39:十二歳の哀慟
「私が到着した時には鎮火は完了、ほぼ同時刻に隣領から応援が来ていました」
「ピピは中に入れたのか?」
「手伝い応募の領民に紛れて何とか。
邸は一昼夜燃え続け全焼…運よく、消火活動にあたった領民から話を聞けたのですが、逃げおおせたと思われる人物は目にしていないと。
また、火は雪をかけても勢いを全く衰えさせずに燃え続けたそうです」
「消火方法もあるが炎の魔法を使われた可能性も出て来たか」
ピピさんの報告を受けながらも質問や見解を述べるのは護衛の二人だ。
アロイーズはまっすぐにピピさんを見つめているようで、その瞳はどこか遠く、唇をきつく結んだままで一言も発せない様子だった。
微かに震える手を握り締め、皮の軋む音が私の耳に届く。
「…詳細は領地に戻り閣下への到着報告時に聞く」
「そうした方が宜しいでしょう。
アロイーズ様、私はこれより先行し閣下への報告に向かいます」
「ああ」
短く返す声に彼女は敬礼だけを返し、私の方には視線を寄越さず退室していった。
「我々は予定通り此処で一泊してゆきましょう」
「ああ」
温度の無いアロイーズの返事がすっと部屋に溶けてゆく。
暫しの無音を、フィルマンさんの靴音が切り裂く。
彼は厳しい顔をして私達の部屋を出て行き、その後を追うようにエンゾさんも一礼して扉を閉めて姿を消した。
「…………」
私も、アロイーズも、暫く動けなかった。
だがどちらも現状を深く、深く受け止め、理解していた。
「……リーシャ」
「うん」
「情けない話なんだけど、少しの間だけ…手を、握ってくれないか」
「いいよ」
厚手の皮手袋を外してアロイーズの握り締められたままの手へ指先を伸ばす。
アロイーズの温度は、勿論伝わってこない。
でもそれで良かった。
今は、ただ、傍に在る事を伝えたかったから。
少しでもアロイーズが安心出来るのだったら良いのだけれど。
そう思いながら何度も硬い手を撫でた。
私の指先は恐ろしい程平静で、震えていなかった。
(何も考えたくない)
ピピさんの報告を受けてから私はずっとその言葉ばかりを唱え続ける。
(何も考えたくない、何も、今は考えたくない)
数日振りに湯に浸かった時も、温かな食事を口にする時も、徐に窓の外を眺め雪の無い冬の景色を久し振りに見ていても、夜に暖かな布団に身体を沈めても。
(何も考えたくない、何も考えたくない、何も考えない)
何時しか天井を見ていた瞳が閉ざされても。
(何も考えない、何も、何も考えてはいけない、何も考えない事を考え続けなければならない、何も考えるな何も、何も、何も考えない、何も考えるな、何も考えてはいけない、何も考えない、何も考えない、何も、何も、何も考えるな、何も考えないを考え続けろ)
起きて顔を洗い身だしなみを整え運ばれた食事を胃に収め予定通りにそれぞれが馬に跨り長い道のりを碌な会話もせず駆け抜けては寒々しい森を抜け街道を抜けを街を抜けまた再び街道を抜け森を抜け森を抜け森を抜け橋を渡り更に森を抜け平野を駆け森を抜けやっと人里が目に付くもそこには寄らずいつしか誰も食事や休憩の声を上げずに予定より早く次の街に辿り着きまた湯をもらい食事を摂り眠り起きて顔を洗い身だしなみを整え食事を摂り騎乗して早朝の街を出て街道を進み。
いつの間にか私達はヴュルテンベルク辺境伯領の領都へ到着した。
そして気付けば私の身体は領主の住まう城の一画にあった。
「リーシャっ!!!」
駆け寄って抱き締められた温もりが遠い。
ふわりと遅れて、豊かなジョンブリアン色の髪が彼女の背に落ちる。
私はいつものように強く抱き締め返そうとしたのだが、身体は疲れていたのかあまり腕は上がらず緩くオリアーヌの腕を撫でるだけしか出来なかった。
なのに彼女は力を緩めず、更に強く私を抱き締める。
「っ貴女だけでも…無事で、良かった」
「ありがとう」
濡れる感触が首筋に在る。
キリキリと心が引き絞られる心地から、オリアーヌの身体をそっと離した。
「まずは閣下にご挨拶をしなくちゃ」
「……そうだけど、リーシャ…貴女」
「お願い」
お願い。
今は一刻でも早く、閣下へお目通りをしたい。
大粒の涙を流していたオリアーヌが私の顔を覗き込み、またぽろりぽろりと宝玉のような美しい涙を零す。
「リーシャ嬢、ご案内いたします」
