」

「それでも、何かあれば出来る事はするわ」

「剛毅な御姫様だ」


くつくつと笑う彼の細く白い呼気が、どこか獰猛な気炎のように見えた。


「なら一つアドバイスを。

 森は避けなければいけません、雪で足場の深さも分かりませんから」


その言葉を受け、私の脳裏に浮かぶのは『記憶』の光景。

私が居た場所は恐らく雪深い森の中。


「我が領地にどれだけの森があると思うの?」

「でしょうねぇ」


故に冬は攻め辛いとも言うのだろうか。

だが惨劇が起きたのは雪が舞う季節。

その中で私達が馬を走らせられるようにするには、事前に地形を理解して他の季節で現地を乗馬して確かめておく事が必須だろう。


(邸の庭から最短で街道に出る経路を確認しておかなければ)


田舎だからだろうか、伯爵家の邸が構えられているなだらかな丘陵の周辺には森が広がっており、その大半が敷地として見做され施設が点在している。

領民は分かっているので森の奥深くには踏み入らない。

だが実際、邸を囲う壁も途中までしかない不用心さではある。

かと言って邸の周辺は拓かれているので不審者を見落とすような事も無いし、それを前提に見張り台や警備を常置しているのだ。


で、あったとしても惨劇は起きた。

我が邸の警備が対処しきれなかった程の軍勢なのか、それとも暗殺部隊なのか敵の影も分かりはしないが、少なくとも『記憶』はそうだった。

だからいざという時に私達は生き延びる道を確保しておかなければならない。


足の速いサラブレッドが揃えられたのは、思わぬ僥倖である。

婚約者相手に馬を贈ってくるというのも何とも妙な話だし、取引相手として頂くのにも価値が高すぎて本当何が何だか当初は混乱したが。

だがまだ数年あれば、頭数も多少は増やせるだろう。

加え、追加でサラブレッドを我が家が購入するのも違和感はない。

邸に勤める全員を脱出させる術としてはまだまだ心許ないが、無いよりはマシだ。


「でもこれから春だわ、知らぬ森を無くせば良いだけね」

「リーシャお嬢様のそういう考え方、嫌いじゃないですよ」

「ふふ、ありがとう」


まだまだ先導が必要だがすぐに慣れて見せよう。

今年の夏はギランお兄様と乗馬三昧になるのも乙なものだろう。

様々な森を見て、特徴をよく頭に入れれば多少は知恵も回るようになる。

全く、武術と言い乗馬と言い、私は本当に令嬢なのだろうか。

嫌だぞ、どっかの軍人宜しく人を殺める訓練とか入れられたら。


(…いや、そこを躊躇っていてはいけないのだろう)


