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パドマの箱庭  作者: 菌床
四章:あの花情恋意をもう一度
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79:七歳児の疑懼


 我が邸に遠路遥々王都からいらしてやっと応接間でひと心地着いたばかりというのに、そのユーデス様の口から発せられた言葉に私は思わず素で不敬な声を漏らしてしまった。

しかし彼はそれを物ともせず、小さく頷くと気にせず更に言葉を続ける。


「まずは結論から入った方が分かりやすいだろう?」

「…それはそうですが」

「伯爵もお呼びすれば一度で済むのだが、リーシャ嬢に納得してもらうのが最優先であると私なりに考えたつもりだ」

「ありがとう存じます」

「ふむ、まだ困惑しているな」


そりゃそうだろう。

何だこの業務連絡みたいな婚約打診。

決定事項として伝えられている訳では無いのが救いなのだろうか。

まぁ、それでも流石に、遥か高みにおわす公爵家御子息本人が態々足を運んで申し入れている内容を無碍に出来ないというか、そもそも悲しい哉、我が家にそんな権力は無い。

ただただ呆然として固まる私を他所にユーデス様が優雅に紅茶を口に含む。


「経緯を話しても?」

「ええ、是非」


また一つ彼が小さく頷く。

どうやら私が困惑するのも、それでも喚かず経緯を聞かんとするのもユーデス様には予想出来た事なのだろう。

そりゃあ、まるで歌うように滑らかな経緯説明がなされた。


「まずは手紙にも記したが二度に渡る王家の滞在地である領地。

 元より避暑地としての知名度はあったが、災害に対しても被害を抑える対策を取れ、且つ街道の重要性を理解し整備する先見と意欲は評価する者も増えて当然」

「はぁ…それは、喜ばしいと思うべきなのでしょうけれど」

「利便性の向上は恒久的な効果を齎すかと謂えば必ずしもそうではないからな。

 そこから更に発展させる努力を惜しまない事が重要だ」

「その通りですね」

「故にリーシャ嬢も考えている通り、一時的な注目ではあろう」


いや、考えておりませんが。

そもそもそんな注目されているとも見当が付いておりませんでしたが。


「ただ注目されるだけならまだ良かった。

 だがクロヴィス殿下が領主邸に頻繁に足を運び、嫡男や娘とも交流を持った。

 王都でもそれなりにアイツは交遊があるがこれ程通うのは、まぁ稀だ」

「そりゃあ遊びに来るだけではありませんでしたし」

「王族の引率など建前にしか捉えておらんよ、王都の貴族は」

「急に八歳児扱いするんですねぇ」

「己の都合よくでしか物事を捉えられないのだ」

「その皮肉は幻聴でしょうか」

「ふ、そうだな」


思わずと言った様子で零れた嘆息を小さい笑いに変えたユーデス様は、卓上で組んだその手を軽く撫で揉む。


「まぁそんな輩ばかりでは無いのだがな、耳障りな声程良く聞こえてしまうというのが人の性だろう」

「…矢張り、私達の家が話題に?」

「だな。至悪(しあく)な事にヴィーが参加した夜会でだ」


王子殿下と謂えども彼はまだ八歳だ。

本来十歳から出席出来る夜会だが、彼も臨席をする特殊な席など限られている。

なんて場で語る馬鹿が居るんだ。


「まぁだからこそ反応を見ようとしたのかもしれないがな」

「クロヴィス殿下程の御人ならそれを逆手に取りそうですね」

「その言葉、本人に伝えても構わないか?」

「ご自由にして頂いて差支えは御座いませんが…え?まさか?」


え?ちょっと待ってくれ。

もしかしてなんか顔に出したのか?


「流石にその場は凌いだが、まぁ荒れたな」

「帰路で御二方に慰められたのでは?」

「私は、恋とはこれ程人を狂わし楔となるものだと寡聞にして知らなかった」

「笑うところですよね?冗談ですよね?」

「すまない」


拗らせてんのかよ殿下…。


「故に戻って早々、アイツの婚約を内々で纏めたのだがな。

 相手が出来れば感情を向ける先が出来るのだ、変わるだろうよ、と」


ちょっと待って下さいユーデス様。

それ、まだ田舎にも届いていない王家速報じゃないですか?

何でこんな場でペロってるんですか?

御相手様を言わなければ良いってもんじゃないですよ?


