58:十六歳の心火
品の良い金髪の鬘は美しいが、あまり好きではない。
素朴な黒髪の方がよっぽど私の無表情を柔らかく見せてくれるからだ。
この鬘を被る事は滅多に無いが、身に着ける度に顔が少し強張る。
かといって黒髪は暗色なのに不思議だな、と思えば脳裏に浮かぶ人が居る。
初対面から落ち着いた真面目な雰囲気を与える人だったので、こうはならないように気を付けなければと何処か無意識に感じていたのかもしれない。
私はそんな失礼な事を一人思いつつ、執事に通された部屋の内装を見渡した。
しっかりと閉められた厚手のカーテン。
何気なく飾られている絵画も落ち着きが合って趣があるものばかりだ。
長年王都に居を構えていたとしても趣味が派手にならないのは中々難しい。
それこそ確固たる家のイメージを代々守って来ている証拠だ。
ネウストラ公爵家の応接間なども此処よりは豪勢ではあったものの、この家の様に何処か威厳と気品を揃えたものを置いていたと記憶している。
(こういう家が王都で長く続く名家になるのかなぁ)
ヴュルテンベルク辺境伯家もそこそこに長い。
だがタウンハウスは矢張り滞在期間が短いからか最低限の物しか置いていない。
毎年ちょっと流行に合わせた色合いに内装を変えたり等、正直、来客が不愉快にならない程度に抑えている印象を受ける。
だが嫡男嫡女の要望に応えて改造はするので、結局例年極力閣下が顔を出してはいる王都の冬社交はその程度の扱いなのだろう。
「お待たせ…?」
暫くそうして静かに立って待っていればノックの後、執事に先導され颯爽と一人の貴公子が入って来た。
途端、目が合ったグウェンダル様は私を見て小首を傾げる。
その様子を見て渋い執事さんの表情に若干の不安が滲むのだが。
止めてくれ、呼んだのはキミだろうよ。
「そういう恰好をしていると、分かっていても分からないね」
「そうですか」
「折角なんだしドレスで来て欲しかったなぁ」
「御免被りますねぇ、誰が火種になりたがると?」
茶化すように笑いながら着座する彼の前に、すっと従僕が茶器を供す。
「お茶くらい飲んで待っていればよかったのに」
チラと彼が従僕に視線を向けるのを、私が首を振って咎めを諫めた。
元より通された時に執事さんや従僕さんへ不要と告げたのは私だ。
出さなかったのを主が咎める必要はない。
「お気持ちだけを」
「そう…僕としては朝まで語り明かしたかったんだが」
「私一人では荷が重いですね」
ストラス邸に彼が滞在していた時には、時折お兄様達と酒を入れながらであるが朝まで起きている事も何度かあったのを覚えている。
私があんまり臭うのは顔を顰めるのを分かっているお兄様達は程々にしていたが。
知らなかったグウェンダル様は当然、凄い酒臭さがしたので接近を許さなかったら次回からは学習してくれたのも懐かしい。
「ね、覚えてる?最初に俺が酒臭かった朝の事」
彼もそれを思い出していたのか、穏やかな顔で私を見上げる。
「今でも自分が酒臭いなって思うと、あの時のキミの顔を思い出す」
「…ギランお兄様もそうでしたよ。
ギレムお兄様は偶にわざと酒臭くなって寄ってきます」
「ははっそうだったの?意外、逆じゃなくて?」
「ギレムお兄様は時折私の顔がくしゃくしゃになるのが見たい、と」
「くっ…くくっ…アイツほんと、変なところで性格悪い」
いつの間にか従僕も執事も退室して二人きりになっていた。
だから私も彼の対面に座り、少しばかり懐かしい話を零した。
嬉しそうに笑うグウェンダル様は大人になったけど、からりと笑う仕草はただの悪ガキっぽくて安心できるままだ。
「…王都は滞在して長いの?」
「半年程ですね」
「美術館にはもう行ったかい?ランが好きだった絵画は見た?」
「グウェンダル様が教えてくれた方です?」
「そう」
ギランお兄様が手紙に記してくれていた王都の美術館に飾られた絵。
森の中で美しい男女の妖精たちが遊んでいるものだ。
木漏れ日の優しさや、緑の鮮やかさが何処となくストラス領を思わせた。
それこそ、丁度今の年頃くらいの私達やアロ達が遊んでいるような、ただ単純に楽しいと笑う妖精たちの表情が印象的だった。
まぁグウェンダル様が教えてくれた絵の方はまた別だ。
これは思春期男子視点の裸婦像だ。
