51:十六歳の悔悟
気が付けば身体は惰性のまま、ヴュルテンベルク辺境伯家のタウンハウス、主様の部屋までそつなく向かっていた。何時もの様にノックをして中からの返答を待てば、扉を開けたオスカーが呆れた顔をして私を中に招き入れる。
「遅いぞシャラム、…?」
私はオスカーへ視線も寄越さず真っ直ぐに、くつろぐアロの傍へ向かった。
「シャラム?」
「アロイーズ様、お時間を頂けますか」
怪訝な色を瞳に浮かべた彼は流石察しが良い。
私が何かを抱えていると気付くとサッと立ち上がり、珍しく労わる様に大きな掌で肩を支えて奥の寝室へ向かうように促す。
「オスカー、ピピにオリアーヌを連れて僕の部屋に来るように伝えろ」
「は」
そうとだけ告げるとアロは私と共に彼の寝室へ入り、扉を閉めた。
オスカーが退室するまでの暫くの沈黙すら私には永遠に感じられた。
「何があったの」
「あの女、『今回』って口にしていた」
アロイーズの問い掛けに、私の中で何かが一気に流れ出ようと蠢く。
私は今は「シャラム」だ、アロイーズ様の従僕だ。
事実報告を客観的に、冷静にするのが何よりの優先事項。
私情は捨てろ。
抑えようと掌をきつく結べど、崩れて零してしまった言葉は覆せない。
普段通りの言葉遣いで伝えんと考えを構築させようとすれども纏まらない。
そのまま零れそうになる何かを堰き止めるように理性が慌てて私の口を閉ざさせ、呼吸をせよと鼻息が荒くなる。
無意識に力が籠る肩をアロイーズの掌が優しく宥めんと何度か滑った。
「あの女って、ミレイユ嬢の事だよね?
それがどういう意味かシャラムは分かるの?」
「これ、私達、っきっと、繰り返している」
「繰り返して、いる?」
意識と違う言葉が口から滑り出る。
理性が知らぬ間に一つ壊れたのだ。
しまった、と思った時には既に遅い。
私の言葉を受けたアロイーズは怪訝よりも唖然が強いのか、ベゴニアのようなきょとんと丸くしていた。
分かっている、分かっているんだ。
彼にぶつけるのは間違いだと、自分で。
それでもそんな表情を見ているともどかしさで、また一つ、抑えが決壊する。
「私達の見ていた予言は!記憶は!!
正真正銘…っ『前回』、の、生きた記憶でっ!」
「シャラム」
落ち着きなく肩を怒らせ言い募る私の両肩をアロが強く抑えた。
ああ、キミからしたらそうもなろう、意味が分からないだろうよ!
だってアロは見た夢をあくまでも『予言』として、これから私達に訪れる未来を回避するための奇跡のように考えていた。
でも!私は!薄っすらと考えてはいたんだ!!前世の記憶があるから!!
何度も読んだことのある展開に似ていると!
私達が見た『記憶』は未来であると同時に、過去の『履歴』ではないかと!!!
定められた『ストーリー』があるのではないかと!
