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パドマの箱庭  作者: 菌床
二章:忘れ得ぬ温もりよ
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閑話:ネウストラ公爵家


「家からの呼び出し?」

「そうだ」


執務室に常在と言って良いほど見慣れた姿が見えず、目を瞬かせながら視線を巡らす幼馴染へクロヴィスは手元の書類から顔も上げずに告げた。

それでもイザイエが不思議そうにしているのは当然であろう。


あの公爵は自分の息子である彼に対し滅多に人前で声を掛けない。

呼び出しなど、今までであっただろうか怪しい程。


そう考えると随分小さい頃からユーデスは自立していたというか、そうなって当然のように躾けられた男だったのだろうなとふと考えたクロヴィスの手が止まる。


「珍しい」


それは途中で手を止めた自分の事だろうか。

それとも親から呼び戻されたユーデスの事だろうか。

はたまた子を呼び寄せたネウストラ公爵閣下の事だろうか。


今度は執務机に座っているクロヴィスが目を瞬かせる。


「確かにな」


どうとでもとれる返事を零せば、分かっているかのようにイザイエが軽く肩を竦めて抱えていた書類を机上の山の頂上へと置いた。

ここ最近、この執務机の上が真っ平になる事は無い。


「クロヴィスも少し休めば?」

「ははは、仕事を持ってきたヤツの言葉とは思えないな」

「好きで持ってきた訳じゃないよ、アイツと違って」


皮肉を浴びせる相手もいないのに思わずイザイエがぼやくのも仕方が無いだろう。

年の瀬が目の前だというのに未だこれ程の執務が溜まっているのは異常だ。


まぁクロヴィスが学院に通い始めれば、執務時間が大きく減ってしまうのを見越して今の内にと仕事を振って来ているのも要因の一つではあろう。

卒業後に立太子する彼としてはここが頑張りどころであもある。

ただ如何せん、執務補助の側近がクロヴィスはまだまだ少ないのだ。

それこそ学院で良い人物を見極めて早急に声を掛けなければならない。


春から学院に通う目の前の人物も先んじて人材発掘を手伝ってくれるとは言ってくれているものの、クロヴィスは少し不安でもあった。


(これを機に、少しユーデスも休めれば良いのだが)


だがそれをあえて言葉にはせずただ窓の外、冬枯れの風が吹く街並みを眺める。

曇天を背負い飛ぶ鳥の影が遠くに消えゆく様はどこか悲し気で。

肌寒い季節がそうさせるのだと、一つ息を吐いて気持ちを切り替えては再び目の前に積まれた書類へと指先を伸ばすのだった。




 王都の貴族区でも一際宏大な敷地を有し、城と見間違う程の立派なネウストラ公爵家が代々住まう王都の邸は何時だって静寂に満ちている。

手入れをされた庭や一つ一つ丁寧に磨かれた東屋のベンチにも人影は無い。

玄関前に設置された噴水はこの寒さだというのに滔々と水を吹き上げ、その音だけが屋敷唯一の物音だと思える程であった。


その邸内の一角に呼び出されたユーデスは、薄暗い空を切り取った窓を背にした父親と久々の対面をしていた。


「痩せたな」

「運動量を増やします」


父から投げ掛けられた言葉に端的にそう返す。

噛み合っているようでどこかずれた会話だが、何時だって二人の間ではこうだ。


控える執事の視線は依然、やつれて青白い嫡男の顔に注いでいた。


「休んでいるのか」

「適度に」


珍しく公爵は目頭を指で揉み、溜息を零した。

だが息子は微動だにせずまるで彫像のような、呼気すら感じさせぬ薄っすらとした気配を漂わせてそこに佇むばかり。


「本題は?」


ユーデスは呼び出しの理由を問う。


傍から見れば性急にも思えるが、特段性急ではない。

彼等の会話としては、このやりとりが普通だ。

用件のみ伝え、話が終わればすぐに自分のすべき事をする。

寧ろ体調を気に掛ける何気ない応報こそ、異常なのだった。


だからこそユーデスは平常へ戻そうとした。

ただそれだけであった。


それでも珍しい事に父親は口を閉ざしユーデスのダブグレーの瞳を見つめる。

己と同じ色の瞳に何を考えて居るのかユーデスには見当もつかない。

だた見つめられるまま、その口が開くのを黙して待つ。



「先日、ストラス家が何者かに襲撃され全員亡くなったそうだ」


「―――――…は?」


元より音の無い空間であったのに、真実、ユーデスの周囲から音が消えた。

聞きたくないと身体が拒否した。


何を言っている?


