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パドマの箱庭  作者: 菌床
三章:我らが女神の望み
56/93

47:十六歳の騙し合い


「…何故俺が」

「美味い肉を奢るからさ」

「肉も良いが、果物の気分だ」

「任せておけって」


その辺のリサーチはバッチリである。

だからオスカー、キミは大人しく人身御供になってくれればよい。


今日はアロイーズに頼み、二人揃って暇を貰っている。

丸一日の休暇ではなく午後の数時間だけだがそれで充分である。

タウンハウスに戻れば普段通りに仕事に就く予定だ。

まぁその数時間で用事が終われば、だが。


イニャスさんと約束をした日、ネウストラ公爵家の不審な動向を察した日から、気を揉みつつあっと言う間に学院生活は数週間が経過した。

が、相変わらず特段先方に目立った動きはない。


ちょっと学院を騒がせた話題と言えば、例の御令嬢が愈々招待された昼の茶会で倒れたという事ぐらいだ。

噂に名高いイザイエ様の美貌に中てられた、と語られる一方、ミレイユ嬢の顔は青ざめていたというのだからどれほどの美形なのかいっそ気になるものである。

過ぎた美しさは恐怖を呼ぶ、とかあるんだね。


さて、兎も角例のオスカーが気に留めた点はピピさんやレオさんにも念の為情報を共有はしたものの、正直『だからどうした』という範疇を出ない話ではある。

故に静観を決め込むのも当然の判断だろう。

本来気を張るべき諜報に片足を突っ込んでいる私が、こうして気を抜いて日の下を出歩いているのに、オスカーはまだ何処かピリピリした空気を纏い続けていた。

流石ヴュルテンベルク辺境伯家の従者である。

多分、私も育ちがそうであれば彼くらいの警戒心を抱くのかもしれない。

ただ学院でも終始そんな様子なので、今日の予定についてはアロも「気分転換しておいで」と快く私達を送り出してくれた。


邸から大通りの端までは馬車で移動し、そこからは街並みを見る為にも歩く。

私は夜な夜な街に出ているから地理は教え込まれた知識以上にあるが、オスカーは違う。

事前に城で学んだ程度の主要幹線の大通りや行きつけの店、区画の見分け方や通行時に留意すべき点、足の捕まえ方など、そんなところだ。

まぁ新年の宴に随伴した事も何度かあるようなので、王城に関しての知識は私よりも彼の方がしっかりしているだろう。


「ん、もう店先の品が夏物だ」

「遅いくらいじゃないか?」

「此方の方が暑い時期は短いよ」


大通りに構える店先の品々を横目に、季節の移り変わりを感じる。

辺境伯領は王都より南に位置するのでやはり夏はそれなりに暑いし、長い。

確かにオスカーの言う通り、地元でならばもうどこもかしこも夏物の服や小道具を所狭しと売り出している時期ではある。


(冬にしか王都に来ない弊害だな)

「それなのに王都の人間は避暑にわざわざ行くのか…」

「王都の水瓶がもう少し低地なら良かったのだろうけれどもな」


王都の水源は、東の高地帯にある巨大な湖だ。

源流は北の山々から中級河川が幾つか走り、合流して出来ている。

湖の周辺は風光明媚で有名だが、これは貴族的な言い回しだ。

庶民的な言葉で言えば「大自然の中過ぎて行くのめちゃくちゃ面倒」となる。

前世もそうだが、得てして都市部の水源などそんなもんだ。


そんな事情もあり涼し気な水辺からの風が届かない王都に住まう貴族は、なだらかな街道でアクセスできるご飯も流通も華やかな西の海岸線へ避暑に行く者が多い。

食で人を呼び寄せる点は考えが及ばなかったな。

しかし魚介は強いよ。美味しいよね。


「新鮮な魚介も良いよなぁ」


考えている事をそのままツルっと口から零せば、隣を歩く人が呆れた視線を此方に向けた。


「暢気な…」

「帰りにちょっと買って帰ろう、んで料理長に持っていく」

「貝は入れるな」

「いやだね、貝からは美味い出汁が出る」


というか結局お前も御相伴頂く気かよ。

腹持ちの良い魚肉ばかりがオスカーの皿に行くのか、チッ。

昼に人の金で肉を食べ、夜に人の金で魚を食べる。

ペッ!良い御身分ですねぇ!


