80:七歳児の不香花
ユーデス様と、世を欺く為の婚約を期限付きで結んだその日。
私は言い忘れていたヴュルテンベルク辺境伯家のアロイーズ様から受けた忠告を家族にも共有をすると同時に双方の蟠りについても教えられた。
確執の残る両家。
その一方から受けた忠告が意味するのは、今後我等の未来へ待ち受ける困難に関するものであろうかと危惧してしまうのは仕方ないだろう。
私達には見えない流れが何処かで蠢いているのか。
未だ支流、海は見えず、ただそれが待ち受けている気配だけが馨る。
それにしてもアロイーズ様は我がストラス家がネウストラ公爵家と縁付くのを、早くも去年の夏頃から予想した上で苦言したのかもしれないのだから驚きである。
彼はユーデス様と同程度、もしかしたらそれ以上の慧眼をお持ちなのか。
末恐ろしい六歳児、いや今は私と同じ七歳児だ。
確かにユーデス様も視察を計画された際に我が家に衆目が集まる事を予期はされていたし、その場合の対策を頭の隅で考えていたかは分からないが、何かしら描くビジョンは御持ちだっただろう。
ただそれがネウストラ公爵子息である自身が婚約者として立つもので無かった事は確実だと思うのだ。何せ、私がどういう為人か把握し切っていなかった上に王子殿下の悋気に関してはそれこそ予想外であろう。
本当は適当な家を勧める程度にしておくつもりだったかもだ。
寧ろ今のこの状況が最悪だからこそ、アロイーズ様の望まない未来だからこそ、先んじて勧告してきたのではないかと私は考えてしまう。
(つまり、アロイーズ様、ヴュルテンベルク辺境伯家にとってはネウストラ公爵家とストラス家が縁付くのを避けたい、と?)
北の田舎伯爵家と王国一の公爵家が縁付くなど端から可笑しな話だが、現実として仮初でも婚約は結ばれたのだから何とも言えない。
まぁ成ってしまったものは仕方ないと言え、では一体何がヴュルテンベルク辺境伯家にとって不都合なのだろうかと素振りをしながら悶々と私は考える。
(まず単純に、ネウストラ公爵家の勢力を削ぎたい)
それこそ西街道を中心に国内流通を牛耳るのはネウストラ公爵家だ。
各方面に対してそれなりの影響力があるが、特に北方は重要な土地だろう。
北街道の終着地であるセプタント侯爵領は海を挟んだ他国への流通網である大きな港を抱えているので、今でさえ人流だけでなく物流も多く賑わいがある。
此処を更に強靭な交易網としてネウストラ公爵家が押えるのは、今後の勢力拡大を考えても肝要であるというのは分かる。
だがセプタント侯爵家もそれを指を咥え見ているだけではない。
かの家は北方を纏めるリーダー格だ。
正直、北方領各地においては西方のネウストラ公爵家よりも影響力がある。
なので直接事を構えるのではなく、ネウストラ公爵家が勢力を広げる足掛かりとして我が家を選んだという見方も出来なくはないだろう。
実際、そういう噂も上がるだろうから嘲笑うように自由に街道整備をしてくれとユーデス様は鷹揚に笑っていらした。
「統率者は必要だろうし、順位というのは人間社会で必ず発生するものだ。
だが統べるのは王家であり我が家でないし、順位差が大きいのは不都合だな」
この世界で自由競争を受け入れる度量よ。
本当にあの御方は生まれる世界を間違えていないか?