私が馬車事故により十二歳で死に、アロイーズは私の葬儀に参列した。
そしてユーデス様が婚約者を亡くしたトラウマを抱えた、そんな人生が実在した。
今生とは別に。
ミレイユ・シャレット嬢はそれを正しく理解していた。
彼女が零した「いつも」と「今回」という言葉。
ねぇそれって、つまり。
「私の家族が死なない運命は確かにあった!!!!」
ぶわりと両目から涙が溢れ零れる。
ああ、もうダメだ、抑えられない。
「シャラム、それは」
「私だけが死ぬ『展開』でっ、お兄様達も、お父様お母様も、邸の皆もっ!!」
「シャラム」
「何で?!何で?!『展開通り』私が死ねば良かったのに!そうしたら皆は!」
「シャラム!!!!」
今度こそがっしりと強くアロイーズが私の肩を抑え、正気を保てと叱り揺さぶる。
此方を見据えるベゴニア色の瞳を見上げながら身体全体が心臓のように脈打つのに気付いた。
どくどくと激しい動悸に、泣き叫んだからか眩暈までする。
滂沱の涙は今猶留めなく頬を滑り落ちて、冷や汗塗れの両手袋はぐっしょりと濡れていた。
空気が肺に入って来ない。
吸えども吸えども、生きる事を拒否するように身体が勝手に。
苦しい。息が出来ない。
でもこの苦しみを経て、私は皆のところへ行けるのならば。
なのに何故私の身体は酸素を求めて呼吸をするのだ。
浅ましい、嫌だ。
嫌だ。
「落ち着いてシャラム、まずは落ち着こう」
アロイーズが素早く私の身体をベッド端に座らせ、前傾を取らせる。
先程の力強さが嘘のように優しく抱き締め何度も背中を大きく摩ってくれた。
時折、呼吸のタイミングを伝えるように、トン、トン、と規則正しく叩いてくれれば、私も意識して腹を膨らませて呼吸するように出来た。
その間も涙は止まらず、ズボンや床に幾つも染みが刻まれていく。
鼻水が口に入るのも涎が零れるのも躊躇わず私は泣きじゃくる。
「『今回』って?『いつも』って?それは前回も、前々回もあったって事?
今は何なの?ねぇやり直せるの?皆が生きてる世界に戻せるの?」
「シャラム…」
私の温かな箱庭。
香しい記憶。
何よりも愛した宝物。
会いたい、会いたい、変えの利かない大切な人達。
あの頃に戻りたい。
「だったらやり直したい!!!こんな人生を私はっ」
「シャラム!!」
私の心からの願いをアロイーズが強い声で遮った。
それがまた、涙を呼ぶ。
隣に座るアロを見上げれば、彼はきつく、強い視線で私を見咎めていた。
口にしてはいけないと止められようと、私は唇を戦慄かせる。
「こんな未来、望んでない………」
望み通りに進まぬのが人生。
先が見えないからこそ未来を良くしようと今を懸命に生きる。
でもやり直せるのなら?しかもそれで宝物を取り戻せるのならば。
定められた運命に何一つ抗わずに私が死ぬだけで、大切な人々が穏やかに幸せに暮らせる世界があるなら迷わずそちらを選んだ。
だって皆を愛しているもの。
私にとっては自らの命を懸けてでも守りたい宝物。
「それだったら、素直に、私」
「ッキミの周りの誰一人!!そんな未来を望んでいない!!!!」
激しい怒声が身体を貫く。
彼は美しい顔を歪ませベゴニアの瞳を燃やし、その肩を震える程の怒りを露にした。
冷静なアロイーズらしくない様子に私は呆気にとられ、言葉を失う。
じわじわと、自分の発言した内容が頭に染み入ってくる冷静さを感じながらも、口から漏れたのは子どもが出すような甘えた泣き声だった。
わぁわぁと泣く私を、今度は宥めずに彼はそのままじっと見つめている。
「わ、わかってるよぉ…わかってる。でも、でもっだって…ぇ」
「………」
「わた、わたしが、死なない、ようにしたっらっ、みんながぁ…!
なんでぇ…なんでよぉっ!い、一緒に、生きられないの?どう、したらいいの?
あんなに、あんなに大事なのに…っ私の宝物なのぉ…!!!」
聞き分けの出来ない幼子を我慢強く見守り、諭す大人の顔でアロが静かに告げる。
「人生にやり直しなんか無いよ」
その残酷までに冷静な言葉を私は頭を振って拒絶した。
「嘘、嘘だ、だってあの子が」
「僕の言葉よりあんな女の言葉を信じるの」
拗ねた口振り。
コツリと、彼の温かい額が重ねられた。
目の前が美しいかれの瞳でいっぱいになって、徐に手を伸ばし縋った。
首に腕を回すのを許し受け止め、彼は優しい力で私を抱き締め返す。
ぐしゃぐしゃの顔を彼の服に擦り付けても拒まずに居てくれた。
「っアロ、アロぉ…」
「僕たちは一度きりの人生を精一杯に生きている。
リーシャが大切だから、生きて欲しいからお兄様達だって戦った。
その想いを、キミ自身が無かった事にしたいなんて、願うな」
背を撫でる大きな手も、静かに語る声も、只管に優しいのに、言葉はお小言だ。
アロイーズらしい。
「っわたし、は」
「ああ、そんな事願っていないと言いたいんだろう?
