56:十六歳の正視
仲介業者の上階の一室。
私は『ジャンノ』の姿でぼんやりと部屋の外を見下ろしていた。
小雨が降る、静かな夜。
「待たせたか」
「いえ」
癖のあるノックを三度、彼が来る時の合図だ。
今日はレオさんも労働階級らしい草臥れた服に身を包んでいた。
雨除けの外套も持てなかったのだろう、ぽたりと鬘の毛先から雫を落とす彼に私がタオルを差し出せば彼は笑顔でそれを受け取る。
「お前はあの後何度行った?」
「二度ほど」
余り高い頻度で顔を出している店じゃない。
疑念を持たれず、いつも通りのペースで顔出しをした程度だ。
「商会の方はその倍ですね」
「そうか」
レオさんは疲れた様子でどっかりと椅子に座り、手持無沙汰のようにタオルを畳む。
それを小さなテーブルに置くと、窓辺に佇む私へは視線を寄越さずに壁を見つめたままゆっくりと呼吸を繰り返していた。
「ヤツが何時も同じ席に居るのは気付いていたか」
「定位置ですよね」
「退店まで見届けた事は」
「ありません」
私の滞在時間はそう長くはない。
珍しく長く居たとしても、彼が退店する迄いた事は無かった。
ドニは途中から来たり、私と一緒に出た時もあったが。
「恐らくあの位置だからこそ視覚の錯覚を使っているのだろうな」
「…」
商会に出入りする例の社員とケヴィンは体格が違う。
ケヴィンの方が薄着だ、隠しているのなら社員の姿の方だろう。
だがそれでも肩幅などの印象はそう簡単に大きく変えられるものではない。
勿論上質な上着など着飾った中ならまた話は別だが、少なくとも場末の酒場では難しい。
だがそれを上手くやってのける程の実力が、彼にはあるのだろう。
「お前の違和感通り、俺もあの社員とケヴィンは同一人物だと思う」
「…」
「どっちが素に近いと思う?」
「社員の姿でしょうか」
「そうだな」
普通はより体格が分かるケヴィンの方が素に近いと考えるだろう。
だが先程のレオさんが見抜いた点を含めば、その考えは違うのだろう。
だからこそ惑わされ、騙される。
「だから男を知らない女ばかり」
「何の話だ」
「ケヴィンの好みの話です」
「…まぁ、暗くしてしまえば分からないしな」
王都よりも田舎の方が光源は少ない。
締め切ってしまえば随分と相手が分かりにくいだろう。
「東に行っていたのは防衛線の状況確認だろう」
「工作跡が無いか調べないといけませんね」
「そこらは現地の人間にやらせる」
だからレオさんは、王都に潜む間者が東に以前滞在したという情報や、洗い出すべき男の情報をしっかりと伝達するに留める。
手間を掛けるが部下への指示は彼の範疇だ、任せるしかない。
(ミレイユ嬢の件もあるから私が行っても良いが…)
かといって学院での調査を誰かに任せる訳にも行かない。
やっと休暇明けで役者が揃ったのだ。
「で、ヤツの担当先についてだが、やはり姫様のところだな」
「そうですか」
「良く気付いた、お手柄だ」
「ありがとうございます」
ふとレオさんが私の意識を浚うように話の側面を変えた。
いつの間にか彼は煙草を咥え、ゆるりと紫煙を吐き出す。
「現時点で確認出来た出入りは一回のみ」
「納品は」
「まだ一度も…ああ、だが別の仕入れ先に隣国の品があったな」
隠居しているとは言え、ネウストラ公爵家の縁者の家だ。
しかも曾祖母様は過去とは言え王族だった御人である。
そんな方が住まう邸に諜報員を紛れ込ませるだなんて相当難しい話だ。
しかしそこは流石ヴュルテンベルク辺境伯家の諜報員。
本気を出せばそれくらいの事はして見せるらしい。
「お得意先様への『お土産』かもしれんな、禁止品だ」
「何を納めたので」
「香水だよ、微量なれど薬物入りのな」
ふーっと長く吐き出した煙が形を保てずゆらりと跡を残して散る。
いつの間にか部屋の中の空気は靄がかっていた。
「姫様は依存者だと?」
「可能性もあるなぁ…禁止品に入ったのは十年近く前だが」
「愛用していた品ですか」
「いや、その辺りは調書を見直す必要があるが、俺の記憶には無い」
となると例の社員が接触し始めるた頃から使用している可能性も高い。
薬物で判断を鈍らせ、傀儡としているのだろうか。
だとしても彼女はもう高齢だ。
