40:十三歳の決意
時系列は40話の三年前に戻ります。
飛び飛びで申し訳ございません…後に続く閑話も此方の前後時間軸となります。
「―――なぁ、あの塔、本当に怨霊でも居るんじゃないか?」
「ああ、『嘆きの塔』だろ?
御嫡男方も今では滅多に近づかなくなったそうだしなぁ…まだ聞こえるのか」
「聞いたのは俺じゃないけど、なんつーか、最初よりも獣染みているらしい」
「ぎょえー俺の考えていた貴族の美人未亡人がマジで怨霊化したのか」
「なんだそれ」
「というか獣ってなんだよ、最早人ですら無いじゃねーか」
「良く分からん、疑うなら今度の夜警ん時にでも耳を澄ませてみろよ」
雑兵の噂に耳を傾けていたレオは視線を下げ、足早にその場を立ち去った。
あれから既に季節は移り変わり、春の温かさと蕾開いた花が咲き乱れる美しい景色がヴュルテンベルク辺境伯領を包んでいた。
にも関わらずこんな噂が出回っているからか、北塔周辺はどこか肌寒い。
高く頑丈な塔の生み出す影の深さも相俟ってあの場所だけ時が止まっているようにすら思える。
気丈に振る舞っているが、食事や身の回りの世話係としてついている同僚のピピも日に日に窶れて行くのが目に見えていた。
流石の閣下も配置換えを提案したが、彼女は首を横に振ったそうだ。
「せめて顔見知りの私が、傍にいて差し上げたいのです」
ストラス領に潜伏していたにも関わらず賊に出し抜かれ、襲撃を防ぐ事が出来なかった事を今も猶ピピは重く受け止めているのだろう。
彼女がそこまで背負う必要は無いのに。
そう他の者は零すが、レオは口を閉ざした。
無理もない、とすら思うのだ。
ストラス家の温かさに触れ、その愛情深さと仲の良さを目の当たりにしたからこそ、リーシャ嬢の悲しみの深さも辛さも分け合いたくなるのだ。
あの温かさは、あまりにも心地良くて抗い辛い。
無意識に心を寄り添わせてしまう、不思議な魅力があるのだ。
だからだろう。
リーシャ嬢の慟哭が少女の声から変わり果て、今は獣のように低く掠れ怨嗟の音に聞こえるようになろうとも、レオやピピもその場を離れる事は無かった。
時折、アロイーズやオリアーヌに状況を届ける度、彼等も面持ちを沈ませる。
誰もどうにも出来なかった。
支えたいのに、貴賓牢の扉は人前で開く事が無い。
あれだけ憚らず泣き喚けど人の気配に敏感なのか、リーシャ嬢の姿をあの日以降目にした者は城内に誰一人いなかった。
寝ても覚めても見る夢は『過去』。
全てが温かな思い出ばかりなのは幸か不幸か。
幸せな微睡みから目覚めれば見慣れた天井で、現状を思い出してはまた泣き叫ぶ。
悲嘆に明け暮れる己の弱さを重々承知しているのだが感情が追い付かなかった。
現実を受け入れ難い。
いや、受け入れているからこそ嘆くのだろう。
胸の軋みが何時までも止まず、喚く度に脳裏では思い出が駆け巡る。
ラン兄様の力強い声も、レム兄様の穏やかな笑顔も、お母様の慈愛に満ちた抱擁も、お父様の誇れる横顔も、忘れたくないのに消えて欲しくないのに段々と薄れていく。
その匂い、あの温もり。
心地良い私の箱庭は踏みにじられ壊れ、焼け落ちた。
もう戻す事は叶わない。
そう理解すればするほど恋しさと悲しみに身体は支配され、したいようにさせてくれる温情に甘えていつまでも家族を想い蹲り続けていた。
だがある日ふと、食事に添えられた一凛の可愛らしい花に気付く。
ああ季節が変わったのだと認識すれば、はたと意識が切り替わった。
(ピピさん…)
私はやっと目を覚ました心地を覚え、その小さな花を胸に抱いた。
進もう。
進みださなければ。
私が逃がされたのは、生きてくれと願われたからだ。
迎えに来れない彼等のために私が会いに行く。
その為には歩き出さなければ。
永遠に続くかと思われた懐古から顔を上げればそこからはいつも通りだ。
引き籠りとは思えぬ力強い足取りで扉を押し開き廊下に出ると、握り締めていた呼び鈴を城内全体に響き渡れとばかりに力強く振った。
「リーシャ!」
「っ」
貴賓牢に入るや否や駆け寄ったオリアーヌとは違い、アロイーズは眼をその美しい目を見張り足を止めた。
ずっと引き籠っていた私の身嗜みが酷いのだろう。
