48:十六歳の猜疑
デュドネ王国の首都は、曲がりくねった道の多い田舎の街並みと違い近世らしく直線の大通りが多く区画が整然としているが、現在の目抜き通りや旧大通りと呼ばれる区画は昔から大して変わっていない。
他にも各区画を走るメインストリートは必ず一つ広場を抱えており、大体その広場の名前を冠した名称で呼ばれているのはどの世界でも同じであろう。
さて、日本にいた時はそんな都市構造など全く意識した事は無かったが、現世では生まれと育ちの影響も相俟って多少の知識を齧るようになる。
学びの中で特に私が「分かりやすいな」と改めて感心した点は、王都の都市構造をより端的にする、どの大通りからも見える大聖堂の尖塔であった。
勿論、国家の象徴でもある王城も、街並みから一つ高い位置に座しや上に日の出を背負うように構えられているため一際威厳を放ち、昼夜問わず誰の目にも入る。
しかしそれと同様、いや、平民からしたら恐らく大聖堂の方が身近であろう程に、国教ロテュス教の権威の集大成はより生活に密着した『導き』を施していると言えよう。
というのも、この大聖堂の一際高く立派な一本の尖塔が、それぞれ東西南北で上部壁面に飾られているモニュメントが異なるのだ。
なので自分が今、大聖堂を中心としてどの方角に居るのかが一目で分かる。
広場や通りの名称にも方角が含まれるものが多いのは恐らくその影響だろう。
お察しの通りこのモニュメントは、現在の区画へと整備された際の後付けだ。
現在の区画へ移行したのは三代以上前の王の時代だと言うのだから、軽く百年近い過去にこうした計略というか、訴求力のある工夫を凝らせるのは「流石国教」と一言で片づけるにはやや偏見が含まれているだろうか。
良い意味だけで終われないのは職業柄かはともかく、民衆の心理を掴むのが上手いのは得てして長く続く名家となるのも頷けるであろう。
都市計画の話題という事でもう一点、面白いものを挙げさせてもらおう。
この辺りは矢張り異世界だなと思ったのだが、さて、目抜き通りや旧大通りが区画整備の際に殆ど形を変えなかった理由は何故か?
寧ろ区画整備を計画する際、この二本の通りを変えないように綿密に練られたと言っても過言ではない。
目抜き通りや旧大通りには、三大公爵は勿論の事、王家御用達の老舗が顔を揃えている。
それらはどれも、老朽化による修繕は行いつつも場所を変えていない。
例えその商家が撤退をしても居抜きもしくはスケルトン物件で売買され、その折りには王宮仕官の調査が入る徹底振りである。
つまり、基礎からの建て替えは建築当初から一切行われていないのだ。
これは五代前の王、コンスタンタン王と神の契約を遵守するためである。
王の名前が可愛かろう。
だから私も珍しく、内容だけでなく王の名前も憶えているのだ。
コンスタンで良いじゃん、なんで二回付けちゃうかな。
当時、大聖堂には火の神に愛された司祭がいた。
火は全ての嘘を燃やし尽くし、その光は真実を見極めるものとして神聖視される。
なので室内は勿論のこと、日中の野外裁判時にも絶やさず篝火で周囲を照らすように必ず配備され、虚偽や悪意を退ける力があるとその頃から信じられていた。
特にヴュルテンベルク辺境伯家が属する南はその概念が強い。
今猶、国境砦や見張り台では昼夜問わず篝火を燈す。
話をコンスタンタン王に戻そう。
王はある問題を抱えていた。
王、あんまり治世得意じゃなかった。
あれこれと目新しい政策を執り行うもどうも上手く行かず、斜陽の時代を迎える。
貧困が地方から王都周辺まで蔓延したかと思えば、傍流貴族や新興貴族がどうやってか力を付け始め、すわ国家分裂、内乱の危機かと震えていたのだ。
そこで王の尻を叩いたのがネウストラ公爵家である。
外貨を獲得する術も弱かった自国の産業、そして流通を見直す様に進言した。
幾つかの試みが行われたが、今回に関係あるのは特に優れた技術を有する商家を保護するためアンヴァリッド公爵家と協力した『聖火の礎』である。
アンヴァリッド公爵家は当時、今の様に聖職貴族ではなくただのアンヴァリッド家と呼ばれていたが、ネウストラ公爵家やリュクスイユ公爵家と同じくらい続く名家ではあった。