「まだ先方は返答を渋っているようだが時間の問題だろうな。

 でなければ彼の家は次代で取り残されよう」

「…あの、喋り過ぎでは…」

「何、伯爵にも告げる予定だ」

「…左様でございますかぁ…いっそ家族全員には?」

「ははは、それでキミが構わないなら」


これはちょっとお父様だけに抱えさせる訳にはいかないぞ。

硬い決意を抱く半面、私の口から零れたのは嘆息だ。


「つまり此度の婚約打診については他家が考えているような理由では無く、あくまでも王子殿下の婚約が纏まり、気持ちの切り替えが出来るように…と?」

「実に情けない理由で恐縮だ」

「寧ろ多大なお心配りに恭敬を抱くばかりです」


有象無象の素知らぬ貴族が私と縁を繋ぐ可能性がそれ程にクロヴィス殿下の心を掻き乱したという事にも驚きだが、出来るように終わらせられなかった責は私にもあろう。

にも関わらず王子殿下の心の安寧為とは言え、公爵令息が直々に対応されるとは。

そして確かにこれは、文では信じられない内容でもあろうから直接話をして頂いた方が、此方としてもまだ安心出来るというものである。

内容の七面倒臭さにはつい溜息が出てしまうが。


「だとしても、態々ユーデス様が御身を挺して下さるのは流石に」


そう、クロヴィス殿下の周りには他にも信頼できる家臣は居るだろう。

何も未来有望な公爵家の嫡男様を役者として宛がう必要は無かった筈だ。

御本人の容貌を鑑みるとちとアレだがイザイエ様などは三男だし、私との家格差を考えるのならグウェンダル様の方が周囲も納得させられる気がするのだが。

ま、どちらも王都で名を馳せる貴公子なので田舎娘と縁付くというだけでも仰天な話題には変わらない。


しかし双方、大抵の家から我が家を守る力は充分御持ちだ。

故に、三大公爵家でも第一位である名家ネウストラ公爵家というカードを切るのは流石に過剰防衛だと思うのだが。


そう所感を零す私に子息は淡々と告げる。


「ヴィーが許容出来た人物が私だった、というだけだ。

 キミの希望が次男以下であるという点でイザイエは却下されたし、嫡男であるがグウェンは先の事もあって最初から選択肢に入れられていなかった」

「…どういう事です?」

「ヤツには仮初であっても許容範囲とものがあるらしい」


ユーデス様の言葉を聞いて、やっと何処かで浮ついていた私の心が正座する。

うん、やっぱりそうですよね。

ちょっとだけ、これがモテ期か?と思ってしまったよ。

つーか私の好みというか将来設計漏れてるのか?