ごめんね、最低限は整えていたのだけどやっぱり汚らしいよね。
久し振りに会ったピピさんにも手を貸してもらったのだけど、やはりまだまだ人前に出られる様子では無かったようだ。
貴賓牢には鏡が無い。
割って凶器になる恐れがあるからだろう。
まぁ鏡があったからとしても、泣き暮らしていた私が自分の身形を気に掛けたかと聞かれれば首を傾げるのだが。
「長らく心配をかけてごめんね、オーリ、アロ」
「リーシャ…その声」
「うん、その内戻るかもしれないけど道理だよねぇ」
あれだけ連日大声で泣き叫んでいたからだろうか、私の喉は強くなるどころか潰れてしまったようで、落ち着いて会話する声も掠れて随分と低くなってしまった。
でもまぁその分ご令嬢っぽさは消えたから良いのかもしれない。
今だったらもっと完璧な男装が出来る気がする。
生来の気楽さで微笑んで見せるが、オリアーヌの顔からはまだ憂いが残る。
「まぁ暫くは聞き苦しいけれど許して欲しいな」
「聞き苦しくなんて無いわ…喉飴も差し入れるべきだったわね」
「いや、もう色々良くしてもらっているよ」
というかこれから更に我儘を言うつもりなのだよ。
喉飴なんかよりよっぽどな話なのだが、この流れは言い出しにくい。
オリアーヌよ、察したのだろうか。
流石である。
「髪まで…もう…こんなになるまで放置するなんて…」
「流石オーリだね、目の付け所が淑女」
「冗談じゃないのよ?長髪の鬘を用意させなくちゃ」
「いやいやいや、大丈夫」
だから何でもうそう先制攻撃が鋭いのだろうかねぇ!
私は入り口付近、閉じられた扉を背に動けないでいるアロイーズに視線を向ける。
「アロもお待たせ」
「…うん、久し振りに顔が見れて、嬉しいよリーシャ」
ゆるりと微笑むアロイーズを見て私も安心した。
彼はもう、進み出せているようだ。
「私もオーリやアロ、ピピさんの顔が見れて嬉しい。
ピピさんもずっとありがとうございました」
「いいえ、私は」
「お花の心遣いも嬉しかったです、もう春なのですね」
「…ええ、ヴュルテンベルク辺境伯領の春も、美しいですよ」
記憶の中よりやつれた顔付きのピピさんが瞳を濡らして微笑む。
内密にストラス領へ滞在していたらしいピピさんも、アロイーズ同様、今回の凶事に深く心を痛めてくれたのだろうと良く分かる。
優しい人だ。
私は周囲の人々に大変恵まれている。
「そうなのですね、見るのが楽しみです…と言いたいところだけど。
オーリ、私の扱いってどうするとか決まってる?」
「申し訳ないけど城外には…」
「いやいや当然でしょう、気にしないで。
それなのに葬儀への供に連れ出そうと気遣ってくれてありがとう」
「…その件なのだけれど」
オリアーヌが沈痛な面持ちで私の髪を撫でながら、参列してくれたストラス家の葬儀とその後の調査についてを訥々と語ってくれた。
どうやらメロディが私と勘違いされて弔われたらしい。
彼女の家族には申し訳無い。
早く家族の元に帰してあげたいけれど、正直暫くは難しいだろう。
「世間的には私も死んでる事になってるのかぁ」
「そう、だからリーシャを表に出す事は出来ないの」
悲し気な面持ちのオリアーヌには申し訳無いが、私にはその方が好都合だ。
未だに少し距離を置いたままのアロイーズを見上げれば、彼はぱちりと長い睫毛を揺らして瞬きを零す。
「ねぇアロ、私ももう十三歳になるわ」
「…そうだね」
「だから、オーリ達にも話そうと思うの」
「リーシャ?」
今度はアロイーズが顔を歪ませ、耐えるように眉間に皺を浮かべる。
着席した私の斜め後ろに立っていたオリアーヌが、覗き込むように美しい顔を傾けたと思えば彼の面持ちと此方を見比べた。
「何?二人だけの秘密?」
「そう」
事も無げに頷く私に、オリアーヌが言葉を詰まらせる。
数年前にあれだけ問い詰めて白状させようとしていた話だよ。
もう興味も無くしてしまったかな。
「…まさか、事件に関わる事?」
本当にオリアーヌが鋭い。
何なんだ、これが女の勘ってヤツなのか。
「ピピにも聞かせるのかい?」
「閣下にも上げた方が良い話ではあると思うんだよね。
アロの行動も、私の事も納得してくれるかもしれないし」
「僕の事は分かるけど…リーシャの事?」
