69:五歳児の鍾愛
王家御一行がストラス領から出立された後は例年通りの穏やかな夏だ。
と、言いたいところだが我々ストラス家の内心は穏やかではない。
そう、忘れてはいけない。
七年後に迫る我が家の一大事に向けての対策を愈々考えなければならないのだ。
かと言って現在進行形での仮想敵が居る訳でも無い我がストラス家。
一体どの家がそんな悪逆非道を嗾けるのか全く以て見当が付かない。
それでも何かをせずに居られないのが人間だろう。
「やはり防衛面で頼るとしたらヴュルテンベルク辺境伯家か」
「しかし貴家は国の防衛が主、田舎の我が家にかまける時間などありませんよ」
「尤もだが端から諦めるのも違うだろう…何か言い案は無いか?」
「そうですねぇ…オリアーヌ姫様とお兄様が縁を持つなどは」
「は?!」
妹の発言に思わずと言った様子でギランお兄様が目を剥き大声を漏らす。
驚いたレム兄様が私の膝から顔を上げ、ぱちくりと目を瞬かせていた。
「年頃は少し離れていますが」
「リーシャと同い年だろう…無理だ、想像したくない」
「まぁ今はそうでしょうけれど十年もしたらそんな事も無いかと」
「あのなぁ…」
七歳程の年齢差がある夫婦など貴族社会では普通だ。
寧ろもっと離れている場合だってある。
まぁ昨今は恋愛結婚も多く、学院で出会いを見つけようとする者が殆どだ。
我がストラス家の伯爵夫妻も当時は少なかったようだが、その口である。
「リーシャ、そういうのは無しで」
「あくまでも話し掛ける切欠ですよお父様」
「それでも口にはしたくない。息子の幸せを利用する父になりたくない」
嘘も方便ではないが、田舎貴族の我がストラス家如きが国家防衛を任されるような歴史ある大家ヴュルテンベルク辺境伯家に声掛け出来る理由も他に無いだろうに。
「幸い今年は御一家がお揃いですのに」
「そんな事を言うなら、お前こそアロイーズ様との縁を願うか?」
「私が南東領に嫁ぎ離れてもラン兄様は宜しくて?」
「…」
黙ってしまうギランお兄様が大変可愛い。
嫌なんですね、私も嫌です!!お兄様と離れたくないです!!!
「私の理想は何処かの穏やかな次男以下の男性と恋をして、ストラス領に婿入りしてもらう事ですね。
そして本邸とは別に領内に家を構えて悠々自適に暮らしたいです」
なので嫡流ど真ん中なアロイーズ様はない。
私は可能な限りストラス領から出たくない!
娘の呆れた言い分にお母様もお父様も言葉が出ないのか頭を押さえている。
ここは、可愛い愛娘のしっかりとした将来設計を褒めて欲しいのだが。
「…まぁリーシャの将来設計はさておき、オリアーヌ様程の美貌と家格をお持ちの方であれば殿下の婚約者候補に挙げられているだろうよ」
「その件なのですが」
だからラン兄様の可愛いお嫁さんにするのは諦めろ、とお父様が私に説く言葉尻をお母様が控えめな声で掴む。
全員の視線を受け、少しだけお母様が残念そうな顔をする。
「先日の他家主催の茶会で王妃様が、ヴュルテンベルク辺境伯夫人に、少し」
「…」
「…いや、姑の存在など」
言葉を濁していたがお母様が言いたい事は分かった。
如何に殿下が将来有望であろうと、その舅姑が難アリで、しかもよりによって最有力候補の親に無礼やら喧嘩を売ってしまったのだから前途多難である。
まぁそれを呑んでも余りある程、クロヴィス殿下は真っ当だ。
当人と逢う機会があればオリアーヌ様の気持ちも傾ぐかもしれない。
ただその機会をヴュルテンベルク辺境伯閣下が許可するかどうかは、不明だ。
少なくとも殿下が滞在中にお誘いの声は掛からなかった。
つまり、現時点ではそういう事だろう。
「国内で考えればかなりの有力候補だろう?」
「辺境伯夫人はお若いのにしっかりされておりますからねぇ」
「はぁー…まぁ、武術大会に閣下が足を運ばれるのなら、だなぁ」
「では更なる建前に冬季警備の強化についてご相談を申し上げるのは如何?」
「何故そっちを先に言わない」
そりゃお父様は社交が苦手だからだ。
腹芸が出来ないのだから、本音には何枚か被せ物が必要なだけ。
少なくとも先に上げた縁談についてもお父様の意識の中には残った筈だ。