そっちの方が気になるんだが。


「私は嫡男であるし家格差もあるからより非現実的だ。

 何、我々の至らなさ故に起きた皺寄せであるから勿論貴家への補填もする」

「そこまでお心を砕いて下さらなくとも」

「私も雪晒しの布が欲しいだけだ」


成程ぉ、北街道整備に関して出資でもなさるおつもりですかぁ。

ゆくゆくは西の御領地にも我が領の品を運ばせる心積もりまであると。

有難いと思えば良いのか、ちゃっかりしていると呆れれば良いのか。


「期間はリーシャ嬢が九歳になるまでとする」

「その年の年末にはユーデス様も社交にお出になられますものね」

「ああ、だからそれまでにはどうにかしてみせよう。

 故にキミに協力して欲しい、という訳だが…悪い話でもあるまい」

「何処までがユーデス様の手の内なのか分かりませんね」


思わず、猫が逃げ出したままでそんな事を私は零した。

不敬だと分かっていても言わずにはいられない。

だってこれだけ多方面に配慮して対策を取れる御方なのだ。

元より殿下のもう一度ストラス領へ、という希望を聞いた時から考えられていた展開かもしれないと考えてしまうのも無理は無いだろうに。


肩の力を抜けきった私の姿など見えないのに、彼はクスクスと穏やかに小さく笑いながらそのグリ・ダルジャン色の髪を揺らした。


「買い被り過ぎだ。

 少なくともリーシャ嬢だからこそ私も手を伸ばしたまで」

「仮初とは言え、婚約相手の為人を知るのは大事な事ですものね」

「それもあるが」


ふと彼が斜め上を見るように顔を傾ける。

とつとつと、整えられた指先が軽く卓を叩いていた。


「キミは、私が手を離しても特に態度を変えなかったからな」

「手を?」

「そうだ…まぁ覚えていないなら気にしなくて良い」


ひらひらと今度は頭の代わりに掌を緩く振り、彼の傍らに控えている老齢の付き人へ顔を向けた。


「という訳だ、爺。これで満足か」

「誠意を受け取るのはリーシャお嬢様ですよ」

「誠意か、難しい事を言う。

 今の話の何処にそんなものが込められていると思う?リーシャ嬢」

「補填、でしょうかねぇ」

「流石現実的な回答だ」


愉し気にユーデス様は笑うが、爺は笑っていなかった。

私の不遜な建前以上の言葉をユーデス様は私に求めていないのだ。

改めて理解した此方が表情を引き絞めれば、老輩の目が少し悲し気に伏せられる。


「婚約解消の理由は既にお考えでしょうか」

「私の有責とするよ」

「それは飲めません、…と言いたいところですが仔細を伺っても?」


私の仮初婚約者として寄り付こうとする貴族を追い払うだけでも十分過ぎる御苦労をお願いするのに、更に解消時の責をユーデス様が背負うというのは違うだろう。

違うと心の儘に反感するのは容易だが、それを見越していない御方でもない。

何かお考えがある筈であると察して私は言葉の先を求めた。


確かに、まだまだこの時代では「婚約解消」という言葉を聞けば、女性側に何らかの問題があるのではと考えられがちではあるが、私はそんなもんに振り回されるような可愛げのある女でも無い。