だけど自分の願いより、キミは、愛する人の願いを叶える事を選べ」
ゆっくりと私の身体を離し、再びそのベゴニア色に私の瞳だけを映す。
両頬を温かな掌が包む。
硬い指先は緩慢な動きで未だ止まる気配のない涙を何度も拭った。
その仕草が、今は何よりも安心出来た。
今はもう私の口から泣き声は上がらない。
ほとほとと泣きながら、彼の体温に身体を預ける。
「キミが何よりも愛した人たちの祈りを紡げ。
全ての願いが叶う世界じゃないと知るからこそ、誰もが自分の願いを押し付け通さんとする。
キミの願いは、キミの愛する人の願いに折れた。
キミを愛する人の願いの方が強かった、ただ、それだけだよ」
「だからリーシャ……死ねば良かった、なんて…………言わないで」
そんな言葉を私は微睡みの中で聞いた気がする。
―――泣き疲れ眠りに落ちた彼女をそっと抱き上げ、ベッドに横たえる。
未だ熱が引ききらない目元も鼻は、薄暗い中でも分かるくらいに赤い。
それをそっと指先で撫で労わる。
暫くそうして自分の心も宥めた後にやっと上掛けを掛けてやり、静かに寝室を後にして居室へと足を進めた。
まだピピもオリアーヌも来ていないのか、幸い、部屋は無人だった。
あの後オスカーも戻らず自室待機を選択したのだろう、テーブルの上はリーシャが学院から戻って来た時のまま何一つ変わっていない。
「………」
僕はゆっくりと定位置に深く腰掛けた。
意図せず深く息を吐き出すのだから、相応に気を張っていたと漸く自覚する。
目頭を揉みながらそのまま瞳を閉じて思考に集中してゆこうとするも、瞼の裏で彼女が取り乱し泣き喚く姿が何度もちらついては消えていく。
領地の塔でも、ああやって泣いていたのかと思うと胸が擦り潰れるように軋む。
(リーシャの話を整理すると、ミレイユ嬢は今を『今回』と称した。
それはまるで『前回』が存在し且つ彼女はその記憶を有しているかの口振りだ)
リーシャ自身もそれを感じたからこそ、あれ程取り乱したのだろう。
そして僕らが予言のように感じていた『記憶』は、正真正銘、過去の経験からなる記憶であるのだとリーシャは判断した。
(確かに、そうであれば僕が葬儀に参列している点も辻褄が合う)
その前回がどのように紡がれた日々であったのかは定かではない。
だが、前回も僕はリーシャと出会い、且つ今の様に誼を結んだのだろう。
喩え彼女がネウストラ公爵家の婚約者となっても続く程、良好な関係。
(…つまり『前回』は、僕とユーデス様も良好な関係だった可能性が?)