閣下が其方を本音として見てくれれば幸いである。
「今年は王家御一行の避暑もありました。
今後の領都警備の見直しを図る方針であり、その先駆けとしてまずは貴族の少ない冬季での運用方法を考えているとすれば少しは体裁が整うのでは?」
「口だけでどうにか出来る話じゃなくなってきたぞ」
「父上、俺もその方向は良いと思います」
「まぁまずは其処から手を付けていくのが無難ではあるが」
「早急に草案を叩き上げましょう、武術大会もすぐですよ」
ギランお兄様がやけに乗り気なのは己の将来が掛かっているからだろう。
オリアーヌ様凄い可愛いのに、やはり妹が同い年なのが引っ掛かるのだろうか。
私としてはラン兄様が幸せになれるのなら年上でも年下でも構わないのだがなぁ。
妹の心、兄知らずである。
そんな話をしたのが数日前、武術大会は無事に開催されお父様は草案を従者に持たせてお母様と観覧に出向かれた。
私とギランお兄様は留守番だ。
当初は全員で行く予定であったのだが、貴家が一家揃って来場されていた場合に逃げ場がないという事で早々に方針を変えた。
殿下の件もそうだが我が家はちょっと子どもたちを買い被り過ぎである。
正直、こんな田舎に高位貴族が手を伸ばす程の旨味など皆無だろうに。
「リーシャの考えている事が手に取るように分かる」
「なんと、愛の力ですか」
「そうだな」
お兄様の膝の上で撫でられながらまったりとお茶を啜っていた私が思わず振り向けば、当然のようにお兄様は真顔で深く頷いた。
「恐らくお前が思っている以上に恋愛結婚は流行っているぞ」
「何処情報ですか」
「母上だ。お茶会に出向いていただろう?」
「そうですけど…貴賤結婚を押し通せる程ですか?」
「多少はな、当人達の素質もあるが」
それはいい意味でも悪い意味でもだろう。
寧ろそうか、陛下夫妻のイメージアップの為に何処かの誰かが涙ぐましい工作を施したのかもしれない。
なのに当人達は何のその、我が道を進んでおられる。
涙を禁じ得ない話である。
「じゃあ私の将来設計も然程不自然ではないと」
「うーん、それは、まぁ、もう少し視野を広げても良いと思うが」
ギランお兄様が返答を濁すのは仕方が無い。
結婚の価値観は流行り廃りがあるものの、長子制度という世界は変わらない。
娘が安定した暮らしを贈るには長子に嫁ぐのが一番であるという考えは、今も昔も同じなのだろう。
確かに次男以下は己で事業や手柄を挙げなければならない。
それを支える妻は大変だ。
でも私としてはそっちの方が、夫婦で一緒に目標目指して進めて楽しそうと思う。
前世パワーをお借りすれば一山当てるのも夢ではない筈。
「ラン兄様のお言葉も尤もですが…それは例の件が過ぎてからですね」
「そうだな、俺も以降で考えた方が気も楽だ」
「御相手が放っておかないと思いますがねぇ」
「…リーシャの『記憶』の中の俺は結婚してたのか?」
「それはどうでしょう」
人生の大事な節目だ、先に答えを教えるのは面白味が無いだろう。
敢えてぼかす私の頭を大きな掌がかいぐるように撫でる。
「お前は俺が他の人を大切にしても良いのか」
「家族への愛と恋人への愛は別でしょう」
「くっ…!五歳児の癖に!」
「ンフフフ」
ぎゅうと抱き締められ笑う私の足元では、レム兄様もまるで笑っているような表情をしていた。
私達が仲良しだと彼も嬉しそうでほっこりする。
やっぱり兄弟水入らずで過ごすのは健康に良い、肌艶も増す気がする。
子ども達はのびのびとお留守番を満喫していたのだが、帰って来た両親の守備はあまり宜しくなかったようだ。
若干しょんぼりと肩を落とすお父様が可哀そうなので二人でそっと慰めた。
久し振りにラン兄様がお父様に頭を撫でられていた。
十歳で卒業したと思ったのに、と零すお兄様がちょっと恥ずかし嬉しそうで大変可愛らしかった。
その日の夜、家族専用のお茶会室で夕食後に設けられた席での話だった。
「ヴュルテンベルク辺境伯閣下とお話をする機会は頂けた」
「おお」
「お父様凄い!流石です!!」
私やギランお兄様に持て囃されお父様は嬉しそうだ。
子ども達の大袈裟な反応が、それほど我らがお父様の社交を不安視していた為だと察しているのは恐らくお母様だけであろう。