己に如何なる過去があろうと添い遂げたいくらい好いた男は私から口説くわ。


そんな強気が漏れ出していたのだろうか、ユーデス様が珍しく口を濁してただ静かに被りを振った。

だが此方が頑として黙って言葉を待てば渋々と口を開く。


「…耳障りの良い話でも無い。

 ただ不貞では無いから安心して欲しい」

「詳らかに出来ないのは今後の計画に差し障るからでしょうか?」

「いや、私が話したくないだけだな」

「そうでしたか、それは失礼致しました」


話したくない事を話してもらえるだけ、私とユーデス様は親しい訳じゃない。

此処は私が踏み込んだ事を口にしてしまっただけだ。

粛々と詫びを述べる私に、彼は直ぐに諾を返してくれる。

そういうところの気遣い出来るとことか、本当に優しい人なんだよなぁ。


「言わねば受け入れてくれぬか」

「私、それほどの凶賊に思われて居るのでしょうか…」

「ははは凶賊。辣腕ではあるかと思うがな」

「それこそユーデス様でしょう」

「そう在りたいと思うよ」


一口紅茶を啜り、ユーデス様が肩の力を抜く。

私もやっと外で小鳥が囀るのに耳を傾けられた。


「このお話について公爵閣下は何と?」

「恩の先払いとは述べておいたが、実際どう考えているかな」


あまり乗り気なじゃないところを強引に殿下案件として押し通したのか。

そりゃそうだろうな、大事な一人息子の婚約者が仮初とは言えこんな利も無い田舎娘だなんて許容できるものでは無かろうに。

補填に関してもだろうが相当頑張らないと禍根が残りそうだ。


「では少しでも心象を良く出来るように私は私で努めましょう」

「ふ、婚約者として?」

「ガワはそれを纏いつつ」

「頼もしい共犯者だ」



こうして二人だけの茶会が終われば今度こそお父様を交え、いっそ家族全員と言われたのでレム兄様まで招き入れてユーデス様との会談の席が設けられた。

改めて経緯を聞かされた家族達誰しもが重々しい吐息を漏らすのは仕方ない。

そうもなろうよ。

私は先んじて話を聞いていたからこそ落ち着いてレム兄様と戯れていられるが。


「私がリーシャ嬢と婚約を結べば兄君への申し入れも慎重にならざるを得まい」

「それは…そう、ですが」

「ふむ、既に心に決めた御令嬢が居たのかな?」

「そうでは…ありませんが」

「ならば此方としては助かる。

 近づく者を全て払い除ければ良いだけだからな」


鷹揚に笑うのはユーデス様だけだ。

私の家族は恐縮と、高位貴族ならではのパワーゲームに声も出ない。

確かにボウリングのピンよろしく有象無象を薙ぎ払うのは楽しそうだが。


「それにしても王子殿下がリーシャを…というのは、その」

「伯爵は愛娘を送り出す心積もりがあったのか?」

「我が夫は磊落(らいらく)な性格ではありますが、身の程を知っております」

「だろうな。

 だからこそイザイエも御令嬢の意志を確認したまでで止めたのだろう。

 因みにリーシャ嬢から話は?」

「聞いておりません」

「それは申し訳無かったな、孝行者の顔に泥を塗ったか?」


私へと顔を向けたユーデス様に小さく頭を振り、口を開く。


「いえ、些事ですから」

「はははははは!これはヴィーには聞かせられないな!」

「…不遜な娘で申し訳御座いません」

「いいや、悪戯に騒がせなかったのを褒めるべきだろう。

 にも関わらず此方が至らぬばかりに迷惑を掛ける」

「それこそ我が家が力及ばないばかりに…」


項垂れるお父様の声音の弱さを庇うようにユーデス様が優しく語るのは、先程家族へと説明された補填計画についてだった。


「補填に関しては、解消後となるのが心苦しいが」

「元より庇って頂けるだけで充分です」

「それも私が社交に出るまでの短い期間だがな」

「御身の名を穢さぬよう、一層の精進を致します」

「きっと伯爵の愛娘は私との婚約よりもそれ以上の益を齎すだろうよ」

「買い被り過ぎです」

「なぁリーシャ嬢?」

「社交の場でユーデス様が『惜しい縁だ』とつい口にしてしまうように、粉骨砕身の心持ちで努めるつもりで御座いますよ」

「だ、そうだ」

「リーシャ、ちょっと黙ろうか」


お父様からのストップが掛かるだけでなく、愛しのお兄様まで咎めるように私を見るのだから肩を竦めてしまう。

そんな、爵位差が大きく恐縮して、差し出せる物が無いと嘆き享受するばかりの関係は、私達の精神的にも良くないだろう。

折角御力添えを頂くのだ。

ユーデス様にも楽しんでもらえるほうが良いに決まっている。


「お父様、謙遜も過ぎれば卑屈ですよ」

「分かっている」

「解消後の私の名誉を守るのは私自身です」

「ふ、幼くとも女傑の片鱗がある。

 或いは北の女傑としてキミの名声が王都にも聞こえるのだろうな」

「そう在れるよう尽くしましょう」

「ユーデス様…」


家族と違ってユーデス様は私を応援してくれるようだ。

のびのびとやれるように、是非その調子で煽ってくれ!