社交界からも遠退いており、権力らしい権力は凡そ孫に取り上げられている。
「…果たして御旗に成り得るのでしょうか?」
「疑わしいよなぁ、匿っているにしても人の出入りが少なすぎる」
「では他の目的で姫様に接触したと」
「それこそ、ネウストラ公爵家の内情や彼女の持つ伝令網を使うためにな」
「まどろっこしい」
「同感だ」
喩えそこから流通を司るネウストラ公爵家の瓦解を狙うとしても、本家である現公爵を崩せるとは到底思えない。
ならいっそ、まだリュクスイユ公爵家に潜入した方が情報は抜けよう。
あれ程の変装の腕があるのだ、彼ならしてのけるかもしれない。
「まぁ何にせよヤツは上の人間だろう、下も探せ」
「分かりました」
正直自信がないな。
酒場で偶然会うようになったケヴィンや、此方が注視して見つけた社員とは違う。
少なくとも二人の姿の時はそれらしい人物との接触は見受けられ無かった。
彼の変装の腕なら他の姿にもなっているのだろうし、それを王都の中で探すとなると流石に骨が折れる作業である。
(だがオスカーと出掛けた先等で、顔認証を繰り返していたからか今回は気付けた。
自分自身が成長している事を期待しておこう)
あー、本当切実にオスカーの能力が欲しい。
調査に彼を連れ出せたら一番話は早いのだろうけれど、そうも行かない。
今頃何しているだろうかな。
下手な時間潰しでもしているのか、寝ているか。
「…何か緩んでるところすまんが話を続けるぞ。
例の商家との関係を洗っている内に新たな発見があった」
「はい」
「仕立てた服、そしてその贈り先だ」
その辺りは玄孫であるユーデス様へでは無いのか。
確かに、購入品の目録を見ても男性服に使えそうな色味が多かったが、そもそもそういう色彩の生地取り扱いが多い商家でもある。
「工房での発注採寸を今日見て来たが、二つ、または三つ」
「…一人でもそれくらい、状況に変えて使い分けますよ」
アロイーズだって普段着や社交服、乗馬服に訓練着などそれぞれ微妙にサイズが異なる作りを求めるので、採寸表は一人に対して幾つも種類がある。
「社交服でだ」
「型の問題で必要になるのでは」
「都度?」
「…」
「確かに成長期だから計測し直す必要はあろうがな。
しかし考えても見ろよ、御隠居と曽孫は中々に疎遠だぞ」
私だったら見逃すような点だ。
それくらいなら、貴族の嫡男の情報として不思議でも無い。
「毎年衣服を仕立てるからと採寸を取りに態々呼び寄せて交遊をしているのならまだしも、そういう動きは俺達の把握している情報ではない」
「では採寸のみを返答していると」
「現公爵閣下は注意深いからな、知らん商人を邸に入れはしない」
その辺りの徹底振りは界隈では有名だ。
だからこそ、かの家に納品する者や商人は一目を置かれる。
規模が自家のみだからこそとは言え、最早王城を越えるセキュリティだと思うよ。
「親切に二つも三つも教えるような人か?」
「…その辺りは、お聞きした事は無く」
「お前に話さない相手という事は、そういう事だろうよ」
「どう、でしょうね」
敢えて隠していたかもしれない。
ああ、私はそんな風に考えるようになってしまったのか。
レオさんの視線から逃げるように私は床を見つめた。
「疑う必要な無いと思うぞ。
いつだったか…、そう、御嫡男方が入学した年だったが急遽二人で王都から領地に戻る事になっただろう?」
「え?あ、はい」
ギラン兄様とギレム兄様の入学式を終えた当日、ユーデス様から呼び出された。
そして彼はあろう事か私がストラス領に戻るのに同行すると言い出した。
そして暫く我が邸に滞在し、そのまま西のネウストラ公爵領へと出立された。
「俺もその時の道中、途中まで見てたんだが」
「…」
それは初耳です。
レオさん、ユーデス様を警戒されていたのでしょうか。
それとも我が家を心配して下さっていたのでしょうか。
「彼がお前を見る目は心からの心配、気遣いだったよ」
「…」
「だからそんなお前に話したがらない内容ってのは、お前が苦しむ話だろうよ」
「あまり、耳障りの良い関係ではないと」
「少なくとも亡くなった夫人の代わりには成り得なかったな」
