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パドマの箱庭  作者: 菌床
二章:忘れ得ぬ温もりよ
39/50

37:十二歳の悲憤 [記憶]

本日(5/16)は二話(閑話+この話)投稿しております。


 夜分に急使がストラス邸を訪れたとのことで、領主代理として詰めていたギランお兄様が家族の談話室から忙しない足取りで出て行くのを見送った私は、隣に腰掛けたままのギレムお兄様を見上げた。


緊迫した面持ちで扉を見つめていたギレムお兄様だが、私の視線に気づくと普段通りの穏やかな笑みを浮かべて優しく頭を撫でて落ち着かせてくれる。


「急使が訪問した旨は父上のところにも報せが向かうから大丈夫だよ。

 それに僕たちにも関する事ならすぐにランが戻って来て話すだろうし」

「そうですよね…此処に残って待っていた方が良いでしょうか?」

「いや、リーシャの部屋に行こうか。

 僕もそこで待つよ。だってリーシャはそろそろ眠る時間だろう?」

「流石に起きておりますよ」


何度も髪を梳き、地肌を撫でる温かい指先に目を細めながら私が笑えば、ギレムお兄様も愛おしそうに表情を緩めてくれる。

うーんいつだって安定のこの撫でスキルは落ち着きます。

というか撫でられて眠くなるのですが。

もしやそれを狙っておられます?


私とギレムお兄様は連れ立って談話室から私の部屋へと向かう。

なおその旨もギランお兄様へ届けるよう廊下で控えていた使用人に伝えてある。


「それにしてもこの雪の中を駆ける急使は大変でしたでしょうね」

「以前、父上を置いて邸に戻った時に僕等も似たような事をしたから分かるよ。

 雪で視界がほぼ見えないから、吹雪の中で走らせるのは相当神経が磨り減る」


一昨年の新年明けにギランお兄様とギレムお兄様は、ヴュルテンベルク辺境伯家の双子と離れなければならなくなった私の心情を慮って駆けてきてくれた。

その時に経験したものであろう。

当時は弱音や恐怖を教えてくれなかったが、やはり大変な思いをされたようだ。


「お兄様達に怪我が無くて良かったです、本当に」

「道を分かっていたのもあったし、吹雪の中で走るのにもそれなりに慣れていたから何とかなったのだろうけれどもね」

「本当に、急使の方にも頭が下がる思いです」


まぁ今夜は吹雪いてもいないし、薄曇りだとしても時折月灯りが注ぐ静かな夜だ。

まだ最悪の天候、という訳では無さそうで幸いだろう。


私の自室に着けばメロディはマノンから寝室準備の指導を受けていたのだろう、二人が揃って出迎えてくれるが、見送りだけでなく室内に入って来たギレムお兄様へ少し驚いた顔をする。


