閑話:王都の一画
「はは…ハハハッ!!ハハッ!本当にやってのけたの?!」
嗤う声に煽られたのか、灯りの炎がゆらりと揺れる。
腹を抱えて屈折する身体の影が異形に見えたのはその為だろう。
複雑な文様を刻まれた飾りガラスを嵌めた窓はあるものの、外の天気も昼夜の明るさすらも、ともすれば時間の感覚さえ朧げなこの部屋は何度入っても薄気味悪さを覚えた。
「…はー、本当にキミ達には驚かされてばかりだ」
「恐縮です」
恭しく頭を下げた男を見やり、彼はその美しい瞳を弛ませる。
「話を聞くたびに思うよ。僕の今までの行いなど児戯であったと」
そう彼は自らを語るが、聞いた話では中々に的確に相手を精神的に痛めつけていると男は判断している。
まぁそこは流石高位貴族といったところか。
だからこそこうした荒事には踏み切れなかったのだろう。
「それで?その手紙は?」
「は」
先程男が依頼者、― 正確には支援者だが ― に差し出した手紙の束を彼が見やる。
その視線は心底どうでも良いと物語っていた。
たかが田舎令嬢の手紙など、男にとってもどうでも良いものだ。
その気持ちは良く分かった。
しかし今はそれ以上の意味がこの手紙にはあった。
「令嬢の私室で部下が見つけた物となります。
その者の見解では、恐らくあの家は『鹿』との繋がりがあると」
「へぇそれは寡聞にして知らなかったよ」
染み一つない美しい純白絹の手袋で手紙を一通開き、彼は眼を通す。
伏せた長い睫毛が彩る影がちらちらと灯りに踊らされるように揺れる。
他人の文を、しかも凄惨な事件の被害者の文を読むというような行為であっても、彼が行うと何処か神秘的であり崇高にすら見えるから不思議だ。
それが彼の家に、血に受け継がれる雰囲気と言ったものだろうか。
「…随分前からやりとりをしていたんだね。
下手したらアイツとよりも親しい仲だったりして」
嫣然と嗤いながら手紙を放り投げる。
内容には一応男も目を通したが、何気ない日常を綴ったものばかりで大したやり取りで無かったのは年齢を鑑みても当然であった。
「で?これがどんな事に繋がるっていうのかい?」
令嬢が婚約者の影でヴュルテンベルク辺境伯家の嫡男と恋仲であった、というのも中々に刺激的な話ではあるものの、それを彼が知り得ている方が妙である。
勿論、社交場でヴュルテンベルク辺境伯家の嫡男嫡女と言葉を交わした事はある。
だがそれは上辺ばかりの挨拶に過ぎず、彼は彼等と親しい訳でもない。
それこそ、重要な相談事も無い年頃の子どもが頻繁に手紙のやり取りをする程の親しさとなれば、相当のものであると推察するのは容易だった。
「その者によると計画当夜に急使が訪れたそうです」
「それがヴュルテンベルク辺境伯家の者だって?まさか!」
「可能性はあります。
後計画の為に、姫様の連絡網をお借りした事が御座いました」
「そこから情報を抜かれたっていうのかい」
豪奢な背凭れに身体を預けたまま彼が美しい瞳を見開く。
「はぁ全く命拾いしたねぇ。
僕が間に入っていなければキミ達全員今頃胴と泣き別れているよ」
「全くその通りでしょう」
つくづく辺境家はやりづらい相手だと男は思う。
しかも端とは言え、その仇敵とされている家の情報網を使うなど賭博だった。
信憑性を生み出すなら公爵の子飼いを借りたいところだったがそれは出来る訳もなく、かと言って他の家の手を使っては本末転倒であり、目的は果たせない。
この国の貴族達がどれだけ情報戦に長けているのか、その調査段階としてもまだまだ始めたばかりであるというのにこの速さである。
やはり彼の家は侮れない。
だが、それだけ公爵家が注視されているのだと改めて知る事は出来た。
「ふふっでもその急使、間に合わなかったじゃないか」
急使が危険を報せたのが当夜だったのだ。
それでは何も意味が無い。
寧ろ急使と謂えど宿敵を一人でも殺せたと思えば彼等としては良いのだろうがと、くつくつと愉快そうに嗤う彼に男は神妙な面持ちで口を開いた。
「どうでしょう」
一瞬、言われた側はその言葉の意味を理解出来なかった。
いや理解はしたが、急速に今までのやり取りが結ばれてゆく感覚に思わず言葉を無くしたと言った方が正しい。
停止しても美しい顔が歓喜の色に染まる。
「―――まさか、逃げ延びた?」
「その可能性が浮上致しました」
爆発したような嗤い声が木霊する。
灯が今度こそ激しく明らかに揺さぶられる程、部屋の空気が震えた。
煌々と照らし出される影は矢張りこの世の物とは思えない醜悪な形をしていた。
「アハハハハ!!!傑作だ!これは歌劇にするべきでは?!