母親を生まれて間もない幼い頃に亡くしたユーデス様。
そのお話は、ぽつりぽつりとご本人から聞いた事はあった。
『母』という存在を知識でしか知らない。
父は居るが『家族』という括りに抱く不安。
体験した事の無いものを果たして本当に自分は得られるのだろうか。
様々な家庭の姿を目にする機会がある前世だってそういう人は居た。
結局、自分が体験して来た家庭しか作れず苦しむ人が。
だから彼はストラスの滞在中は一種の体験時間でもあったのだ。
婚約者が育った家庭を見て、知って、触れて、憧れて。
自分と私もこのような家庭を育めて行けたらと願ってくれた。
王都で余程恐れられている公爵家の嫡男としては大変抜けた考えである。
でも嬉しかった。
あの人はいつも、私の願いを叶えてくれていた。
そういう、愛情の示し方をしてくれる人だった。
思考が過去に囚われる前にふるりと頭を振り、意識を散らす。
「…つまりは姫様は曽孫以外にも服を贈っていたと」
「その可能性を俺は疑っている」
「一着は商人に?」
「は?何でそんな事をする必要がある?」
「仲の良い人になら贈りませんか?」
「そういうところは、本当お前らしいというか」
レオさんがくつくつと笑い、肩の力を抜く。
一緒に遊んでくれたレオさんにも焼き菓子などで御礼してたのだがなぁ。
それくらいだったら常識の範疇だったのかな。
「焼き菓子はまだいいが、身につける物を家族以外の異性に贈るのはな」
「…そうですか」
あれ、私グウェン様にカフスリング贈ったな。
だからあんなにお兄様面したのか?
可笑しいなちゃんと淑女マナーは学んだ筈なのに、何故忘れているかな私よ。
「そういう目で見ていたのなら話しは別だが」
「…」
ケヴィンお前、守備範囲広いな。
いや知らんが。
「何にせよその辺りも調査する」
「分かりました、私は」
「引き続き酒場と商家の監視をしてくれ」
「は」
レオさんからの報告を、タウンハウスに戻ってからアロに共有すれば彼も考え込む様子で組んだ親指を何度か徒に入れ替え、口を閉ざしていた。
「…そうか、引き続き報告を頼んだよ」
「は」
ギシリと音を立てて椅子に背を預けた彼はまだ考え込んでいる様子だ。
「新年の夜会でいつも彼が着用していた品は抱えの工房の物だったよ」
「そうでしたか、分かりやすいので?」
「刺繍の腕が良いから紳士服でも必ず型に入れるんだ。
そういえば平民向けの展開もここ数年で始めたとか耳にしたような」
何処かで聞いたような話だ。
刺繍が美しい、少しハイソな、店に行く服を買いに行かなければいけない店。
あれから結局行けずじまいだな。
「曾祖母様から贈られたものであれば晴れの日にこそ着用するだろう。
それをし無かったというのは、やはり疎遠なのだろうな」
「成程」
「銀色の狼のブローチを付けていた事はあったが」
「…」
「イザイエ様に揶揄われて、次回からは外していたけどね」
「左様でございますか」
お年頃ですね、そりゃ素人が作ったものですもの。
というか何でそんな大事な場に付けていくのですかユーデス様。
TPOの大事さを御存じありませんか?
「僕らはずっと付けていたよ」
ふふふと自慢げに語るアロイーズの表情が幸せそうで、私まで胸が温かくなる。
彼等の御守りになったのだったら嬉しい。
無表情ながらもそんな気持ちが伝わったのか、じっとアロが私を見上げる。
「オスカーには何か贈らないの?」
「何ですか、藪から棒に」
「ふ、何その言い回し、面白いね。
スープに髪の毛を落とすより、何か、キミの日常らしい」
「森育ちですからね」
一応貴族令嬢だったのだが。
まぁ今は確かに茂みに違う意味で足を踏み入れる事も多いですが。
「定番はピアスかな」
「開けてませんよ」
「諜報員として傷は目立つからね」
その辺りは誤魔化す事も出来るが、興味が無かっただけだ。
恐らくそれはオスカーもだろう。
「何かそういう話でもしましたか?」
「いや、惚気は聞いたけど」
「…惚気られるような事していませんが」
「彼が話すキミの話は、愚痴も惚気だよ」
「…」
アイツ、そんなに休みズラしたのを根に持っていたのか。
だって!ほら、恥ずかしいじゃないか!