例の火の神の愛し子もアンヴァリッド家の者だ。
さて、商家の保護するには何が必要かとネウストラ公爵家は考えたのか。
それは『情報の保護』である。
めっちゃ納得した、この頃からネウストラ公爵家はネウストラ公爵家していた。
情報と謂えども製法や技術を指してしていたのか、顧客情報を含んでいたのか。
恐らく時代的に前者だと思うが、ともかく前衛的な取り組みであったのは確かだ。
公爵は、恒久的に嘘偽りなく誠実な商売を続ける店に与える称号を確固たるものにすべく、火の神に愛された司祭の力を頼る事を閃いたのだ。
着眼点がすげぇよな、流石ユーデス様の御先祖様。
で、相談を受けた愛し子が提案したのは当代の王と神が契約し、真実を暴く力を授かる方法だった。
彼主導の下で厳かな神事を執り行い、火の神に認識されたコンスタンタン王。
その血を溶かした聖水の雫を賜った店こそが「王家御用達」となり、彼等が王都に構えた店に害意や偽りを持ち込めば、悉くがその場で瞬く間に灰塵へ変えられたと伝えられている。
これが『聖火の礎』と呼ばれる所以だが、コンスタンタン王の血が混じった聖水を建物の礎に垂らしてあるからである。
また効力の条件としてそれを掘り起こし、動かしてはならないとされているのだ。
前置きが長くなってしまったが、そういう訳で『聖火の礎』を施された老舗が点在する、かの大通りは形を変えなかった。
いや、変える事が出来なかったというのが正しいだろう。
そりゃあ『神様の防犯機能付き物件』なんか珍しいんだから保護一択だよね。
因みに王城は勿論のこと、王都のネウストラ公爵家の邸宅もソレである。
もう既に契約主の王は崩御しているがその血は脈々と受け継がれている。
経過した年数もあって効力は眉唾物だが、時折朝裏口の前に一山の灰塵が、なんて話を今でも耳にするのだから面白いものである。
ま、王城で頻繁に人が燃えていないのを鑑みれば自ずと答えは出よう。
ネウストラ公爵家はどうかだって?
言わせるなよ、恐い怖い。
ところで急に何故そんな話になったのか。
絶賛私が老舗に夜盗中だからだ。
事前調査に掛けた時間は少ないが、侵入先が『聖火の礎』持ちの物件では無い事、及び番犬の飼育もしていない事はきちんと把握しているから安心して欲しい。
そうなんだよね、結局『聖火の礎』が持てない商家は夜間防犯の為にどうしたかと言えば、番犬と飼育員兼護衛を宿直として置くようになったのだ。
諜報員が犬の躾に詳しいのはそういう訳である。
というか人と暮らす動物全般であるか。
レオさんが厩で寝るのもその一環だし、私が鍛錬の走り込みで早朝に数頭の犬をぞろぞろ引き連れているのもそうだ。
今なら犬橇も熟せるぜ。やる機会は無いが。
と言っても錠前や人々の成熟により技術は進歩し、それなりの設備や手間がかかるこの防犯方法は今では随分廃れてしまってはいる。
況や老舗と謂えど、導入している商会は数える程しかない。
寧ろこの世情にも拘らず番犬を置いている店程、「ウチには貴重なものがあります」と大々的に喧伝しているようなものと捉えられる。
逆にその手間を掛けられる程裕福な貴族家には大体番犬が庭をうろうろしている。
なので一撃必殺、お家潰し一直線な情報はそれなりの覚悟と準備を以て挑まなければならないが、イニャスさんのあの口の軽さからも察する事が出来る通り、店舗にはそれほどの情報は置いてないであろう。
それでも私の懸念に繋がる情報はあると期待している。
御名は記されていなくて構わない。
どのような型を依頼されたのかも、だ。
(曾祖母様の体型も分からないが、それは不要だ)
昔はそれはそれは御愛顧頂いていただろう。
――曽孫の代であるイニャスさんが軽く口に出来る程、誉れ高く。
だがかの姫は今や静かな館で余生を過ごすばかり。
人の訪問も少なく、依頼をするなら細々とした物が多いだろう。
――だからこそ次の売り込み先を模索する必要があるくらい。
腐っても公爵家の人間だ、買い物額はそれなりにしなければ恥である。
――貴族の身体は見栄と誇りで出来ている。
私は音を消すために錠回りへ纏わせていた魔法を解く。
と言っても水の膜を張っていただけであるが。