そう背筋を伸ばして告げるのはオリアーヌの傍に控えていたレオさんだ。
軍服を着ているとそういう人にしか見えない。
「ありがとうございます」
私は先導するレオさんやアロイーズの後を歩き、質素な石造りの城内を進む。
オリアーヌが私の横を通り抜け、小走りで先導するアロイーズの隣へ向かった。
何時になったらアロイーズは鬘を取るのだろう。
あ、オリアーヌが剥いだ。
ありがとう、やっぱり二人はお揃いの髪色が良いよ。
案内される道中は驚く程、人と擦れ違わなかった。
こんなに広くて立派な城内なのだから誰かしらと会うと思っていたのだが、事前に人払いをしてもらっていたのかもしれない。
質実剛健な閣下の様子に良く似合う部屋に通されると、そこには既にヴュルテンベルク辺境伯閣下と夫人が揃っていた。
「道中無事で良かった、アロイーズ、そしてリーシャ嬢」
「突然のご訪問にも関わらずお時間を頂戴致しまして恐縮で御座います」
「良い、構わん。疲労困憊なところ無遠慮だが、話せるか?」
「はい」
腰掛ける許可を頂き辺境伯夫妻の対面に座す。
私は身体が必要以上にソファーへ沈まないように力を入れ、背筋を伸ばした。
「まず、…御家の事は非常に残念だったな」
「重ねてのお心配り、ありがとうございます。
貴家の御温情に何も返せぬ矮小な我が身がお恥ずかしい限りです」
「ストラス家に支えられてきたのは私だけでなく、私達の子どもたちもですよ」
「そうであれたのなら至極恐悦です」
数秒、しっかりと頭を下げてから顔を上げた私を、夫人が物悲し気な眼をして見つめていた。
あの問題児だった子どもも随分成長した事でしょう。
「してリーシャ嬢、辛いと思うが事件当夜の動きを話せるか」
「はい。
急使としてアロイーズ様がストラス邸に到着の報せを受け、領主代理の兄ギランが執務室へ供を伴い向かいました。その後私と兄ギレムは私の自室で待機しており、そこへギランへの報告を終えたアロイーズ様が訪れ、ギランから受けたヴュルテンベルク辺境伯領への避難指示を伝達して下さいました」
「間違い無いかアロイーズ」
「相違ありません。ギラン殿は私が急使で訪問した理由を察し、リーシャ嬢を託す英断を速やかに指示なさりました」
「うむ」
「その指示をギレムと共に受領し仕度をしている最中、自室の伝令管よりギランによる急襲の報せと、ギレムと共に執務室へ来るように指示がありました」
「アロイーズ」
「は、ギレム殿によりますと伝令管は邸内に張り巡らされているため錯乱を狙った指示であるとし、リーシャ嬢は自室の隠し通路から邸外へ私達と共に脱出」
「リーシャ嬢、伝令管から邸全体への指示を発する事が出来る部屋は?」
「主に夜間警護の詰め所と執務室、会議室の三か所です」
「私の報告を受け、ギラン殿は速やかに警備体制の見直しを行っておりましたので、恐らく発令元は執務室かと推測します」
「…そうか。報告では、恐らくギラン殿とギレム殿と思われる御遺体が執務室前で見つかっている」
「兄達は最後まで戦い続けたのでしょう。
ところで当時、両親は夜会から戻ってきたという報せは受けていないのですが」
「伯爵夫妻と推測される方々は、玄関ホールで見つかったそうです」
「そう、ですか。閣下、夜間警護の詰め所は玄関ホールから遠くありません」
「…リーシャ嬢は私室で聞いた警鐘はギラン殿のものだけか」
「はい」
閣下は背中を背凭れに預け、溜息を吐いた。
「警備が鳴らしたにしては妙ですね、全体へ勧告をすべきでしょう」
「急使の応対をしていたからこそ兄は執務室に居ましたが、普段あの時間帯の執務室は無人です」
「であろうな。警備の初動体制は知っているか?」
「はい。会敵した場の担当護衛達が応戦しつつ一名は夜間警護に詰めている者へ伝令に走ります。外郭の見張りや詰め所に居る人物が先に気付けば邸全体への警鐘を鳴らしまして、その後は上階への侵入を防ぐために階段を封鎖しつつ持ち場にて待機します」
「アロイーズ」
「我々が居たリーシャの私室は三階の奥でしたし、賊の近づく気配がする前に隠し通路へ入ったので対応が間に合ったかどうかまでは把握出来ておりません」
「そうか」
「外に賊は居なかったのですか?」
「リーシャ嬢を伴った我々の脱出口は裏庭でしたが敵影はありませんでした」