いやどんな作家すらも筆をおいてしまう程だろう!ああっなんて事だ!」
激しい感情に乱れた細い髪を掌で掻き揚げ、美しい顔を露にする。
ああ、どこまでも芸術品のように美しい姿をしている。
なのに彼の心に住まうのはきっと悪魔なのだろう。
たった一人を憎悪し、不倶戴天と見做しその心が思うままに怨念をぶつけて来た。
母親殺し。
お前が生まれたから夫人は死んだのだと。
お前が生まれなければ夫人は死ななかったのだと。
そう囁き、立ち上がろうとする幼き姿を何度も蹴り倒したそうだ。
やがて怨嗟を浴び続けた相手は表情を無くした。
多忙で不器用な父親が気付かぬ間に、繰り返し行われてきた陰湿ないじめ。
元より相手も母親の死へ思うところはあったのだろう。
そう彼は語る。
ただ自分は背を押して贖罪の場にヤツを跪かせただけにすぎない、と。
「『鹿』が得たであろう情報は?」
「令嬢の暗殺計画を企てている、という一点のみです」
「天才かなぁキミ」
「後計画の仕込みとして試してはみたものの、それが実を結ぶかどうかは今後の状況次第でしょう」
「そうだねぇ。曾祖母様のものとは言え公爵家の情報網だからね」
そこいらの腑抜けた王都の貴族共が聞き耳立てられるようなものではない。
暗にそう示す相手の瞳はうっそりと細められていた。
彼だってその点に苦労をしたから、せっせとつまらない相手の元へわざわざ何度も通い、今は門番にも顔見せだけで通れる程の誼を結んだのだ。
「ああ、何て愉快なのだろう。これからが楽しみでならないよ」
「恐縮で御座います」
「噂は何時頃流すんだい?」
「間も無く。葬儀が執り行われる頃に」
「うんうん、きっと貴家は事業提携もしているから参列はする筈。
それこそ彼も王都を離れている間に…はは、ハハハッ戻って来てからの顔はさぞ見物だろうなぁ!」
折角整えた髪がまた嗤い暴れて乱れる。
重厚な腕置きに身を凭れた彼の顔が興奮で赤く染まっていた。
「ああ!婚約者が生きているかもしれないのか!しかも仇敵に救われて!
それなら辺境領に居るのかな?そこでずっとアイツを恨むのだろうか!