小首を傾げるアロイーズに私は苦笑を零すも言葉にはせず、傍らに立つどこか不安げなピピさんを見上げた。
「ピピさんが聞きたくないのなら聞かせません」
「…いえ、閣下に報告しても宜しいのですよね?」
「ええ、寧ろそうして欲しいです」
「分かりました」
そういうや否や、彼女は素早く茶器を慣れた手つきで整えお茶の準備を始める。
決断したら行動が早いピピさんの様子を見て、双子も椅子に腰かけた。
私はまずアロイーズが見た夢について語り、私自身にも思い当たる意識があった事を出来るだけ客観的に語った。
「つまり、リーシャは馬車事故に遭い十二歳で亡くなる運命だったという事?」
「でも実際は違う未来が訪れていますよね」
驚嘆は隠さずとも冷静にオリアーヌとピピさんが返した言葉に私は無言で頷き、隣に座るアロイーズへ視線を向ける。
「その点に関してはアロはどう考えてる?」
是非アロイーズの意見も聞いておきたかったのだ。
ここ数年離れていたが約束通り駆け付けてくれた彼だ。
何も考えていなかったとは思わなかった。
「夢の中で僕はリーシャの葬儀に参列を許されていた。
でも今この現状では、参列する表立った理由も無いから可笑しいと思っている」
「そうなんだよね。オーリもリュカ様の付き添いで参加だったし」
アロイーズも私と同じ点を気に掛けていたようだ。
元々ストラス家と双子の誼は世間的に公表されていない関係である。
「夢の中のアロは閣下の名代として参列したのかもしれないよね」
「…オーリが参列した記憶が無いのも、その為なのかな」
「でもお兄様達が居たかどうか事もアロは覚えていないのでしょう?」
彼が見た夢の中では私の棺、そして死因となった事故の悲惨さのみに情報が集中している。
他の登場人物が全く出てこないのも少し不思議だが、夢なのでその点はまぁ仕方ないかと思ってもいたのだ。
「全く覚えていない。忘れてはいけないと意識していたのは、リーシャが十二歳に馬車事故で亡くなるって点だけ」
「…リーシャの死因に成り得る事、だからかしら」
「だと思う。オーリは似たような夢というか記憶、見た事は?」
サラサラと長い髪を揺らしてオリアーヌは頭を横に振った。
やっぱり、オリアーヌは似たものですら見ていないのか。
「そんな予言を得ていたのだったら、私だってもっと行動していたわ」
「別に私に関するものじゃないかもしれないよ?今は知らない人の事かも。
それこそ私だって当時はユーデス様の顔を知らなかったし」
「で、あったとしても似たようなものを見た経験は無いわ」
「そっか」
まぁ今のところ見る内容はどれもこれも吉報では無い事を考えると、オリアーヌが苦しまなくて済んだ点は喜ばしいのかもしれない。
なのにこの中で自分だけ!と少し憤慨している彼女が可愛い。
「現状を考えると、もしかして夢の中のリーシャも生きていたのかもしれないね」
「ああ、まぁ棺の中を見れていないのもあるしね」
賢いアロイーズはそうも考えるのか。
でも彼に私の死を偽る理由は思い当たらない。
その点を素直に指摘すれば双子が揃って腕を組み考え込んだ。
何だ、何か思い当たる節でもあるのか。
「え?何?その反応、怖いのだけれど」
「いや…ちょっと自分でもどうかと思う的外れな考えをしただけ」
「話したくない内容なら聞かないよ」
「うん、荒唐無稽だから」
そこまで言われるとちょっと気になるので後で聞こう。
忘れなければだが。
「まぁ私の死因はさておき、アロが見ていた『未来』であり私の危惧していたのとは違う事件が起きた」
「…そうね」
「でも、『婚約者のトラウマ令嬢になる』っていう私の記憶はその通りだよね。
ユーデス様は私が生きている事を存じ上げていないかと思う」
「だろうね」
それこそ夢の中のアロと似たような立場になっているのだろう。
損壊が激しいため葬儀で棺は開けられなかったらしい。
また、参列者にはユーデス様を始め事業提携をしていたネウストラ公爵閣下の姿もあった事をオリアーヌがしっかりと見ていた。
「まるで幽鬼のような御姿でしたわ」
「…そっかぁ」
ユーデス様、悲しませてごめんなさい。
でももう二度と言葉を交わす事は無いでしょう。
「リーシャは彼と想いを通わせていたのでしょう?」
