閑話:離別の鐘
本日(5/23)は二話(この閑話+40話)投稿しております。
ストラス領から避難したリーシャが北塔の貴賓牢に入ってから、早くも二週間が経過した。
当初、数刻置きに足を運んでいたオリアーヌだったが、今は食事を届けるピピからの報告を受けるにとどめていた。
「…そう、まだ」
「階下を巡回する兵士の間では、『嘆きの塔』と噂されておりますよ。
日中だけでなく夜間もふとした時に女の慟哭が漏れ聞こえると」
「……リーシャ」
このまま泣き続けていたら、彼女が死んでしまうのではないだろうか。
オリアーヌはそれが心配でならなかった。
戦で家族を亡くした兵士や領民と幼い頃から接してきたオリアーヌにとって、肉親の死は身近な不幸であるし、何よりそこから立ち直った人々を多く見て来た。
だからこそリーシャの悲しみも、いつかは前を向いてくれるであろう期待もある。
しかし長閑で平和なストラス領で育ったリーシャはオリアーヌと違う。
恐らくそういった死への心構えが違うのだろう。
何より生まれ育った土地を離れただけでなく、家族全員を失った。
あまりにも急激に不幸が重なった心労が彼女を蝕んでいるのは、あれから未だ顔を見ておらずともオリアーヌにも痛いほど分かった。
思い起こすのは彼女がヴュルテンベルク辺境伯領の城に到着した際の姿だ。
性別を偽るようひっそりとした旅装に身を包み、目元だけが表に出ていたから余計に、その凍てついたような表情や空気が痛々しかった。
あの闊達で表情豊かな明るい彼女の様子からは遠い、感情が抜け落ちた、ただ動く肉の器のような生々しくも空々しい様子は、オリアーヌの両親達と話している最中も同じだった。
「…葬儀には、出られないかしら」
「書面でお伝えしたところ、平静でいられないであろうから辞退する、と」
「そう」
先日、ストラス家の葬儀参加打診の書状が婚約者のリュカ様から届いた。
オリアーヌが得ている情報では、ストラス家だけでなく使用人もほぼ此度の事件で命を落とした。
その為、現場の調査を取り仕切ったのは第一に報告を受け駆け付けた隣領の貴族であり、葬儀の担当はストラス伯爵夫人の実家であった。
だが彼等の知り及ぶ限りのストラス家の縁者とは記録が残っている家ばかり。
ストラス領に別荘を所有する貴族家には満遍なく報せが届いたようで、オリアーヌのヴュルテンベルク辺境伯家にも書面は届いている。
そして事件に関しては、噂の形で方々に広がっているようだった。
リュカ様からの手紙には合わせてかの家を襲った悲劇についても触れられていた。
恐らく主催家との縁があるのか、根も葉もない腹立たしい憶測すら混じった噂とは違い丁寧な情報が記されていた。
だが何よりもオリアーヌの心に響いたのは、リュカ様の心情だった。
『僕は商売の関係でギレム殿としか面識は無かったけれど、ご家族のお話は良く聞いていた。特に双子のギラン殿と妹のリーシャ嬢の事を特に親愛している様子は微笑ましくもあり、羨ましくなるほど愛情に満ちていたのを覚えている。
オリアーヌ嬢は避暑でストラス領を訪れた程度で接点もないだろう。
だが流石あの美しい領地を治める一家だと思う程、知的で穏やかな方だった。
もし叶うなら僕が尊敬する友人の葬儀に一緒に立ち会って欲しい。
少しでも、誰かと一緒にかの方について話をしたいのだ。』
(私だってラン兄様やレム兄様のお話を、誰かとしたい)
リーシャ同様、アロイーズもストラス領から戻る間、泣くのを我慢していたのか数日部屋に籠っていた。
ピピから訃報を聞いたオリアーヌと違い、アロイーズは直前に懐かく愛しいお兄様達と言葉も交わし、その直後燃える邸の気配を目にしたそうだ。
故に、そう塞ぎ込むのも無理はない。
アロイーズの護衛達から報告を受けたお父様が漏らした悲し気な声音が、今でもオリアーヌの耳朶にはこびり付いたままだ。
時間薬とはよく言ったもので、今は部屋からは出てきているし徐々にアロイーズの表情も柔らかさを取り戻しては来ているのだが、時折北塔を見上げては悲し気な面持ちをしている。