「料理出来たのか?」

「お前と違って私は自炊を強いられる場合もあるんだよ」


おっとっと、危ない。

このお料理情報は前世の記憶だった。

勿論諜報活動の一環や野営で簡単な調理くらいは出来るが、海の幸については殆ど今の暮らしで触る事が無い食材だ。


「凄いな」

「人間必要に迫られれば嫌でもやるし、覚えるもんだろ」

「今度なんか作ってくれ」

「いいぞー、鍋からスープを掬って皿に盛って出してやろう」

「それくらいなら俺だって出来る」


ふ、とオスカーが緩やかに笑う。

どうやら誤魔化せたようだ。


私が諜報員としても活動している事は勿論オスカーも知っている。

数年前、世間を騒がせた凄惨な事件について調べている事も把握している。


だが当事者であった事は、私から話した事は無い。

でもどことなく、事情を聞いているような雰囲気を感じる事はある。

今の受け答えだってそうだ。

寧ろ、彼の育ちを考えれば女は調理は出来て当たり前だろうに。


なぁオスカー、キミは本当に甘いよ。


「あ、道間違えたかも」

「なんだと?!」


急に顔を険しくして、「だからなんで早く言わないの!当日にトイレットペーパーの芯なんてすぐに用意出来る訳ないでしょう!」と叱るオカンのような剣幕で私を見る。

その視線からそそくさ逃げるように私は通り過ぎた道を戻り、誤魔化す。

彼が王都の街並みに精通しておらず助かった。


「急げ急げ、予約時間に遅れる」

「お前は!これだから!!何が『道案内は任せておけ』だ!」

「いやぁ、はっはごめんごめん」


我ながら全く謝意を感じさせない謝罪を零しつつ、ちょっとした裏道を抜けながらオスカーと共に旧大通りへと小走りで向かう。

道中、冗談みたいに猫の尻尾を踏んだオスカーを見て私が二つに折れたが。

なんでこの短時間でそう事を起こせるのかな?

奇跡だよね、笑いの神にも愛されているよオスカー。


「立ち止まるなよ、お前が連れて行ってくれるのだろう?」

「ふははっ、はぁー…はいはい」

「返事は一回」

「はーい」


しゃがみ込んでいた私へ伸ばされた手を取り、立ち上がり歩み始める。

午後の日差しが照り返すのか、開けた行き先は白く輝きを放っていた。



「やぁ、ようこそいらっしゃったな!」


出迎えたイニャスさんはガチガチだった。

なんだその挨拶。

蝶ネクタイ可愛いね。


学院で目にしている従僕服、いや彼の場合は護衛色が強いのでもう少し動き易そうな恰好なのだが、それとは結び付かないシャンとした服装に、隣の男はやや困惑しているのか目を瞬かせていた。


