閑話:ストラス邸 執務室前廊下
「ギレム様!」
息切らせ侍従が投げ寄越した剣を受け取るとほぼ同時に抜き出し、振り下ろす。
廊下の角で出くわした相手が痛みで怯んだ隙を見、強かにその腹部を蹴飛ばし眼前から押し退けるも、その後方から次々と沸いて出てくる賊にギレムは顔を歪めた。
「使用人通路でもこれか」
であれば正面階段からの通路はもっと賊の数が多いかもしれない。
リーシャの自室前を守るエタン達は少人数だ。
露払いも兼ねてそちらを進むべきだったかとギレムは己の選択を悔い乍ら、狭く薄暗い使用人用の階段で襲い掛かる剣戟をひらりと交わしては打ち返し階下に落としてゆく。
「ギレム様!」
「ごめんよ」
「っ!」
前方で道を切り開いた護衛が鋭い声で呼び掛けるのを聞き、ギレムはフードを目深に被ったメロディをさっと抱え手摺を乗り越えて階下へ飛び降りた。
堪らず抱き着いた彼女の手の震えに気付かない振りをして着地後にすぐ離す。
これがリーシャならギレムも効率を無視して抱えているのだろうが。
「走るよ」
「っは、はい」
さっと声を掛け人気の無い長い廊下を駆ける。
背後から無視された賊達が追いかけてくるが、あの人数なら護衛達だけでも充分対応できるだろう。
相手の腕前も大した事は無い。
本当に、そこら辺の破落戸を雇った程度の実力であった。
(だったら猶更、上階に通す前に護衛達で対処が出来る範囲だ。
そもそもこの人数はどう考えたって暗殺前提じゃない)
執務室に差しかかかる角を曲がる前から激しい打ち合いの音が聞こえたため、一度ギレムは一行の動きを止めて影から様子を見た。
此方に背を向けていたのは残念ながらギラン達だった。
挟撃は叶わないと知ると、猶更正面階段を使うべきだったと後悔が募る。
しかし戻る訳にもいかずギレムは密かに神に御力を乞う。
物陰から飛び出し力の方向性を示せば、ギラン達の背を越えうねる水流が賊を押し流してゆく。
「レム!」
「ラン、お待たせ」
「いや、最高のタイミングだ」
合流して情報交換に入る前に、すぐにメロディを執務室内に入れる。
震える彼女を流石に一人にしておくのはと護衛も付けるよう進言したが、それに首を振ったのは誰でもないメロディ本人だった。
「私は、私は大丈夫です…!
少しでも皆様が早くこの惨劇を終わらせるのを、どうか優先してください!」
気丈な娘だなと思いはするが、それまでだ。
ギレムもギランもその言葉に遠慮なく首を縦に振り、彼女だけを執務室に押し込めるや否や襲い掛かって来た賊を蹴散らす。
「どう見る」
「どう見るもクソもねぇ、少なくとも暗殺目的には思えん」
「同感。しかもこんな腕前のを使うのも可笑しいと思わないか?」
どこの家がとはギレムは口に出さなかったのだが、合わせた背中が笑っているのが分かった。
「であれば別の家が?ストラス家に恨みを?」
「王都で僕等が恨みを買った覚えはないけれど」
「僻みが歪んでってのもあるか」
「どのみち聞かなければならないけど、居たかい?」
下っ端ではなく指示した家との繋がりが分かりそうな者が。
そう暗に示したギレムの視界の端を見慣れたビスキュイ色の髪が揺れる。
「殺した」
「…珍しい、強かったんだ」
「ああ、辛勝だよ」
取り逃したならまだしも、対峙した上で殺さなければならないとギランが危機意識を抱く程の相手だったという事実に、ギレムは密かに息を呑んだ。
「レムの方は?」
「此方にはらしき者は混ざっていなかったよ」
ギレムが使用人通路を通って階下へ降りてきた途中に出くわしたのは気を掛けるまでもないならず者ばかりだった。
だからこそ、集まりの悪い護衛達の動きに不審感を抱いたのだが。
「玄関周りで押さえているのか?」
