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パドマの箱庭  作者: 菌床
二章:忘れ得ぬ温もりよ
40/50

閑話:遁走する一行


 燃えるストラス邸を振り返る事なくアロイーズ達一行は夜通しで駆け、合流地点としてピピに指示を出している街のとある宿へと到着した。


「部屋は空いているだろうか?」


天候は雪のため、時刻は昼過ぎだと言うのに薄暗い。

ぼんやりとした天気には似合わない笑顔を添えて部屋の有無を尋ねるのは、まさかのアロイーズ本人だった。

懐から家紋の入った懐刀をちらつかせれば、受付の老婆が目を見開く。


「…ええ、ええ空いておりますとも。幾つご利用です?」

「二つほど」

「一つは続き部屋にしましょうかねぇ」


老婆が抱き上げられてぐったりとしている人物のフードから零れる長い髪を見て、気を利かせたようにそう提案するもアロイーズは首を横に振った。


「いや、同じ造りの部屋で構わないよ」

「左様ですか。ではご案内しましょう」


受付を簡単に済ませると老婆は懐から鍵束を出し、一行を客室へと案内する。

その足取りはゆっくりとしたものだが随分と確かだ。

質素ながら清潔な二人部屋をそれぞれ開きながら、彼女は再びアロイーズへ問い掛けた。


「お食事は如何なさいます?」

「とりあえず三人分を部屋でもらおう。

 もう一人分は声を掛けた時にでも構わないか?」

「ええ、ええ、勿論です」


そう愛想よく答えてまた確かな足取りで老婆は階下へ降りて行った。

小さな曲がった背中を横目で見送りながら、リーシャを抱えた護衛のエンゾがそっと声を漏らす。


「アレもウチの者ですか」

「というより臣下の縁者だ」

「耳にした事はありましたが、実際に居るんですね」

「エンゾは若いからなぁ」


闊達に笑いながらアロイーズ達の部屋を念の為確認していたフィルマンが室内から手招き、リーシャをベッドに降ろすように指示を出す。

相変わらず彼女の顔色は冷えたからか真っ白だ。

汚れた口元は休憩の合間で拭ったとは言え、あれから一度も起きないのはどうしたって心配になる。


「低体温症にはなっていないと思うのですが」

「婆に温石を貰ってきましょう」

「そうしてくれるかい」


何度も冷たい頬をアロイーズが撫でるも、掌の温度は奪われるだけでリーシャの身体を滑り落ちていくような心地を覚える。

それでも止めないのは彼自身が安心したいからもある。


(リーシャ…)


