41:十六歳の春
――― 心地良い春風が渡る季節、今年も貴族子女達が王都の学院に集まった。
誰もがきらきらと輝かしい期待と誇らしさに目を輝かせる様子は微笑ましい。
見守る観覧の親族達もこの時ばかりは少し毒気を抜かれるのか、穏やかな様子で彼等を見守っていた。
そんな中、密かにユーデスは一人上階から式典を覗いていた。
やがて厳かに式典が終わると踵を返し、溜息を零す事もせず淡々と面持ちを変えぬまま、静かに人気のない中庭への回廊へと歩みを向ける。
がやがやと遠くでは講堂から出て来たのであろう人々の蠢く音が聞こえた。
王都は何処へ行っても騒がしい。
静かだと思えるのは自宅くらいだ。
そう思う度に、穏やかな地で過ごした日々が脳裏を過る。
意識では分かってはいるのだが、その姿を探しに来てしまった。
どこを見渡しても彼女は居ないと思い知らされるだけなのに。
彼女も本来ならばこの春に学院へ上がる筈だったのだ。
(リーシャ)
思い出の中の彼女の、柔らかいシャモア色の長い髪が揺れる。
淑女らしい笑みを浮かべようとしているのは分かるのだが、すぐに気を緩めてしまい屈託なく笑う。
そのいじらしさと、笑顔が何時だって愛おしくて可愛らしくて。
込み上げる想いの昂りを抑えるように、立ち止まり蒼穹を見上げれば、三羽の白い鳥がユーデスの視界を横切る。
ふと、視線を戻し向けた先。
「―――――――」
懐かしく愛おしい面影を見た。
気が付けば身体はそちらへ走り出していた。
回廊の階段を落ちるように駆け下りて、渡り廊下を歩く後ろ姿を追いかける。
(幻か?見間違いか?でも、もしかしたら)
ユーデスはリーシャの最期を疑っていた。
何故なら、自分が知る彼女の悲劇とはあまりにもかけ離れていたから。
(もしかしたらリーシャは生きているかもしれない)
ずっと、独り、そう信じて来た。
(だって彼女の死因しか、私は知らない!)
何時彼女を失うのかまでをユーデスは知らない。
幼い頃、朧気に思い出した事をずっと預言だと思っていた。
(今度こそ、今度こそ、キミを守りたい!)
「待ってくれ!待って、そこのキミ!」
人通りが無いとは言えこんな大声を出すなど顰蹙を買うだろう。
だがそんな事は今は些事だと言わんばかりに、整えた髪を振り乱し息を切らせたユーデスが叫び呼び止めてもその背中は止まる事はない。
当然だろう。
主が歩みを止めないのだから。
「ヴュルテンベルク辺境伯子息!!」
ユーデスがその名を叫べば、彼はピタリと歩みを止めて美しいシャルトルーズ色の髪を揺らして身体ごと振り返った。
年に一度、新年の宴でしか顔を合わせないが、会う度に背が伸びている気がする。
今ではもうすっかり大人らしい精悍さを伴う雰囲気であるも、その異常な程整った顔が匂わす神秘的とすら言える美しさは輝きを失わない。
その彼の前に、すっと身体を差し込む姿。
ユーデスはその相手から視線を逸らす事が出来なかった。
「…何か?ネウストラ公爵子息」
アロイーズに問い掛けられてやっと、ユーデスは呼吸を思い出した。
ばくばくと身体を震わせる心音に眩暈がする。
見れば見る程、その面持ちは彼女に似ていた。
だが『彼』は、彼女と違い黒髪に近い短い頭髪で。
柔らかな弧を描いていた眉はすっと一筆刷いたような凛々しく短いものだ。
目元や鼻筋は、確かに記憶の中の彼女に非常に似ている。
でも、リーシャはこんな、感情を消したような冷ややかな眼差しをしない。
彼女の唇は何時だって温かな言葉と豊かな感情を乗せ、緩んでいた。
なのに彼は、まるでどこかで見たような真一文字に結ばれたまま微動だにしない。
小柄だった彼女に比べ、彼はアロイーズには劣るものの平均女性よりも背が高い。
背筋のせいだろうか、それとも対面するのがユーデスだからだろうか、放たれる緊迫した空気が逸る男の心音を落ち着かせた。
「………急に呼び止めてすまない」
息を整え、ユーデスがやっとアロイーズへ視線を向けると、彼は主を守らんと前に出ていた侍従を下げた。
彼は目礼をして少しだけアロイーズの後ろへ下がる。
だが、いつでも己の身を盾に出来る位置取りであると一目で分かるようにしているのは、因縁の相手の前だからだろう。