「さてな…続報も届かないところを考えると厳しいな」
そう、あれから伝令管は沈黙を続けている。
ストラス邸の造りは其処まで複雑でもないし、広くもない。
今倒し終えたのが第一波ではなく賊の全てだとしても可笑しくは無いが、この静けさは不穏だと二人が視線を交わすのとほぼ同時に通路の奥から声が聞こえた。
「ほら、やっぱり遠回りでした」
「面目ない」
薄暗い物陰から出て来たのは二人の男。
一人は馭者のような目立たぬも小綺麗な出で立ちをしており、もう一人は頭を複雑に剃りつつも残る頭髪を結い上げた奇妙な髪型をした男だ。
どちらも手には血糊が付いた剣を下げていた。
「間取り図を覚えるくらいはしておかなきゃ」
「それは貴殿にも言える事だろう」
「覚える程かなぁ」
軽口を叩く彼等の来た方向はギレム達が通った道だ。
つまり、後続を対処していた護衛達はその刃の餌食になったという事。
聞くまでもなく今までの賊とは違う出で立ちに、ギランもギレムも気を尖らす。
「右」
「ん」
一言だけ交わすとすぐに二人は駆け出し相手に切り結ぶ。
確かにこれは、問答をする間もなく挑むべき相手だとギレムも分かった。
体格は然程変わらないのに力の受け流し方が尋常ではない程上手い。
すぐに離れたギレムを見て、男は薄気味悪い笑みを浮かべる。
「ほう、若いのに状況判断が良い」
「…」
ギランの方は力で押そうとしているのだろう、更に奥へと男を押し戻していた。
その後を追おうとしている護衛長にギレムが声を張る。
「手を出すな!」
「しかし!」
「恐らく東の呪術が使われた、決闘用のものだ」
「なん…」
「それでいて博識と来ましたか、うーん惜しいなぁ」
そう零しながら男はギレムへと試す様に剣を奮う。
流れるようにそれを払い除け、幾度目かの鍔迫り合いをした時には、目の前の男が爛々と眼光を光らせ嗤っていた。
「アナタ、生かしてあげましょうか?」
「死ぬのは貴様等だ」
「こんな蛮行を赦す国が憎くありませんか」
「国など何処も同じ」
「ハハッ!ですね、そうですね!いやぁ爽快だ!」
体勢を立て直し離れた男が腹を抱えている隙に、護衛長が斬り込む。
それを視線を寄越さずとも避けられるこの男は本当に腕が立つのだろう。
だからこそ僅かにギレムが視線を動かした先へと男も反応を示す。
その刹那が分かれ目であった。
「んぐっ!」
男の背後から伸びた冷ややかな感触。
それが鼻や口を覆い、漏れた呼気が泡となって浮かんでは消える。
先程ギレムが御力を乞い発動させた魔法の水は、そのまま絨毯に染み込まず床に広がっていた。
魔法により発動させられるのは飲料出来る水だけではないのだ。
まるで協力者のように術者の意志を汲み動く、質量の重い水を呼び込む事も叶う。
ただしこの水を呼べるのは、祝福を頂いた者に限るが。
藻掻き喉を掻き毟る男を暫く見ていたギレムは既に男への興味は無くなったのか、視線を外しもう一人の男と斬り合うギランを見据える。
(ラン…)
男が呪術を使う瞬間を見抜けなかった自分が情けない。
切り結んだ瞬間に浮かんだ足元の文様で、やっと気づいた程度だ。
何のために魔法を学んで来たのだろう。
(くそ…もっと早く僕が気付いていれば)
ギレムであっても対処は厳しい。
しかし次期領主であるギランが誰の手も借りれなくなる最悪の状況は免れた筈だ。
襲撃が起きてから選択を誤ってばかりいるような気がする。
(だが、リーシャを逃がした事だけは英断だろう)
その全てに運を使い果たしたのならば本望だと、ギレムが拳を握った。
刹那、至近距離で爆発が起きる。
「っ!」
壁に強かに打ち付けた身体から呼気が漏れた。
時折遠方で聞こえていた爆発音はきっとこれだろう。