正直今を思うと全く想像が出来ないのだが、確かに間にリーシャが居れば強欲な彼女の事だ、僕やオーリだけでなくユーデス様とも一緒に過ごせる道を探すだろう。
(リーシャは…リーシャなんだな)
ふ、と笑みが零れた。
前回だって今回だって変わらず、彼女は彼女のままだったのが嬉しい。
(だったら猶更、ユーデス様も僕等と同じく『記憶』を有しているのだろう)
以前、ヴュルテンベルク辺境伯領でリーシャが僕だけにそんな話を零していた。
確証はないけれどほぼ恐らくそうだろう、と。
ユーデス様はリーシャが馬車で出掛けるのを嫌がった。
領地から出さず、わざわざ彼が彼女を必ず迎えに行くと約束する程。
僕からしたらそれはもう、彼がリーシャの『前回』の死因を知っているも同然だ。
寧ろ何故リーシャがそれをまだ疑わずに居たのか不思議である。
いや、疑ってはいたのだろうけれど、本人に聞かなかったのだろうか。
(…)
機会の問題だろう、と何処か考えを止めさせようとする頭。
しかし心が勝手に思考を支配し、リーシャが己が死ぬ運命であると好いた相手に伝えるのを、恐れたのではないかと想像させてきては歪に軋む。
僕がリーシャに『記憶』を告げたのは四歳だ。
恐くて、悲しくて、一人で抱えきれなくて幼い心は縋ってしまった。
あのどうしようもない喪失感と恐怖。
リーシャとは既に出会っていたからこそ、一際だった。
でもユーデス様はそれを一人で、リーシャにも告げず、抱え続けた。
(……愛して、いるのだろう)
必ずリーシャを助けると彼も思っていた筈だ。
なのに、結果は。
彼が感じた喪失感は僕の非じゃないだろう。
ああなるのも、頷ける。
それでも生き続けるのは偏に彼の強さなのだろうか。
(まだ、諦めていないのか)
入学式の日、彼は間違うことなくリーシャを見つけてみせた。
確かに良く見れば面影はあれど、多くは別人と判じる程に変わった彼女を。
伸ばされた手を取らなかったのはリーシャだ。
真実が明らかにならない限り、心は渡せないと以前語った通りだったものの、あの一瞬にどれだけ僕等が緊張していたのかを知らないだろう。
前世では喪った人を、護り、生かしたのは僕だ。彼じゃない。
その代わりにリーシャは愛する人を喪った。
(………それは、彼女ではなく、僕の業かもしれない)
キミだけが喪われる世界を『前回』の僕は疎んだのかもしれない。
リーシャだけが居らず、平穏に、何も変わらず過ぎていく日々。
考えただけで反吐が出る。
こうしてまた一つ、彼女に言えない気持ちを抱えてゆく。
あの日見た、深々と降り積もる雪のように。
そうして窓の外をぼんやりと眺めてどれくらいが経っただろう。
扉を叩く音でやっと思考が回り始めるも、返答する声が少し掠れていた。
「遅参をお詫び申し上げます、アロイーズ様」
「シャラムに何かあったの…って、灯りくらい付けなさいよ」
「ああ…そうだね」
オリアーヌの言葉を受ける前にピピが足早に部屋へ灯りを燈してゆく。
暗かった部屋に、人の気配と明るさが満ち溢れてゆく心地は、まるで夢から醒めていくかのように感じられた。
僕は二人に座るよう勧め、努めて平静にリーシャの報告内容を伝えた。
「――…つまり、お二人が覚えている『記憶』は予知ではなく過去である、と?
それこそ物語のように時間の逆行が起きていると仰るのですか」
「……そんな、バカげた話…」
ピピは僕の話を改めて一言に纏め、平静を装っているものの動揺は隠せていない。
オーリに至っては開いた口が塞がらないといった様相で、何度も首を横に振った。
荒唐無稽だと、信じられないのも頷ける。
口にしている自分だって、正気を疑う類の話だと自嘲せずに居られない。
だが、僕もリーシャもそれを笑い飛ばせ無かった。
「僕やリーシャのように『記憶』がある者には、そうとしか思えない」
端的に笑みも浮かべずそう返せば、二人して押し黙った。
「でも、その単語だけで……そんな話を思いつく、いや、考えに至るなんて」
オリアーヌが溜息を零しながら、頭が痛むのか何度も揉みながら疲れ切った声音を細く漏らす。
少しでも緊迫した身体を緩めたいのか、姿勢は崩れその身を腕置きに凭れさせた。
疲労が浮かべども嫋やかな彼女を労わる様にピピが見つめる。
「恐らくリーシャは、前々から可能性の一つとして考えていたのかもしれない。
そう思えない、と言っておきながら正直僕も半信半疑だ」
「だが納得は出来る、と仰るのですね」
僕の言葉を確かめるようにピピが視線を向ける。
「そう…そうなんだ。ただ、僕が見た『記憶』やリーシャが見た『記憶』。
それぞれが、本当にミレイユ嬢の指す『前回』の記憶なのかは謎だけどね」
この点はリーシャが考えていた内容だ。
『前回』は一度切りとは限らない。
そう思い至る経緯は、僕にも覚えがあった。
「待って、待ってよアロ、それは」
「聖典の中にある『逆巻きの聖者』だ。
話では彼は自ら望み、四度過去へ飛んでいた」
神学の基礎経典には書かれていない零れ話だ。
だがこの摩訶不思議な聖者の物語は、多くの子ども向け聖典にも書かれている有名な話でもある。
恐らくリーシャもそれを読んだことがあったのだろう。
「…頭が痛くなってきました」
「もしミレイユ嬢が本当に『聖女』であれば似た力があるのかもしれない」
今度はピピが思わずといった様子でこめかみを揉み解す。
身を乗り出したオリアーヌは呆然としていたが、やがて唇を戦慄かせか細い声を漏らす。
「……そんな…そんなの、余りにも…惨い」
「惨い?」
僕の問い返しに、彼女は火が付いたように怒気を露にして言い募る。
「だって!!それならリーシャは!