メロディは邸で働き出してまだ日が浅いので、私とお兄様達の距離感を然程思い知っていない。

もうべたべただから覚悟して下さいな。

他家では、妹とはいえ十歳を迎え社交の場にも出られるようになった女性の部屋へ夜分に出入りをする事は稀だろうが、御覧の通りストラス家ではよくあります。

まぁ以前に比べたら段違いで少なくなった方ですけど。

あー寂しい、いつだって私はお兄様達と一緒に寝ますよ。


普段は談話室から戻ればすぐに寝室へ向かうため、居室の暖房は用意してもらっておらず肌寒い。

せめて待機するマノン達が寒くない程度に使っている程度なので、慌ててメロディが気を利かせ暖炉へ薪を頬り込むのを私が止めた。


「ありがとうメロディ、でも寝室でお話するから大丈夫よ」

「え!は、はい」

「二人も寝室で控えていて。居室では寒いでしょう」


私はマノンとメロディも寝室へ誘い、ギランお兄様のお声掛けを待つ事にした。

いやぁ居室を温めてもいいんだけど薪が勿体無い精神がね。

少しでも我が家は倹約しなければならないのは変わらないのだ。

何たって私が嫁ぐためにな!すまんが協力してもらいますぞ。


と、いう訳で私とギレムお兄様は仲良くベッドに腰掛け、マノン達は小さなスツールに腰掛けて待機してもらうことになった。

寝室はしっかり温めてくれてあるので居室よりも随分温かい。


「リーシャはベッドに入っていても良いんだよ?」

「そんな事をしたら寝てしまいます」


くすくすと笑いながらギレムお兄様は魅力的な提案をしてくれるが今は断固として乗りません。

乗ったら最後、寝つきの良い私はすぐに夢の世界へと旅立つだろう。

しかも今ならギレムお兄様の撫で付きだ。

もう普段以上にスヤァするのが目に見えている。


「せめてラン兄様からのお話を聞かなければ」

「まぁそれよりも先に父上達がお戻りになるかもね。

 だってもうそろそろ、予定では帰ってくる頃合いだろうし」


確かに、聞いていた予定ではもう夜会は終わっている時間だ。

珍しく今年は数家、ストラスの別荘に滞在している貴族達がおり、その関係で夜会というか規模的には食事会に両親は出向いているのだ。


「冬でも他家が滞在されるのは珍しいですよね」

「それこそリーシャの働きかけの効果だよ。

 どこの家も家督を譲られた御方ばかりが憩いにいらしているからね」

「この季節のストラス領も楽しんで頂きたいですねぇ」

「もしかしたら新年のご挨拶にはリーシャも行くかもしれないね」

「だと嬉しいですね!何か楽しめるものを手土産にしましょうか」

「ふふ、本当、リーシャのそういう前向きな持て成しの心は良いよね」


そりゃあストラス領をオールシーズン観光地として売り出したいですから。

持て成しというよりは商魂である。

消費に繋がる手見上げをまた新たに考えなければならないな。


「ゆくゆくはお孫さんと秋から滞在して下さるようになっても素敵ですね!」

「雪遊びが出来るのは、中々得難い経験だろうからね」


あれこれギレムお兄様と冬の遊びや楽しみ方などを話している内に居室の扉を叩く音が聞こえ、さっとメロディが立ち上がり対応へと向かう。


「ラン兄様だわ」

「父上かもしれないよ」


そう話ながら、ちらりとギレムお兄様は時計を見た。

確かにもうお戻りになっても良い頃合いだがどうであろうな、と私が考える間もなく、おずおずとメロディが寝室へ顔を出す。


「あの、リーシャお嬢様」

「どうしたのメロディ?」

「ギラン様ではなく、急使の方がお見えです」


それを聞きさっとギレムお兄様が立ち上がった。

家族なら私の私室へ訪れるのも不思議ではないが、急使が訪れるのは可笑しい。

しかも日中ではなく夜分だ。

どう考えてもギレムお兄様が許可を下ろすとは思えず、一気に緊張が走る。


マノンも速やかに私に厚手の上着を羽織らせ寝巻姿を隠す。


「メロディ、急使の方は」

「入り口にお待たせしております」

「うんそれで良いよ、僕が出る」


ギレムお兄様は一度私を振り返った。

了承する旨で私も頷き返せば、すぐにギレムお兄様は威厳ある足取りでメロディと共に居室へ移動された。


ギレムお兄様が居室へ移動した後も寝室の扉は開いたままにし、すぐに閉じられる死角に私は控えて会話を盗み聞かんと息を潜める。

というかお兄様に何かあったらすぐに応戦できるよう、マノンへ枕元に隠してあった小剣を持ってくるように指示を出した。


おい急使何しに来やがった。

ギランお兄様に何かしたとか無いだろうな!

されるが儘になるような御方じゃないと分かっているが剣呑な空気を纏い、神経を尖らせる私の耳に届いたのは聞き間違える事も無い懐かしい声だった。


「ご無沙汰しております、レム兄様」

「アロくん!?」


ギレムお兄様が驚嘆の声を漏らす頃には私は寝室から飛び出していた。


「アロ?!アロなの!本物っ?!」

「リーシャ!」


騒ぐと分かっていたのだろう、素早くギレムお兄様はアロイーズとその護衛達を私の居室へ通してくれていた。

廊下で苦笑しているエタンの顔が少しばかり見えた。


見慣れない旅装に加え、背も伸びぐっと大人っぽくなった相手が破顔する。

確かにその笑みは私の良く知る大事なアロイーズだ!


堪らず駆け寄り、当然のように広げられた腕の中に飛び込む私を、彼はしっかりと抱き留めてくれ再会の抱擁を交わす。

ああもう全然抱き着き心地が違う!硬い!なんか仕込んでいるのか!

でもアロイーズの匂いだ懐かしい!こんな匂い!優しくて爽やかな匂い!


「わーーーーっ!!アロだ!アロだ!!嬉しい!!嬉しいーーー!!」

「うんっ僕も逢えて嬉しいよリーシャ!ははっ変わらずで安心する」

「私だって背も伸びたし大人っぽくなったでしょうよ!」

「うんうん、行動が変わらないって意味だよ」

「一言余計だよ!あははアロもそういうとこ変わってなーい!」

「うん、ふふ、うん…嬉しい」


ぎゅうとお互いを抱き締める力が更に強くなる。

はぁ本当に嬉しい!アロイーズ達とこうした触れ合いが出来るのはもっと先の未来でかと思っていたから望外の喜びだ!