たかが田舎の元伯爵令嬢が騒ぎ立てたところで名誉棄損で終わるんだろうな。
ふふ、それこそアイツの目の前で処刑されてしまえば良いのに。
ああそれがきっといい、恋い慕った相手の最期の顔が怨嗟に塗れているなんてアイツにとってはこれ以上ない程の絶望だろうに!救われたと勘違いしているから丁度いい仕置きだ!分からせてやらなければなぁ!!きっと女神もお喜びになる見事な復讐譚だ!」
そう息巻いた彼の申し出だったが、丁重に男は頭を下げて断った。
流石に敵の本拠地に潜り込める程の実力が自分には無い事が分かっていた。
「なぁんだ、そう」
「まずは噂が国内に行き渡るのを見てからでも遅くはありません。
それこそ自発的に貴方様の願う歌劇が見られるかも」
「だと言いんだけどね」
さらりと絹糸のような髪を揺らし彼は微笑んだ。
ここで笑える彼はやはりこの国では異質なのだろう。
男は部屋を辞してから、宿にしている建物で一人溜息を零した。
彼が部下から報告を受けたのはストラス領だった。
仕事の完遂と、ヴュルテンベルク辺境伯家と令嬢の繋がりを示唆する手紙を持ち出した話を聞きながら歩いていた最中。
三人の身体が四散した。
肉片と臓物に塗れる事も不快であったが、何より怖気が走った。
一体何が起きたのか見当が着かなかった。
恐らく、これは推察だが、領の境界を越えたから彼等は死んだのだ。
何かの呪いのような色濃い殺意の気配が雪深い森に漂っていた。
ストラス家の呪いだ。
彼はそう思った。
彼の地元では、怨念や思念などに対する畏敬があった。
だかららしくもなく全力でその場を離れた。
巻き込まれたくない、と。
手にはしっかりと令嬢の手紙を握り締めたまま。
怨念の魔除けには死者の親しい者、肉親や恋人の遺物を身に着ける。
その習慣があったからこそ彼は生き残れたのだと今猶思っている。
「…もう、関わりたくねぇ案件なんだよなぁ」
そうぼやきながらも、彼が任された仕事はまだ完遂していない。
早く終わらせてしまおうと心に決め、眠りについた。
その夜、男は懐かしい夢を見た。
少女だ。
幼き頃に見た、サンゴ色の髪を肩辺りで切り揃えた少女。
彼女の瞳は夢の中でも特徴的で、薄紅色の蓮の花のような虹彩をしている。
声は聞こえない。
何故彼女の夢を見たのかも分からない。
ただ何処か懐かしい心地を覚えた。
彼女は誰かを、男は覚えていない。
数年前王都で話題になったストラス家嫡男達家族を襲った悲劇に泣き崩れる令嬢は今猶多かった。
参列者は声を掛けられた家だけでなく、話を聞きつけた自称縁者の者も駆けつけるという有様で、一時多くの貴族が王都を離れる事となった。
しめやかに執り行われた葬儀から戻った彼等の日常にある噂が差し込まれた。
『どうやら、ネウストラ公爵家が謀殺したらしい』
『鉱脈が思ったよりもいい商売だったらしい、金の亡者め』
『だって元よりストラス家は公爵家に声を掛けていなかったそうだ。
なのに権力で物を言わせて…令嬢と嫡男の婚約だって無理矢理らしいぞ』
この噂が広がるのは凶報よりも早かった。
ストラス領民達は既に、葬儀に参列したネウストラ公爵家の者達に冷ややかな視線を向けていたのだ。
それこそ共同事業先の事務所は暴徒化した領民に襲われ壊された。
泣く泣く逃げ延びた彼等からの報告を、帰路で聞いた公爵は深い溜息を吐くだけに留めた。
そして邸の調査をする者には決して所属を明かすなと厳しく命じたのだ。
共に報告を受けていたユーデスは顔一つ変えなかったという開発者達のボヤキがどこかからか漏れたのだろう、更にそれは燃え上がるような批難に変わった。
現当主の冷酷さも相俟って、いよいよネウストラ公爵家は畏れられた。
己が企て滅ぼすだけでは飽き足らず、焼き尽くし、更に一家の邸を漁る。
真っ当な人間の所業ではない。
そう誰もが口にしているのを知りながらも、公爵は堂々と発見された絵を出品するのだから本物の厚顔であろう。
そんな父の姿を見て育つからか、なお一層、嫡男の面持ちは冷ややかさを増した。




