45:十六歳の休日
区切るタイミングを見失い長めになっております。
「―――次の休暇ですか?丁度明日ですね」
朝食を済ませたばかりの時間帯、久々にオリアーヌからの呼び出しを受けた。
女性より男性の方が身支度には時間が掛からないとは雖も、学院に向かうまで然程猶予が無い。
そんな中で呼び出しとは何用かと慌てて来てみたが、案の定部屋の主は悠々としており、嫣然と微笑む彼女を見ていたらすっかりこちらの焦りは掻き消され呆然としてしまう。
昔語っていた王都のタウンハウスの自室に通されたのは今回が初めてだ。
丁寧に飾ってある、可愛らしい置物やぬいぐるみは少し幼い印象を受ける。
寧ろ、見せるために此方に来てからも物を入れ替えていなかったのかもしれない。
そういえば忙しくしていて「今度こそタウンハウスの部屋を見せるわ!」とい口約束を果たせないままでいたのを思い出す。
何処となく残るあの頃を彷彿とさせる空気に、密やかに胸が温かくなった。
私が贈った色ガラスの一部が、日差しを受けて柔らかな色を壁に映し出しているのを見るのは切なさすら呼び起こす。
不躾にも視線を巡らせた使用人に部屋を主は窘めるでもなく、目が合えば悪戯が成功した子どものように密やかな笑みを浮かべていた。
呼び出した御本人は豪奢ながらも品の良い椅子に腰掛け、それだけで絵になる。
ジョンブリアン色の豊かな髪はまるで光の幕のように彼女の周囲をより輝かせ、勿忘草色の鮮やかな瞳を縁どる長い睫毛が揺れる度に嘆息が零れそうになる。
私の中での「傾国の美女」はオリアーヌだ。
贔屓目があったとしても大抵の人間は同意してくれる意見である。
辺境領ではもう少しのびのび過ごしていたが、かの地よりも外で動き回る事を自粛しているのか淑やかさを増した彼女の佇まいは深窓の御令嬢、いや姫君を冠するのに相応しい。
さて、こうして個別に私を呼び立てたのは部屋を見せる目的だけではない。
表向きの理由がある筈だ。
それがアロイーズへの言付けかと思っていたのだが、彼女の取り巻きの様子を見るとどうも違うようだ。
オリアーヌの傍らに控えていた筆頭侍女から投げ掛けられた質問は予想外の内容で、思わず面白味も何もなく素で答えてしまう。
無駄にアンニュイな空気を醸し出していた彼女は、私の休暇が明日だと聞いた途端、被っていた猫を剥いで此方へ投げ付ける勢いで喜色を全面に出し更には身を乗り出す。
「まぁ!そう!丁度良いわね!」
ここで「何が?」と口を開かないのが使用人である。
私はしがない従僕です。
「良かったですわね、オリアーヌ様」
「あっ…でも、シャラムにも都合が」
オリアーヌの筆頭侍女であるベルナデッドがわざとらしく彼女に微笑み声掛ける。
だが美しい主人は、先程の明るさを急激に萎れさせ、いじらしく淡い唇を尖らせていた。
そして媚びるような視線でちらちらと此方を伺う。
茶番だ。相当暇を持て余してるなオリアーヌ。
「折しも明日は学院も休みですね、オリアーヌ様は茶会のご予定などが?」
「いえ、街へ降りる予定ですわ」
「良いですね。
王都に到着されてからまだ街に降りていらっしゃらなかったでしょう?
我が主も同様に息抜きをして欲しいところです」
「アロは明日何をするって?」
「邸で読書をするそうですよ」
私とオスカーを同時に休ませる為に、である。
辺境領では従僕が他にも居るので我々が休みであっても執務が滞る事は無い。
だが王都のタウンハウスにアロイーズは全員を伴う事は無かった。
良い所の嫡男がそれでいいのか。
まぁ大概身の回りの事は一人で出来るのが、ウチの主様ですがね。
それにしてもである。
そういう訳で従僕が二人同時に休暇を言い渡されるのは王都に来てからは初だ。
私としては休日は交互で構わないのだが。
それでも主がそうすると決め、邸に籠り、他の者に身の回りを頼むというのならば私達に否は無い。
オスカーがその点に頓着しないのが意外である。
「そう、アロも外出しないって事は、シャラムも?」
「身は空いておりますよ?御供致しましょうか?」
「いいの?!」
いや、それ待ちの下手な芝居でしょうに、オーリ。
幼い頃から読書家で色々な物語を読んではあれこれ憧れる、可愛らしさは今なお健在である。
だが芝居は上達しないようだ。
寧ろ年々わざとらしさが増している気がするんだが。
そんな主が可愛いとか思ってるのかな、ベルナデッドさん。
分かるが。こんな下手芝居見せるの私相手くらいしか居ないからね。
可愛いよねわざとらしくて、にこにこしちゃう。
表情筋動いて無いけど気持ちは伝わっているのか、ベルナデッドさんも満足げだ。
「んんっ…ま、まぁ別に?荷物持ちが欲しかったところだし?