そして傍から見れば平静であるものの、彼等の話になると口を噤む。
「私は冷たい女なのかしら。
アロやリーシャがこんなにもまだ苦しんでいるのに、日常を送っている」
「悲しみ方は人それぞれです。想い悼む心に軽重などありません」
「…ありがとう、ピピ」
普段の日差しを思い起こさせる眩しい笑顔ではなく、大人びた笑みを浮かべたピピは静かに目礼を返す。
「では私だけでも、皆さまをお見送りに行きます」
「ええ、是非」
きっと自分だって棺の前では涙を抑えられないだろう。
レムお兄様のお話を誰かとした時に、ふとした瞬間思い出して感極まる気配すら自分自身で良く分かっている。
それでも見送りたい。
オリアーヌにとっても、大事な人達だったのだ。
姿形が見るも無残な状態に変わり果てようとも、想いは変わらない。
「…」
ピピも退室し、侍女と二人だけになった静かな自室で窓の外を眺める。
(確かに、リーシャを私の侍女に紛らわせ連れて行くとしても取り乱す恐れがあるのなら、まだ連れて行かない方が彼女の為よね)
埋葬される前にどうか、彼等の最愛であるリーシャに会わせてあげたかったのだが、今も猶狙われているかもしれない事を鑑みると感情を抑えて貰わなければならない。
貴賓牢に入ってから全てを投げ出して嘆く今の彼女には無理だろう。
寧ろ、領へ逃げ延びるまでの間だけでも我慢していたのが驚嘆である。
(私達に深く長い嘆きを聞かせたくなかったのね、リーシャ)
リーシャ自身がどれほどの悲嘆を抱えているのか良く分かっていたからこそ、両親との面会時にあのように申し出たのだと今なら分かる。
オリアーヌはすぐに察する事は出来なかったが、父も、アロイーズも心情を慮ったからこそリーシャの願いを聞き入れたのだ。
(でも、私はそれでも傍に居たかった)
一緒に泣いて、悲しみ、立ち上がり前を向くのを支えたかった。
(リーシャは強いのか、弱いのか…時折、分からない)
無意識に零した嘆息は十三歳を迎えたばかりの娘としては深く、重いものだった。
「この時期の北部の移動はオリアーヌには堪えただろう」
「北は雪がこんなにもまだ残っているのですね」
「特にこの辺りは山間だからね」
王都から出立してきたリュカ様とストラス領へ向かう道中で合流したオリアーヌは、北街道をゆったりと進む馬車の窓に延々と広がる白い景色を眺めた。
数年前、ストラス伯爵閣下と共に移動した時にも見た景色だ。
込み上げる懐かしさを誤魔化すように、陽の光を受け白く輝く雪の照り返しに目を細める。
「一面の雪景色は美しくも、日中はまた輝きが強いのですね」
「そうだね。我々は『銀世界』とも例える程だよ。
銀と言えばここ数年ストラス領でも鉱脈から銀が採掘されているようでね、ギレム殿は妹君が新たに銀を用いた装飾品作成に精を出しているとお話していた」
「多彩な妹君なのですね」
「うん、加えて兄君達を慕っていたのだろうね。
きっと妹君から贈られたと思われる品……銀の解け残りの形跡があったからこそ、混戦だった廊下の遺体もお二人だと推察することが出来たらしい」
ああ、知っている。
だって奮闘するリーシャを間近で見ていたのだから。
オリアーヌ達へ贈ってくれた銀細工も見事だったが、兄様達へリーシャが贈った品はどんなものだったのだろうか。
もう跡形も残っていないのだろう。
それだけ、炎が高温であった事実の悍ましさにオリアーヌは唇を噛む。
しかりリュカはそれを指摘せずに言葉を続けてくれる。
「実際に研究なさっていたのは製法のようでね、それが非常に面白い。
どうやら銀を粘土状にする技術を考え、彫金技術のない領民でも作業が出来るようにしたんだ。
緻密な装飾品も作れるようで最近売りに出されたようだ」
「まぁ…妹君様の想いが継がれたのですね」
「そう、領民達が商家と共に事業を動かしていると聞く。
それだけストラス家の方々は敬愛される領主一族だったんだよ」
「…惜しい方々を、亡くされました」