「…会敵もせずに脱出出来たのか」
「はい、馬を解く時間すらありました」
「そこのストラス邸護衛は?」
「おりませんでした」
「平素から夜間の厩番は庭番も兼ねておりますので、時間帯によっては不在です」
「成程」
閣下は静かに瞼を閉じ、暫く報告内容から推測できる事を纏めていらっしゃるようだった。
ストラス領でも見た事が無いほどの険しい顔つきのまま、ゆっくりと目を開くと数度瞬きをした後に私を見つめる。
「…ピピの調査で把握出来ているのは、襲撃で逃げおおせた邸の人間が居ない事。
そして邸の炎は一昼夜燃え続けた事。
また、一階の使用人用通路で毒が焚かれた形跡による金属変色が見受けられた」
「毒?」
「恐らく邸の警備兵を狙ったものだろう」
「ならばあらかじめ我が邸に賊が混じっていたと?」
「そうとも考えられるし、そうではないかもしれない」
「確かに護衛の無力化が出来れば襲撃はしやすくなりますが、ただ暗殺目的の賊にしては用意が周到過ぎるとも取れるのです」
「そして全焼した邸であってもそれをピピが見抜けたのは、我が領で特に注意すべき毒と指導しているものだからだ」
「…賊は、隣国の者でしょうか」
「その可能性があると私は見ている。
少なくとも隣国と繋がりのある者が実行計画に加担している、と」
「ヴュルテンベルク辺境伯領での目撃情報は?」
「らしきものは、ない」
「左様ですか」
小さく頷く私に、閣下が少しばかり目を細める。
「これを聞き、リーシャ嬢がどうするのかは自由だ」
「ありがとうございます」
再び狙われる可能性がある此処に留まるか、否か。
そう問い掛ける視線を私は見つめ返す。
「重ねて厚かましいとは重々承知しておりますが、どうかヴュルテンベルク辺境伯領に滞在することをお許し頂けますでしょうか」
「勿論それは構わない」
「ありがとうございます」
「…到着早々、辛い話ばかりをさせた」
「お心遣いありがとうございます」
「リーシャ嬢の部屋を用意してありますから案内しますわ」
夫人が音も無く立ち上がれば、目元を赤くしたオリアーヌもそれに倣う。
私は二人を見上げ慌てて口を開いた。
「差し出がましいお願いなのですが、地下牢など音漏れが無く御家の私室と離れた場所をお借りしたく」
「リーシャ?」
この発言に驚いた顔をしたのはオリアーヌや夫人だけでない。
アロイーズの視線が私の横顔に刺さる。
閣下だけは、静かに目を閉じて黙していた。
「オリアーヌ、そういう場所あるかな?」
「何を言っているの?地下牢にリーシャを入れるなんて出来る訳ない!」
「罪人扱いをして欲しいって意味じゃないの」
「じゃあどうして」
またオリアーヌが泣きそうに顔を顰めた。
ああ、折角少し落ち着いたのに、ごめんね。
「オリアーヌ、北の塔の貴賓牢をご案内しろ」
「お父様まで何を!」
「領主命令だ。リーシャ嬢、世話係の希望はあるか?」
「ありがとうございます。扉の外に配膳をして頂けますと幸いです」
「分かった。ピピを付ける」
「しかし彼女は…」
ピピさんもストラス領からヴュルテンベルク辺境伯領へ戻ってきたばかりだ。
私達より先行して到着しては居るものの、連日動き回っていたのだからゆっくりと休息すべきなのではないだろうか。
そう案ずる意識を察されたのか、閣下は緩く頭を振られた。
「元よりリーシャ嬢に付けるつもりだったのだ、気にするな」
「重ねて、御温情ありがとうございます」
「オリアーヌ、案内せよ」
「……はい」
オリアーヌが鉛を飲み込んだような重い返事を零す。
彼女が動く衣擦れの音より早く、応接室に控えていた数名の侍従が退室した。
恐らく各所へ変更を報せに向かったのだろう。
折角夫人達が部屋を用意してくれていたというのに、我儘を申し訳ない。
でも、これは厚かましくも、譲れないのだ。
「ありがとう、ごめんねオーリ」
「家族の私室と同じ場所にリーシャの部屋を用意したのだから、人目にだって早々つかないのよ?」
「そっか…配慮してくれたんだね」
「当たり前じゃない!!」
北の塔までの人払いが済むまで、暫くの合間、オリアーヌは閣下の決定であろうと納得できないのか未だに準備した私室を使うように私に言い募る。
「ピピだって私だって、リーシャを守りたい。
傍に居たいのに、それすらさせてくれないの?」
「それを言われると弱いのだけれど」