これが私の一つ年上の子どもだというのだから本当に凄い世界だ。
教育の質もあるだろうが、彼自身の見識や才能があってこそだろう。
話が逸れたが、ネウストラ公爵家が影響力を増すのをヴュルテンベルク辺境伯家が危険視するのも十分考えられる理由ではある。
しかし、かと言って一家を惨事に陥れる程の事では無い。
(他に考えられるのは…。
ヴュルテンベルク辺境伯家が北方への進出を計画しているとか)
貴家は南東に位置し、国防を担いつつ周辺を纏めている。
隣国やその緩衝地帯となる平原に住まう騎馬民族への監視をしているのがヴュルテンベルク辺境伯家であり、今猶領主である閣下は御領地周辺は勿論王宮や東方でも確かな発言力と信頼をお持ちだ。
どちらかと言えば国内での信任を確固たるものにするのがヴュルテンベルク辺境伯家で、海運と同時に他国との交渉に関してはネウストラ公爵家の方が強いイメージがある。
しかしアロイーズ様はその状況を変えるおつもりなのだろうか。
西の港が公爵家の領地である事から、残る主要港は北となる。
もし海を介した隣国との結びつきを貴家が望むなら確かに北方を押さえておきたいであろう。
となると北方に公爵家の息が掛かった他家が在るとなればそりゃ心安らかではないし、ゆくゆくはどちらも狙う先がセプタント侯爵家になろう。
セプタント侯爵家には私達よりも十は違う姫様が二人いらっしゃるが、共に既に婚約済みで婚姻も間近だ。
だがギランお兄様と一つ違いでの嫡男と私と二つ違いの子息もいらっしゃる。
(オリアーヌ姫様がセプタント侯爵家に輿入れされる予定なのかもしれない)
かと言ってあれだけの器量持ちだ。
生まれも恵まれているのだ、彼女であれば王妃も十分狙える。
不敬ではあるがセプタント侯爵家に嫁がせるなら王家一択だろう。
ただ、ユーデス様が視察を終えてから愈々纏めた殿下の縁談では、恐らく貴家は選ばれなかったのかと推測が出来るが、それにしても去年の夏段階で触れる話題ではなかろう。
若しくは内々で打診を断っていたとか、そういう話だろうか。
(この辺りはヴュルテンベルク辺境伯家の内情だろうけど…。
そう考えると確かに我がストラス家は眼の上のたん瘤だろうなぁ)
しかし我が家が喩え公爵家と縁付くとしても私が王都へ輿入れるのだ。
北方への影響力は目に見えてヴュルテンベルク辺境伯家の方が強くなろう。
ストラス家は伯爵家だが弱小でも無い。
両親も、ギランお兄様も政治バランスは上手に取れる人だ。
その采配が大きく傾ぐ事も、御家取り潰しを願われる程の問題が今後に起きるとはどうも考え辛い。
(あとは…武術大会でオリアーヌ姫様がユーデス様を見初めたとか?)
であれば確かに私は邪魔だ。
しかしこの可能性は極めて低いだろう。
何せ、姫様はグウェンダル様に熱を上げたそうだからだ。
グウェンダル様も精悍な面持ちの貴公子だが、ユーデス様と系統は違う。
逞しい南領の女性らしく戦う姿に惹かれたのであれば、であるが。
(まぁ確執を解消したいと願うならその線が浮上するのだろうけどなぁ)
にしても不信を抱くヴュルテンベルク辺境伯家が折れる話題でも無い。
どちらかと言えば、ネウストラ公爵家側が働きかけるのが道理かと考えてしまうのは私が前世持ちだからだろうか?
辺境伯家は公爵家より爵位としては下だが、過去に王家より姫が降嫁された事もあり血筋としては公爵家相当でもあるので、猶更公爵家に阿る必要は無い筈だが。
(うーん分からん…)
汗が滴る程素振りを繰り返すも光明は見えず。
ただ只管に空を斬る音が鍛錬場に虚しく響いた。
一体何が、御家潰しを願われる程の原因となり得るのだろう。
(…と、なると我が家が近づくより…私がユーデス様に近づく事が問題なのか?)
ブンと雑な大振りになってしまった動きに気付き、一度息を整える。
いつの間にか詰めていた呼吸を深く吸い直し、構えを改めギランお兄様から教えられた内容を反芻しながら丁寧な素振りを再開する。
ここ最近、思考に耽る時は素振りをする事が多い。
私だってギランお兄様の武術相手になりたいのだ。
況やグウェンダル様が居なくて寂しそうなお兄様が!嬉しそうに妹を構ってくれるのが武術訓練なのだから私がやらない訳がない!!
こうして武術訓練や身体づくりに精を出している娘にお母様が呆れた顔をしているのは知っているが、魔法はもう少し後に学びます。
今は此方をやらせてください。
まずは神学の本を眠らずに読めるようになるまでお待ちくださると猶嬉しいです。
拗らせているお兄様愛の賜物か私の才能か、子ども用の木剣は早々に金属製の重さがそこそこある練習用剣に変えられたし、足腰や体幹が以前よりずっとしっかりした感覚がある。
己の身体の動きを意識しながら制し、剣を振るのは楽しい。
もっと、私が私として此処にある感じがする。
そんな武術馬鹿になりつつある私がユーデス様に近づくのが問題とは。
自分の事であるが馬鹿馬鹿しくて鼻で笑ってしまう話題だ。
元より爵位差が大きい我々は縁付く訳も無い。
仮初だ、期限付きだと己で何度も反芻し口にするくらいには充分、分かっている。
そもそも私が悪戯に握り、誘えども手を離したのはユーデス様だ。
彼は私と恋をするつもりも元より、今以上の関係を求めていない。
(あ、私ってあの時フラれたのか)
今更気づいてまた素振りが乱れた。
いかんいかん、動揺している場合ではない。
心頭滅却!心頭滅却!!