シャラムがそんなに言うなら連れていってあげてもいいわよ」
ただなぁ、演じさせる役割がさぁベルナデッドさん選書本の人物なのがなぁ。
これ随分前に読ませていたツンデレお嬢様の真似じゃん。
『これは絶対オリアーヌ様がやったら可愛いと思います。思いますよね?』って辺境領で圧強めに私へベルナデッドさんが熱弁していた役じゃん。
主で遊ぶなよ、仲良しだね。
本題は明日の誘いのようだし、確認が取れたのならもう良いかな。
オリアーヌの後ろに立つフラヴィとイネスの眼が怖い。
何でこの二人追い出しておいてくれないかな。
まだデボラさんの方が無害だよ、私には。
明日は彼女ら連れて来ないでねオーリ。
「荷物持ちでも麗しいお嬢様の供が出来るのなら幸甚です」
「ふふん!感謝なさい!」
「良い休日になるよう尽力いたしますね」
ねー、久々の御供だねー。
オリアーヌが目に見えて嬉しそうに笑うのが途轍もなく可愛い。
王都に来てからまだ殆ど一緒に過ごせていなかったし、私も随伴は嬉しい。
今日一日は翌日の予定に思いを馳せるだけで頑張れそうである!
心無し弾んだ足取りで主の元に戻れば、何用だったのかと目線で問われる。
「明日、オリアーヌ様の供で出掛けます」
腰掛けていたアロイーズが無言でオスカーを見上げた。
その視線に釣られ、私もオスカーへと顔を向ける。
何故そんな不服そうな顔をしているのだねキミは。
視線がやたら剣呑なのだが。
「羨ましいだろう、だが代わらん」
「シャラム、それ以上オスカーをいじめるな」
「は」
主様が止めるならその通りにいたしましょう。
学院で待機中にいじめよう、いや、揶揄おう。
そう思っていたのだが、学院に馴染み始めた子女達が休日の誘いをしようと主様に群がるのを蹴散らすのに忙しくてそれどころじゃなかった。
ええい!散れ!散れ!
アロイーズに同年代と交遊をして欲しい気持ちは山々だが、私は明日何としても休みを死守してオリアーヌとお出掛けをするんだ!!
ちゃっかりジスラン殿まで混ざるな!つい先日を忘れたのか!
イニャスさん!手綱をちゃんと握ってください!転がし転がされることで生まれる絆は不要だと断じたのは貴方でしょうに!
しかもこんな時に限って例の御令嬢が突撃をして来るもんだから、まー困った。
珍しくオスカーのあたりも強くなってしまうものよ。
何より、アロイーズ様は我々が常に随行しているから一人きりになる事はほぼ無いが、彼女は一人になりすぎではないか?
お預かりしている貴族子女に万が一でもあったらたまったもんじゃないのでその辺りの警備は学院も力を入れているため安全とは言え、年頃の御令嬢が他の男もうろつく校内を無防備に歩き回るのは窘められて然る不用心さだ。
殊更彼女は目立つ容姿をしているのだから一人にするべきではない。
というか目立つからすぐ見つかりそうなのだが。
厩の時もだが、周囲の人払いがされているのも奇妙だ。
元よりアロイーズが寄り付く、通る場所が人通りの少ない場所なのもあるが。
それにしたって偶然が重なり過ぎだろう。
ハッキリ言って、貴族子女が二人きりになれるのは周囲のお膳立てと本人の意思が無い限り起りえない状況だと思うよ。
可能性として考えられるのは、彼女の侍女たちが人払いをし、主人が目的の人物に接触をしてから頃合いを見て探しに来た風を装い回収する流れとなっているかだ。
あり得る話ではある。
ただ、あまりにも品の無い行いでもある。
こういうのはちゃんと人目のある場所で交遊を持って、本人達の意志の上で成り立つものだ。
そしてわざわざこうした公の場で行われる行為ではない。
つまり大概は、夜会などで主催に話を通し密会する人の手法である。
それを最近台頭してきた家とは言え、腐っても貴族階級の嫡女に行わせるか?