セルリアンブルーの瞳は少しだけ下げられてはいるものの、意識がユーデスに向いている事は痛いほどに分かった。
「彼と…其方の侍従の彼と知人の面影が重なって…思わず呼び止めてしまった」
「成程?シャラム、公爵子息と知り合いか?」
「発言をお許し頂けますか?」
発された声音は低く掠れたものだった。
記憶にある彼女の声じゃない。
彼女の声はもっと、鈴の様に軽やかで心地良い音だった。
「良いよ」
「は。世界には三人は似た人間が居ると聞きますので、他人の空似でしょう」
「お前はまた変な知識ばかり…まぁいいや。
ネウストラ公爵子息、そういう話ですが?」
「あ、ああ…そのようだ…」
無理に声音を変えている様子ではない。
自然と発している、彼の地声であることは良く分かった。
特殊な訓練を積んだ才ある諜報員の中には声音を自在に変える者も居ると聞くが、元よりリーシャならばユーデスに対してそんな事をする必要はない。
いや、それは余りにも、的外れな考えで在ろう。
緩く頭を振り、交わらない視線に堪えられず思わずユーデスは己の足元を見た。
「すまない…それだけ、だ」
「左様ですか。それでは」
コツリと硬質な音を立ててアロイーズは踵を返す。
それに倣い、彼も静かにユーデスの前から立ち去った。
「………」
見つめる後ろ姿も、全く、リーシャとは違うものだった。
だが彼女への恋しさからか、重なる幻影をずっと見て居たくて目が離せなかった。
「シャラム、良いのかい?」
人気の無い春の日差しが零れる静かな廊下で、ぽつりとアロイーズが振り返らずに問い掛けた。
横を歩く、侍従先輩のオスカーが物言いたげに此方を見ているのが分かる。
彼は私の素性を全て知っているのだからそんな目をするのは仕方ないとは言え、今はちょっと控えて欲しいところである。
「アロ様は何をお望みで?」
「主に聞くな、察しろバカ者」
「ならオスカー、キミが私の代わりに動くか?」
茶化すように話を振れば、途端いつも通り彼は澄ました顔を崩し、眉も眦も吊り上げ般若のような顔をする。
般若が皆には伝わらないのでいつも私はその顔を「子供を叱る肝っ玉母ちゃん」と呼ぶ。
笑ってくれるのは大概レオさんやピピさんだけで、育ちの良いオリアーヌやアロイーズもそうだがオスカーにはやはりピンと来ないらしい。
非常に悔しいところである。
「お前は本当に!これだから!」
「ははは、その辺にしておけオスカー」
「そうですよ、怒ったところで私に響きませんから」
「叱られている自覚があってその物言いか!」
オスカーはクールなのに沸点が低い。主に私に対してだが。
それが面白くてこうして茶化すのが我々三人の日常茶飯事である。
本当にキミが居るだけで空気が和むよ、可愛いねオスカー。
「全く…危機意識の薄いヤツだ」
「シャラムはねぇ、元からだよ」
「揺り籠で覚えた事は墓場まで残るとは良く言ったものです」
軽口を叩いている内に教室へ近づいたのだろう、人通りが出て来た。
私とオスカーは口を噤み、粛々と主の後ろを付いてゆく。
周辺への警戒を怠りはしないが、余りにも無遠慮にアロイーズに見惚れる学生が多くて何だか辟易してくる。
気が緩んでいるのは私だけではないようだ。
(…ユーデス様、痩せたなぁ)
元より体格が良い人では無かったが今にも消え入りそうな儚さがあった。
流石トラウマ持ちの公爵令息である。
(きっと、ヒロインに癒してもらえますよ)
私はそんな無責任な事を願いながら、見慣れぬ学院の廊下を無言で歩いた。
だが私の祈りもそこまで見当違いではないと思うのだ。
入学式が始まる前、明らかに雰囲気の違う美少女が一人居たのを見つけた。
見事な輝きを見せるつやつやと整えられた珊瑚色の髪はやたらと浮いて見えた。
ちらりとだけ垣間見たその瞳はもっと特徴的だった。
まるで瞳の中に蓮華の花を映し出したかのような虹彩をしていたのだ。
きっと、ああいうのが、ヒロインなのだろうと私は思う。
寧ろあの雰囲気でヒロイン以外だったら恐ろしい。
彼女はきょろりと周囲を見渡しながら、上階に佇むユーデス様に目を留めていた。
その横顔がとても、私には印象的だった。