何とも幸せなお父様である。
「ただその草案を作ったギラン、お前も臨席せよ」
「分かりました」
「帰郷が差し迫っている為、明日という急な予定だが」
「お任せ下さい」
凛と表情を引き締め頷くギランお兄様はとてつもなくカッコいい。
横から見ているだけでも胸がときめくし、自慢のお兄様だと鼻高々である。
なんせ、ヴュルテンベルク辺境伯閣下は巌の如き体躯を持つ厳格な風格があり、お父様より年下ながら他の高位貴族からも一目置かれる存在なのだ。
勿論軍閥にも顔が聞くしその方面の知識や見識は他の追随を許さない。
揮う機会は少ないが、閣下の剣技もそれはもう素晴らしいとも聞く御方だ。
お兄様も貴族嫡子として剣を学ぶ身だ。
名の知れた御方と直答出来る機会はそれは嬉しいだろう。
夜会でも恐らく顔合わせはしたのだろうが、今回は両親よりもどちらかと言えば草案を作成し意見を求められているのはギランお兄様だ。
それが又と無い時間である事は明らかである。
「有意義なお時間を過ごせるように準備をしなければですね」
「そうだな。父上、あとで護衛長を」
「安心しろ、外で待たせてある」
力強く頷くお父様にギランお兄様も破顔する。
かの草案を作るのに、市街警備をも把握している護衛長は参加必須なのだ。
我が領地ほどの規模であれば邸と市街の長を分けて、更にそれを統括する者を置いても良いのだろうが、生憎人材不足であった。
まぁ統括者はお父様、市街警備の長をギランお兄様が担うのが今回の草案内容には盛り込まれているので今後はもう少し護衛長の負担も減るであろう。
いつもにこにこと穏やかな彼だがその両肩に重責が乗っていたとは知らなかった。
そして思いの外有能な人なんだなと認識を改めた。
私にエタンを付けたのも彼の采配だし、人を見る目もあるのだ。
もっとお給料上げた方が良いんじゃないだろうか。
「あとリーシャも何か付け足したいと言っていただろう」
「あ、はい。市街地と離れた場所に他にも詰め所を作りたく」
「ああ、セプタント領方面へ抜ける街道脇か」
「あちらは貴族街の別荘も民家も無いだろう」
しかし街道があるのだ。
人の出入りはあるのだから守護すべき点としては可笑しくはない。
確かに警備兵の詰め所立地としてはあまり良くないが、あの周辺は森も多いので賊や獣が潜みやすい場所でもあるのだ。
「ですから隣領の端と協力体制を結び、街道警護を兼ねるのです」
「街道はほぼ我が領地だぞ」
「ですが隣領の領都はセプタント領側でしょう?
端の民たちからすれば、正直我が領都の方が近いのが事実」
「その辺りは隣の領主とも話し合いが必要だなぁ…」
「お父様ならやれます」
寧ろ民にとっては街道の行き来が安全になるのだ、悪い話ではない。
ただでさえ我が領から北方へ抜ける平民の人流は通行税の関係で多くは無く、どちらかと言えば貴族ばかりが利用しているから使い辛くもあるのだろう。
数年後に街道の整備も視野に入れて行けば道中の隣領も益がある。
そう語る私の机上の空論にお父様もギランお兄様も少し考え込む。
まぁ既に閣下にお目通し頂いている草案には載せていない話題だ。
無理に会談日にお伝えする必要も無かろう。
なお東の街道方面への詰め所設置の案は盛り込まれている。
此方の街道は拓けており小さな街も所々にあるのでまぁ腐らせないだろう。
「警備を今より強化するのは急務課題でしょう。
ですが人材育成には時間もかかりましょうし、同時に守護しやすいよう整備を進めておく事で求められる人材の質も多少は妥協できるのでは無いかと」
正直我が家の防衛機能など大した事は無い。
それなりに伯爵家として護衛は抱えているが、『記憶』では結果としてそれが機能しきれなかったのは証明されている。
であれば武力も重要だが、情報や人流を把握する街道は軽視できないものだ。
そうするといざとなったら逃走する際に兵を置く場所は邸以外にも欲しい。
また確保しておくべき逃走経路は一つでは心許ない。
これはそういう考えの元に組み立てられた私の提案である。
「寧ろその点については閣下にご相談する内容にしよう」