他所の話だとしても頭が痛くなる話題だ。
「はぁ」
思わず溜息が漏れる。
勿論主様の前では無い。
既に就寝の挨拶をし、夜警に引継ぎをして自室へ下がる途中。
その廊下でつい気が緩んで零れてしまった。
物珍しいものを見るようにオスカーが視線を寄越しているのが分かる。
「流石に疲れたか」
歩く度に微かに揺れるランプの薄明りに、並んだ二人の影も揺れる。
「精神的な方でな…オスカーは?」
「明日は休みだと思えば、疲れなど感じないな」
「珍しい。楽しみな予定でも入れたのか」
休みの日は専ら読書か寝て過ごしているインドア派なのに。
オスカーと謂えど、流石に王都に来たら外へ出たくもなるものなのか。
私は辺境伯領の自然の方が魅力的ではあるがな。
そんな事を考えながら自室の扉を開く。
「予定を入れる予定だった」
「は、まさかオスカーのこんな下らない言い回しで笑ってしまうなんて」
不覚だ、と言葉を続けようとした背中をぐっと押され、たたらを踏む。
あれこれ前もあったぞ。
既視感が凄い。
後ろ手でオスカーが私の部屋の扉を閉める。
あの時と違い、彼の顔を覆い隠す外套はない。
「休みをわざわざ合わせて頂くように頼んだのに」
「……それは、まぁ、ごめんな」
ああそうか。
忙しくしていて、構って無かったのは此方もだ。
鍵のかかる音が虚しく響く。
「しかしこれを機にだな」
「そういう言葉が、聞きたいんじゃない」
ランプを机上に置くや否や、言葉を飲み込むようなキスをされる。
ああ、何時から当然のように彼と唇を重ねるようになったのだったっけ。
本当に最初は、そういうのじゃなかった筈なのに。
「…二か月振り?」
「三か月以上だが?」
ああそうかい。
マジでデボラにパクっとされれば良いのに。
絶対、そっちの方が。
余計な世話を考えていたのを感じ取ったのか、執拗な口づけが続く。
手は忙しなく物騒な暗器を器用に外していくのも怠らない。
「明日早いのだが?」
「起こす」
だから黙れと、逃げ回っていた舌を追われ吸い上げられる。
いつの間にか互いの官能を引き出すキスの仕方を覚えてしまった。
それくらいには何度も私達は。
耳裏の小さな傷跡を舌が這う。
水音に交じり、掠れた声で私の名前を囁く。
「シャラム」
オスカーは私の本当の名を知らない。
込めた想いも話した事はない。
なのに、彼が最中に呼ぶ声はまるでその名前が本物のように聞こえる。
「シャラム」
普段、無表情だと言われつつも、耐え忍ぶ表情は出ているのだろうか。
恥ずかしくて聞いた事はないが、恐らくそうなのだろうと思う。
薄明りの中、オスカーはいつも陶酔した目で抱き上げた私を見上げる。
その瞳を見る度に侍女たちの噂話を思い出す。
冷静な彼が情に溺れ濡れた眼が見たいのだと。
さぞ、色っぽいのだろうと。
確かに、空恐ろしいよ。
「オスカー」
キミの温もりを拒めなくなってしまうほどに。
柔らかく、優しい指使いで頭皮を撫で摩る。
少し硬めの感触、指の重み。
心地いい。
短くしても毛質は変わらずすぐ寝癖が付く。
それを揶揄うように、何度も、何度もゆったりと撫でられる。
「時間だぞ、起きなくて良いのか」
その手は完全に寝かせに掛かっているだろう。
生え際から耳へ、掌全体で撫で付けられれば吐息は枕に静かに沈む。
心地いい。
背中もあったかい。
安心する。
「………外出せず、俺と過ごすか?」
耳朶に注ぎ込まれた掠れた声。
『外出』という単語に反応して飛び起きた。
「今何時」
「まだ朝食前の鐘だ」
「寝過ごした」
早朝に走り込みやら鍛錬をやっておこうと考えていたのに、今からでは到底そんなことをしている時間はとれない。
何故起こしてくれなかったんだお母ちゃん!
いや多分声は掛けられたかもしれない。
だが結果は今こうしてやっと起きたという事実のみ。
清拭してくれたのか肌はサッパリしているし、シーツも変えてくれてある。
全くお世話のプロですね!
此処まで全部してもらったのに記憶が無いのも久々だよ!畜生!