頬擦りをして互いを堪能する私達を優しい目で見ていたギレムお兄様は、メロディに暖炉へ薪を足す様に指示を出す。


確かにアロイーズだけなら別に寝室で話すのも良いのだが、護衛達は流石に厳しい。

私も既に十二歳だ。

まだまだ子どもとは言え、その辺りはしっかりしないといけない歳である。

いや既にもう此処でアロイーズと戯れているのでお察しだろうけれど。


「アロだけ?オーリは?急使って事だから流石に一緒じゃないの?

 まぁいいや兎に角座って座って!まだ部屋温まってないからあのストール持ってくるよ!もう既に懐かしいでしょアロ!」

「リーシャ、それはマノンに頼むからまずは座ろうか」

「はいっ!」


満面の笑みでギレムお兄様の提案に頷き、私はアロイーズの隣に腰掛ける。

夜分に主の私室へと訪れた、顔のやたら整った急使にメロディは未だ混乱をしているのか目をしぱしぱと瞬かせている様子がなんとも可愛らしい。

マノンが気を利かせ、一緒にストールを寝室へ取りに向かう。


「顔が見れて嬉しいよアロくん、元気そうだね」

「僕もレム兄様やリーシャの顔が見れて凄く嬉しいです」

「ねー!だって夜会で会えても話は出来なかったんでしょアロ達?」

「そうなんだよ、だからこうしてお話出来るのも凄く、嬉しいんだ」

「ふふふ、その髪色ももしかしてお兄様達の?」


私がアロイーズの頬に掛かる柔らかな茶色の髪を指先で玩べば、彼ははにかんで小さく頷いて見せる。

何だかんだ言ってアロイーズもお兄様達大好きだもんなー!

そりゃ選択肢の中に似た色味の鬘があれば選ぶわ。

私だとあんま変わり映えしないので、ちょっと羨ましい事である。


「それにしても鬘で変装する程?」

「リーシャが思っている以上に社交界ではアロくんとオーリちゃんの外見は有名だから必要処置だろうね」

「でも旅装しているのに」

「誰に何処で見られるか分からないからね」

「はぁー」


何とも大変な務めだ、急使とやらよ。

というか最早密命でも帯びて訪問したのでは無いかという勢いだ。

え?違うよね?え?まさか辺境領に隣国が攻めて来たとか?

でもそれなら猶更アロイーズが一人で、護衛も一緒だが、ストラス邸まで来るのは可笑しいと思うのだが。

もしかしてオリアーヌは婚約者の元に避難しているとかなのか。


「アロくんが急使って事はヴュルテンベルク辺境伯家からの報せなんだね」

「…そうです」


すっと、アロイーズの表情から緩やかさが消える。

ギレムお兄様の言葉に頷き返すものの、視線はすぐに私に戻された。


「リーシャ」


アロイーズが差し出した拳の下に、私は小首を傾げるも手を伸ばす。

渡されたのは、見慣れた椿色のガラス玉が嵌ったイヤーカフだ。


ひゅっと息を潜めたのは私だけでなく、ギレムお兄様もだ。


「アロくん、これは」

「恐らく僕の話を信じてもらうため、ラン兄さんが渡してくれたと思っている」

「どういう事?ラン兄様は!ラン兄様に何かあったの!?」

「落ち着いて、違うよリーシャ!