水は空気より音を通すが、再び空気層に触れる際に殆ど振動は消される。
それを応用すればきっと隠密行動も素晴らしい結果を出せるのでは?!と、気付いた時には心躍ったものだが、まぁ光を乱反射するわ中に居る私にも外の音が聞こえないわで意味を為さなかった。
少なくとも多少なりと物が振動することにより発生する音を抑える、という意味で役立ってはいる能力ではあるが。
扉を押し開く時も同様に留め具などを水幕で覆う。
ドア全体に行わないのは乾かすのが面倒だからである。
私の足元は布を巻きつけた薄い靴のため、足音は殆どしない。
偶に、ぶ厚い絨毯が敷かれていると油断させて床板が軋む場所もあるため、進みは慎重にかつ素早く摺足で目星をつけた部屋へと急ぐ。
店舗の構造は基本的な王都の古い建物のため改めて頭に入れるまでもない。
仕様の違いなど些末、大体帳簿仕事は1階だが倉庫は上。
這うように低い姿勢で階段を上り切り静まり返った廊下を窺う。
月灯りは助けであり障害でもある。
(窓が大きいのが嫌だな)
上層だからこそ改装が許されたのか、壁一面と見間違う大きなガラス窓が並ぶ。
ご丁寧にテラスの床が見えるようなやつである。
だが上は少し余裕があるのが幸いで、風の神の御力を乞い身体を浮かせて今度は天井を這う。
身体を持ち上げるだけの風を起こすのは一苦労だ。
私は魔女っ娘のように空を華麗に飛ぶほどの魔力は無い。
さて、三つほど外札の無い部屋がある。
どれが帳票倉庫になるだろうか。
此処からは勘である。
もっとよく事前によく調べろと師匠にお小言を言われる所以であるも、私には必殺技がある。
(ど・れ・に・し・よ・う・か・な?)
脳内で唱えながら私の影が三又に伸びていく。
悪戯好きな闇の神様は、私がこうして悪戯心満載で楽しそうにしていると悪乗りしてくれるのである。
素晴らしいよ!最高の悪友だよ神様!これぞ神の御力!
月灯りが陰ると同時に、ふっと二つの影が消えた。
はい、そこですね分かりました。
夜闇が私の輪郭を鈍らせてくれている間に速やかに部屋へ入れば、大きな書棚が整然と並び出迎えてくれた。
古い紙とインクの匂い。
あと衣服の防虫剤だろうか、どこか懐かしい古めかしい空気はこもりがちだ。
人の出入りが少ない箇所なのだろう。
(社員名簿、は当然のように無いだろうし)
徐に手にした書箱の中から紐綴じの書類を取り出しパラパラと捲る。
うーん、店の雑費申請書だ。
次に目を通したのは出退勤の手書き記録、マメな商家だ。
一年前、二年前、ふむ。
(定期で、恐らく貴族家に呼ばれている人間は十人)
過去三年でこれしかいないって事は、王都の商家としてはかなり厳しいな。
信頼が何よりなので担当を簡単に変えないとは言え、少人数で回れる程しか得意先が居ないということでもある。
(一番古株の人物が担当するのが妥当、かなぁ)
相手は元とは言え一国の姫君だ。
それなりの知識や対応力が無ければ任せられないだろう。
箱の底にある一番古い帳票を取り出し、年代を確かめれば九年前だ。
この頃から外回りを行っていた人間が誰かを絞り出す。
うん?該当者が居ない?
見落としたのかと思いもう一度目を通すがやはり居ない。
(うーん、もしや担当が王都の店舗ではない?いやまさか)
立地からすれば圧倒的に王都の店舗社員が曾祖母様の専属になり得る。
面倒だが四年前の帳票から遡り、追う。
(うん?)
違和感を感じ、四年前と二年前の帳票を見比べる。
貴族家に訪問していたであろう社員が四年前に二人、二年前から四人増員していた。
(…近年の増員、売り込みの熱量は主家の嫡男が入学するのを見込んで?
もしくは既にその頃から売上が落ちたか?)
五年も遡れば外回り職と見受けられる人間は僅か四人だ。
そこから六年前、七年前と暫く四人だけの時代が続く。
八年前、私とユーデス様の婚約が公表された年だ。
(代替わりが起きている)
此処で今までの人員から一転、新しい社員が担当になっている。
時期はバラバラだ。
その前任者は確かに九年前の帳票には名前が載っていた者ばかり。
だが、その人数は数えると三人。
(一人増員している)
新規で?引継ぎもなく?