立ち昇る煙と煤けた匂いの中、咽る男の気配とは別の足音が差し迫る。
「やっだー!ださーい!何してんのぉ」
甲高い女の笑い声。
「ちょっとちょっとぉ、溺死寸前じゃないっすか」
「げほっ…は…マジで走馬灯見えた」
「見る程の思い出がアンタにもあったのー?」
「うるせぇ」
大柄の男の肩を借りて何とか立ち上がるも、まだ酸欠なのか男の足取りはふらついていた。
それを追い込まんと護衛長が剣を振った。
「あらよっと」
そんな軽い一言だった。
女が指を鳴らすと同時に、護衛長の顔が爆ぜた。
飛び散る肉片や体液に流石のギレムも言葉を無くす。
どう、と音を立てて倒れる身体。
その顔は焼け爛れ、耳のあったであろう場所からは中身が漏れ出るような、見るも無残な姿に成り果てていた。
何故こんなに躊躇なく、魔法で人を殺せるのか。
自分だって先程は人を殺めるために魔法を行使した。
だがそれは背負うべき罰を覚悟して、だ。
魔法は神の御力だ。
その御力で人の命を奪う事は、神を穢す事と同義。
希う側もその代償として寿命を差し出すのだ。
故に、どの伝承でも戦争で名を挙げた魔法使いは短命であった。
なのにこの女は、神を穢す事も、己の寿命が削れる事も畏れずに淡々と、まるで少し足元の泥濘を避ける少女のような無邪気さで、人の頭を爆ぜさせ殺した。
(狂っている)
こんな人間が、表ではなく裏であろうともこの国に存在したのなら、王都で調べていた二人の耳にも入った筈だろう。
(隣国の者…だが公爵家ならもっと)
「っ!!」
考えを押し流すように連続してギレムの眼前が爆ぜる。
だが何とか水の御力が今度こそ彼を守った。
「んー?やだ、コイツ水の祝福持ちじゃん?相性悪ぅ」
「あー…やっぱそうです?じゃあ生かして連れ帰っても良いですかね」
「何、気に入ったんすか」
見た事がある大柄な男が口を開く。
聞き間違えかと思ったが、矢張りその声は覚えがある。
卒業後、王都からストラス領へ一家で戻る際に荷馬車が解け困っていた商人だ。
つまりあの頃から計画は進められていたというのか。
「ダメですよ、ここん家の坊っちゃん方は王都でも顔知れてるし」
「はぁ…それは確かになぁ」
「ってゆーかどうすんの?殺していいの?」
「はい」
男から許可が出るや否や、女は口角をこれでもかと上げ両手を掲げた。
「やっぱ女の断末魔より若い男の声の方が滾るわよねっ」
弾む声が響き渡るのと同時に乱発される爆破。
更に御力を乞い、ギレムはそれをなんとか水幕で凌ぐ。
その激しさに堪え切れずか、ギレムと女の間にあった執務室の扉も弾け飛んだ。
「お、忘れるところだった」
爆破の合間を物ともせず大柄な男が其方へ進もうとする。
すかさずギレムは握っていた剣を投げた。
中に居るのがリーシャでは無くとも、守ると告げたのだ。
そのくらいは果たせずに何が男だ。
ギレムも水幕を纏わせながら果敢に炎へ飛び込み、剣を弾いた男へと肉薄する。
肉弾戦はギランに遠く及ばずともギレムだって多少は出来る。
数度打ち合い、隙を見て男の腰から下げていた小刀を奪い抜く。
「っ親子揃って手癖が悪い!」
嗤う男の言葉に、ギレムの目が驚愕と怒りに染まった。
それは、つまり。
何時までも到着の報せが無く、階下から上がっても来ない両親。
ああ、この者達の誰一人生かしておけない。
例え自分の命が尽きても、お前達は赦さない。
「あ、やべ」
そう女が零した瞬間、屋敷が震えた。
純粋なる神々の御力がぶつかり、今までの爆破など児戯だったかのような激しい爆風が吹き荒れる。
通り過ぎた突風に煽られ、転がる幾つもの身体。
その内の一つ、致命傷の刀傷を負ったギランのものがあった。
「っレム!!」