私はベッドから素早く降りて洗面台に行き顔を洗う。
鏡に映った生え際が、少し地毛っぽくなっているのを見つけ、そちらも忘れていたと気付く。
足早に居室に戻り晒を巻いて肌着を着込む。
その際に二の腕の内側に鬱血痕を見つけ、ベッドの上の男をねめつける。
「すまん」
「詫びとして帰ったら髪染めるの手伝え」
「ふ」
強請るネタが無くとも手伝わせるつもりであったのを見透かして、オスカーが小さく笑う。
髪を下ろし、無防備に笑う彼は自然体で可愛い。
「何でもする。だから早く帰って来い」
「ふ、素直」
珍しく飾らない本音に、今度は私が小さく笑い声を漏らす。
視線は交えない方が多分、良い。
笑い方が似てきたと思っているのは私だけじゃない。
何時までも人の着替えをじろじろと見られるのは気分がいいものでもないが、それを制止する気を逃して、何となく私は黙って身支度を進める。
衣擦れと、時折刻む硬い靴底が床を叩く小気味よい音。
戸棚の開閉をする度細く軋み、金物の擦れる小さな物音が狭い部屋に満ちる。
窓の外は小鳥が囀り、目に見えるような朝靄の匂いがする。
「朝食いる?」
「いい、寝る」
鍵を外す音に負けるくらいの、か細い返事。
ベッドの上にはしなやかできれいな白い背中が横たわっていた。
腹が立ったので大股でその背中に近づき、被さる様にその寝顔を覗き込む。
私のついた掌の重みを受けて、ぎしりとベッドが軋む。
「『いってらっしゃい』は?」
「…」
私の影の中には滅茶苦茶不機嫌な顔。
「『楽しい休日を』、でも可」
「…」
あえかにオスカーの唇が蠢くも音は発さず、不貞腐れて枕に顔を埋めてしまう。
もしアロイーズが見ていたら過剰反撃だと呆れているだろうから、此処までにしてやろう。
さらりとその黒髪を一撫でして身体を離し、今度こそ部屋を後にする。
全く。
我慢しきれず甘えて我儘を言いたいのなら言いきってしまえば良いのに。
そういうところが彼は不器用で、幼い。
(もっと割り切ってしまえれば生きやすいのだろうに)
初めての触れ合いは互いに言い訳があった。
でも今は、互いに言い訳を探しているような関係で。
『何方ともなく終わる』を望むのならオスカーから、と願う私は卑怯だろうか。
磨かれた窓ガラスに『私』が映る。
黒く染め上げた短い髪、到底女の長さではない。
何を考えているのか分からないような表情の抜け落ちた顔。
短い眉、化粧で隠した隅と血色。
身体だって至る所、訓練により傷だらけだ。
特に左足には大きな裂傷痕がある。
だが『私』へ意識を沈めれば沈める程、浮かび上がるのは優しく唇を当てる男の姿。
短い髪を丁寧に梳く指先。
悦びを示さずとも、それで構わないと物語る瞳。
化粧が剥げた眼窩をなぞり労わる優しさ。
筋張った足に走る傷跡を撫で摩る大きな掌。
ちょっと高めの体温、肌の香り。
(…頭を、冷やそう)
朝食を摂ろうと厨房に向けていた足先の向きを変える。
今日、オリアーヌが使用する馬車の点検や馭者と馬の確認をする事にした。
詰め所にも顔を出し、警備として随行する兵士とも打ち合わせをし、幾つか留意点を確認しては行程を見直す。
「――と、畏れながら変更を進言いたしたく」
「仕事熱心ねぇシャラム」
ベルナデッドさんを呼び出し、オリアーヌの部屋の前で打ち合わせをする。
今彼女は朝食中だ。
うん、私もお腹空いたな。
「お嬢様が随分練っていた計画だから貴女が乗り気なのは嬉しいわ」
「道理で。興味深い行先ばかりでした」
「ね。お嬢様は相手を喜ばせるのが好きな可愛い御方」
「美しい御心を健やかにお育てになったベルナデッドさん達の優しさですね」
彼女は計画書に落としていた視線をちらりと上げ、穏やかに口元を緩める。
「シャラムも偶には私に甘えても良いのよ?」
「では早速なのですが」
「ふふ、随行者なら安心なさいな。見たでしょう?