森でのあの光景を見なければ、アロイーズももう少し気持ちは楽だった。

どう考えたってあの煌々とした赤は嫌な事を想像させる。

今は、自分の瞳の色すら目に入れたくないと願う程。


暫くすると温石と共に湯気の上がる温かい食事を乗せたワゴンをエンゾが押して部屋に入って来た。

アロイーズはすぐに温石をリーシャの足元に入れ、布団を整える。

その間、護衛二人は備え付けのテーブルに並べ毒見を始めていた。

しかしそれもそこそこに、アロイーズが席につけばすぐさま食事を始める。


急使として駆けてからやっとまともな食事だ。

内臓が喜ぶのが分かる。

温かく優しい味付けのスープが冷えた身体には良く沁みた。


「リーシャ嬢には白湯を貰ってきましたよ」

「ありがとう、流石に気が利くな」


きちんと陶器の吸い飲みを用意してくれてあり、アロイーズは自分の食事の手を止めてリーシャへ温かい内に白湯を飲ませようとするも飲む気配はない。

代わりに付いていた布を湿らせ、その口元に押し当てる。


「やっぱダメですか」

「後程暖炉で沸かす道具も借りてきましょう」

「すまない」

「謝らんでくださいよ、迷惑じゃないんですから」


気が良いエンゾが歯を見せて笑うのを見てアロイーズもそっと口元を緩める。

対してフィルマンは少し面持ち硬く、ベッドの上のリーシャを見つめる。


「しかし道中も意識が戻らないとなると心配ですな」

「そうだね…こうして温かい場所で休めれば回復してくれると願おう」

「ストラス家の護衛の一発を見て、俺も調節したつもりなんですがね…」


やり過ぎたのだろうかと肩を落とす大男の姿は哀愁を漂わせていた。

アロイーズの代わりにリーシャを黙させ止めるという憎まれ役を担ってくれただけで、本来フィルマンも豪胆だが優しい人間だ。


「リーシャに恨まれるのが怖いのかフィルマン」

「そりゃあ坊ちゃんの大事な御方ですからねぇ」

「ふ、それが分かっていれば大丈夫だよ。

 あの時はリーシャじゃなくたって平静を欠く状況だったし、僕もあの言葉には檄されたよ…改めてありがとうフィルマン、心強いよ」

「やだやだ、人を年寄みたいに」

「そうは言ってないだろう」


軽い笑い声が部屋を満たしたのは束の間。

アロイーズは食事の手を止めずに、今後の流れを打ち合わせる。


「まずはピピとの接触をする。

 食事を取ったらフィルマンにはリーシャの着替えを買ってきて欲しい」

「分かりました、男物で?」

「そう、帽子も忘れずに。あと、あれば魔法使い用のローブが欲しい」


いくら旅装をしていると謂えど、襲撃があった直後だ。

性別を誤魔化す程度の捻りは入れないと目に付くだろう。

まずは女性特有の長い髪を隠すのは必須で、口元を隠すだけでも随分印象は変わるだろうから魔法使い用のローブがあれば猶良い。

旅装の上着にはフードもあるから目元だけが出る状態で、明らかに不審ではあるものの魔法使いが旅をする場合はそんな恰好になるのだ。


「エンゾは仮眠後ピピとの合流点になっている酒場で情報収集を。

 …一晩でどれだけ情報が出回っているのか、定かではないけれど」

「分かりました、飲み過ぎません」

「おいおい、あれだけ連日で駆けた後で飲むとすぐに酔うから気ぃ抜くな」

「ウッス」


本当はもっとしっかり休ませてやりたいところだが、まだストラス領から出たばかりで距離は取れていない現状から安心することが出来ない。

何よりリーシャが意識を取り戻さないと移動速度も上がらない。


(どうしたものか…)


食事を終え、一人、リーシャの側でぼんやりとアロイーズは咄嗟に拾った耳飾りを見つめながら考え込む。


リーシャがヴュルテンベルク辺境伯家へ避難するのは、ギラン兄様やギレム兄様の迎えがあると信じているからだ。

彼等ストラス家の無事という根底が揺るがされた中で彼女がどうでるのか、正直、アロイーズには見当がつかない。


リーシャは妙なところで行動力がある。

もし、ストラス領に戻るとなれば自分はどうするべきなのか。


(傍にいたい)


だがそれを許される身ではない。

ただでさえ今は隠密行動中である。

リーシャがストラス領へ戻るとなれば必然とその身を護るアロイーズも人の目に触れる事となるのだ。


(歯痒い…何故、表立って大切な人を護れないのか)