「時間通りかな?」

「ああバッチリだとも」


正直ちょっと遅れたが、これも挨拶の定型文だ。

私は少し余所行きの襟を正して店内を見渡す。


味わい深い飴色の木材は年代を感じる。

品のある壁紙が張られた飾り棚には美しい陶器が飾られ、真鍮の鈍くも丁寧に磨かれた吊り棒には幾つもの美しい生地が流れ落ちる清水のように揺れていた。


「涼し気な色合いが多いな」

「ああ、季節柄な。特に女性ものは薄手の生地を幾重か重ねているが、見かけよりも通気性は良いんだ」

「繊細な仕事だ」


私が声を掛ければイニャスさんは誇らしげに商品について語り出す。

それを微笑ましそうに落ち着いた女性店員が頷きつつ、一つ目に付いた商品の生地を見えやすいように持ち上げて翳してくれる。

確かに、持ち上げる店員の手は見えない程度に裏地もしっかりしている。

だが本当に淡い色の薄い生地が重なって、深い色味を織りなしているのが近づくと良く分かる。


「美しいな」

「ほ…、ん゛んっ、…ありがとうございます」


私の脇から同じく服を見ていたオスカーが零した一言にイニャスさんが撃沈した。

えーなにー超楽しいんだけど。


「確かにこの生地でこの型を着こなせるのは、水の女神か妖精だな。

 店名もそこから?」

「ああ、商品の系統名称も水辺から連想を得ているんだ」


へー、だからオスカーを『黒鳥』に喩えたのか。

そこで白鳥じゃなくて、黒鳥ってのがまた何とも詩人な。


そんな事を考えている私を他所にオスカーは手触りの良い生地を愉しんでいるし、イニャスさんは懸命に今この瞬間を網膜に残すのに精一杯だ。

仕方が無いので勝手に紳士服の置かれている一画へ足を向ける。

空気を読んだか、慣れた様子で店員さんが私に追従する。


「手にとっても?」

「ええ勿論」


うん、良い生地だ。

紳士服は先程とは違ってやや厚めではあるものの、繊細さは負けていない。

動き易そうだし、とてもしなやかな美しい艶もある。

このトロリと肌に沿う感触は癖になるな。


「良い織物ですね、生地は領地で?」

「ええ、豊かな水源に恵まれておりまして」

「店名の通りですね。しかしそれだけでは無いでしょう?」

「ふふふ、そこは秘密です」


これだけ均一性の高い美しい糸を取るのには苦労もあろう。

縫製も丁寧で素晴らしいが、何よりこの糸の良さが店の売りか。


「しかし確かにこの生地の良さ、触り心地を生かすならば細身の型が多くなるのも頷けますね」

「そうなのですよ」

「一部だけに使用するのも心地良さそうですが、贅沢をしたくなる」

「ええ、ええそうでしょう。

 一度着心地を味わわれた方は、外出着は勿論普段使いにもお求めになりますよ」

「水の女神に魅入られたのですね」

「うふふお上手ですこと」


ふと視線をイニャスさん達へ向けると、流石に何かを察したのか黙してずっと女性服を見ているオスカーと、それを一定の距離を保ち追いかけるイニャスさんの姿があった。

何か可哀そうだったので呼んでやる。


「オスカー、男性服はこっちだ」

「!」

「普段着よりも寝衣に良いと思わないか?」

「は?」


何でそんな驚いた顔をする。

アロイーズが好む生地ではないが、寝る時には心地良さそうじゃないか。

そう思い小首を傾げてみせるが相手はまだ話を飲み込めない様子だ。


「ダメか、ならスカーフなどでまずは反応を見るか。

 御方の夏服も白が多いから合わせやすいな」

「あ、ああ…そうだな」

「それで?お前は外出着ではなく寝衣を仕立てるか?」

「!!!!」


息を呑んだのはオスカーじゃない、イニャスさんである。

その反応に女性店員が吃驚してちょっと後退った。

凄いな、気迫で本当に人が退く瞬間を見たわ。


「おっ前!寝衣を贈るなんて!」

「声がデカい…」


異様な空気を物ともせず大声を出すのはオスカーだ。