今日はデボラと私が行きますよ」
「それもありがとうございます」
ほんと姐さんの配慮助かるわー。
オスカーも良かったね、ゆっくり休め。
「『それも』?」
「何か分けて下さい」
直立しまっすぐに進言した己の腹から、くぅと泣き事のような音が鳴る。
数度目を瞬かせたベルナデッドさんは弾かれたように笑うも、淑女らしく手元の書類で口元が見えないように遮るから流石だ。
「ええ、ええいいわよ、働き者のシャラムだもの。待っていなさい」
「恐縮です」
生きていれば、マノンもベルナデッドさんと同じ年齢だ。
二人はそれなりに仲も良かった。
だがどこか垢抜けているベルナデッドさんは、マノンにとっても姉のような存在のように私には見えていたのを覚えている。
ストラス邸の陽が差す、自慢のお茶会室。
白い茶器を囲み小声で話しては顔を緩める二人の姿が懐かしい。
(ああ、本当、何で最近こんな、思い出すのだろう)
感傷的な気分をも飲み込むように、焼き立ての柔らかいパンを控えの間で荒く咀嚼し嚥下する。
乾いてささくれ立った喉を水で潤しても胸のざわつきは収まらない。
こんな気分で長く居たく無くて、早く誰かと他愛もない話をして気を紛らわしたくて、不躾だと分かってはいるものの早々にオリアーヌの居室へ挨拶をしに向かう。
朝食を終えてまったりと食後のお茶を愉しんでいたオリアーヌが、入室を許された私の姿を目にしてことりと首を傾げた。
「あらシャラム、その恰好で行くの?」
「何か支障が?」
「以前買ったドレスで来ると思ったのに」
オリアーヌのこの言葉にデボラが噴出しそうになった笑いを堪える。
そうですね、辺境伯領での随行の際にアナタたちが悪乗りして私に買い与えたふりふりドレスなんてものもありましたね。
あんなもん城の自室に置きっぱなしですわ!
「気が回らず申し訳ございません。デボラ、私にも侍女服を」
「私のではサイズが合わないでしょうに」
主に胸周りがね。がっぱがぱだよ。
クスクスと上品にベルナデッドさんが笑い、オリアーヌも楽し気に肩を揺らす。
「この恰好ではご一緒を許されませんでしょうか、お嬢様」
「お前の肩身が狭く無いのなら、構わないわよ」
「荷物持ちですから幅を取る事は無いように努めます」
「殊勝ね。その姿勢を買って、店で何か見繕ってあげようかしら」
「ま!オリアーヌ様、なんてお優しい」
「愛らしい刺繍が入った棚飾りの布なんて如何かしら」
「いいわね、季節を先取りしましょう」
おいおい、まだ店にも入っていないのに買い物している気分だぜ。
こりゃ荷物持ちとして馬車待機は許されず、店内まで付いてこい展開ですね。
分かりましたよ、お供しましょう。
オリアーヌの買い物を見るのは楽しくて好きだから良いが、他の侍女に悪乗りされるのがちょっとめんどくさいんですよね特にベルナデッドさん。
何気にちょくちょく弄ってくるから。
さっきだって『棚飾りの布』ってなんだよ、荷物持ちどころか荷物棚扱いか。
そりゃあね、幾ら双子兄の従僕だからって、私ばかりがオリアーヌと仲が良いのは外聞的にも良くないからこうして牽制まがいの嫌味を言わなきゃいけないのも分かるけどさ。
楽しんでますでしょ、ベルナデッドさん。
なのに出先で揃いの品とかオーリに勧めるんだよ、性質悪い。
お陰でしどろもどろする私を見て、他の侍女は私がオリアーヌに懸想しているなぞ毛ほども噂にしないようには刷り込み出来ているのだから凄いが。
因みにオスカーはオリアーヌにはちゃんと距離感を持って接している。
寧ろもうちょっと仲良くしても良いんじゃないの?ってくらいの距離感がある。
いや私とオリアーヌの距離感が可笑しいのもあるが。
アロイーズと同じ程とは言わんが、もうちょっとこう、ソフトな対応を見せても罰は当たらないと思うのだがオスカーはそこらへん真面目だ。
ま、そのせいもあって私がこうしてオーリと出掛けられるのだがな。
早目にオリアーヌの元へ顔を出したが出立を急かすでもなくただただくっちゃべりつつ時間は過ぎ、予定通り馬車に乗り込み四人で街へと繰り出す。
ごめんねデボラ、隣がオスカーでなく私で。
女四人(うち一人は従僕)が馬車に乗れば、まぁ話題は尽きない。
服や雑貨の流行についてから始まり学院での人間関係。
そして当然のように恋愛の話になる。
と、言っても然程夢に満ちた話ではないのが世だが。
「やっぱり大概の名家令嬢は婚約済みなのよね」
「王子殿下の婚礼が来年ですから」
「寧ろ残っている方ではありませんか?」
「ああ…シュゼット様やゾエ様よね」
オリアーヌが挙げた二名は、古くはないものの中堅の侯爵家令嬢だ。
どちらも王都に程近い領地を賜っており、武よりは文官系の家である。
代々城勤め、遡れば一端だが大臣になった人物も排出しているので、王子の婚礼が差し迫る現在でまだ婚約者を彼女らが定めていないのは少し不思議だ。
王都に近い領地の貴族こそ、王族の婚姻と自らの婚姻の時期は重なる。
「どう?デボラ」
「シュゼット様やゾエ様は学年が上ですからねぇ」
「シャラム」
「私としてはゾエ様でしょうかね」
「ふぅん、それは何故?」
任せてくれよぉオーリ!私はちゃんと頼まれた仕事をしていたよ!