何度も、何度も!家族と死別をしているかもしれないじゃない!!」
「オリアーヌ様…」
「あの子が何をしたっていうの?!何でそんなっ呪いみたいな、運命を…辿らなければならないのよ?!!もしかしたら過去でも、同じように苦しんでいたかもしれないって事でしょう?!」
「オーリ、飛躍し過ぎだ。必ずしもそうとは限らない」
堪らず立ち上がったオリアーヌを見上げ、座るように諭す。
肩で息をしたまま、彼女はどかりと腰を落とした。
大袈裟に髪を後ろに払い除けるその白い手がまだ震えているのが分かる。
「ええ!ええ、そうね!?
…例えそうでなくともあの女をとっちめて聞き出せば宜しいだけよ!!
よくも私の大事なリーシャを!!愛しいリーシャを!こんなに苦しめてくれたわね?!絶対に赦さない!!」
「落ち着けっ!!腹を立てているのはお前だけじゃない!!!」
大切な人が痛ましい過去に今猶苛まされ、苦悩の中を生きている。
それが、例え『聖女』と呼ばれる程、神に愛された人間の悪戯により引き起こされたものであると知り、憤らない人間が居るだろうか。
少なくとも、僕とオリアーヌはそうじゃない。
共鳴するように二人して肩を怒らせ、息を荒げるのを静かに見守っていたピピが、聞こえるような大きな嘆息を零して見せた。
「…どれも仮定の域を出ませんね」
この中で一人だけ落ち着いている風を装う彼女も、普段と違いその瞳がギラギラとしているのが僕等には良く分かった。
「…そうだ、だからまずは僕が聖女を篭絡する」
「いやだわアロイーズ様、悪役みたい」
「この中で一番接触に違和感のないのは僕だろう」
「そうですけど」
「出来るの?」
「やるんだよ、嫌だけど」
叶うならば関わり合いになりたくない。
ミレイユ嬢の見え透いた演技は、相手をする側も貶める程だ。
それでも彼女から真実を聞き出して止めなければ、最悪、同じ運命が繰り返される事となろう。
「私もアレが義姉になるのは嫌よ」
「その点はご安心をオリアーヌ様、証拠は残しません」
「今は心強いよ、その剛毅さが」
三人揃って暗い笑みを浮かべその後も方針を詰めていく。
勿論、リーシャにも仔細を伝える意向を確認した。
しかし夏の休暇も目前に迫る中で急な接近は流石に違和感もあろう。
そう判断し、暫しの準備期間を設ける事とした。
まだ僕等には時間がある。
学院は始まったばかりなのだから。
二人が退室した後もオスカーは戻ってこなかった。
寧ろ僕がそうするようにピピへ声を掛けたのだが。
僕は一人で身支度を整え、リーシャを休ませているベッドに潜り込む。
隣に人が来ようと未だ彼女は静かに眠り続けたままだった。
随分と、深く眠っているようだ。
(冷やす準備くらい、するべきだったかな…)
赤味は幾分か引いたものの、きっと起きたら腫れているのだろう。
少しでも治る様にとその目元を指先でなぞる。
(…リーシャと、同じベッドに寝転ぶなんて、何年振りだろう)
穏かな昼下がり。
涼しい風が入るベッドの中で、リーシャとオーリと一緒に昼寝した日々。
懐かしさに緩む目元に微睡みが差し込む。
心地良く安らぐ隣人の気配を噛み締めながら、僕は改めて思考を整理する。
(『前回』、という単語だけでリーシャは人生を繰り返していると察した)