生きるか死ぬか、その瀬戸際に立たされた時に決断出来る力を求められる。

この世界はそんな世界だ。

何時までも机上の空論で抗っていられない。


そんな事を考える私の頬を、一際冷たい風が撫でる。

まだ、苦悩を包む温もりを求めようが赦される冬の内にそうしてしまえと、誰かが唆しているようにも思えた。



 ストラス領に残る雪も聳え立つ山々にだけとなった頃、待ち構えていた御一行が王都から遥々訪れた。

勿論だが視察の時よりは随分と随行者が少ない。

陽射しは暖かさを伴い、外も随分心地が良いのに足早に彼等は邸の中に入り準備された応接間で速やかに挨拶を済ませると、お約束のように私を一人呼び立てた。

もうこの流れを分かっていたのは家族だけではなく私もだ。

はいはい、分かっていますよと言った様子で応接間に向かえば、少しばかり大人っぽく成長した面持ちが並んでいた。


「再びの拝謁が叶い幸甚です」

「…」


おや、第一声を発するべき御人から返答がない。

代わりとばかりにイザイエ様が口を開いた。


「元気そうで何よりだよ」

「イザイエ様も御健勝の御様子、嬉しく思います。

 随分背も伸びられましたね」

「これからだよ」


背が伸びても柔和な雰囲気は変わらず、その色味のせいか華奢さは消えない。

ただただ美しさだけは天井知らずのように増している。

ウッ久し振りのイザイエ様も眩しい。


「日頃接していると分からないが、やはりそうか」

「そういえば久し振りに会ったグレースにも似た事言われたね」

「…あれは、別だと思うぞ」


苦々しい口調でクロヴィス殿下がそう零すのをグウェンダル様が苦笑する。

どうやらグレース様とのお茶会だか面会にも、幼馴染のお二人やグウェンダル様が同席する機会があったようだ。


「御婚約おめでとうございます、クロヴィス殿下」

「………ありがとう」

「ダメだ、思った以上に虫の息だ」

「グウェン」

「は」


速やかにグウェンダルは私に背を向けて殿下と私の合間に立つ。

何をしているんだと呆気に取られている私を、イザイエ様が手招きする。

それに従い応接間から一緒に出てそろりと庭を歩く。


「ごめんね、早々」

「いや、私は別に…」

「失恋も、初恋相手に婚約を直に祝われるのも初めてだからさぁ」

「それはまぁ、まだ十歳ですから」

「まだ正式には冬の社交で顔見世していない十歳、だけどね」


この世界は数え年だ。

もうすぐ十歳になる王子殿下は正式には今年の冬の社交から、正式に顔を出す事が出来るようになり貴族としての仲間入りを果たす。

それまでにイザイエ様達もこの執着をどうにかしたいのだろう。

何となくその意図が、今更になって見えて来た。


「リーシャ嬢は少し会わない間にまたぐっと魅力的になったね」

「八歳児の魅力とは…幼気さとかでしょうか?」

「いや、キミはその大人びた瞳が綺麗だと思うよ、僕は」

「美の権化に言われると自信に繋がりますね」

「そんな風に僕の事思ってたの」


そりゃあな、イザイエ様程美しい人間も居らんよ。


「十年後と言わずに小出しで姿見せてくれない?」

「その方が負荷が少ないでしょうか」

「どうだろうねぇ、固まった地盤を唐突に壊される恐れは無いけど」

「…本当、恋は盲目と言いますか」

「グレースも充分人の目を引く形姿なんだけどねぇ」

「比較するまでも無く、そうでしょうねぇ」


そりゃそうだろうよ。

私より顔が良い人なんてあちこちに居るわ。

況や公爵家など美しい人間の血ばかりが集められたようなものだ。

その姫となれば、それはそれは美しい方なのだろう。


だが惚れた人程良く見えてしまう気持ちは良く分かる。

私だって、イザイエ様の美しさよりもユーデス様のお姿の方が好ましい。

やっぱカッコいいよぉ。

ぐぅの根も出なかったが、幸い応接間に居た皆が王子殿下を気にしていたので恐らく私の一瞬息を呑んだ様子は知られていないと思いたい。

はぁ、日々彼の成長を見守れるイザイエ様達が羨ましい。


「随分気負った様子は無いね?」

「成るしか無いでしょう…グレース様は私の事は御存じなのでしょうか」

「知らないよ。

 ねぇ本当どうやったらあんなに骨抜きに出来るの」

「したくてした訳じゃなく…」

「ははは、そうだよねぇ。あぁ、もう帰路が憂鬱だ」

「イザイエ様は本当とばっちりが凄いですね」

「もうそういう巡り合わせだと諦めているから良いけど」


ふと彼は立ち止まり、さらさらと春風にそのオパラン色の髪を遊ばせる。

ラヴァンド色の瞳は遠い森の向こうを見つめたままだ。

横顔すら、精巧で艶めかしいカメオに彫られた象牙の神のようだ。


「ヴィーにも幸せになって欲しいんだよ」

「それは私もこの国に住まう人として願っておりますよ」

「貴族としてですらないとか」

「そしたらユーデス様のように身を賭すでしょうに」


愛妾になるのは嫌である。

そんな未来など断固として望まないぞ。

私は!可愛いと思える次男以下の優しくて穏やかな旦那様を見つけるんだ!!


「確かにね…上の者程、欲しいと素直に言えなくなるのは皮肉だね」

「イザイエ様も思うところがあると」

「ふふ、さてどうだろうか?キミの問いに答えられる日が来ると良いね」


それはつまり答えないと同義だろうに。

彼は歳相応の笑みを浮かべると踵を返し、応接間に戻ろうと私を誘う。


「そろそろユーデスのお説教も終わってるだろうからね」

「仮にも私、ユーデス様の婚約者ですものね」

「はははは!言われてみればそうだった!