いや、ここ数年の者達も引継ぎ者は居なかったじゃないか。
もう一度二年前の増員が初めて記帳した記録を見返す。
(指導者か?この男、大体新任者と同日同時刻に出入りをしている)
今度は四年前の二人を追う。
矢張り、同じ男の名前が並ぶことが多い。
(領地から指導員が派遣されることも珍しくは無いが…)
此処で意識を切り替え、まずは彼の名前が最初に記帳された日を探す。
矢張り八年前だ。
春、まだ私と彼が顔合わせもしていない頃。
(考えすぎか)
他の三人は前任者と共に行動している期間が二、三か月続くのに、この男は一か月も時間を要していない事を考えると相当仕事は出来るようだ。
元より指導する立場として王都に来ているのであれば当然だろうけれど。
引っ掛かりを覚えながら出入り記録を閉じ、次の箱に手を伸ばす。
生地の発注書だ。
顧客ごとではなく日付事に纏めているのか。
(…)
先程の出入り記録を再度開き、指導者の出勤日と見比べていく。
最新のものは今年の春に夏物の生地を多く取り寄せていた。
そう、製品ではなく、生地をだ。
(ビンゴ)
矢張りこの男が曾祖母様の担当者か!
急いで昨年度分の発注帳票を取り出して同じように日付を照合する。
ない、次。
一昨年、ある。
四年前、ある。
五年前、前年より回数が増えた。
六年前、五年前と変わらず。
七年前、また増えた。
八年前、減った。
(が、品は最上級品ばかり)
この商会は縫製も随分しっかりしているので、既製品でも充分高価だ。
デザインも悪くない。
しかし一部の貴族は生地を買い付け自家で縫製を行う事もある。
特に寝具や夜着、普段着などだ。
物に依っては数が数のため抱えの工房に頼む事もあるが、家紋や伝統的な刺繍を入れる為に最後までは任せない事も少なくはない。
近年の生地購入はそれであろう。
高位階級なのだ、一年で取り換えるのも吝かではない筈。
だがそれを控えているのは倹約でもなく、一度の購入で買った生地で作った品が二年は持つ程度しか邸で消費されないからだろう。
高価な生地を一気に購入出来る財力に見合わぬ、寂寥感。
(工房発注の帳票はあるか?)
どくどくと心臓が脈打つ。
緊張感に似た高揚で、指先が冷えて来た。
(…ない、流石に機密扱いか)
帳面はあるにはある。
だが、探している男の発注書は恐らく別の家の物だ。
記載されている生地が違ったり、想定される量が異なる。
そもそもこんなところに雑多に置いておくような情報ではない。
依頼先の工房が襲われ、品が盗まれたら一大事だからである。
勿論工房自身がどこのお抱えだかを喧伝するのは構わない。
だがどの商会から仕入れた生地を使い、どのような縫製をしたのかは秘匿される。
貴族は誰かと同じものを着るのを嫌うからだ。
だからこそ社交ではその情報が価値となる。
美しい衣服、珍しい宝石、魅惑的な香り。
どれも何から生まれ、どのように手を加えたのか。
『あなただけに教えてあげる』という魔法の言葉が方々で行き交う。
皮肉な考えが少し頭を冷静にしてくれる。
努めて息を吐き出し、散らかした帳票類を元に片付けていきながら情報も脳内で整理する。
(八年前、ユーデス様と私の婚約が公になった年に王都へ赴任した男。
内々ながら婚約については秋、いや冬には纏まっていたと記憶している)
そうだ、アロイーズを好いているという嘘を吐いて呼び出した夏。
翌年の雪解けにはユーデス様が公爵閣下と共にストラス領に訪問なさった。
(曾祖母様に公爵閣下が婚約の件を相談していなかったって話、聞いたな)
何時だっただろうか、アロイーズかオリアーヌがそんな恐ろしい話題を口にしていた気がするのだが。
ここから逆算すると件の男が曾祖母様へ近づいた機会としてはズレるか?