今まで散々此方は一時のものだと交わして来ていたのに、その、改めて意識して触れ合うとなれば、ちょっと、構えるものがある訳で。
「まぁ楽しくやりなよ。
でも贈り物をもらう嬉しさを僕に教えてくれたのはキミだよ」
「…うん」
「僕としては暫く手作りの優位を保っていたいから、遅くても良いけど」
「ふ、何それ」
小さく零した笑いに、アロイーズが優しい顔をする。
「だから、早く決着を付けようね」
「うん」
卒業後に、オスカーと一緒になって穏やかに暮らしていけるように。
私は今幸せだと、心から家族に報告できるように今を頑張ろう。
そんな夜があったとしても日常は静かに流れて行った。
急激にではなく、どちらかと言えば遅々として滞留するような日々。
アロイーズは引き続き学院にてミレイユ嬢と人目を避けての接触を図った。
二人きりで逢っているのを見られれば、お互い目立つ人だ、すぐに噂になろう。
現在の情勢を見ても違和感のない関係性であるが、だからこそ学院内で収まる噂ではなくなってしまうのは明らかだ。
故に私は一番そこを気に掛けた。
だが悲しいかな、これも聖女の御力か。
アロイーズが近づくとすぐに誰かの気配がした。
運良く接触出来たとしても、ミレイユ嬢の方が余所余所しく立ち去ってしまう。
「警戒されているのかな?」
「あの先日の会話で?」
大した話もしていないし、やり取りも傍から見ても普通だ。
彼女が抱いた違和感以外は。
しかし人間というものは、違和感を覚えたら解消し納得したくなる性だろう。
寧ろ何故彼女の認識している関係性と今が異なるのかを、アロに聞かないのだろうか。
シャレット家で別途調査しているというのであれば腑に落ちるが、あの家の程度が掴めるようなヴュルテンベルク辺境伯家の内情ではない。
特に私と双子の件は特定秘密事項に該当する。
関わって来た人が多いため、そんな風に思えなかったのだが、実際にヴュルテンベルク辺境伯家に入るとかなり慎重に扱われていた事が分かった。
で、あればこそ、自らにアロの方から近づいて来てくれるのだ。
聞き出す方向に舵を切るのは自然だろうに。
まぁ相手が相手という事もあるが、余程貴族的な対話に自信が無いのか。
(若しくは、違和感の理由を知っている)
私達が知り得た順序は違和感が先だ。
だが彼女の場合は理由が先で、その後に違和感が続くのであれば態々危険を冒してまでアロイーズとの接触を図る事も無かろう。
いっそ理由を知られない為に避けていると考える事も出来る。
この事についてはアロイーズだけでなくオスカーにも情報共有をした。
「此方としては彼女こそ違和感の塊なんだけどねぇ」
「と、いうのも?」
アロイーズのぼやきの続きを催促すれば、彼は顎でオスカーを示す。
「彼女、僕と話している時もオスカーばっかり見ているよ」
「ほぅ」
「…」
「微笑み一つで落とすとは、恐れ入るよ。
僕だってそれなりに女性人気はあると思うんだけど…自信無くすねぇ」
「アロイーズ様の造形は神が手掛けた美しさですからね」
「もっと褒めて」
主様のご要望である。
私は出来る従僕なのでお答えしましょうぞ!
「天使様みたいに美しいですよ、髪の触り心地も最上級の絹のようだし」
「女性を口説くみたいな台詞だ」
「注文が多いご主人様だ…肢体が色っぽくて男らしくてそそられます」
「おい」
「ふふっ、うん、続けて」
まさかの続投が入った。
「顔立ちの割に低い声とか、ずっと聞いていたくなります。
鍛えているって一目で分かる身体にすっぽり抱き込まれたらと思うと」
「…」
「身体目当てなの?」
「そんな事ありませんよ!知的で、優しくて気遣いが出来て!