笑っているのは私達だけでまだ家族の面持ちは晴れないが、彼からの申し出は断るなど考えもしていない様子を見れば話すべき内容はこれからの事だろうに。


「私、ギランお兄様の入学に合わせて王都へ行く予定ですが、それは変更した方が良いのでしょうか?」

「キミは社交には出ないのだ、然程でもあるまい。

 だが良いのか?出歩くのが億劫になるかもしれないが」

「衆目に極上の笑顔を見せて差し上げますわ」

「はは、それは良い考えだ。

 まぁその時に成らないと流石に其処は分からないが、キミが悠然と王都を闊歩出来るのを私も願っているし力を尽くそうか」


おや、ユーデス様でも分からない事があるのか。

確かに私が今後何をやらかすやら、自分でも予想は出来ないが。

そういう意味で分からないのなら、望む方向へと今力を尽くせばよいだけだ。


「ありがとう存じます。

 ユーデス様と王都の社交でお会い出来るのを楽しみにしております」

「あまり魅力的に咲いてくれるなよ?再熱したらどうする?」

「それこそ、その時に成らないと分かりませんね」

「ふ、確かにな」


クロヴィス殿下の心をがっちり掴んで離さないよう、婚約者様を導くのにもどうかユーデス様達が力を尽くして欲しいと切に願う。

まぁ、離れて遠退いた記憶は褪せて美化されがちだ。

大いに美化してくれて構わない。

再会した時に美しいものに囲まれて目の肥えた殿下が、現実の落差にがっかりすればするほど私への気持ちは興醒めになるだろう。


その点、私の外側に影響されないユーデス様は良い。

何時までも変わらずに接してくれる事だろう。

この事を考えると、中々にこの偽装婚約も悪いものではない。


「二年間、どうぞよろしくお願いいたしますね」

「お手柔らかに頼むよ、リーシャ嬢」


こうして私とユーデス様の婚約が結ばれた。

彼は既に必要書類まで持ってきていた。

どうにかして飲ませる話であったのは分かるが、用意周到過ぎて本当に我々は彼の掌の上で転がされているだけなのだと思い知らされるから何とも言えなくなろう。


嫡男の婚約だというのに公爵閣下不在の中、手続きはしめやかに且つ何処か穏やかに行われ、ユーデス様は翌日の早朝にストラス領を経った。

マジで用件これだけだった。


彼を全員で見送ったその余韻が消える前に、私はお父様に声を掛ける。


「…お父様、実はまだお伝えしていない事が他にもあります」

「それは、親孝行な話か」

「いえ、どちらかと言えば親不孝な話かと」

「待ちなさいリーシャ、連続してそんな重い話ばかり持ち込んでくれるな」


と、言われても、これは告げた方が良い気がするんだよなぁ。

確かに婚約を結んだ後に口にするのは小賢しい真似ではあるのだが。

慌ただしく家族用のお茶会室に全員で向かい、扉が閉められてすぐに私は口を開いてお叱り覚悟で話し出した。


「武術大会の場でヴュルテンベルク辺境伯家のアロイーズ様に御会いしました」

「は?来ていらしたのか?」

「ああ…御挨拶し損ねてしまうなど、何て事を…」

「いえ、閣下は不在との事でした。

 どうやらアロイーズ様と、その場には居ませんでしたがオリアーヌ様のみかと」

「御子息達だけで?」

「…滞在申請書を出しそうな状況だが、父上」

「出ていないぞ、それは確かだ」


滞在申請書とは今や殆ど機能していないものではある。

が、これを領主に出してくれていれば災害発生時など異常時に確認がしやすくなるのに加え、万が一が無いように此方も滞在中には特別配慮をするのだ。


と言っても大概親が一緒に滞在するし、単独で滞在するのも成人が殆ど。

領主と謂えども他家の者に表立って見張られる理由を与える事にもなるし、気を遣われる煩わしさもあり風化している手続きではあるが、子ども達だけを滞在させるならしておいて悪いものでもない。