「そうだぞシャラム!そんな…そんな…オスカー殿が、夜な夜な着る服など…」

「言い方…」


被さるようにイニャスさんが唾を飛ばして意見する内容が内容である。

ほら、激昂していたオスカーの顔が急にスンってなった。


「どう思われます?」

「そうですねぇ、私は寝衣、良いと思いますよ?」


女性店員さんに話を振れば一緒に面白がって乗ってくれた。

いやぁ話が分かる御人だぁ。


「別に男同士ですしねぇ」

「気にする必要もありませんしねぇ」


ねぇー、っと仲が良い友人同士のように二人揃って首を傾ける。

その茶番にオスカーが眉間を揉み解しながら深い溜息を吐く。


「まぁ冗談だが」

「冗談なのか」

「おや、乗り気だったかオスカー」


予定通り上着へと逃げる道を示してやったにも関わらず、顔を上げた男は良く見る胡乱な眼をして私をねめつけてきた。


「別に、お前に贈られるのなら否はない」

「人の金で買う安眠はさぞ素晴らしいだろうな」

「っでは!では早速!採寸を!!」

「…既製品で充分だろ」


オスカーが草臥れた声で突っ込む。

そうだよ、イニャスさんそれは無理があるよ。

上着を着せるくらいの接触を想定していたのに、そんな疚しい事考えてたのか。

見損なったぞ、僕らの友情は此処までだ。


「うふふふ、では幾つかお持ちいたしましょう。

 イニャス坊ちゃまもご一緒に選んでくださる?」

「ああとも!!」


嵐を引き連れて颯爽と離れた女性店員の頼もしさに感銘を受けつつ、ちょっとまだ不服そうなオスカーを横目で窺う。


「何だ」

「私も選ぼうか」

「…いい」

「じゃあ主様へのスカーフを選んでくるわ」

「後で一緒に見る」


何だよもう。

そんな拗ねる事じゃないだろう。

いつものじゃれ合いの範疇だろうに。


「此処に居ろ」


そこまで怯えなくとも、いざとなったらちゃんとイニャスさんから守ってやるよ。

内心を言葉にせず私は視線を外し、只管触り心地の良いジャケットを何度も撫でていたら、様子を窺うように漆黒の瞳が此方を見下ろす。


「それが気に入ったのか」

「ん?ああ、使い勝手は良さそうな上着だよな」


オスカーにも見えやすいようにラックから外し、少しだけ掲げる。

彼の手が袖口の縫製や肩回りを辿り、品物を見定める。

思いの外真剣に見る横顔。


「な、色味は少し夏には重いが」

「確かにな。それに少しお前には大きいだろう」

「そうだな、オスカーには丁度良いかもしれん。

 ホレちょっと羽織ってみろよ」


そう促せば、彼は素直に着ていたジャケットを脱ぎ、私が構えた品に袖を…。


「 な ん と ! ! ! ! 」


イニャスさんの怒号が響いた。

いや、歓喜の悲鳴か。

だからこれだけでも充分ご満足いただけると思ったのだよ。

何故採寸など欲を出すかねぇ。


「…どうだ」

「おう、肩回りは」

「ちょっとキツイ」


オスカーはイニャスさんの反応を無視する事にしたのか、私に向けていた背をくるりと彼へ向け直して試着の様子を私に見せる。

うん、確かに腰回りの縫製が細身なのは良く似合う。

重い色合いもオスカーの雰囲気だと、夏でも重いというよりかは涼し気に見えるから不思議だ。


「確かにオスカー向けの型や色合いだよな、いいじゃん似合うよ」

「うふふ、そちら夏向けですので軽いでしょう?」

「そうですね」

「でも肩回りが気になる?」

「貴族向けだからだろうな」

「でしたらベストは如何でしょう」

「あー、いいじゃん」


歓喜に打ち震えるイニャスさんを押し退けて女性店員が私達へ売り込みをする。

並びで置いてあったベストをさっと抜き出し、ボタンを外してオスカーへ手渡す。

其処までされてしまうと断る事も出来ないのか、彼は先程よりもやや緩慢な動きでジャケットを脱ぎ、イニャスさんの呻き声が漏れ聞こえ、すぐさま機敏な動きでさっさとベストを着た。