時折ちょっと鬼上司…いや、意地悪なのも高評価です」
「鬼上司とか思ってるんだ」
「思ってますよそりゃあ」
「はっはっは、シャラム、その場で腕立て100回」
「ほらこれぇ」
粛々と腕立て伏せを始めた私に呆れた視線が注がれている。
こういう体罰はオスカーはあまり喰らわないからな。
体育会系男子あるあるだよ。
「話を戻すけど、彼女は本当に自らの立場を分かっているのだろうかね?」
「縁付くべきはアロイーズ様、若しくはイザイエ様でしょうに。
従者に色目を使っている暇なぞある訳もない」
「僕から近づいているからなのだろうかねぇ」
「だとしても、です」
珍しくオスカーが不機嫌だ。
いや、私に対して不機嫌になるのは多々あるんだが、周囲の人間に対してあまり感情を揺さぶられない人ではある。
まぁ恐らくアロイーズが蔑ろにされていると憤っているのだろう。
「そういえば、数日前はユーデス様と接触されてましたね」
「そうなんだよね…やっぱ好みなのかな」
「…」
アロイーズを避ける一方、ミレイユ嬢はユーデス様との接触は持った。
此方としては彼と鉢合わせるのを避ける為にそういう日は対話を諦めるのだが、私は引き続き彼女の監視も任務に入っているので二人の様子を探り続けていた。
「ユーデス様の方が手強そうだからですかね?」
「人を簡単そうに言わないでくれるかな?」
腕立てを終わらせ立ち上がった私に、二コリと温度の無い笑顔が向けられる。
恐い怖い、すぐに頭を下げた。
「滅相も御座いません」
「まぁミレイユ嬢が先に接触を図っていたのはユーデス様だからね」
健気に何度も袖にされてきたミレイユ嬢だが、その諦めない根性が漸くユーデス様に届いたようで、近頃はユーデス様も彼女の一人喋りに耳を傾けるようになった。
ミレイユ嬢が一人であれこれ話しているだけだが。
相槌以外の言葉は今も出ないが。
ユーデス様、それは流石に良くないと思いますよ。
「恋が上手く行っているのなら其方に気持ちが傾くのも仕方ない、か」
「あれを上手く行っていると言って良いのか…」
「時間の問題では?」
「時間、時間ねぇ…まぁ王宮では彼女程根性ある女性が居なかったのかな」
ユーデス様が婚約者を喪ってから間も無く四年目を迎えようとしていた。
ストラス領よりも長く、ヴュルテンベルク辺境伯領よりは短い王都の秋だが、吹く風は何処かひんやりとしたものが混じり始めていた。
この話をした頃からだ。
ミレイユ嬢が一人徘徊をしなくなった。
侍女を伴った状態で徘徊をするようになったのだ。
しかも行先は、アロイーズやユーデス様と逢っていた場所。
そこに無防備にも一人きりのユーデス様が現れた瞬間、私は盛大に肩を落とした。
懸命に来るなよと願っていたのだが、やはり神頼みは届かない。
(ユーデス様…いいのかそれで…まぁ私が口出すもんじゃないけどさ…)
私が幸せにすると思っていたのに、結局別の男と幸せになろうとしている女だ。
我ながらとんでく信用出来ないヤツである。
まぁそれはさておき、ユーデス様は侍女が居ようとも特に気にされた様子はない。
普段通りにミレイユ嬢と挨拶を交わし、間髪入れずに話し出した彼女の会話に時折相槌を入れて反応を示すが話題を広げようとはしない。
会話中にじっと彼女の顔、目でも見つめているのだろうか。
暫くするとミレイユ嬢が顔を赤くして照れてしまい、会話が途切れる。
ちょっといい雰囲気が流れたと思うが、ユーデス様は彼女の話が終わればすぐに切り上げて立ち去ってしまう。
(…はぁー、なんかもう、そういうテクに見えて来た)
塩対応の極みで女心を玩ぶような。
いやユーデス様に限ってそんなことは絶対にしないだろうけど。
これについても勿論アロイーズに報告をした。
愈々ミレイユ嬢が、自らの恋心やユーデス様との関係を表に出そうとしている中、さてどの立場で我が主は接触を図るようにするのだろうか。
分かりやすいのは婚約を視野に入れたものとしてだが、その話自体を大きくしたい訳でも無いので塩梅が難しいところだ。
「アロ様の確認事項が滞っているのは歯痒いが、そこが落ち着くのは俺としては諸手を挙げて喜ぶ結果だな」
そう語るオスカーをじっと見上げていると視線に気づいたのか、彼も私を見る。