寧ろ自分が親だったら提出する。

その程度には、観光地では認知されている制度だ。


にも関わらず提出もされていなければ、領主も滞在を知らぬのは仕方ない。

隠微に行動していると本人も漏らしていたのはこの点も含むのだろう。

それだけ潜めて動かなければならない理由は何だろうかと口にした私に、お父様が重たげに口を開いた。


「ヴュルテンベルク辺境伯家とネウストラ公爵家は確執があるんだ」

「それは有名な話なのでしょうか」

「まぁそうだな、だがここ数年は沈静化している」

「ほう」


ネウストラ公爵家にはユーデス様がいらっしゃるのだ。

彼なら過去の確執すらも軟化させる采配が取れよう。

まだ社交にも出ていない子どもだが、あれだけの頭脳をお持ちなのだ。

絶対影でなんか動いていると思う。


「ユーデス様は流石ですね」

「…御本人と対面すれば、噂は所詮噂だと分かるのだがな」

「ふむ?」


彼の為人を改めて尊敬するように頷く私の反面、まだお父様の言葉は重苦しい。

残念ながら私の淑女教育は王都の噂などは然程含まれていないし、それこそ不名誉な噂については情操教育上弾かれているのか私が不要と聞き流していたか。


「まずヴュルテンベルク辺境伯家とネウストラ公爵家の確執とは何かを教えておきましょう。

 遡るは二代前、ユーデス様の曾祖父様の時代が発端です」


お母様曰く、当時隣国と我が国の間で民族紛争を火種とした代理戦争が勃発し、南領周辺の騎馬民族が隣国に唆されて我が国の領土を蹂躙したそうだ。

南東から東に掛けて広範囲に及び多くの諍いが起きた。

その前線指揮を任されていたのが当時のヴュルテンベルク辺境伯閣下であり、アロイーズ様達の曾祖父様である。


彼の活躍もあり代理戦争は我が国の勝利として終結した。

結果、隣国は賠償として騎馬民族が住まう緩衝地帯への不可侵と同時に賠償金及び捕虜として王家の姫を差し出す事となった。

この美しく気高い姫君が禍根の元だ。


王宮に連れて来られた隣国の姫君は、建前上は愛妾の地位を与えられたが実質冷遇されていたという小話は想像に難くない。

だが気丈に美しく振る舞い続ける孤高の姿に当時のネウストラ公爵が惚れ込んだ。


ネウストラ公爵家は当時から流通を司る、どちらかと言えば戦時中では後衛担当なのだがこの公爵は剣の腕も立ったようで、武勲も挙げていたのだから凄まじい。

早々に己の爵位を嫡男に譲ると、王宮の奥底で咲く華を求めた。

まだ働き盛りの年齢で前ネウストラ公爵となった彼に多くの恩がある王家は下賜の方向で話を進めようとしたが、それに待ったをかけたのがヴュルテンベルク辺境伯家である。


「そりゃ、公爵家に敵国の、それも王家の血など混ぜるのは問題でしょう」

「次代へ爵位の継承も終えた上、前公爵閣下の後添えにと王家も考えたのだろう」


確かに臣下の働きに報い、寂しい老後を迎えさせない為にと思う気持ちは良い。

だがそれでも、姫様は一応捕虜であるのだ。

下賜させる自体可笑しな話だし、その先も公爵家である事が問題だ。

まぁ、多分その辺りは、ユーデス様の曾祖父様だから上手くやったのだろうか。


「傍流に落としたのですか」

「建前としてはな」

「前公爵の嫡男、新たな公爵家の血のみに継承権を与えるように王家は申し付けたが、それだけで疑義が晴れる訳も無かろうに」

「ヴュルテンベルク辺境伯家の御声を跳ねのけるとは…」

「当時の王が好いた淑女を貴家に取られたのだよ」

「…」


ダメだ、もう王家に恋愛させては。

何だこの急にバカみたいな話に聞こえるのは。

これもあって、側近のお二人はクロヴィス殿下に恋愛させないのでは?

嫌だぞ、将来私の嫁ぎ先がごたごたに巻き込まれるなど。


「しかし残念な事に次代の公爵家には姫ばかりが生まれた」

「…」

「公爵も三度の再婚をしたが、男児は生まれなかった」

「…なんという、運命」

「一方、前公爵と姫の間に生まれた男児は一人だったがまぁ有能でな」

「あああ…」

「本家は傍系から婿を取ったが能力は及ばずだ」


何て皮肉だろう。

斜陽の本家と、父親の我儘により傍系に落とされた悲運な嫡男。

本来であればその辣腕を存分に揮えただろうに。


「結局国の情勢を思えば、戻さずに居られなかった」

「その時ヴュルテンベルク辺境伯家は?」

「猛反発だよ、約束を反故にされたのだから当然だろう」

「それが…ユーデス様の祖父様という訳ですか」

「だな。かの御方の色味は父に似ていたのもあったからこそ、本家に戻され傾きかけた公爵家を再びその高みに押し上げる事は容易であったのだが、現公爵やユーデス様に隣国の王家の色が出た。

 お前が生まれる前などはかなりやり合っていたな」

「わ、わぁ…」


申し訳無いが、こんな時に出て欲しくない。

現公爵なんか辣腕も辣腕。

飛ぶ鳥を落とす勢いの仕事人だと専ら噂じゃないか。

それは荒波に揉まれたからこそなのだろうか。

ネウストラ公爵家の人間は逆境でこそ強くなる人のようだ。

揉んだらダメって、何だそりゃ。


「だが生まれた嫡男は盲目だった。

 公爵夫人も産褥で儚くなられ、その後に貴家に入った淑女はおらん」

「ユーデス様が御持ちの苦難は未来を曇らす程であると?」

「多くの貴族はそう考えるだろうよ。

 まぁ普通はそうだ、なんせ己の眼で確かめる事が出来ず与えられる情報のみで精査しなければならないという状況だからな」

「…」


だから、ユーデス様はあんなに博識なのだろう。

与えられる事だけに甘んじず、己で判断をする為の情報と知識を持つ。

その努力を怠らずに励んでいるからこそ、王子殿下の信も厚い。


でも確かに、その噂を鵜呑みにして彼自身と話した事が無い貴族からは軽んじられるのも頷けてしまう程、現世では障害は不利とされる。


「それこそユーデス様は嫡男だが傍流に婿入りさせる話もあるとの噂だ」

「ええ…?あれ程有能な御人こそ、公爵家を興隆する為に必要でしょうに」

「それが分からぬ貴族がまだ多いという状況だよ。

 ま、かの御方が社交に出ればまた噂も変わるだろうけれどな」

「つまり確執はあれども、今後ユーデス様が立たぬ可能性もあり静観していると?」

「そうだな」


ギランお兄様が話を完結に纏めてくれた。

何とも、ユーデス様を軽んじた評価であるのが腹立たしくもあるが、国防を担うヴュルテンベルク辺境伯家としてもここ数代は正しく国力強化の為に尽くしているネウストラ公爵家に、これ以上余計な首を突っ込むのも野暮と考えているのかもしれない。