「ボタンを…留める時の、やや俯く横顔…!」


イニャスさん、声に出ているよ。

オスカーがすかさず顔を上げて真顔で前の壁を見た。


「ん」


着終え、また私の方へ真顔で見せてくる。

なんだその感じは。

大きい息子が母親に試着姿を見せるみたいな態度だな。


「ふ、いいんじゃないか?」

「細身過ぎないか?」

「普段着ない型だからな」


私はこれくらい身体の線に沿う縫製だと武具が取り出し辛いので着れないな。


「気に入ったなら買ってやるよ」


此処の会計はイニャスさん持ちになりそうだが。

こんだけサービスしてやったんだ、二つ返事で贈ってくれるぞ。

そんな私の考えを見抜いたのか、オスカーは静かにベストを脱いで元のジャケットを着込む。


「いや、またにする」


丁寧な仕草で試着していたものを女性店員に返せば、今度は持ってきてもらった寝衣を差し出されてちょっと唖然としているのが面白かった。

忘れてんじゃないか。

そうだよ、まだ終わりじゃないぞ買い物は。


店員が持っていたのはオーソドックスな上下セットが二つ。

実に寝衣らしい、所謂オープンカラーとバンドカラーと呼ばれる襟の形をしている品物だった。

色味はバンドカラーの方がやや明るめである。


見比べる私達の前に、ずいと一歩出てイニャスさんが手にした品物を差し出そうとするのを、目にも留まらぬ速さで女性店員が抑えて下がらせた。

凄い、この人凄い。


まぁ既製品だしそこはオスカーの好きに選ばせることとし、私はイニャスさんが握り締めた品物をこっそり見せてもらった。


「ぶっ」


彼の髪色のような夜闇を思わせる艶のある漆黒の生地だが、なんと胸元が大胆なブイネックである。

胸の谷間ががっつり見える型の貫頭衣だ。


「イニャスさん…これは、ダメだよ」

「何故だ、絶対に似合うだろう」


どこの囚われた姫だよ。

月の美しい夜に窓辺に座ってそうだわ。

やべっ自分で考えてはまり役過ぎて笑えて来た。


「…おい、シャラム、大丈夫か?」

「ふ、大丈夫、ふふ…持病の癪がな」

「大変だな」


気の毒そうに背中を摩ってくれるが、主にキミのせいだよ。

はー面白い。

着せたいなぁ、着てくれないかなぁ、無理かぁ。

これ着せたオスカーをデボラの前に放り投げたら流石に食いつかなさそう。

…いや、分からん、行くか?


「シャラム?」

「おう、どっちにするか決めたか」


癪から立ち治りオスカーへと向き直れば、彼は少し困ったような面持ちで満面の笑みを浮かべる女性店員を横目に見ていた。

おいこの短時間で何が起きた?

お前は本当にネタに尽きない人物だなオスカー。


「その…細身の型だから、上だけでも試着してみた方が良いそうなんだが」

「ああまぁ、試着は基本だよな」


嘘である。

いくら細身の型だからと言って寝衣がそんな訳ないだろう。

騙されているよオスカーくん!正気になって!


真顔でさも当然のように頷く私だが、彼はまだうろと視線を彷徨わせている。

世間知らずが此処で仇になったなぁ。

さてこの好機、イニャスさんはどう出るかな。


「いくら細身の型とは言え寝衣は試着せずとも良いと思いますよ」

「だよな」


おっとーーー!?

イニャスさん!此処で真っ当な意見を述べ、オスカーの安心を勝ち取りに行った!

女性陣(うち一人は従僕)の揶揄いから逃れる道を標され、安堵したのか少しばかりオスカーの表情も緊張が抜けて柔らかいものになる。


「うっ」


頑張れイニャスさん!傷はまだ浅いぞ!


「…で、すが、生地の肌触りの良さを実感して頂いてから、購入してもらえれば、人に勧める際にも良い言葉が出るのも事実です」


おっとー?!イニャスさん意外と策士!

此処に来て別方向から試着を進めるという手法に出ました!

成程、と納得しかけているオスカー!キミは!ちょろい!!


「確かにそれもそうだな。

 シャラムもゆくゆくは主様に勧めるつもりなんだろう?」

「ん、そうだな」


寝衣や寝具については此処の生地は夏場に良さそうだ。

しかも丈夫そうだし、辺境領での夏も重宝しそうだと思う。

恐らくオスカーもそう感じているからこそ迷っているのだろうなぁ。


「上だけ羽織ってみるか」


イニャスさーーーん!!!良かったね!