 今は執務室でお話を詰めてらっしゃるから此処に向かえないだけ」

「…それだけの、報せという訳なのか」


ぽつりと零したギレムお兄様の言葉が、重く私に圧し掛かる。

直接ギランお兄様が話に来れなくなるほどの重要な話にも関わらず、アロイーズが説明する事任されるような内容とは何なのだ。

そんなの、嫌な予感しかしないじゃないか。



「ヴュルテンベルク辺境伯家の諜報部員が、ネウストラ公爵家がリーシャの暗殺を企てているという情報を掴んだ」



真っ直ぐに、アロイーズのベゴニア色の瞳が私を見据えて告げた言葉の意味を理解するのに、凄く、時間が掛かった。

その間、誰もしゃべらず、物音一つしなかった。


「…ネウストラ公爵家、って事、は…ユーデス様、が?」


呆然と聞き返す私の言葉にアロイーズは一度唇を噛み、重たい口を開く。


「それは、分からない」

「ネウストラ公爵家の者がって言葉の方が正しいのかな?」

「誰が主導しているのかまでは掴めていません。ただ、そういう目論見があると」

「何時の話かな?」

「三日前です」

「…それを、よくこんな短時間で、運んでくれたね」


ギレムお兄様が感慨深い溜息を零しながら、アロイーズを見つめて頷く。

少しばかり照れくさそうにアロイーズは目線を下げて頭を下げた。


確かにそうだ。

王都から普通の道程でも一週間以上はかかるような北の領地だ。

それを三日で運んできてくれたのだ、しかもこの冬の厳しい時期に。

そう考えると驚異的な移動速度だろう。

どんなにアロイーズが私に、私達に届けようとしてくれたのか痛感する。


「ありがとう、アロ」

「リーシャ…」


きゅっとギランお兄様へ贈ったイヤーカフを握り締める私を、彼は痛ましいといった面持ちで見つめていた。


「うん、『ユーデス様は違う』、そうを信じるのは私自身ね」

「リーシャがそう信じるのなら僕はそれを信じるよ」

「アロ…ありがとう」


私はしっかりと顔を上げ、アロイーズの優しくも頼もしい面持ちを見つめ返す。

流石、ギランお兄様が話を託すだけの事はある。

勿論ギランお兄様に話してもらっても信じるのだろうけど、他の者であればそうは中々いかなかっただろう。


「感謝の言葉は全てが明らかになって、落ち着いてから改めて聞きたいな」

「うん!勿論だよ!」


笑みを零して見せれば彼は少し安心したように微笑みを浮かべた。

急使として届ける間、アロイーズだって不安だったのだろう。

私がユーデス様と悪くない仲なのは知っているし、信じてもらえたとしても反応がどのように返ってくるのかはやはり直接話さなければ分からない。


何よりも私達の間にある秘密だ。

アロイーズが見た夢。

その中で十二歳の私が死んだ原因が、今回の事と彼も思ったに違いない。


私も今ひしひしと感じている。

これが死亡フラグではないか、と。


「事故に見せかけて、とかかな」

「その線もあるけれどリーシャは領外への移動を殆どしないじゃないか」

「ユーデス様の名前で呼ばれれば向かいますよ」

「…それを踏まえてのあの手紙、とは思いたくないね」


ギレムお兄様のお言葉に私はぎょっと目を丸くした。

あの切実なユーデス様の手紙が、私が策謀された馬車事故に遭うかもしれないという危惧から届けられたとしたのなら、それではユーデス様も私の暗殺計画を知っているという事になる。


でも、そうならば彼が私の移動を不安視して付き添うのも納得できる。

寧ろ私やアロイーズの秘密を知らない人たちからすればその方が腑に落ちる。


企みを知っていたが、私と気持ちを通わせた故に取り止めを進言したユーデス様。

彼の行動を制限するためにも王宮で監禁されるように働かされ疲弊しているのが現状だ、と考えれば確かに辻褄も合う。


私への手紙も監視されているからこそ直接的な話を記す事も叶わず、誕生日の贈り物代わりに私の移動を止めているのはせめてもの抵抗なのかもしれない。


(そうだ、アロにもユーデス様が私の『未来』を知っているかもしれない事をどうにか相談したいな)


ギレムお兄様の鋭い指摘に内心怯みながら私は何とか言葉を紡ぎ出す。


「ねぇ、アロは何時までストラスに居るの?

 疲れているのに悪いけど、この件をどう思うのか是非聞きたいのだけれど…」

「少しだけ休むけど出立は明日の早朝だからまだ時間はあるよ」

「そっか…良かった」

「リーシャ」


ギレムお兄様に呼ばれ、私は顔を其方に向ける。

涼やかながらも穏やかでどこか温かみのあるお顔が、今は凛と張り詰めていた。


「アロくんたちと一緒に、リーシャもストラスから出立しなさい」

「…え?」

「というか今から準備をしておきな。話は道中でも出来るから」

「レム兄様、どういう事ですか?」

「それがランの下した判断だという事だろう」


そっと藍玉色の瞳が私の掌を見下ろす。

ギランお兄様がアロイーズに託したイヤーカフは、唐突な話の信憑性を上げる為だけでは無かったのだろうか。

もっと、それ以上の何かが込められているのだろうか。

私は勢いよくアロイーズを見るが、彼も小さく頷くばかりだ。


「…私、ユーデス様が迎えに来るのをストラスで待つと、お約束をしました」

「リーシャ、情けない話だが僕等ストラス家では公爵家の手勢に対処し切れるか不安が残る。確実に対抗出来る力量をお持ちなのが、ヴュルテンベルク辺境伯家だ」

「だからアロ達に匿ってもらえ、と?」

「落ち着くまでだよ」

「その間、ストラス領が、ストラス家が危機に晒されようと!私は己の為に戦うこともせず他所で隠れて居ろと?!」

「リーシャ」


ギレムお兄様が足早に私の元に来て、私のいかり肩を宥めるように両手を置いた。

覗き込む深く澄んだ青色を見つめ返したまま私は言葉を募らせる。


「ユーデス様の抵抗だってそうです!今回だって、何故巻き込まれたお兄様達ばかりが苦労をするのです!