それでもすぐに彼は立ち上がり、崩れ落ちる弟の元に走る。
だがその手が届く前に背中を貫かれ無残に転ぶ。
「敵前で背中を見せるとは恥曝しな」
「けほっ、アンタらまだやってたの」
「つーかそれを切り捨てる趣味じゃなかったじゃんお前」
「良い腕であったから猶更業腹であった」
血糊を払い、剣をしまう男は鋭い目つきで絶命寸前の男を見下ろす。
まだ、そのカメリヤ色の瞳はゆらゆらと、最期の灯を残していた。
「勿体ない…才ある者とはこうも短命なのか」
「ウケる、こっちも連れて帰りたい案件だったとか」
女の言葉に男は緩く顔を振る。
「私の眼識も未熟という事だ」
「知らんが」
「まぁともあれ、計画通りに事は進んだんだ。あとはお嬢様だけ」
「はー、こんな兄達に守られるお姫様とか殺し甲斐あるわぁ」
死体の傍ら、廊下で立ち話をしていた三人が執務室に踏み入れば、既に大柄な男が怪訝な顔をして少女の死体を見識していた。
「おや、仕事が早い」
「まぁな」
「えー!もう殺しちゃったの?!悲鳴すら聞けてない!」
「まぁまぁ、早く終われば早く帰れると思いましょう」
「はぁー…最後まで仕事するのアタシなのにさぁ」
ぶつくさと文句を垂れる女を宥めながら、ちらりと男は少女の亡骸を見た。
フードから覗く長い髪は茶系の色味。
聞いていた情報と差異は無いが、何かがひっかかる。
と言っても諜報活動も兼ねていた大男くらいしか長女の顔は知らないのだが。
(何か隠してそうですね)
そんな疑いを持っているとは露程感じさせず彼等はその場を後にした。
邸内が不気味な程静まり返った後、か細い音を立てて執務室奥の資料室の扉が開く。
顔を出したのは、非戦闘員であるベルトランと家令だった。
「あぁ…あああ…」
夜だというのに外が異様に明るい事には目もくれず、見慣れた執務室の中に倒れた少女の遺体へと二人の視線は引き寄せられる。
奥に、と招いたものの彼女は頑としてそこを動かなかった。
ギレムが守ってくれるのだから大丈夫だと。
信じたまっすぐな瞳は、歳を重ねた二人には眩しすぎた。
彼女は分かっていたのだ。
自分が此処で万が一殺されようと、もしかしたらその奥に隠れ息を潜めた二人は生き残れるかもしれないと。
邸の再建復興に心強い二人を生かす事の方が重要であると。
「ああっああああ…!!」
滂沱の涙を零しながら男達は少女の遺体に近づき、膝を付く。
何故まだうら若い彼女が命を落とし、先の短い自分たちが生き残るのか。
そんな情けない後悔が改めて二人の心を乱す。
ふと、開け放たれた扉から廊下へ出ればそこは地獄。
悪夢のような光景が広がる。
「レム坊ちゃま…ラン坊ちゃまぁ…!!」
伏した二人の身体から零れ落ちた命が赤々と広がり、ガラスのような瞳は輝きを失い物悲しく虚空を見つめていた。
蹲り慟哭で動けなくなった家令の脇で、泣きながらベルトランの震える指先が二人の瞼をそっと下ろす。
「こんな…こんな事が許されるのか…!」
憤怒からかどっとベルトランの身体が熱くなる。
いや、実際に足元から劫火が上がった。
「なん」
零した驚嘆の声が全て零される事は無かった。
静まり返った邸の中に、残された命が轟々と燃える音だけが響く。
彼等から映った炎は邸のあちらこちらに燃え移り、上からも降りて来た劫火と共に躍る様に全てを飲み込んでいった。
数日後、ひっそりとした雪に埋もれた森の中を流れる小さな小川。
その清流が赤く染まっていた。
傍らには大柄な男の死体があったらしい。
彼は見た事があるようでないような、平凡な顔立ちをしていた。
持ち物を改めても大したものは持っておらず身元も分からない。
近隣の村人は旅人が熊にでも襲われたのかと思い、その場に彼を埋葬した。