「うん、少なくとも私はユーデス様の事、想っていたよ」
「…過去にして、それで…良いの?」
「だって今のところ、少なくとも襲撃犯はネウストラ公爵家の者でしょう?」
私が事も無げに答えるとオリアーヌが口を濁した。
「あの御方に演技が出来るようには思えないから、実際に私の死を悼んでくれているのだろうなとは思う。
でも疑いがある内は、私は心を渡せない」
「…そうだね」
アロイーズが重たい空気の中、掠れるような声音を零す。
二人がそんなに沈む事でも無いだろうに。
これは、私とユーデス様の問題だ。
空気を変えるように、私はゆっくりとオリアーヌとアロイーズをそれぞれじっと見つめてから口を開いた。
「だからと言う訳でも無いのだけれど、私は真実を知りたいの」
アロイーズが急使としてレオさんから得た情報。
ネウストラ公爵家が私の暗殺を企てているという件だ。
そして直後に襲撃が起きた。
あまりにもタイミングが良すぎた。
「アロの届けてくれた情報が真実であったとして、何故こんなにも早く事件が起きたのかも気になるし、そもそも前以てユーデス様が企てを知っていたのかも合わせて知りたい」
「でもそれは、ヴュルテンベルク辺境伯領に居ては難しいわ」
「そう、だからここからが私のお願い」
私はひたりとアロイーズのベゴニア色の瞳を見据える。
「アロが学院に上がる時、私も従僕として連れて行って欲しい」
そう告げて暫しの無言。
アロイーズが整った顔を大きな掌で覆い、嘆息を漏らす。
「…何を、言っているの?」
「リーシャ、それはあまりにも無謀よ」
世間的には死んだ事になっている私が人前に、しかも敵陣真っ只中であろう王都へ向かう事は確かに無謀も無謀。
それでも、私が知りたい事は王都でなければ集められない。
このヴュルテンベルク辺境伯領では叶わないのだ。
「侍女としてオーリの傍に、とも思ったけれどそれでは『私』に近すぎる」
「そういう話じゃなくて」
「王都のタウンハウスに連れて行ってもらうのも手としては考えたけれど、それでは行動範囲が狭められてしまうし」
「リーシャ…キミは相変わらず、妙なところで行動力があるよね」
「ありがとう」
「褒めてないわよ」
「それも分かってる」
今度は、オリアーヌ達の傍らに立つピピさんを見つめる。
静かに話しを聞いていた彼女が少しばかり目を見張るも、言われる事を分かっているのか口角をゆっくりと上げるのが何とも頼もしい。
「なのでピピさんに私を鍛えて欲しいのです。
王都でレオさんすら抜けない情報を得られるくらいの、凄腕諜報員として」
「腕が鳴りますねぇ」
「時間が無いのは重々承知ですが」
「謹んで閣下に奏上致します」
この部屋の中ではピピさんだけが私の未来に協力的である。
ま、オリアーヌもアロイーズもアレ以上声を上げないところからして、もう私が言い出したら止められない事も分かって諦めているのだろう。
「…僕の従僕として付くなら、其方の仕事も仕込むよ」
「望むところだよ」
「またアロばっかりリーシャと一緒なの…」
「なにその可愛い反応」
オリアーヌが可愛い。
急に気が緩むじゃないか。
ふ、と堪らずアロイーズもピピさんも顔を綻ばせた。
「形は違うけど学院に一緒に行けるんだよ、オーリ」
「それはそうだけれど…はぁ、一緒にお茶会も出来ないじゃない」
「タウンハウスの中でも難しいかなぁ」
「王都では、そうだね」
どんだけ王都では気を張らなければならないのだ。
ちょっとその点は私も甘く見ていたな。
だが結局、私の願いはすんなりとヴュルテンベルク辺境伯閣下に受け入れられた。
と言っても目指す事を、と述べた方が正しい。
実際に動ける人材に育たなければ王都への随行は許されない。
それでも目下、やる事が決まるだけで気持ちが全く違う。
久々に見た鏡の中の自分は、成程アロイーズが固まる程に様相が変わっていたのだが、眼の光は消えていないと思いたい。
いや随分死んだような顔をしているんだけど。
おや、笑顔のつもりだが表情筋が仕事を放棄している。
これには白髪交じりの髪や、痩せこけ肉の落ちた頬、まだ十三歳になったばかりだというのにもっと歳を重ねたような疲れ切った老け顔よりも、正直驚いた。