 渦中に身を置くにも関わらず、私は遠ざけられてばかりではありませんか!!」

「そういう機会が重なっただけだよ」

「いいえ!いいえっ!!私が居ないならばストラス家に危険が及ばぬと確証が無い限り動きたくありません!!」

「リーシャ、僕の話を聞いて」


アロイーズが握り締め震える私の手をそっと握る。


「ユーデス様との手紙が何時から監視されていたのかは分かる?

 相手がリーシャのその気性すら計画に織り込み済みであれば、不動は下策だよ」

「でも、アロ」

「リーシャの遣る瀬無さも痛いほど分かる。

 僕等だって、まだ緊急時は領民達を置いて避難させられる対象のままだ」


そうだ、アロイーズやオリアーヌの避難先としてストラス領が挙がっていたのだ。

彼等にとっては私より幼い頃から言い聞かされ、吞まされていた事である。


「十歳を迎えて社交に出たってこの扱いだよ。

 頭では道理や周囲の気持ちを分かってはいても悔しくない訳じゃない」

「アロ…」

「それでも、それが大切な人の安心に繋がるならばと考えて飲み込むんだ」

「…」

「ラン兄様だって言っていたよ、『必ず再び会う』って」

「そこで、迎えに行くとは言わずも結局来そうなのがランだよね」


ふとギレムお兄様が零し、苦笑いを浮かべる。

領主代理を務めるギランお兄様はそうやすやすと長期で領地を離れられない。

つまり、きっと私の避難へはついてきてくれない。


だから再会の約束として、私が贈ったイヤーカフを。

またもう一度その耳に飾るために、私から受け取るのだと。


「ラン兄様…」

「マノン、エタンを中に」

「はい」


今すぐにギランお兄様の元に行って抱き着きたい気持ちに駆られるも、それが出来ぬからアロイーズを私の部屋に向かわせたのだ。

逢いたいのは私だけじゃない、ギランお兄様だって私を想ってくれている。


「リーシャ、エタンには僕が指示を出すから仕度をしなさい」

「…はい」

「寂しいけれど僕とエタンも同行するんだ、不安を抱え過ぎないで」

「レム兄様…」


私のヴュルテンベルク辺境伯家行きに、専属護衛のエタンだけでなくギレムお兄様も一緒に来てくれるというのか。

ギレムお兄様こそギランお兄様の側で手伝いたいところだろう。

だが、お父様とお母様が支えてくれると分かるからこそ、離れるのかもしれない。

相変わらずストラス家は分担振り分けが異常に上手い。


でも納得してしまう程の安心感を抱き、私は戻って来たマノン達と一緒に旅装へ着替え仕度を始めた。

ギランお兄様から託されたイヤーカフは首から下げた小さなお守り袋に入れた。

道中も無くさないように、しっかりと肌身に付けておくのだ!


「マノン、ごめんね」

「リーシャお嬢様?」


私の衣服を整え終わるや否や最低限必要なものを詰める鞄をメロディから手渡され、持ち出すものを指示するマノンが小首を傾げてみせる。

うん、急ぎの作業を止めたのもごめんね。


「新婚なのにエタンと暫く、会えなくなっちゃう」

「お嬢様…そんな事気になさらないで下さい」

「そんな事、なんて言うとエタンが泣いちゃうよ」

「再び会えた時には泣くのを許しましょう」


マノンの方が年下なのだが性格は姉のようだ。流石マノンである。

伊達に仮想私の御姉様をしている訳ではない。


「きっと後続で私もヴュルテンベルク辺境伯領へ向かう事となるでしょう。

 リーシャお嬢様のお世話を任されているのは誰でもない、私なのですから」

「マノン…うん、待っているよ」

「ええ、お待たせしないように頑張りますね」

「安全が第一だからね!」

「分かっておりますよ」


小さく笑いながら私の荷物を纏めてくれる姿を眺め、暫く見れなくなるその姿をしっかりと焼き付ける。

何となく物寂しくなって、居室でまだ話しているギレムお兄様の元に向かう。


「うん、寝辛いだろうけど今夜はその恰好で休むんだよ?