(…えーマジかぁ…そっかぁ、ユーデス様に…私、フラれたのか)
舌の根も乾かぬ間に再び巡ってきた考えに、止まりそうな速度で剣を振り下ろしたまま身体が動かなくなる。
(いや…王子殿下に好かれたからって、うん、ちょっと自惚れてたな)
嫌われている訳じゃないと思ってはいる。
態々遠いストラス領に来てまで事情を説明し、婚約を結んでくれたし。
私だからこそ救いの手を伸ばしてくれたような事も言ってた。
(でもそれは、ユーデス様にフラれても変わらずに居たから…)
正直気付いていないだけだったが。
そっか、やっぱりそうですよね、私は無しですか。
(…ええええーーーー、あーーーいやーーーーーーーーー)
無性に悲しくなってきた。
何だこれ、ほんと何だ。
褒めてくれたのだって、私の言葉で笑う姿だって全て社交辞令か。
その気も無い、対象外の異性の手を優しく握らないで欲しい。
穏かに、楽しそうに話し、冗談を零して、香りを吸い込む程傍に来ないで欲しいよ切実に。
あれか、天然ジゴロは此処にも居たのか。
(………やだなぁ、フラれたのになぁ)
悔しい、悲しいという気持ちが確かに胸を占める。
ぶんぶんとそれこそ子どもが木剣を振るように、何ともなしに玩び、擦れた己の足元から視線を上げられずにいた。
(うん、私は田舎伯爵令嬢だし、望みなんか無いし望んでも無かったし)
意識下ではそうだ。
端から分かっていたじゃないか。
分かっていなかったのは、無意識の幼心。
(でもカッコいいし優しいし、話していて尊敬出来るし頼れるし…。
ちょっとくらい、良いなって思うのは当然だと思うんだよぉ)
行き場の無い想いに唇を歪ませながらざりざりと爪先で土を削る。
それに意味は無い。
ただ、自分の心の慰め方が良く分からないだけで。
こんな時だけ七歳児にならんで良い。
(ダメかぁ…私は、彼の好みじゃないか…ま、当然だよなぁ。
ユーデス様めちゃくちゃ現実的なお考えしているし)
釣り合わぬ爵位の者、家への利益が見込めない相手など門前払いだろう。
それこそオリアーヌ姫様なら彼も恋愛対象として意識したかもしれない。
(…いいなぁ、オリアーヌ様は)
ああ、彼の凛々しい御考えをどうか殿下にも叩きこんで欲しかった。
下手に王子殿下なんかに気持ちを寄せられたから私も妙な夢を見てしまったのだろう、そうに違いない。
もういっそ七歳児らしく責任転嫁をする。
(全部クロヴィス殿下のせい、うんそうしよう)
「エターーーーン、私可愛い?」
「は?何ですか急に?」
少し離れたところで主を見守っている、いや隣のマノンと楽しく幸せそうに話していやがるリア充に八つ当たりを兼ねて大声で問い掛ける。
藪から棒に投げ掛けられた側は眼を丸くしているが構うもんか。
今は褒めなさい、お嬢様命令である。
「可愛いー?!!」
「可愛いですよ」
「だよねー!!」
「何なんですか、本当に」
「お嬢様が一番かわいいです」
「ありがとうマノン!私も綺麗で優しいマノン大好き!!」
「この落差」
「私も幸せな結婚するーーー!!」
大口で笑いながら二人に手を振れば、ピタリと彼等が動きを止めた。
キミ達の仲は私も察しているぞ。
伊達に長時間一緒に居る訳じゃないのだ。
さて改めて心を前向きにして剣を構える。
その太刀筋に迷いは無かった、と思いたい。
(って事はうん、アロイーズ様も噂に惑わされずユーデス様の資質を認め、魅力的な御人だとご存じだからこそ私に忠告したのかもしれん。
まぁ杞憂だけど私がユーデス様に粘着したとしよう)
私がユーデス様に恋して、身の程知らずに婚約の延期を求めたとする。
もしくは悋気に溺れて彼の新しい婚約者を虐めるとか?