確かに、僕らが見て覚えていた『記憶』があまりにも現世に沿った内容だからこそ、そう考え至るのも良く分かる。
僕はリーシャに出会い、リーシャは公爵令息と婚約した。
(だが僕が見た夢は現実にはならなかった、いや、成り得なかった)
死因となる馬車事故は起きないようにリーシャ自身も注意を払っていた。
しかし人が死ぬ理由はそればかりではない。
最悪、リーシャが何らかの理由で死亡して葬儀があったとしても、現状を考えると僕は参列できなかっただろう。
そういう意味で成り得なかった、僕の『記憶』。
ならば確かに自分が見た夢は『訪れる未来』よりも『在りし日の過去』と言える。
(…それでも僕は、覚えて、いなければならないと…考えていた)
夢の中、『過去』の僕が。
強烈に、そして鮮明に。
それは何故だろうか?
(…………まさか、過去の僕は、『繰り返される』ことを知っていた?)
次の人生で忘れてはならない教訓、いや、忌避すべき事件として。
大切な人が亡くなる理由、年齢。
次の『僕』へと託された願い。
僕の背中を怖気が走った。
急激に微睡みが遠のき、意識が鮮明になる。
心音が鼓膜を揺らす。
(知っていたのなら何故その事実を『次回』に託さなかった?
繰り返される歪さより、リーシャを喪う事が、僕にとっては大事だった…?)
急に、ベッドの中で横たわる身体が二つだけである事が意識を支配する。
穏かに静かな寝息、上下する肩、微かに開いた乾いた唇。
リーシャを撫でていた指先を咄嗟に外し、二人の間にそっと沈める。
視線は、ずっと彼女の寝顔に止めたままでも。
(…繰り返しを止める事は『前回』の僕には出来なかったのだろうか)
いや、だからこそ今があるのだろう。
それとも気付いた時には既にリーシャが亡くなっていた可能性もある。
寧ろその線が濃厚だろう。
十二歳の僕がその判断を下したとすると、あまりにもその、歪んでいる。
(自分たちの人生が、掌の上で踊らされるものだと気付いたとしても)
せめてリーシャが生きていることを、ただ、願って、紡いだ『記憶』。
ああ、『前回』の僕も、リーシャがどれほど大事だったのかが痛いほど分かる。
(…リーシャが見た夢も自意識で選択したもの?)
僕が見た夢、その中に僅かに残った『前回』の僕の意志。
リーシャの記憶の話を聞く限りは、そういった意志の強さは感じられなかった。
語り口からかただ本当に、死ぬ間際の記憶のようにすら思えた。
(『次回』に残せる記憶は選択出来るのか?
いや、出来たからこそ僕はリーシャの死因を覚えていたのだろう)
乾いた笑いが零れた。
何だこの、実験染みた遺言行為は。
ただ、『僕』ならやりかねないだろう。
きっと来世でもリーシャに出会うのなら、その差異に気付けるとすら予想して。
「馬鹿げている」
思わず掠れた自嘲が零れ落ちた。
本当、何なんだこの人生は。
物語?とんでもない。
ただ徒に心を浪費させられる、実験場の動物にでもなった気分だ。
僕は徐に再び指先を伸ばす。
隈が浮かぶリーシャの目元をそっと撫で、柔らかさとほのかな温かみに触れていればやっと深く息が吸えた気がした。
「…生きている」
ああ、キミは生きている。
ただそれだけを願っているよ。
今の僕も、きっと前の僕も。