 アロくんたちにも仮眠をしてもらうけど出立時刻は変わるかもしれないから」

「分かりました。レム兄様やエタンの準備は?」

「これからするけど、リーシャ達に比べれば早いよ」


笑うギレムお兄様の傍らでエタンも力強く首を縦に振る。

ごめんなエタン、キミも新婚で楽しい時期なのにマノンと離れて辛いよな。

道中の口には積極的に付き合うからな!寧ろ聞かせて欲しい惚気を!

意外とマノンはそういうの零さないのだよなぁ、流石である。



『襲撃だ!!全員叩き起きろ!!!!レムはリーシャと共に執務室へ来い!!!』



伝令管から響くギランお兄様の怒声に全員の肩が跳ねた。

ギレムお兄様の顔を見上げれば、その面持ちが悔しそうに歪む。


「レム兄様!」


私はギランお兄様の指示通り向かおうとギレムお兄様の手を握る。


だが、ギレムお兄様は繋いだ手は動かさず、空いた片手でイヤーカフを取ると私の手に無理矢理握り締めさせる。

どういう意味に取られるのか、分からない訳でも無いのに。


「レム兄様?」

「あのランの言葉は陽動だよ」


そう零して、しっかりと私の事を抱き締める熱が旅装越しで分からない。

嫌だ、何だって言うんだ、そんな、まるで此処で別れるかのような空気は!

一緒にヴュルテンベルク辺境伯領まで行くんじゃないのか!


「伝令管は邸の中全体に設置している。

 執務室からの指示は賊にも聞こえてしまうからね、ああ云うしかなかった」


ゆっくりと抱擁を解き、優しく温かい手が私の歪んだ目元を撫でる。

見下ろす穏やかで慈愛に満ちた瞳は、いつだって大好きなギレムお兄様の色。


「リーシャの着替えが済んでいたのは幸いだった。

 少しは寒い思いをしなくて済むだろう?」

「レム兄様っ!!」

「残る事は許さないよリーシャ」

「でもっもう賊が入ったのなら戦力は多い方が!!!」

「寧ろ賊が情報通り公爵家の者ならば、猶更ヴュルテンベルク辺境伯家の者を見られる訳にはいかない。

 そしてこの機を逃せば彼等の手を借りてリーシャを逃す事は出来なくなる」

「ですが…っ!」

「リーシャ、僕はランと違って迎えに行くからね。愛しているよ、僕らの宝」

「レム兄様ぁ!!!」


するりと温もりが離れてゆく。

伸ばす私の手を、アロイーズが握った。


「メロディ、リーシャの上着を羽織って僕と執務室へ」

「は、はい」

「大丈夫、僕等が必ず守る。

 エタンはリーシャの私室に残るマノンの護衛を、恐らくキミは顔が割れている」

「であれば私も執務室に行くべきでは?」

「いや、此方にも陽動を置く。どちらにせよ賊の全てがランの指示を鵜呑みにするとは思えないからね、私室にもリーシャが居るように装い、扉の前での警護は外さない」

「っ畏まりました」


足早に出てゆくギレムお兄様にどうにか縋ろうと藻掻く私を、アロイーズが必死に抱き締めてどうにか留め様とする。

あんなに頑張って鍛えたのに、アロイーズにすら力が及ばない。

そうと分からされたって身体は心の悲鳴のままに離れてゆく家族を追い求める。


「いや、いやぁ…!レムお兄様ぁっ!!私も、私もっ!!!」

「リーシャ、行くよ」

「アロ、お願い離してぇ…いやだよ!いやだっお兄様ぁ!!」


堪らず叫んだ私の声は、多分最後の方はくぐもっていただろう。

黙らせるために苦渋の決断でエタンが私の腹を殴ったのだ。

彼の、悲しそうな顔が薄れる視界の中で見えた。


ああ、ごめんね。

こんな主で。

本当にこんな時まで手の掛かる、私だけど、ありがとう。


そんな悲しそうな顔をしてまで止めてくれて。

守ろうとしてくれて、ありがとう。



そこから暫く、私の記憶は途切れた。




「――ありがとう、エタン」

「いえ…どうかお嬢様をお願いいたします、アロイーズ様」

「ああ、必ず守る」


脱力したリーシャを背負い、エタンが示す領主用の隠し通路の扉を抜ける。

涙の跡が残る彼女の顔を見ないで済むのは幸いだが、先程の姿がまだ脳内で何度も反芻されてアロイーズも泣き叫びたい気持ちを抑えるのに必死だった。


ギランだけでなく、ギレムを大切に思い、慕うのはアロイーズだって同じだ。

こうしてまた大切な人に護られ残す辛さに己の無力さを感じ入っては歯痒さで叫びたくなる。


それでも今は背負う大切な人が居る。

彼女を守り抜き、ヴュルテンベルク辺境伯領で再会を待つのが、今はアロイーズの至上命題。


(それに、暗殺が目的であるにも関わらずこんな急襲だと明らかに気づかれてしまう程度の輩なら、ラン兄様とレム兄様には及ばない)