元より十二歳がリーシャの転機と知っていたのに、駆け付けてもこの始末。

叶うならば危惧する一年をヴュルテンベルク辺境伯領で過ごしてもらうように、どうにか手を回す事だって自分には出来たのではないだろうか。

遠くからやきもきして、何とかオリアーヌと協力して周囲を納得させ、諜報員を置く程度で満足している場合ではなかったのでは。

そんな取り留めのない後悔ばかりが押し寄せる。


守りたいのは身体だけじゃなく、心だってそうだ。


それに、リーシャだけでなくギランもギレムも、アロイーズにとって大事な人だ。


ただ、リーシャを守る事が彼等の心を救う事にもなると考えていただけで。

決して蔑ろにしていた訳じゃない。

なのにこんな仕打ちは、あんまりだろう。


そう零したくなる思いも相俟って無力さがその身に重く圧し掛かる。

アロイーズの掌の中で静かに輝く、あの美しい湖を思わせる藍玉色のガラス玉を通して、穏やかで優しい尊敬する人の身を思う。



「………ん」

「!」


ふとベッドの上で身じろぐ気配にアロイーズは椅子を蹴倒して立ち上がる。

駆け寄れば、リーシャは緩慢な動きで瞬きをし、眩しそうに顔を顰めた。


「リーシャ、リーシャ」

「……」


ゆっくりと彼女のセルリアンブルーの瞳がアロイーズを捉える。

彼女は魅入るようにそのベゴニアのような赤い瞳をじっと見つめていた。


「僕が分かるかい?」

「…ぉ」


暫く水分を取っていなかったからだろう。

けほりと小さな咳を零した彼女の口元に、慌ててアロイーズが吸い飲みを口に当てながら介助をする。

白湯は冷めてしまったが、冷え冷えとした水よりはマシだろう。

こくりとやっと嚥下する様子にアロイーズは心から安堵した。


「ん、…ありがと」

「食事も摂れるよ?」

「それより情報が欲しい、入っている?」


まだ白い顔をしたままのリーシャが見上げてくる。

アロイーズの言葉が詰まるのをどうとったのか、彼女はふっと目を逸らし、部屋の中へ視線を巡らせた。


「…ヴュルテンベルク辺境伯領までは、どのくらい?」

「まだ、まだ先だよ」

「そっか…ごめんね、昏睡していた人間が一緒だと大変だったでしょ」

「大丈夫だよ、そんなの気にしないで」


宥めようとリーシャの額を撫で摩る。

彼女は眼を細めるも、血の気を失った唇は緩む事は無かった。


「どれくらい私は意識が無かったの?」

「一晩くらいだよ」

「ん、分かった…アロは休んだ?顔色悪い」

「リーシャと一緒に休むよ」


こんな時でもリーシャはこちらの心配をしてくれる。

辛いのは、自分だけじゃないと分かってくれている心にアロイーズは縋りたくなった。


ずっと張り詰めていたものが緩むのを感じるも、ぐっと唇を噛み、耐える。


「やっぱり食事が欲しいな、貰える?」

「うん、頼んでくるよ」

「護衛さん達は?」

「一人は仮眠中、もう一人は買い出し」

「じゃあアロが部屋の外に出るのは良くないんじゃ」

「大丈夫。ここはヴュルテンベルク辺境伯家の臣下の遠縁にあたる家が営む宿だから、僕の方が融通が利くんだ」

「そうなんだ…安心出来るね、アロ」


その言葉が何だか鉛のように重く、アロイーズの心に沈んでいった。


決してストラス領が安心出来ない場所な訳じゃないのに。

リーシャの言葉は自虐するような色合いを伴っているように聞こえてしまった。


(沈むな、という方が無理がある。でも…そんな言い方をして欲しくない)


「リーシャ」

「ん?」

「ストラス家は、ストラス領は、僕らの憩いだよ」


堪らず、言葉で表せば彼女は眼を数度瞬かせ、無表情のまま頷いた。


「ありがと、嬉しい」


リーシャの言葉は温かいのに、表情が動かない。

それを目の当たりにした時の不安を、まだアロイーズはどう受け止めれば良いのか分からなかった。

ただ、ただその冷たい目元を奮える指先でなぞり、静かに撫でる。


「……休むかい?」

「ん、食事出来たら起こしてくれる?」

「いいよ、ちゃんと起きてね」

「寝起きはアロより良いよ」


ストラス邸で過ごした時、実は誰よりも寝起きが悪いのがアロイーズだった。

それを引っ張り出して語るリーシャの声は軽いが、やはり表情は動かない。


(ああ、レム兄様、ラン兄様…僕では代わりになりません。

 どうか、早く…リーシャに逢いに来て下さい)


そう祈る思いを胸にアロイーズは気丈な笑みを浮かべ、部屋を後にした。

廊下に出た瞬間に零れた涙を拭い、握り締めていたままの耳飾りをそっと懐に戻して階下へと足を向けた。




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