胸の形が芸術的、と評していたらしい。
確かに女性からしても魅惑的で綺麗な胸の形だった。
無言で首を縦に振る私をまた彼は可笑しそうに笑い、目尻の涙を指で払った。
「はぁ…何で先に見に行っちゃうかな…。
俺も一緒に見て、キミが見たその瞬間に立ち会いたかった」
「絶対嫌ですねぇ」
「あははは、その口調も、変わらない」
嬉し気に零れたその言葉は独り言だろう。
だって、どう見たって私は変わった。
喋る声も先日のように偽らず、楽な低くがさついた声だ。
比較的薄くなった目の下の隈を隠す化粧もしている。
表情も相変わらず、動いていないのだろう。
それでもグウェンダル様はまるで懐かしむような瞳を私に向ける。
何となく、目を逸らして冷め切った紅茶が入る茶器に描かれた花を数えた。
「嬉しいな…二人のこんな話、本当に出来る日が訪れるなんて」
「…」
「ずっと続けていたら愈々我慢出来ずに、そこの扉から、二人がさ、『その話は止めろ!』って顔出してきそうな気さえするよ」
私はその言葉に眼を閉じた。
ありありと、ギランお兄様とギレムお兄様の焦ったような困ったような顔が浮かぶ。
何時かの庭で見た幻よりもはっきりとその姿が見える。
眼を開けばまた泣きそうなグウェンダル様が居た。
「キミは、一人で乗り越えたの?」
「一人で乗り越えられるようなものとでも?」
「…ごめんね、愚問だったよ。
俺も、それこそ婚約者の夫人とね、慰め合った」
手を組んで彼はその後、夫人と婚約関係に至った経緯について語った。
「俺とギランとギレムが三人でつるんで諜報員の真似事をしていたのをね、とある同級生の子が忠告を寄越して来たんだ。
同級生の子からしたらお兄さん、夫人からしたら弟は、国の諜報員だったんだ」
当時からそれなりに王子殿下の側近として務めていたグウェンダル様が、自分の小耳に挟んだ程度の諜報員のやり方をお兄様達と試していたらしい。
勿論、本職の諜報員からしたら児戯に等しいものだったが。
「彼女はお兄さんの仕事を尊敬しているしね、正義感も強かった。
だから真似事とは言え、不穏な動きをしている俺達を見逃せなかったんだろうね。
しかしギランもギレムも止めようとはしなかった」
「…それは、私の為にでしょうか」
「どうだろうね、貴族としての情報の価値を彼等は重んじていたから」
かさついた唇から漏れた声に、グウェンダル様が間を置かず答える。
それは、何時から用意されていた返答なのだろうか。
「寧ろギランなんかは彼女の知識を求めた。
その縁で、夫人とも知り合ったんだ」
ソファーに身体を預けてグウェンダル様が天井へ顔を向ける。
何かを思い返すように、そっと瞳を閉じていた。
「そういう家系だったみたいでね、夫人の前の夫もそういう仕事の人だった」
グウェンダル様やお兄様達が学生の頃には既に未亡人であった筈。
つまり、夫人は夫も弟も同じような仕事に就いており、そして二人とも亡くした。
「分からずやのギランに同級生の子が姉と話させようとしたんだ」
「それで夫人と…?」
「ん?アレ?この前の冗談まだ本気だと思ってる?」
徐に彼が顔を戻し、私を見て眼を瞬かせる。
私が無言で視線を逸らせば彼は破裂したかのように笑った。
「あっはっははは!!かっわいー!今の話の流れで分かったでしょ?!」
「その同級生の方から、夫人に乗り換えたのかと…」
「おいおい!それこそギランが立ち直れなくなるよ!」
「だから確認の意味で、聞いただけで…!!」
「はははっ、あーおもしろ。安心してよ、ギランだよ」
「良かった…」
つまりは同級生の方と恋仲だったと。
あー調べれば分かるかなぁ、いや、下世話か。
「だからこそアイツは躊躇ったんだけどね」
「…」
「夫人は、夫と弟が調べていた情報を当時も追っていたんだ。
凄いよね女の人って」
夫と、弟の死因に関わる情報。
彼等の仕事は諜報に携わるものだ。
嫌な予感が背筋を伝う。
「だからそれを、真似事をしているようなガキに話す危険を冒すを嫌がるのは当然なんだよね。
そこから解かれでもしたら堪ったもんじゃない。
キミも何となく分かるんじゃないかな」
「そう、ですね」
だからこそ私の得た情報は伝える相手が限られている。
喩え親しい間柄の人でも、全ては伝えられない。