本当に腕の立つ暗殺者ならば邸の誰一人、もしかしたら殺される本人さえ気づかない間に任務を遂行できるものである。

だというのにこれ程杜撰な段取りなのはそれだけストラス家を甘く見ているのか。

此処には、王都でも腕を買われたギランとギレムが居るというのに。

まだ学院を卒業したばかりの子どもとでも思われているのなら、逆手にとってしまうくらいに二人は強かだ。


(だから大丈夫だよリーシャ、きっとすぐに会える。

 レオだって今も王都に戻って情報を集めてくれているんだ…だから、大丈夫)


まるで自分自身に言い聞かせるように内心で唱え、アロイーズは無言で細く灯りの無い通路を先導する護衛の後を追う。

暗がりに慣れる訓練もしたがそれでもやはり建物内の暗さは違う。

自然の中の暗がりとはまた違った閉塞感がある。

それに暗いと言っても自然の方が、今夜のように僅かながら光源があるものだ。

泥のように真っ暗な中を進む恐怖はきっと今のリーシャには辛かっただろう。


(…いや、意外と僕よりもするする進むかもしれない)


妙なところで適応力を見せる友人の平素を思い、少しだけ気持ちが軽くなる。

早く安全な場所まで逃げ延びて、以前のような安らかな時間を一緒に過ごせれば、この急襲により引き裂かれた悲しみも癒えてくれるだろう。


なんたってヴュルテンベルク辺境伯領にはオリアーヌもいる。

彼女は首を長くして、父と共に王都へ上がらず領都でリーシャを待っているのだ。

きっと今夜のギランお兄様のお話をしたらまたうるさいのだろうな、とアロイーズは考え出してしまい疲労感を感じたので慌てて思考を止めた。


ストラス邸の隠し通路を通るのは初めてだが、得てしてこういう隠し通路というものは造りが似る。

辺境領の実地で体験しておいて良かったと実感を噛み締める合間にも、何度か爆発音や衝撃で邸が震えるもののアロイーズは足を止めずに進んだ。


程無くして邸の、恐らく裏庭であろう場所に出た。

素早く護衛達はこの急使任務で刷き慣れた雪の上でも足跡が残りにくい装備を装着し、慎重に邸からは死角となる小屋の側へ駆けてゆく。

合図を受けアロイーズ達も其方に身を潜めた。


「坊ちゃん、経路は代理から聞いています?」

「ラン兄様から直接指示は受けていないが、ピピが先導を兼ねて待機している街まで向かう経路は僕が覚えているからそれで行こう」

「ピピが入ってたのですか」

「そう、今年一年はストラス領に詰めていた」

「はぁー…坊ちゃんたちのリーシャ嬢への過保護は最早予言染みていますね」


護衛の言葉にアロイーズは苦笑を浮かべてるものの、否定はしなかった。

例年、ヴュルテンベルク辺境伯家が滞在時にも街へその類の兵を忍ばせていた。

ただ既に滞在をしなくなっても残すようにしたのは、確かに今年やっと通ったアロイーズ達の進言が発端である事は確かだ。


「結果、僕等の脱出に活かされるのだから上出来だろう」

「出来れば俺等は使いたくなかった情報ですけどね」


そんな事を零しながらも動きは密やかに厩へ向かい、数頭の馬を出す。


(レム兄様の愛馬だ)