「領主夫妻、嫡男の双子、そして…お前の婚約者のリーシャ嬢。

 邸の使用人も悉く襲われた挙句、邸に火を付けられ燃やされたらしい」


足元が抜け落ちた。

いや、正確には何も執務室内は壊れていない。


ただユーデスの世界が壊れただけだ。

足元で踏みしめていた、支えていた何かが一瞬で崩れ、自分の身体を真っ直ぐに保つ事が困難になっただけである。


気が付けば視界は絨毯の赤だけが占めた。

膝だけでなく、両手を付いてその場に項垂れる。


自分の心音が聞こえるのは幻覚だと誰かが口にしたのを思い出すが、事実、今ユーデスは激しく拍動する己の心音だけを聞いていた。

震える指先が、腕が、身体が、正しくそれと一致した。


「領に残っていた手の者が急使で届けてくれた。

 追加で人を派遣したから詳しい調査についてはそれを待て」


ぼたり、ぼたりと雫が落ちては赤を濃くして消えてゆく。

息一つ乱さずに溢れ出る涙だけがユーデスの支配下に無い。


何故。


そう思う度に彼女の姿が脳裏を過る。


何故?()()()()()()()()()()のでは無かったのか?


猫を必死に被って見事な淑女を装う姿。

でも自然に笑った方が、ずっと魅力的で、此方の心までも明るく照らしてくれるような温かさに満ちていた。


在り方だけでなく、その身体の温もりがどれほど。

ユーデスにとってかけがえのない存在だったのか、きっと彼女は知らない。


何年振りだろう。

人を抱き締めたのは、人に抱き締め返されたのは。


何気ない触れ合い。

手に触れる。

肩を寄せ合う。

同じ馬に跨り、身体を預けられる。

抱き締めてその形を想う。

溢れて、堪らず何度か唇でキミを象る。


愛おしい人。


ああ、事実、『未来』は現実になった。


キミは僕の『愛おしい婚約者』。



そして僕は『愛した婚約者を馬車事故で喪う』という『未来』は形を変えて、キミをこの世から連れ去ってしまった。



リーシャ。


リーシャ。


何故。


僕が、キミを愛してしまったから?