私は口を開かず、彼の黒い瞳を見つめ続けた。
優しく私を見つめ返す瞳。
それが段々と熱を帯びていくのが分かる。
「…シャラム」
今、アロイーズは寝室奥の鍛錬室だ。
居室には私達二人だけ。
だとしても、仕事中にそういう事をするような人じゃないのに。
態々手袋をもどかしそうに外して彼が私の頬に触れようとする。
何だか久し振りに撫でられたからか、私も目を閉じて温かな掌に顔を預ける。
熱い吐息交じりの唇が、瞼や額、鼻筋に幾つも落ちて来た。
時折食むような仕草をされると此方も堪らなくなる。
「っだから、なんで、今…っ!」
ぐぅとオスカーの喉から獣のような声が漏れる。
それが可笑しくって、お腹を震わせながら彼の額を私も手で撫でる。
別にキスの嵐を抑えようとした訳じゃないぞ。
不満気な顔をしないでくれ。
「両想いって、幸せだね」
「っ!…っだ、おま…っ!」
思わずと言った勢いで抱き込まれた。
彼の身体は従僕服越しにも熱かった。
「ホラ、仕事するぞ」
「っ!ッ!!!」
宥めるようにその背中を摩る度に、彼が私の肩に顔を擦り付ける。
ちょっとユーデス様のテクニックを試してみようと思ったが、これは片思いの相手の気を引くものであって両想いの恋人相手にするものでは無かったようだ。
落ち着くまでコイツ、鍛錬部屋に投げ入れようかと思った程だった。
(もうそろそろ意地を張らずに、休みも合わせようかな)
あの日から一度もオスカーの誘いに答えていない。
流石に気の毒に思うのか、アロからも何時でも休み合わせて良いからねと言われてしまっている。
オスカー、キミは待てが出来る男だよ。
そうこうしている内に学院内でも噂が広がりだした。
かと言って渦中の二人は逢瀬を止める訳でも無かった。
相変わらず、それを見守る視線はミレイユ嬢の侍女と私だけであったが。
真偽定かではないが、人の好む噂とは大体そういう物だ。
ユーデス様とミレイユ嬢の仲を囁く話題が絶えず続く中、暫くした後、アンヴァリッド公爵家から婚約打診が来たらしいとの噂も混じった。
この婚約打診については事実である。
我々は噂に先んじて情報を得ていた。
周囲の人間は、どちらの公爵家と縁を結ぶのかを熱く議論し合っていた。
双方地位や歴史も古く、そして嫡男の見目も麗しく将来有望。
まるで物語のようだわ!とはしゃぐのは令嬢達だ。
「ミレイユ嬢はどちらを取るかな」
「ユーデス様では?」
今日もミレイユ嬢チャレンジは失敗。
ユーデス様との変わらぬ逢瀬を確認した後、珍しく待っていた主様達と帰りの馬車の中でそんな話になった。
春からの動きを見ていればどう考えても彼女はユーデス様狙いだろう。
図書館でもそんな事を言っていたし、とは内心に留めたが。
ただ即答した私の様子にアロイーズは少し面白くなさそうにしていた。
「偏見では?」
「じゃあ本人に今度聞いてみて下さいよ」
「聞けたら苦労しないよ…嫌だ、あの中で間男になるのは…」
「でしょうねぇ」
しかしそんなアロイーズを慮ってか教室で他の淑女がミレイユ嬢に話を振った。
おお、ナイスガッツと褒め湛えつつ耳を傾ける。
雑談が止まっているぞオスカー。
隣の男の爪先を軽く己のそれとぶつけて、平素を保つように指示を出す。
「私…何だか、ユーデス様を放っておけなくて…」
「まぁ!なんて健気な!」
「お可愛らしいですわ」
ほらやっぱりミレイユ嬢はユーデス様狙いだろう。
そう言いたげな瞳を主様に向ければ、彼は軽く肩を竦めて見せた。
我々の雑談内容からしても違和感のない動きだが、その意を正しく受け取れたのは従僕である私とオスカーだけだろう。
「でもアンヴァリッド公爵子息様のあの類稀なる美貌…はぁ思い出すだけで胸が苦しくなります」
「ネウストラ公爵家の御嫡男様も凛としたお顔立ちをされていますが、それでも魅力的な殿方に心は打ち震えてしまうものですわよ、ねぇ…?」
イザイエ様の話題が出た瞬間、視界の端に止めたミレイユ嬢の顔色が変わった。
彼女と雑談する女子たちこそそれを如実に感じ取った事だろう。
彼女は顔を青褪めさせ、健気に微笑みを浮かべていた。
その細い指先を微かに震わせて。