「なら今からでも」
「オーリ」
黙っていたアロイーズがやっと立ち上がり、オリアーヌに制止の声を掛ける。
彼は私に背を向けたまま静かに彼女と向き合う。
「今は、リーシャの望むようにしてあげるのが優しさだよ」
「……でも、アロ」
「僕らは道中でピピの簡易報告を受けた。
でも目下優先すべきは領地へ無事に辿り着く事だった…分かるかい?」
「……………」
オリアーヌはそれきり口を閉ざし、北の塔へ先導する際も無言だった。
アロイーズも我慢していたから私の願いの意味を理解してくれたのかもしれない。
何にせよ、言い辛い事を言わせてしまって申し訳ないな。
私がちゃんと言葉にすれば良かったのだけれど、口にしたらもうその場で止められなくなりそうだったのだ。
ごめんねアロイーズ、キミも同じなのに。
ごめんねオリアーヌ、心配してくれているのに。
「リーシャお嬢様」
「ピピさん、疲れているのにありがとうございます」
「御気になさらずに。部屋に呼び鈴を設けましたので御用の際はご利用ください。
他に何かすぐご入用の品は何かありますか?」
「いえ…大丈夫です」
貴賓牢の前には既にピピさんが待ち構えており、一通り部屋の造りや備えた品を丁寧に案内してくれた。
それが終わるともう退室して構わないのだが、ピピさんはじっと私の顔を見つめ、くしゃりと目を潤ませて顔を崩した。
「伝言を、届ける任務、果たせず…申し訳ございません」
その言葉に息が乱れた。
どうにか、震える指先を自分で握り締めて平静を装う。
「良いの、分かっていたから。
寧ろピピさんを苦しませてしまいましたね」
「いえ…いえ、私の事は…すみません、お見苦しい所をお見せし失礼いたしました」
ポロリと彼女の瞳から涙が零れたと思った時には、一礼をし退室してゆく。
ああ、ピピさんまで悲しんでくれるのか。
なんだか少しだけ落ち着いたと思ったのは束の間で、ぽつんと残された部屋の中で特に目立つ、品のある天蓋付きの大きなベッドへと足を向けた。
「…………」
掌を滑らせればしっとりと柔らかな感触。
冷えた心地は横になるのは寒いだろう。
ああ、お兄様達からもらったストールを持ち出せていれば良かったのに。
少しでもあの温もりを思い出せるのに。
「……ラン、兄様…………レム兄様ぁ………」
ぽつり、ぽつりと落ちる雫が寝具に染みをつくる。
「お父様っ…お母様……っ」
せめて二人の戻りが遅ければ、襲撃に巻き込まれずに済んだかもしれないのに。
きっと家族愛の深い二人の事だから、急使の持ち込んだ情報よりも、邸に残された子供たちを心配して夜道を急いだのかもしれない。
目に浮かぶ。
心配で顔を顰めるお父様と、それを宥め平静を装いながらも内心不安でいっぱいなお母様。
玄関ホールに遺体があったという事は、到着してすぐに襲撃されたのだろう。
惨い、惨過ぎる。
子を思い駆けた先でそんな憂き目に会うだなんて、あの二人に許されるはずがない。
もっと、もっとお父様もお母様も、子どもに見守られて安らかに人生を謳歌すべき、素晴らしく優しい人達なのに。
こんなのって無いよ。
どうして、暗殺計画の狙いは私だけじゃなかったの?
結果、巻き込まれた家族ばかりが命を奪われ、私だけが生き残っている。
アロイーズ達が掴んだ情報は、本当だったのだろうか。
元より一家惨殺が目的だったのではないかとすら、考えてしまう。
「あぁ…ああああ!!!!!!」
もう会えない。
もう何処にも居ない。
私の家族。
私の最愛。
私の宝。
この世界で出会った何よりも愛おしい家族。
私が守りたかった人達。
私の安寧。
私の世界。
私の全て。
殺された。
奪われた。
燃やされた。
その姿の判別が難しい程、劫火に晒されたお兄様達。
最後まで逃げずに戦った勇敢で、優しい私だけのお兄様達。
もう私を抱き締める、あの温もりは二度と手に入らない。
ギランお兄様の力強い抱擁も、ギレムお兄様の柔らかい掌も、何もかも。
失われてしまった。
「あああ、ああっ……あああああぁ!!!」
私の慟哭は一昼夜を越え、いつの間にか気を失い目覚めれど、また家族の事を思い出してはその想いのままに泣き叫ぶ。
もう止めなくて良い。
もう我慢しなくて良い。
私は、この世界で最愛の家族を失った悲しみを嘆き続けた。