元々は曾祖父様がしでかした事だ。

確かにユーデス様には隣国王家の血が流れているが、お考えは正しく我が国の王家を想い最善を尽くす方向で御持ちである。


本当、話してみればそんなのすぐに分かると思うのだが。

初対面が社交の場であるというのは何かと素直に受け取るのが難しいのだろう。


「…つまりそれもあって、アロイーズ様達は秘密裡に動かれていたのですね」

「だと推測するが、現状を鑑みると過剰な対応にも思えるな」


確執が沈静化しており、ヴュルテンベルク辺境伯閣下がユーデス様を然程危険視していないのなら、確かに子ども達だけで行動させるにしてもこそこそ動く必要は無い。

寧ろ堂々と名を出した方が、気にしていないアピールになるのに。

という事は、アロイーズ様は閣下とお考えが違うという事なのだろうか。

ふむ、良く分からん。


「武術大会でかの御方が私に忠告するには、『ユーデス様には近づくな、心を許すな』というものでした」

「…武術大会の頃だよな?」

「未来視でも御出来になるのでしょうかねぇ」

「もう何がなんだか」

「ヴュルテンベルク辺境伯子息が示すのは、視察滞在についてでは?」

「それにしては遅速でしょう」

「だよなぁ…それにもう、仮初とは言え婚約もしてしまったぞ」


ちろりと横から物言いたげな視線が寄越される。

はい、隠していた訳では無いのですギランお兄様。

妹はすっかり忘れていただけです。


「私も今になってその忠告を思い出した訳ですが」

「忘れていたのか…」

「リーシャ…」


思い出しただけ良いだろう。

多分、そう思いたい。


「これはもしかして、我が家の惨劇に繋がっているのではありませんか?」


そう零した瞬間に部屋の空気がピンと張り詰めた。


「私がユーデス様と縁を持ち、ましてや心を預けるようになったとしましょう。

 これによりいずれかの他家が我が家に憎悪を抱く結果となれば」

「現状で悋気を起こすのが殿下くらいしか思い浮かばないぞ」

「流石に不敬でしょう。

 ですが私だけ燃える邸から連れ出されている事を考えると、ちょっと」

「…リーシャは妙な愛され体質なのか?」

「好いた人にそうでありたいですねぇ」


それこそ有象無象などに興味は無い。

好きな人と添い遂げられれば幸福だなと思うばかりだ。

何にせよ、そんな未来は回避してやるのだ。

杞憂として一蹴してくれよう。


「寧ろそう考えたら炙り出してやれば良いではありませんか」

「はぁ…お前、そういうところは誰に似たのだか…」

「旦那様では?」

「俺は此処までの胆力は無い」


ははは、負けん気の強さは多分前世譲りなのでは?

少なくとも震えて待つような可愛げは無い。


「婚約は結ばれたのです。では猶更この後をどう動くか、それが肝要。

 きっとユーデス様でもそう仰りますよ」

「…ユーデス様かぁ」

「本当に、この子は…」


嘆息を漏らす両親には悪いが私とユーデス様は然程相性が悪くも無い。

ただ、ちょっと一緒にさせるとわいきゃきゃ何か仕出かそうとする方向性が似ているというか、私が影響されやすいのか強気な行動に出がちなだけである。

何だろうな、心強い恩師でも居るかのような安心感があるのだ。


「忠告内容が婚約期間で示せるものかどうかは不明ですし、もしかしたら解消後になるかもしれませんが、目を光らせておく事に越したことは無いかと」


そう告げる私に、家族全員が重々しく首を縦に振る。

こうして改めて我がストラス家の行動指針が共有認識された。


(いっそ、ヴュルテンベルク辺境伯家が怪しいとは誰も口にしないのだな)


そんな私の考えは密やかに仕舞われたまま七歳の春が過ぎて行った。



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