相手もそれを分かってくれているからこそ続けられている。
「キミが分かっているのが夫の…いや、それはいいか。
うん、まぁそういう訳で夫人は情報の担保、或いは対価を求めたんだ」
「それをギランお兄様は躊躇った、と」
「夫人の夫の兄、義兄がまぁ困った人でね。
ある意味で一番諜報員に向かない人種というか何も聞かされていない幸せ者なんだろうけど、当時彼はしつこく夫人に言い寄って来ていたんだよ」
「それを黙らせるのが、条件ですか」
確かに夫人からしたら、義兄と婚姻したら調査が続けられなくなる。
話をするにも、それを片付けてくれるのであれば、という条件は妥当だろう。
「その話を聞いてその身を賭すと言い出したのが妹だったんだけどね」
「…」
「そりゃギランは、躊躇うよね」
「夫人は…分かって」
「かもしれないね」
ギランお兄様が求めるものがあるかもしれないし、無いかもしれない。
でもどう言い聞かせたって危ない事から手を引かない恋人の心願を、名も知らない恋人さんは叶える事を躊躇わなかった。
喩えその恋が終わろうとも、己の幸福がそこに無かろうとも。
「……強くてかっこよくて、素敵な、人ですね」
「そこは、『流石ギランお兄様の選んだ人』じゃない?」
「よくぞ恋人の座を勝ち取りましたね、でしょうか」
「あはははっ」
「ギランお兄様の方が相当、惚れこんでいたでしょうに」
「うん…そう、やっぱりわかっちゃうかぁ」
分かるだろうそりゃ。
私だってそんなカッコいい素敵な御姉様が欲しかった。
「まぁそれで結局、夫人から話を聞くのは断念したんだ」
「それでも調査は止めずに」
「元より止めさせたかったのは恋人の方だ。
ただ、俺達も遅々として情報を得る事は出来ずに足踏みばかりだったけど」
夫人の条件は、ギランお兄様に出したと同時に妹にも向けたものだったのだろうか。
「……そうして時間だけが過ぎて、…例の、事件だ」
苦しそうに零すグウェンダル様の声が鼓膜に残る。
「噂も相俟って当時荒れてた俺を夫人が呼び出した。
そして謝罪をされた」
「…謝罪?」
「『私が話していれば、彼等は対策を取れたかもしれないのに』、と」
くっと、ミッドナイトブルーの瞳が私を見据える。
何かを確かめる為に。
「夫人が調べたところ、邸に放たれた炎は魔法だったようだ。
彼女の夫も、弟も、消えぬ炎で焼け死んでいる」
「……………」
「隣国の地方には火の神を祀る一族が居るそうだ」
火山に温められた湯を産湯で浴び、祝福を願う習わしのある民族。
どの人間も少なからず火の魔法を使える。
「その中でも一等祝福を得た子は外に捨てられるらしい」
「…何故?火の神に近い子を?」
「言い伝えでは火山活動が増えてしまうんだとさ」
外に捨てられた子はそのまま朽ちて神の御許に送られる。
特に気に入った人間の魂を汚さぬまま捧げるのだ。
こうして一族としてまた、火の神の加護を得られると考えられているそうだ。
「レムから教えられているだろう?魔法で人を弑する事は禁忌だと。
古い伝承などでは戦争で魔法も多様されたが、術者は短命。
今は全体的に魔力も落ちてきているからほぼ相打ちになるんじゃないかな。
なのに、一諜報員を弑する為に魔法を使うなんておかしいと思わない?」
「…一族を使い潰している可能性がある、と?」
「または、何の因果か、火の神に愛された子が生き延びて裏社会に属するとかさ」
「……」
「レムの水魔法見た事あるだろ?」
確かに何度か目にした事はある。
でも、比べる対象が未熟な私自身でしかなかったから考えた事も無かった。
言われてみればギレムお兄様の魔力消費量は、少なかった。
「戦争で英雄と呼ばれた術者も福音持ちが殆どだよ」
「削られる寿命が、少ないと?」
「そう夫人も見ている」
私はやっと息を吐き出し、両手で顔を覆った。
何でそんなヤツが私達へと差し向けられたのだ。
しかも、あの夜の襲撃者が隣国の手の者である事はほぼ断定された。
「あの事件以後、とんと姿を追えないらしい」
「…隣国に戻った?」
「可能性も考えて調査はしているけど、足取りはまだ」
生きているのならそこから賊を、首謀者を辿る事が出来る。
詳しい話を聞くならグウェンダル様よりも夫人の方か。
(ただ、…)
これはレオさんに報告したら動いてくれるだろうか?