 成程、その意味もあって説教役を買って出たのかユーデスは!」


寧ろ前以て分担を話し合っていたお二人が流石ですが。

再会であんなに固まられるとは此方は思ってもみなかった。

仮面でも付けて登場すべきだっただろうか。

そんな事を私が零せば、イザイエ様が肩を竦める。


「逆効果だよ、夢にまで見た妖精の姿でアイツの前に躍り出るなんて」


拗らせ具合が半端じゃないのだが。

恋心の半分をユーデス様に明け渡したら丁度バランスが取れるのではなかろうか。

埒も明かない事を考えながら応接間に戻れば、落ち着いた様子で茶を啜るユーデス様と心無し肩を落としたクロヴィス殿下がお座りになっていた。

まったく何方が年上なのか分からない。

思わず零した苦笑に、殿下が顔を上げる。


「笑いごとじゃないのだが」

「笑って語れる日が遠く無い事を祈っていますよ」

「…二年、とは…短いようで長いのかもしれないな」

「十年に比べれば訳も無いでしょう」

「なぁそれ、分割にしないか」

「その話を僕ともしていたところだよ」


腰を下ろしたイザイエ様が笑いながらそんな事を零せば、クロヴィス殿下はやや呆然とした面持ちで彼を見て嘆息を漏らした。


「毎日姿を見れるのと偶にこうして姿を見れるのは、何方が良いのか…」

「見ないのが一番では?」

「殿下も本格的に社交へ御出になるようになれば暇も無いでしょう」


私の言葉にユーデス様が首を縦に振る。

今年で殿下も十歳になり、冬の社交を皮切りに愈々他の社交へも呼ばれ、参加を求められる事が増えるのは目に見えた。

高貴な人間程、地位に見合った職責を果たせとせっつかれるのは早い。


「グレース様と共に支え合い、御務めを果たされる姿はさぞ御立派でしょうに」

「…そうだな、彼女のしなやかさは心強いよ」

「良い御縁を結べたようで嬉しく思います。

 人の美点を慈しめる殿下の傍らで咲くグレース様もさぞ美しいでしょうね」

「婚約発表の場での彼女は立派だったよ、ねぇヴィー」

「ああ、堂々としたものだった」


思い返して静かにクロヴィス殿下が満足げに頷く。

さぞ華麗な御姿だったのだろう。


「お隣に殿下がいらっしゃったのもあるのでは?」

「だと良いな」

「抱いた相手への心強さを裡に秘めず、互いに伝え合ってみるのも素敵ですね。

 私もそう在れる人と是非縁を深めたいと思えますもの」


じっと、黄金の双眸が私を捉える。


「…そうか。リーシャ嬢は心の裡を口にするのが苦手かと思っていたが」

「御明察の通りですよ。

 でもそれこそ一歩踏み出さねば何も得られないのでは、とも考えます」

「それが私からである必要は?」

「女はそれを包容力と感じますよ」

「ふむ」


少なくとも私はだが。

ま、グレース様の好みについては、直接言葉を交わしている殿下達の方がよっぽど分かっているのだから彼女に合わせて接するのが大事だろう。

私がちらりとイザイエ様へ視線を送れば、彼が静かに頷いた。


「ヴィーとグレースも相性は良いからね。

 これからをより良くする為、一歩近づく為の努力をヴィーからしてみては?」

「…そうだな、その為にも」


ふと視線を落とした彼が再び私を見据える。


「リーシャ嬢と二人きりで話したい事があるのだが」

「不許可だ」


間髪入れずに彼の言葉を下げ降ろしたのは、ユーデス様だ。

彼は腕を組み、背をソファーに尊大に預けたまま厳しい面持ちをしていた。


「彼女は私の婚約者だ」

「仮初のな」

「仮初だろうが何だろうが婚約を結んだ相手である事は事実。

 ヴィー、話すなら私も同席するが?」

「構わないよ、退席したくなるような空気にする」


そんな殿下の言い様に思わず私が笑う。

ユーデス様が怪訝な表情で喉を鳴らす此方へ顔を向ける気配が分かったが、私は抑えられずに愈々声を出してお腹を抱えてしまった。


「…これこそ、笑いごとじゃないと思うが?」

「ふはっだって…ふふ、失礼、そんなにユーデス様が、真面目とは」

「キミを守るのは婚約者として当然だろう」

「はい、ええ、ふふふっ、嬉しい」

「…」

「はい、はい仮初ですけどね、ええ分かってます」


思わず零れた暢気な本音に流石のユーデス様も言葉が無いようで、私から顔を背けて一つ盛大な溜息を吐き出した。


だが申し訳ない。

仮初でも婚約者として大切にされているのだとひしと感じて、嬉しい。

ふわふわする心が思わず私の口元を緩ませる。