お宅でオスカーが生肌を晒すよ!念願叶ったりだね!!


「では此方にどうぞ」


すかさず良い笑顔の店員が奥の試着専用の部屋へ私達を誘う。

その間、彼の意欲を落とさないように私は細心の注意を払い、どちらの寝衣にしたのか、触り心地の良さなどそりゃあもう弁舌を振るいましたとも。

段々試着に乗り気になるオスカーが哀れで可愛い。

なんだこの可愛い生き物。

周りを囲むのは敵ばかりなのに、暢気な。


あくまでも我々は貴族ではなく従者の身分だからか、通された試着室は衝立で仕切られている程度の小部屋だった。

いや、寧ろ坊っちゃんを思ってこの部屋にしたのか。

衣擦れの音、ドキドキしちゃうね。


だが此処はオスカーが上手だった。

着替える物音を堪能されないようにずっと私に話し掛けていた。

残念だったね、イニャスさん。

そう思って視線を寄越したが彼はオスカーの声を聞くのも好きみたいだ。

終始恍惚とした表情をしていてちょっと引いた。


「ああ、そっちにしたのか」


衝立の奥から出て来たオスカーが着ていたのはオーソドックスなオープンカラーの寝衣だ。

暗色ながらも光沢のある布地は日焼けしていない彼の肌を引き立てる。

良かったね、イニャスさん。

ほら鎖骨のサービスカットだよ、堪能しな。


「やっぱり着心地が良いな」

「肩回りも余裕そうだ」


少し摘まんでも余裕があり、手を離せばトロリと彼の身体に生地が沿う。

私程ではなくとも彼はヴュルテンベルク辺境伯家の従僕だ。

それなりに武術訓練を行っている身体は引き締まっているのが分かる。

イニャスさんが評した長い手足だが、袖足らずにもなっていないようだ。

きっちり袖口も触って確かめる私に彼が小さく笑う。


「触り心地も良いだろ?」

「何回洗ったら失われるのだろうな、この触り心地」

「お前はまた…そういう…」


現実的と言って欲しい。

洗濯する使用人が気を揉みそうだ。


「ホラ、試着して良かっただろ」

「そうだな」


イニャスさんも幸せそうだし、お会計は心配しなくて良さそうだし、私もほくほくである。

何よりオスカーが満足そうだ。

これぞ絵に描いたような大円満である。


と、ならないのが我らが愛されオスカーである。


「いっ」

「オスカー殿?!!」


衝立の奥に戻ってそう暫くしない内に、小さな呻き声が上がった。

それに素早く反応したのは物悲しそうに衝立の傍を徘徊していたイニャスさんだ。

彼はすぐさま姫の元に駆け付け衝立の中に消えた。


何事かと私が暢気に衝立の奥を覗いたら、青い顔をしたイニャスさんと片手で私を追い払うオスカーの背中があった。


「何でもない、引っ掛けただけだ」

「…ああそう」


呆然としているイニャスさんの手首を掴み衝立から引っ張り出す。

可哀そうに、余程衝撃だったのだろう。

イニャスさんは言葉を無くし、か細く首を横に振り私に訴えかける。


「せ、背中…爪痕……」


私はわざとらしく、そっと口に手を当てた。

それこそまさに『あらぁ』と言わんばかりのポーズをとる。

その反応を見て、泣き出さんばかりに打ち震える彼の大きな背中を数度軽く叩いてやる。


(いや、服の上からだったから大丈夫だと思ったんだが…)


これに関してはオスカーの計略の内であったのかどうかは謎である。

ただ、その後のアロイーズへのスカーフ選びの間、イニャスさんは終始呆然としており買い物が静かに穏やかに遂行出来た上に、約束通り連れて行った食事処の肉も果物たっぷりのスイーツもオスカーは大変満足げに食べていた事を述べておく。

魚介は買い忘れた。

それくらい私も衝撃的だった。



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