(どちらにせよ、恐らく彼が曾祖母様の担当者ではある)
それは発注書から推測できた。
確証は無いが、ほぼ黒に近い灰色だろう。
(八年前、ご挨拶も兼ねて最高級の生地を贈ったか。
七年前、頻度を上げたのは季節に合わせての売り込み)
それが通る程、曾祖母様は服を仕立てる意味はあったのだろう。
いや、それを仕立てて贈る事もあったかもしれない。
なんせ紳士服にも使えそうな商品が幾つかあった。
それこそ七年前は、ユーデス様が十歳を迎えた年だ。
社交場の機会が増え外出着を贈るのにも違和感がない。
(…六年前は昨年に比べ少し減るが、然程ではない)
まだ発注を前向きに行えるほど仕立てる理由があったのだろう。
あの頃は何をしていたっけ。
私は十歳。
ああ、ユーデス様に恋をした歳。
もう彼の香りも覚えていないのに、胸がきゅうと竦む。
唾を嚥下する音がやけに大きく脳内へ響いた。
訳も無く、頬の更に奥が痺れては唇が微かに震えた。
指先が渇いた書箱の表面を引っ掻く。
預けて、倒れた時に出来た罅からは、今もまだ、何かが流れ出たまま。
(………大きな変化は、四年前)
五年前から四年前に掛けて発注頻度がガクリと落ちた。
ユーデス様が忙殺されていた頃か。
だからと言って贈り物の頻度を下げる必要は無いはずだ。
(自分が着るものを仕立てる回数が減った、とか?)
いや、曾祖母様も女性だ。
それこそ外に出る機会が少ないのだから室内でくらい着飾りたいだろうに。
(……)
殆ど片付け終わった書棚に再び手を伸ばす。
手に取ったのは、四年前の出入り記録と発注書だ。
(担当の出入り記録自体が少ない)
いや、過去の記録からするとこの男の出入り回数が、この年から減ってきているのだ。
月一、二回。多い時には毎週出ていたのに。
四年前の冬なぞ一度きりだ。
発注書もその時のものと思われる一枚だけ。
彼の担当先が曾祖母様だけな訳は無いだろう。
現に、発注書と重ならない日付で出入り記録が例年残されている。
三年前の出入り記録を開く。
春、男の記録は無い。
晩夏になって漸く名前が出てくる。
寧ろ半年も無い短い期間で、昨年と同等の発注書を出している。
量が可笑しく無いか?何故小まめにこれ程の生地が必要となるのだ。
(偽装?あとは…生地ごと、他家に贈るため?)
発注書には納品先は記されていない。
飛躍し過ぎだろうか?
こじ付けだろうか?
私はどうしたって、曾祖母様を犯人に仕立てたいらしい。
(固執するな、全ては推測の域だ。
それに、ユーデス様が関わっていた証拠には成らない)
三年前の晩夏。
忘れもしない。
私が、ヴュルテンベルク辺境伯領にて初めて人を殺めた頃だ。
どれ程温もりの安堵が恋しく、欲した事か。
(……………………)
きつく目を閉じる。
握り締めた拳が軋んだ音を立てた。
嵐のように波立つ感情の凪を只管に待つ。
薄雲の合間から月灯りが、震える手元を照らす。
(ダメだ、私では私情が入り込み過ぎる)
そして二年前は、曾祖母様と思しき発注書自体が無い。
男の出入り記録はあるが頻度は矢張り以前より少なく思える。
何より新任者教育をしているのか、連名ばかり。
一年前、定期的に出入りはしている。
これは殆ど単独だ。
しかし当初よりもずっと回数は減っていた。
(異動間近なのか?今も王都に在籍しているのか?)
この辺りは日を改めて張り込むしかないだろう。
その後、私は階下へ降り、現在進行形で使用している日報などにも目を通した上で夜の店舗から静かに抜け出した。
報告書を纏めるには珍しく時間を要した。
気を抜くと私情交じりの見解が入ってしまったからだ。
連日の張り込みと書き物で頭も気力も随分削られているのを察したのか、流石にオスカーも随分手を緩めてはくれた。
最初からこれくらいアッサリしていて欲しいものである。
王都に来てからは嗜好が変わったのか抱き方が執拗だったのだ。
それこそ毎回、私が彼にしがみつく程に。
おーこわ、王都って怖い。
人を惑わす何かでもあるんだろうか。
何かは知らんが。
そうしてやっとこさこさえた報告書を送って数日後の夕方。
私はやっと待っていた人物の顔を拝む事が叶った。
遠目で見た横顔は、何故か既視感を覚えさせるものだった。