同年代は勿論、ちゃんと上の学年も、何なら年齢の近い姉妹の情報もせっせと集めたさ!
「シュゼット様は長年アンヴァリッド公爵家のイザイエ様に想いを寄せられていると」
「まぁ、そうなの?やだ、だっててっきり………んん、知らなかったわ」
オリアーヌ、社交でシュゼット嬢にお会いしているのかな。
というか『てっきり』の内容を詳しく聞きたいよ私は。
「昨年の新年の宴では、シュゼット様はグレース様の派閥にいらっしゃったと記憶しておりますが」
「ええ、グウェンダル様へ熱烈な視線を送っている、あの派閥に」
「グウェンダル様」
「グウェンダル・ボルドー侯爵令息よ!」
久々に聞いた名前だ。
元気に王都でアイドルしているようだ。
「グウェンダル様なら先月婚約したのでは?」
「ええ?!!」
「ちょっと待ちなさいシャラム?!それ本当?!!」
「それこそシュゼット様の従妹姉姫様と」
「はー…?え、ちょっと待って、その御方って未亡人じゃ」
「待ちなさいシャラムその話詳しくお話なさい」
「それこそシュゼット嬢の侍女からの話ですが」
憧れていたアイドル、グウェンダル様がまさかの未亡人である従妹とそういう関係にあったとは露知らず『不潔よ!』と失恋に嘆かれたシュゼット様は、『やっぱり最初から私の運命の人はイザイエ様!』と心を頑なにしているご様子だと聞いた。
侍女よ、かなり内情の話なのだが零して良いのか。
まぁ侍女もグウェンダル様ファンだったようで愚痴りたくなるのも分かるけどさ。
はぁー、自分の聞き上手が怖い。
「でもグウェンダル様ならより取り見取りでしょうに…何でまた未亡人を」
「あの御方の世代もまだ縁付かれず、健気にお声をお待ちのご令嬢も居りますね」
「待っているだけじゃダメでしょう?」
「流石我らが御嬢様は気概が違いますわね」
「ヴュルテンベルク辺境伯領の女はそうでなくちゃ」
はっはー、ほんとかっけーな。
デボラもベルナデッドさんも深々と頷いてらぁ。
こういう強かさが王都令嬢にはあんまりないんだよね。
アロイーズに群がるのは集団だからこそ出来るのであって、抜け駆けをしようとか、どうにかこうにか縁を持ちたいという熱意は無いのだよね。
それこそほんと、アイドルと話したい!みたいな浮つきがある。
「で、それはまた後で話すとして」
話すのか。
「ゾエ様がお勧めなのは?」
「家格もそうですが、理知的で落ち着いている方でしょう」
「そうね」
「侍女の話から察するに、家長としてはアンヴァリッド公爵との縁を繋いで欲しいご様子ですがゾエ様本人にその熱は無さそうです」
「ああ…だから本人に意志を持たせれば、という事かしら」
「幸い貴家は、ヴュルテンベルク辺境伯領と王都を結ぶ街道に近い領地です。
有事の際を考えてもご家族はご安心なさるのでは?」
「…そうね、他家は、そうよね」
少しだけオリアーヌの視線が曇る。
ああ、そんな顔をさせるつもりは無かったのに。
「まぁアロイーズ様や領地の人々に影響され逞しくもなりましょう。
少なくともゾエ様の侍女はその才能をお持ちでしたよ」
我ながら、どんな才能だよと突っ込みたくなる言い回しではある。
だがオリアーヌも、まさかのデボラまで小さく笑ってくれて馬車内の空気が緩む。
「オリアーヌ様もアロイーズ様も太陽のような御方。
周囲に遍く降り注ぐ陽光は、厳しくも、温かく育てて下さいますわ」
「ご安心なさってくださいオリアーヌ様。
いざとなれば私がヴュルテンベルク辺境伯領の教えを諫言致します!」