既に隣国に戻っていたとすればそれ以上は追わない可能性もある。
今は曾祖母様から情報を辿る方が、近く、容易いのは明らかだ。
考え、黙り込む私を他所にグウェンダル様は冷えた紅茶を一口含む。
「――…ところで、キミが鹿の家に属しているのは当時の噂を聞いて?」
「そんなところです」
「だよねぇ、あの武術大会の時もいらっしゃったしね」
おいおい誤魔化せたと思ったら確信済みじゃないか。
紅茶を飲んだのはただ喋り疲れたからだけではなく、この話題を口にする緊張を潤し解す理由の方が大きかったようだ。
安心したようにグウェンダル様が微笑み頷く。
「よく覚えていますね」
「被災直後で貴族が少なかったし、目立つよあの二人は」
興奮もして騒いでいたしなぁ。
仕方ないよ、ギランお兄様もギレムお兄様もかっこよかったもん。
「…だったら猶更にキミに言うべきではあるんだけど、証拠はない」
腕を組み、目を閉じたグウェンダル様が少し言い渋るのは意外だ。
先程までの饒舌さとの落差に、今更警戒をする。
そもそも今日の呼び出しは罠かもしれないものだ。
話全部を鵜呑みにする訳にはいかない、と師匠達に口酸っぱく教えられた意識が働くものの、どう考えたって事件と結びつく話ばかりだ。
「―――………事件後、ユーデス様が登城した時なんだけど」
その後、グウェンダル様が語った言葉が耳を滑る。
意識はしっかりとその一言一句を捉えているのに、考えが、感情が、追いつかない。
数日で明らかに憔悴しきったユーデス様を見て誰もが息を呑み、中には顔を青褪めさせ痛ましさから俯く者まで居たそうだ。
勿論グウェンダル様も事件を知り、怒りと失望で荒れていた。
そんな彼ですら気圧される程の暗澹たる面持ちをユーデス様はしていた。
何とかかける言葉を、と王子殿下が口を開くよりも早く一歩前に踏み出したのはイザイエ様だった。
只人であれば彼が動いてから視線がそちらを向く。
だがグウェンダル様は近衛騎士。
動きの気配を感じて、イザイエ様が踏み出す前に視線を向けていた。
恍惚と微笑むイザイエ様の横顔を。
すっとそれは幻のように、痛ましい人を慰めんとする清廉な面持ちに替えられた。
だがその落差がグウェンダル様は忘れられぬ程、当時混乱をした。
そこからは少しずつ、イザイエ様の動向も気に掛けるようになった。
彼は王子殿下への気安い声掛けだけでなく、ユーデス様へも気遣いの言葉を投げる。
だが節々に、亡くした婚約者の事に触れた。
「残念だったね、あんなに大切にしていたのに」
「可愛そうに、お前との縁がこんな形で」
「彼女が居ればこんなユーデスを見て、何と声を掛けただろうか」
傍で聞いている王子殿下は何も思わないのだろう。
それくらい、絶妙な間合いで彼は口にする。
未だ膿み続ける深い傷に刃を突き立て続けているように、疑心を抱くグウェンダル様には感じられた。
『大切なものを喪ったお前』
『お前との縁があったからこそ、不幸に見舞われた』
『彼女が生きていたとしてもお前を恨まずに居られないだろうよ』
ああ、正しく王都には悪魔が居た。