「ピピさん、アロ達と話している間の私の顔も、動いていませんでしたか」
「そうですね。お気づきで無かった?」
「ええ、全く」
まぁその内、全てを詳らかにした頃には戻るだろう。
別に笑わないと死ぬような人間でも無いし。
そう、自分の事なのに大して重々しく受け止めない私を周りがどう思うのかまで考えが及ばず、後回しにしたのは少し反省点でもあるのだが。
顔で笑って心で泣くよりは良いじゃないかと思うんだけど。
長かった髪をバッサリと切り落とし少年の恰好に慣れても全く表情が戻らない私に、オリアーヌが泣いて怒った時はちょっと辛かった。
何だろう、こう、駄目な息子が母親を泣かせているような気分というか。
非行に走った訳でもあるまいに。
でも変わらずに大事にしてくれるオリアーヌが、とても愛おしかった。
その点、アロイーズは彼女よりもサッパリしていた。
というか侍従として伴うのだ、という責任感もあったのかもしれない。
彼付きのオスカーという侍従にも事情を話し、顔繋ぎをしてもらったのだが、その時に告げた言葉が大変印象的だった。
「オスカー、後任ではなく同僚として躾けてくれ。
キミが仕事を任せられると判じなければ学院には供わない」
「は」
あらまぁ、アロイーズの甘さに付け込んだことに気付かれているようだ。
私達より二つ程年上のオスカーさんがどんな人物なのかはこれから知るのであろうが、見るからに厳しそうで真面目な雰囲気がある。
確かに仕事をする上で彼のお墨付きを貰わなければならないのは道理ではある。
しかし残された約三年で何処まで彼に付け込めるだろうか不安である。
信頼を得る、ではなく、付け込むという考え方は変えるつもりはない。
「ご指導宜しくお願い致します、オスカー先輩」
「…よろしく、シャラム」
ピピさんやレオさんを始め、道中で一緒だったフィルマンさんなどから諜報員としての技術や戦闘訓練を受け始めた頃に私は偽名を名乗る事にした。
敬愛するお兄様達から一文字ずつ頂戴した。
知る人からすれば大変分かりやすいのだが、分かりやすすぎて疑い辛いだろう。
私は髪を短く切り落としただけでなく、白髪を隠すために黒っぽく染め上げたのを定期的に続け、顔の印象を変える為に眉の形も整えた。
侍従見習いの衣服に身を包む際には晒を巻き腰回りにも布を当て、体形を少しでも男に寄せれば、声は戻る様子もなく掠れて低いままであるので傍から見ると細身の少年だ。
名も変え、呼ばれ慣れた頃にやっと城外に出る事を許された。
その頃はもう既に季節は秋。
日常的にハードな訓練を受け運動量がぐっと増えたからか、それともそもそも十二歳までの運命だった私の細胞が爆発したのか、身長が驚くほど伸びた。
あれからまだ半年程しか経過していないというのにオリアーヌよりも頭半分程私の方が背が高い。
なおアロイーズは私よりも頭一つ大きい。アイツめぇ。
そんな彼と私、そして先輩であるオスカーとフィルマンさんの四人で今日は遠乗りに出ている。
お兄様の愛馬とも久し振りに顔を合わせたけど、こんな状態の私でも分かるのだから本当にこの子は頭が良いというか、最早家族認定したくなる程である。
キミは健やかに寿命を全うさせるからな。
やっと涼し気な風が吹き始めたヴュルテンベルク辺境伯領の秋は、当たり前だがストラス領の秋とは雰囲気が違う。
「シャラム」
「はい」
ふとアロイーズが私の名前を呼ぶ。
彼は真っ直ぐに、丘から見下ろす領都の街並みを見つめていた。
「キミは護られる立場ではなく守る立場を選んだ。
でも僕もオーリも、キミを大事に思うのは変わらない…ずっと、変わらないよ」
「…ありがとうございます」
三人、今までは家格差はあれど心は対等だった。
そこに明確な上下関係、主従関係を更に割り込ませたのは私だ。
もう、ヴュルテンベルク辺境伯領の中ですら、私達が昔のようにはしゃぐことはない。
それでも心は変わらずにあると。
アロイーズの柔らかい優しさが、秋風に乗って私の頬を撫でる。
この先、真実を得た後の事はまたその時に考えよう。
私はまた問題を先送りにして、主と同じように美しいヴュルテンベルク辺境伯領の街並みを静かに眺めた。