おおデボラ姐さんよ、心強いね。
キミは確かにヴュルテンベルク辺境伯領の血が濃そうな感じはするよ。
北に嫁ぐオリアーヌと離れてしまおうとも、辺境伯領に留まりたいからオスカー狙いだっていうのも私は知っているんだぞ。
是非頑張ってくれ。
「ありがとう、ベルナデッド、デボラ。
シャラムもありがとう、貴重な情報でした」
「光栄で御座います」
「さ!私の頼もしい侍女は勿論、良い働きをした者へは褒美を与えなくてはね!」
その言葉通りオリアーヌは疲れ知らずで幾つも店を回り、並ぶ品を見ては楽しそうにしていた。
だがドレスやレースを私に当てて様子を見るのは違うだろうに。
その度にデボラが笑いながら悪乗りするのだからやめて欲しい。
ベルナデッドさんは本当に飾り布を持ってくるし。
でも楽しかった。
心地良い充足感を寿ぐように、空が茜色に染まる頃合い。
馬車の中で寝てしまいそうな御姫様と同乗している訳にもいかず、私は一人馭者席へ移動する。
「いやぁ良い休日をお過ごしになったようで」
馭者の男がニタニタと笑う。
それを横目で見ながら、手綱を受け取り私が馬車を走らせる。
「おや、良いのかい」
「師に馭者をさせる訳にはいきません」
「いやいや、いい後進を持ったもんだ」
どっかりと背凭れに身体を預け、緩く男が頭を振る。
ガラガラと回る車輪と喧噪が犇めく大通りを抜け、やっと静かになったところで隣のピピさんが口を開いた。
「主様へは?」
「届けましたよ」
何を、とはお互いに口にしない。
まぁそろそろ指示があるとは思ってはいたが。
「そ。どーよ学院、楽しんでる?」
「我が子が初めて砂場に出たのを見守るような心地です」
「砂場?」
「いや、危険はないと思っていても見守るだけとは何とも歯痒いですね」
「ははは、成程ね。
キミが傍に居ると謂えども口出す事もしづらいだろう」
こう言っては何だが、主人が傀儡ならば従者の言葉に踊らされてくれるのだろう。
社交場ではあまり目にした事は無かったが、まだ年若い子女ばかりだからか学院内にはそういった関係の主従を見かけることも屡々だ。
特に、従者用の控室での会話を耳にすれば良く分かる。
学院は社交場よりも、主も従者もまだまだ未熟な者が多いのだと思い知らされる。
「ところで、接触は?」
「二回ほど」
思考を切り替え、脳内では例の御令嬢との接触状況を反芻していた。
そしてやはり気になる点を幾つかピピさんに述べれば、彼女は少し考え込んだ後、乾いた唇を開く。
「遂に神の家へ招かれるらしいよ、噂だけど」
此処での主語はミレイユ・シャレット嬢。
神の家が指し示すはアンヴァリッド公爵家。
(『祈り』の話では接触は無かった筈)
「焦らすならもう少し待たせるかと思ったけど、なんでだろうね?」
「…申し訳ございません」
「ん、いいよ、まだ一か月そこらでしょ」
ピピさんはにへらと笑い、軽く手を振る。
私は視線を前に留めたまま言葉を紡げずにいた。
『遂に』、『焦らす』。
彼女が漏らした言葉から分かるのは、家格が上のアンヴァリッド公爵家から誘いを出していたにも関わらずシャレット家が断わっていたという事実だ。
それが罷り通る理由は何だ。
それだけ、ミレイユ嬢が特別な存在であったというのか。
寧ろその話を知らなかった自分の調査能力に愕然とする。
ああ、勢力図が違って見える。
ミレイユ嬢が断っていたのか、シャレット伯爵が焦らしていたのか。
此処で招待を受ける理由はなんだ。
彼女が学院に通い始めたからか?