「ユーデス」


呼ばれ、のそりと顔を上げた。

未だに滂沱の涙は止まらない。


情けない息子を憐れんでなのか、見上げた父は見た事も無い顔をしていた。


「…出逢い方は褒められたものでは無かったが。

 お前にとっては良い、縁であったのに…非常に、残念だ」


リーシャとの婚約を無理にでも取り付けたのは誰でも無い、目の前に立つ父だ。

自分で取り成しておきながら、褒められたものでは無かったとは一体。


「何故、父上は…私とリーシャを、縁付かせたのですか」


当時は何も疑問に思わなかった事を今更尋ねた。

尋ねたところで現状が何一つ、変わる事はないのに。


「…ストラス家に、ヴュルテンベルク辺境伯との仲を取り成してもらおうと」


思ったのだ、と零したか細い声は、己の情けなさを恥じているからだろう。

流通を牛耳り三大公爵家の中でも特に隆盛を誇るネウストラ公爵家が、自らの力でどうしようも出来ないと投げ出した問題を他家に縋るだなんて。

そう自嘲しながらも、内心を息子に吐露するなど。


父が視線を落としダブグレーの瞳を歪ませた。


「だがお前の様子を聞いて、それ以上の物を与えてもらった事を知った」


積年の確執を解いてもらう以上の物。

そう、父が零すものがユーデスには良く分からなかった。


「リーシャ嬢だけでも、無事であってくれれば」


ただ父が何も昔から変わっていない事だけは分かった。

ユーデスはふらりと力無く立ち上がり、礼もせず執務室を出て行った。


今にも消え入りそうな息子の背を無言で見送る事しかできない父親は、長い溜息を吐いて執務机の豪奢な椅子にやっと腰を下ろす。


「…私は、また間違えたのだろうか」

「旦那様も坊ちゃまも不器用で御座いますね」

「御託は良い。兎に角ストラス家の焼け残った遺品をかたっぱしから集めよ。

 特にリーシャ嬢の私物は零すな」

「畏まりました」



このネウストラ公爵の指示があったからか、焼け落ちたストラス邸の中も敷地外の訓練場や納屋に至るまで徹底的に調査された。


そして執務室の奥、資料庫に設置された厳重な金庫が燃え残っていた事が判明。

金庫に入れるのだから当然帳簿関係だろうと開錠されたが、中に入っているものを見た調査員たちは誰もが言葉を無くした。


金庫に大切に仕舞われていたのは四枚の絵だった。


一枚はストラス家当主の結婚式を描いたとされる絵だ。

若かりし頃の夫妻が仲睦まじく肩を寄せ合い、どこか照れくさそうに婚礼服に身を包み微笑んでいる幸せそうな一幕が描かれていた。

作者は不明。署名は何処にも無かった。


そして対になっている二枚の絵。


生まれたばかりの赤子を抱いている夫婦の絵だ。

母親に抱かれその長い髪を興味深そうに指に絡める幼子は、ストラス領の湖を思わせる美しいアクアマリン色の大きな瞳をしていた。

傍に立つ父の腕に抱かれて眠る、同じ髪色の赤子と計四人が描かれていた。


似た構図で、今度は母親の腕から今にも飛び出さんと元気いっぱいな躍動感と笑顔を振りまく、領主そっくりのカメリヤ色の瞳をした赤子。

絵では珍しく苦笑している表情を描かれた夫人だが、それでも幸せそうだ。

隣の伯爵もきっと声を上げて笑っていたのだろう。

それを穏やかに指を咥え、大人しく父に抱かれ見守るもう一人の赤子。


この二枚の絵は、嫡男のギランとギレムの生まれた頃を描いたものだと分かる。

それも、それぞれ主役を別にして描かれているのは類を見ない。


そして最後の一枚は、すやすやと眠るまだ毛の生えそろっていない赤ん坊を、家族四人が取り囲んでいる絵だった。

通常の貴族ならここまで幼い姿を描く事は稀だ。

だがストラス家はだからこそ残したのかもしれない。

何故なら絵の中の誰もがその誕生を待望し、溺愛しているのが分かる眼をしていたからだ。


肉厚な小さな手。

産毛すら分かるようなまろい赤味の強い頬。

赤子独特の匂いが馨るかのような柔らかな質感を際立たせるのは、そうした見守る人々の優しくも力強い姿だった。


双子の兄達も赤子の時より随分成長してそれぞれの面立ちに特徴が出ている。

だが生まれたばかりの長女を見守る優しい目はそっくりだ。



この四枚の絵、その内三枚は恐らく伯爵が、子ども達が結婚する際に贈るものとして丁寧に保管をしていたのだろうと推測された。

一夜にして一家全滅という悲劇でただでさえ話題だったストラス家だが、この四枚の絵が発見されて更に世間の涙を呼ぶこととなったのだ。


実は当初、調査及び発見をしたネウストラ公爵家がストラス伯爵夫人の実家に相当な金銭を支払い、この四枚を纏めて引き取った事はあまり知られていなかった。

しかし後に公爵が、リーシャ嬢の生誕絵以外の三枚をオークションに出した事により世論はこの一家の家族愛を知る事になる。


そして以外にもこの三枚を纏めて競り落としたのがヴュルテンベルク辺境伯家だ。


どうやら亡きストラス伯爵家の家族愛に酷く胸を打たれたらしい。

そう周囲に零しているのを風の噂が運んだ。

あの堅物が、と王宮貴族達は噂するものの、より家族の喪失に近い場所にある領地だからこそ感じ入るものもあるのだろうと誰もが納得はした。


ヴュルテンベルク辺境伯領の城に飾られているそうだが、訪問した使者も客人も誰も見た事がないそうだ。

恐らく家族用の茶室にでも飾っているのだろうと誰かが言った。

しかし感動したからといって、自家の茶室に他家の家族絵を飾るだろうか。


そう疑問に思えど誰もそれ以上追及はしなかった。




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