はっはー、一気に悪役令嬢地味た展開になってきたぞ。
一時は自分が聖女主人公かと思った頃もあったのにな、結局はそういう役回りを与えられているのかもしれんな。
確かに、増長する理由は多分にあるが。
(啓示染みた『記憶』を与えられ、王子殿下とも顔見知りの田舎伯爵令嬢。
家族には溺愛されて天上天下唯我独尊な幼児)
うーん将来が不安になる程の素養が満載であるなぁ。
どうしても前世の影響か、物語チックに考えがちではあるが、結構な要素を盛り込まれているとは自分でも思うのだ。
(兎に角、思い違いをしないように心していれば忠告にも叶うし、私も穏やかに過ごせるというものだろうな)
そう一時期は考えましたとも、ええそりゃもう。
でもどれだけ素振りや筋トレをしたって払い除けられないものも世にはある。
ユーデス様は定期的に手紙を寄越してくれた。
予想外だが自発的に記したものであろうと考えられる文面ばかりで、夏も過ぎた頃には彼の宛名に家族も邸の者も構えなくなった程の頻度でそれは届いた。
内容は北街道の進捗についてだけでなく、日頃彼が感じた楽しかった事や悩ましいと苦言を呈する身近な話題も多くて読むたびに此方の心をほっこりさせた。
間隔も短いが分量も毎回それなりに多いので代筆する爺は大変だろう。
最早誰と文を交わしているのか、ちょっと分からなくなる。
(でも嬉しいな、そういう話をしても楽しい相手だと思って頂けるのは)
話題は何時だって他愛ない。
いっそ世間話に近く、仮初と謂えど婚約者同士が送り合う文としては色気が無いものばかりだ。
でもそれが、お互いに心地良いと感じているのが私は何より嬉しかった。
私も家族や領地の近況を綴り、時折彼ならどんな反応を示してくれるのだろうと思い馳せる時間が至福であった。
打てば響くような反応がその場に無いのを惜しむくらいには。
(直接、お話がしたいなぁ)
そう思うのはきっと私だけだろう。
証拠に、彼の訪れは春以降その年は無かった。
勿論王都で御忙しくされているのも存じているし、今年の夏は御領地のお仕事に関わられていた事もやはり手紙で教えてもらっていた。
気軽に会える距離じゃない。
だからこそ仮初の婚約が叶ったともいえるだろう。
彼の時間を取らない、時に他愛ない話題の手紙を寄越すだけで許される婚約者。
これくらいの手間なら許容範囲だったのかもしれない。
(…いや、他の貴族からの防波堤もして下さってるのに)
余計な事を願う心を殴って倒す。
こんな時はまた鍛錬場で剣を振る。
正直、手紙を開く度にこんな事をしている気がする。
見兼ねたギランお兄様が私に新しい学びとして馬術を勧めてくれた。
その話題をユーデス様の手紙に挙げたら、彼から冬の直前に数頭のサラブレッドが我が家に贈られたのだから驚いた。
『輓馬は身体が育ち切っていないリーシャ嬢には難しいだろう。
ま、それをも優雅に乗りこなす妖精なのだろうが』
そう書かれた一文を思い出すも、気遣いがセレブ過ぎてちょっと引いた。
嬉しいが過分であるよ、ユーデス様。
ギランお兄様も恐縮しつつ喜んでいた旨を丁寧に綴りながら、私は苦笑を浮かべていた事だろう。
『贈られた子馬に、青い目の子がおりました。
その姿こそ北の女傑と謳われる未来の為に精進し、大切にさせて頂きます』
きっと手配したのは気の利く彼の執事爺だろう。
小粋な事をしてくれる。
でもユーデス様は青も分からなければ、私の瞳の色も、空の色も伝わらない。
(彼の中で想像されて描かれる私はどんな姿なのだろう)
妖精の姿だろうか、それとも筋骨隆々とした女傑だろうか。
最近鍛錬の話ばかりしていたからその可能性が高い。
(それでも…「私」という形が彼の中に在れれば、それ以上の幸福はない)
あの手で私を象られる事は無い。
だから永遠に、想像上の私を彼は見つめている。
それがもどかしくもあり、照れくさくもある。
この恋は、馨らぬ花に似ていた。