この一か月を思い出そうにも、彼女に関する情報は殆ど薄い。
「うんうん、真面目だなーキミは。
とりあえずこれからはちょっと目を向けてね」
「ええ、承知いたしました」
滑らかに門を潜り、馬車止まりにつけ荷を下ろす。
まだ少し眠そうなオリアーヌの姿は覚えているが、その時どんな会話をしたのかは正直あまり覚えていない。
(情報は辺境伯領にいた時から得ていたのに、何故注意が逸れた)
それは自分の追いたい物ばかりを追っていたからだ。
休息を削り寝る間を惜しんで、夢を見ないように。
砂漠で一粒を探し、背後の荷を忘れていくかの如く。
踏みなれた階段、行き慣れた廊下なのに今日はやけに重く、高く、長く感じられた。
やっと辿りついた自室の扉を開く。
灯りが漏れているのも気が付かなかった。
室内に踏み入って、やっといい匂いが鼻孔から身体に染み込んでくる。
「おかえり」
「…………………まだ居たのか」
小さな円テーブルに置かれた二人分の食事。
わざわざ、馬車が着くのを見てから取りに行ったのか、スープ皿からは湯気が昇っていた。
水をそれぞれのグラスに注ぐ、無造作な仕草すらどことなく姿勢が良いから様になる。
「部屋に戻ってもやる事ないしな」
「暇つぶしが下手クソか」
そう憎まれ口を叩けども、彼は肩を竦めるばかり。
「シャラムなら暇つぶしに何をする?」
物書き机に備えていた椅子を引き寄せ腰掛ける姿は、少し窮屈そうだ。
オスカーにはその椅子は低いだろうに。
私は上着を脱ぎ、クローゼットに整えて吊り下げてからやっと小さな食卓に向かう。
少し斜に構えて座るオスカーが思った以上に穏やかに、私を見上げていた。
「…そうだなー、庭に仰向けになって寝転ぶ」
食事を前に祈りの形へ手を組む。
口では神に感謝を、心ではオスカーに感謝を。
「確かにそれはやったことが無いし、考えたこともないな…他には?」
「目的地も定めず馬の気の向くまま走らせる」
食器が微かに皿にぶつかる音。
邸でまだ働く使用人たちの足音は遠く、開いた窓から入る涼やかな風に灯りが揺れる。
「付き合わされる馬が不憫でならない」
「馬視点?」
「だが気持ちよさそうだ、どこまでも気に留めず好きに向かっていいんだろう?」
「勿論。でもオスカーって乗馬そこまで好きだっけ?」
「いや、馬視点」
「人間に戻れ」
いつも通りの他愛もない会話。
王都である筈なのに、まるで辺境伯領の城であるかのような錯覚を覚えた。
長閑で、静かで、穏やかな時間。
「うん、他には?」
「後はそうだなー、街中なら行き交う人の物語を考える」
「批評でなく?」
「もっと他愛もない…あの帽子はきっと恋人から贈られたものだろうな、真新しい最新の形だ。
ご老人の素敵なステッキは代々受け継ぐ庭の樹木から作られている、とか」
「ふ、なんだそれ」
今日は一日、髪をセットしなかったのだろう。
オスカーの緩み切った雰囲気が、私の肩の力を抜いてくれる。
「暇つぶし」
「ずっと聞いていたくなるな」
「いや実際にやると絶対オスカー、すぐに『もういい』って言いそう」
「街中に長居すること自体苦手だからな」
「長閑な田舎なら、水車や風車が回るのをずっと見てるのは?」
「あー長閑だ」
「実物見た事ある?」
「遠目で」
「でたよ、城籠り」
「興味無かったんだよ」
「以前勧めた本の中のそういう描写、オスカーの中ではどう描かれたのか気になる」
「ん?」
「見たことないもの、知らないもの。そういうのを文章で読んで空想しない?」
「んー…シャラムはそうするのか」
「うん、本を読む醍醐味、楽しい」
「俺はさらっと流してしまった部分だったな」
「お、じゃあ今度はじっくり読めるのを勧める」
「そういうところ」
「ん?」
聞き返す私と目が合ったのに、ふと逸らされる。
「いや、読むなら実際の風景が描かれてる本が良い」
「任せろ」
「シャラム」
「うん」
「飯美味いか」
「あったかい」
「味の感想じゃないのかよ」
「味の感想なんか欲しい訳じゃないくせに」
そう答えてまた一口頬張る。
うん、あったかいよ、オスカー。
「はは、うん、あったかい飯持ってきたんだ感謝しろ」
「恩着せがましいわ」
「はは」
その夜は自然と、ただ寄り添って同じベッドで眠った。
翌朝目が覚めればまだオスカーは静かに眠っていた。
細い寝息、ゆっくりと上下する肩。
うっすら髭が伸びた頬をつい、指先で撫でる。
(昨日、剃刀買い足した甲斐が合ったな、感謝しろよ)
そう内心呟いて身体を起こした。
さぁ顔を洗って身支度をして、まずは休んでしまった鍛錬をしなければ。
そうしてオスカーより一足先に仕事へと向かおう。
休日は有意義だったよと告げるのは、アロにだけで良い。