こんな言葉を直に聞けるとは思わなかったのだ。

彼なりに誠実であろうとしてくれる姿勢も、殿下の拗らせた初恋をどうにかしようと苦心しているからこそ頑ななのも、ただ只管に可愛らしくて愛おしい。


恋心を植物に喩えたのも頷ける。

小さな芽だったものが、彼の声を、姿を見て、言を得て、心遣いに触れて、急速に水を与えられ暖かい日差しの中で急速に成長していくのがまざまざと分かる。

花も咲かず実も付けない恋だが、育む姿は大切にしたい。


好きだな、って気持ちを込めてユーデス様を見つめる。

その視線を彼が知る事は永遠に無い。

言葉にせねば生涯伝わらないであろう私の気持ち。


「だそうですが、殿下、どうされますか?」

「………」

「殿下?」

「……………いや、場を改めるまでも、無い」


私とユーデス様のやり取りを黙って見守っていたクロヴィス殿下が、先程の息巻いた様子が嘘のように両手で顔を覆い項垂れられた。

ああ、この人はちゃんと私を見てくれていたのだなと。

改めてそんな事を感じた。


かの御人はその体勢のまま、か細い声を漏らす。


「リーシャ嬢」

「はい」

「好きだ」

「お気持ちは嬉しく存じます、お応えは出来ませんが」

「だろうな…ああ、こんなに好きなのに、何故」

「でももう私にキスは出来そうに無いでしょう?」


音がする勢いで応接間に居る人々から視線が私に集められる。

でも私は視線を未だ項垂れ、顔を隠した殿下だけに注ぐ。

ちょっとだけ意識は唖然とした顔のユーデス様に向いてしまったが。

やがて殿下はのろのろと顔を上げ、まじまじと私を見た。


「言うなよ」

「これも笑い話にしましょうね」

「酷い人だ…だが、そうだな…キミの言う通りだ。

 今、キミとキスをしても満たされるのは一瞬だろうな」


そりゃ私は泣くだろうからなぁ。

嫌だもの、好きじゃない人とのキスだなんて。


「それで殿下の気が済むなら吝かではありませんよ?」

「いやダメだろう、それは」


間髪入れずにユーデス様が私の言葉に制止を掛ける。

何とも仕事が早い、仮初の婚約者様だ。


「婚約者はこう言っておりますが、昔、殿下に語った物語を覚えていますか?」

「…密通で生まれる苦悩と禁断の想いこそ香しく人を誘うな」

「どんな話してるのキミ達」

「イザイエ様も興味がおありで?」


おっと、彼こそ正しく主人公に相応しいが阿鼻叫喚となりそうだ。

同じ事を考えたのだろうか、殿下は力無く頭を振る。


「それでも後に抱く悔恨が深い…そんな意味で、泣かせたくない」

「ふふ、お心遣い感謝致します」

「良く言う」


やっと、苦笑いでも表情を緩めた彼に安堵する。

言葉にすれば強まる想いもあるが、不定形だったものの形を認めてこそ諦められるものもあるのだときっと彼は知れただろう。


この後の歓談は緩やかに、穏やかに進められた。

それこそ一昨年の視察のような時間でありながらも、何処か殿下と私の関係はそれこそ初めて会った時のように近づき過ぎない距離感を持っていた。


「そういえばユーデスも何かリーシャ嬢にあったろう?」

「…そうだったか?」

「珍しい、お前にも忘れる事はあるのか」


ふと殿下がそんな事を零し、私も目を瞬かせる。

頂いた手紙の中で、彼は特段用件は無いような様子があったが。


「それこそグウェンダル様はギランお兄様にお話があるのでは?」

「ああ、夜にグウェンだけ遣わせても構わないか?」

「ええ勿論」


どうやらグウェンダル様は御一行が別荘に入られてから、改めて我が邸に足を運びラン兄様と語り合うようにしたようだ。

ま、その方が気兼ねなくお話も出来るだろう。


「で、ユーデスは思い出した?」

「思い出したら言う。

 ところでリーシャ嬢、北の街道整備の件だが」


私が擦り替えた事を分かりながらもイザイエ様が話題を戻す。

かと言っても、それを躱せぬユーデス様では無い。

一瞬、居心地が悪そうに顔を顰めたもののすぐにいつも通りの表情に戻り、私へと水を向けては気になっていらっしゃったであろう事を話し出す。


(これが私に確認したいお話では?)


そんな事を頭の片隅で思う私を、やたら爺が見つめていた。

が、彼は口を開く事はせず一行が邸を去る際も慇懃に頭を下げていた。



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