「あらまぁ大胆」
「正直、どの程度まで手を加えて備えておくべきか我が家では不明慮だ」
そりゃそうだ。
こんな平和で長閑な田舎では、隣国を臨むヴュルテンベルク辺境伯領のような危機感が育つ事は無いだろう。
逆に、私の意見は家族からしたらやり過ぎの域なんだろうな。
何事にも人材やお金が掛かるものだ。
口にして全てが叶う訳では無いし、全ての対策が実現可能ではない。
取捨選択をしていく指針を閣下に是非御教授願いたいところだ。
「よろしくお願いいたしますね、ギランお兄様!」
「任せておけ」
力強く応えたお兄様は私の期待通りに閣下との会談を乗り越えた。
が、何だかちょっと浮かない顔でお戻りになられた。
「どうなさったのです?」
「…お前が付け足したい内容を閣下にお話したら、笑われた」
なんと。
余りにも無意味な対策だっただろうか。
私が衝撃の余り口をかぽりと開いたまま動けずに居れば、お父様もお兄様も揃って顔を破顔させて声を出して笑った。
「はははは!見事な間抜け顔だなリーシャ!」
「安心しろ、呆れられた訳じゃない。寧ろ褒められた」
わしわしと二人の手が私の頭を豪快に撫でる勢いで脳みそが揺れる。
「『その心意気や良し』、と閣下が申しておられた」
「我が家の娘の負けん気は、かの勇猛な閣下にも褒められる程だったか」
「淑女としてそれは喜んで良いのでしょうか、お母様」
「隠せば宜しいのよ、隠せば」
もうお母様も若干匙を投げ掛けていた。
そんな遠い目をしないで下さい!
「大丈夫だ、閣下はギランの考えだと思っているだろうよ」
「俺としては微妙な心地だが、お前が気に入られるよりは良いだろう?
それこそ下手したら辺境伯家の嫁にされるかもしれないぞ」
「いや、安直に結び付けすぎですって…」
「だがギランはオリアーヌ様とも顔合わせをしたしなぁ」
「えええ??!!!」
何とまぁ、辺境伯閣下は行動が早い。
衝撃的過ぎてギランお兄様をレム兄様と揃って見上げれば、そのカメリア色の瞳を曖昧に逸らしてしまうのだから言葉が出なかった。
妹と同じ年頃で恋愛対象に見れないと豪語しておきながらなんだその反応は。
やっぱり天使過ぎるオリアーヌ様は私のお兄様をも陥落させる美貌か。
「妹の誉で認められての顔合わせは違うだろう」
「ギランお兄様は私の言が無くとも認められたと思いますが?
だって私の愛しくて誇らしい素敵なお兄様ですもの!!」
「…ありがとな」
「それで?!それでオリアーヌ様の反応は??!」
「袖にされたよ」
なんと…そんな…こんないい男を袖にする女性が居るのか…。
いや幼女だからか…五歳児にギランお兄様の魅力が伝わらないだと?
こんなに私には刺さりまくっているのに!!?
「信じられない…オリアーヌ様の趣味が私には理解出来ません…」
「おい、それはどういう意味だ」
「だってだって!こんなカッコいいお兄様を目の前にして恋に落ちない人が居るとは到底思えませんし?!本当にねっ私はッギランお兄様が学院に上がるのを心配しているんですよ!?変な女が執着でもしたらどうしてくれようかと!!」
「アッハッハッハッハ!!」
此処で爆笑するのがお父様である。
妹の熱弁にギランお兄様は呆れかえって言葉を無くされていた。
お母様も言わずもがな、玄関ホールで語る話では無いと弱々しく頭を振るばかり。
「リーシャ、此処はお茶会室ではありませんよ」
「うっ…はい、申し訳御座いません…」
「そうだな、短い時間だったが積もる話はたくさんある。
今日は夕食の前に先に其方へ行こう」
こうして日頃の流れを本日だけは変えて家族専用のお茶会室で私は喚き立てた。
ギランお兄様に向かって、お兄様が如何に素敵な人なのかを暑苦しく語り続ける様を両親とレム兄様が静かに眺めているという不思議な図であったが、まぁそれこそが我が家の平穏の証でもある。
「兎に角、ラン兄様は魅力に溢れた男性です!
オリアーヌ様の事は先に零したお兄様の無礼が返って来ただけです」
「ははっ、此処でそれを蒸し返すのがリーシャだよな」
当然です。
五歳児に振られたからって私のギランお兄様は世界一素敵ですとも。
私の家族愛は強火である。