ふと、アロイーズと目が合った馬が彼をじっと見つめていた。

もしかして背負っているシャモア色の髪が見えているのだろうか。


きっとこの馬が一番よく見ているのは、ギレムの焼き菓子のような茶色だが、その隣にはリーシャも一緒に居る事が多かったのだろう。

未だぐったりと脱力するその姿を心配しているように見えるのは勘違いでは無さそうだ、と確信するのは馬に近づいてからだ。

仄かに鼻を鳴らし、気を失うリーシャの髪を食む仕草を輓馬が見せたのだ。


「…リーシャ嬢の馬ですか?」

「いや、レム兄様の愛馬だよ」

「珍しいこって、頭の良い馬なんですね」

「そうだね…僕の事も覚えているかな?」


徐に語り掛け、じっとアロイーズが馬の目を見つめれば相手も見つめ返し静かな瞬きを返してくれた。

鬘を被っていても分かるものなのか定かではないし、アロイーズがこの愛馬を見た事はそう多く無いのに感じ取ってくれるとは、本当に主に似て頭の良い馬である。


「坊ちゃん、輓馬は脚が遅いですよ」

「でも僕とリーシャを乗せるのなら体力はこちらの方が信頼できる。

 …レム兄様が寂しがるかな」

「その分早くお迎えに来るのでは?」

「はは、かもしれない」


そう考え、アロイーズはギレムの愛馬を借りる事にした。

流石ギレムが躾けてあるだけあって、とても大人しく指示に従ってくれる。

リーシャを前に乗せて抱え、やっと乗れた念願の輓馬の視界は高かった。


(これが…レム兄様が見ていた視界なのか)


感慨深さを抱きながら一行は静かに作業用の裏門を抜け、森の中へと入っていく。

こうした抜け道を知っているのは長年ストラス邸に滞在したアロイーズだ。

彼の指示に従い今度は護衛がその後ろを走る。


今後の道程に関する指示を出しながら邸の敷地から抜け出す頃、腕の中に抱えたリーシャが身動ぎをする。


「!…リーシャ」

「あ、ろ…?」


落ちないようにリーシャの横抱きにし、顔は肩に乗せていた。

揺れる馬上の振動だからか、掠れた弱々しいリーシャの声音が痛々しい。


「どうかエタンを怒らないで、彼はリーシャの安全を優先したんだ」

「…ん」

「文句を言うのは後にしよう?兎に角まずは安全な場所まで」


そう宥めている最中、ドンと明らかな爆発音が背後から上がる。

思わず彼等は馬を止めて振り返った。


「う…そ……」


いつの間にか降り出した雪の中、煌々と赤い灯りが背の高い白樺の森の頭を抜けて誰の目にも映り込んだ。


「うそ!うそ!!なんで?!なんで!ねぇあれ!!アロ!!!!」

「そ、んな…」


襲撃者の目的はリーシャである筈だ。

護る者達の抵抗があり、気付かれたのなら速やかに逃げ出すのが定石。

なのにあれはなんだ。

邸に、火を放ったのか。


考えれば分かるような視界から入る情報を、改めて思考が噛み砕くのだがそれでも理解出来ない。

どうして火を放つ必要がある?

こんなの、誰かへの見せしめのようではないか!


「やだっやだ!!アロお願い戻って!皆がっお兄様達がぁ!!!」

「リーシャ!」

「お兄様達が!!ねぇ!まだ中に居るのに!!助けないと!!!」


止まっているとは言え、馬上で暴れるのは危険だ。

藻掻くリーシャをアロイーズが必死に抑えるも、それで手一杯になってしまう。

素早く馬を寄せた護衛の一人が、彼女の首筋を掴んでエタンのように、いやエタンよりももっと遠慮なしに腹部を殴打しその身体を打ち上げる。


堪らずリーシャの口から零れた吐瀉物が雪の上に広がる。


「リーシャ嬢は俺達に死ねと言うのか」


冷静な一声に、アロイーズも身体を強張らせた。

そうだ、燃える邸に戻るという事は賊との接敵をするという事。

相手の人数は分からないが、ストラス邸の護衛が総出で対応しても火を放たれてしまうような数である事は推測できる。


それをたかが二人、アロイーズを含んでも三人で挑めというのか。


そもそも自分たちは急使で来た人間だ。

既に、使命は果たした。

現在はアロイーズの意志を汲み、リーシャを護衛し連れているが、そもそもそこまでを護衛達は辺境伯から指示されたものではない。


殴られ、朦朧とした意識の中で微かに彼女の唇が動く。


紡がれた音は二度目の爆発音で聞こえなかった。



「…行きましょう、坊ちゃん」

「ああ、…すまない、嫌な役回りをさせた」

「気を回し過ぎないで下さいよ、道中はまだまだ長いんですから」

「ありがとう」


再び気を失ったリーシャを抱え直し、抱き締め、アロイーズは唇を噛み締め馬の脇腹を蹴った。


どっどっと揺れる音はまるで自分の心音のようで。

フードを被ったのに頬を叩く雪が体温で溶けて、頬を幾筋も伝い落ちる。

力んだ奥歯が震えるのは身を刺すストラスの寒さのせいだ。


そう言い聞かせなければ、アロイーズは前を向けなかった。


ストラスの雪は、風に乗る燃える臭いまでを消してくれる事は無かった。




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