「本当に、一家揃ってなど余りにも惨い」
手紙にもあったが、此度の葬儀で見送るのはストラス領主一家全員だ。
父の語った、玄関ホールで見つかった領主伯爵夫妻。
執務室前で見つかった双子の嫡男達。
そして、執務室の中で見つかった少女の焼死体。
執務室の中で兄達に守られるように亡くなっていた事、加え僅かに焼け残った茶系の頭髪から、恐らく彼女がリーシャ・ストラス嬢だとの世間は推察した。
その話を父に報告した際、臨席していたアロイーズが語っていた。
「リーシャの自室に見知らぬ僕らと年齢が同じくらいの侍女が居た。
レム兄様もリーシャを逃がす際に、囮として彼女を執務室へ伴っていた」
(名も知らぬ少女も命を落とした…別の家族と共に埋葬されてしまうのは、寂しいでしょうに)
きっと心優しいストラス家の人々なら使用人の誉よりも、人としての愛情を優先して彼女の家族と共に埋葬される事を願うのだろう。
しかし、それをすればリーシャの生存に気付かれてしまう。
ヴュルテンベルク辺境伯家としては黙っているしかなかった。
「大事な妹君を守るために、嫡男のお二人は戦い続けたのだろうね」
「…王都でのお二人の御活躍は耳にした事がありますわ」
「そうだね、彼等が学院に居た頃にオリアーヌ嬢も社交を始めたから。
その人気もあって今回の葬儀はかなりの人数が来るだろう。
あのお二人は不思議な魅力があったから」
「多くの方に、愛されたのですね」
「人気者ではあったけど、ふふ、ギレム殿が時折零していたんだよ。
『妹の黄色い悲鳴は嬉しくて笑顔になれるのに、他のご令嬢のはちょっと』と」
「まぁ」
レム兄様らしい、リーシャへの溺愛。
あの武術大会で黄色い悲鳴を浴びていたのはラン兄様だったが、レム兄様もリーシャから黄色い声援を送られるような日々が、きっとオリアーヌの知らぬところであったのだろう。
あの兄妹ならありそうだ。
だってリーシャも、レム兄様が大好きだから。
「…本当に愛情深い方だった」
一面の銀世界が眩しいのか、目を細めて呟くリュカ様の瞳は潤んでいた。
オリアーヌはそっと視線を下げて込み上げる思いを嚥下する。
道中、幾度もそんな事があった。
ふとした瞬間にリュカ様が思い出を語るものだから、オリアーヌは堪えるのに必死だった。
確かにこれではリーシャは耐えられないだろう。
オリアーヌでさえ、淑女教育で身に着けた鉄壁を持ち出すのに精一杯になる程。
だがそれでも思い偲ばずには居られなかった。
葬儀当日、曇天から舞い落ちる小さな白い欠片が視界を曇らせる。
もう雪は見慣れている筈なのに、今は不思議とそればかりに目が奪われる。
空を見上げていないと零れ落ちてしまいそうだった。
何とか近づいてやっとその顔が見えるような緻密な喪服のベールでオリアーヌの顔は隠せても、落涙は隠せない。
方々から立ち昇る吐息の白い影がゆらゆらと浮かんでは消え、その合間をすすり泣きが縫い上げた空気はより参列者の身体を冷やした。
五つ、並べられた黒い棺がしめやかに教会から運び出される。
まずは領主夫妻。
そして嫡男の二人。
最後に、少し小さなリーシャの棺。
どれも開けられる事は無かった。
だからだろうか、どうしてもその棺は重さを感じさせない様子であった。
軽々と持ち上げる下働きの者達の軽薄そうな面持ちのせいだろうか。
中に、本当に彼等が眠っているのだろうかと疑いたくなる。
全員焼死体なのだから、当然ではあるのだが。
その事実をまだどこかオリアーヌは受け入れられないでいた。
(ラン兄様、レム兄様)
参列者の合間を、葬送の鐘を伴いゆっくりと棺が進んでいく。
オリアーヌの目の前をギランの棺が通っていく。
(さようなら…私の、初恋の人)
御礼にと渡された曲は今ではしっかりと自分で弾けるようになりました。
貴女を恋い慕いながら奏でた今までとはきっと違う音がこれからは出るでしょう。
貴方の最愛は、私達がきっと守ります。
だからどうか、せめて安らかに。
また一つ鎮魂の鐘が高らかにストラス領に響いた。




