36:十二歳の泡沫
「お邪魔するよ」
「お待ちしておりました、ラン兄様、レム兄様」
「おう」
思えば私の部屋に二人が揃うのも、おおよそ一年振りだろうか。
去年の新年明け、ヴュルテンベルク辺境伯家の双子がストラス家から距離を取ると知ったお兄様達が、私を心配して駆け付けた時に甘えた時期を思い出す。
二人掛かりで超絶甘やかされたのは大変幸せだったなぁ。
そんな思い出に浸りたくなる程、今のお二人の空気は普段より固い。
「単刀直入に話すよ、リーシャ」
「はい」
本当に、こういう交渉事に強いところは恐れ入る。
私が怯んでいるのを見逃さずにギレムお兄様が口火を切った。
「情報元はグウェンだ。
ユーデス様がかなり王宮で仕事に忙殺されているようだ」
「それこそ最初の顔合わせの時よりも、雰囲気が硬質になる程に」
「……お忙しいと、お聞きしてはおりましたが」
「父上はお前に甘いからハッキリ言わなかったのだろうけれど、最早人形だ。
真っ青なお顔にぴくりとも動かない彫刻のような面持ちをして日々舞い込む多大な業務を捌いていらっしゃるそうで、ほぼ邸にも戻れていないそうだ」
それ程とは聞いていない。
最早虐待ではないか!
「何故まだ学院にも上がっていない子ども相手にそんな酷使が罷り通るのです!」
「本人の希望だ」
「は…?」
本人の希望、とは?
ユーデス様自らが、そんな、過労死まっしぐらな状況を望んでいると?
「…意味が、分かりません」
「最初に情報が入ったのは初冬だった。
グウェンが間近で見ていられない程、ユーデス様がやたらと政務に積極的なのだがリーシャとの婚約に何か条件付けでもあるのかと聞いて来た」
「融資金の返却話は内々の事だから流石に話していないよ」
「だから俺達も『心当たりは無い』と本音を書いた」
「…それで、お父様に確認をされたのですか」
「そうだ」
お父様が決定した娘の婚約話について問うのだ、その理由もギランお兄様やギレムお兄様はしっかりと漏らさず伝えたのだろう。
その結果、お父様が私を呼び出してあのような濁した話をしたのか。
まだ子どもと言って差し支えない年端なのに酷使するような王宮。
将来そこで働く男に、娘を嫁がせて本当に良いのかと不安になるのも当然だ。
傍から見れば精力的に働く夫だろう。
それを誇ったり、特に気にしない夫人も世の中には居るかもしれない。
でも私は無理だ。
心配になってきっと行くなと止めてしまう。
だってすでにもう、今すぐにユーデス様を止めにいきたくて仕方ない。
「座れ、リーシャ」
「…」
ほら、もういつの間にか身体は立ち上がっていた。
ギランお兄様に短く諭され、私は一つ息を吐いてから腰を据える。
「失礼いたしました」
「うん、そうなると分かっていたから僕等も話さなかった。ごめんね」
「反骨心のあるお前の事だ、今度こそ手が出ても不思議じゃない」
流石にそれは、と思うのだが、実際にユーデス様の様子を見たら正気で居られる気がしないので私は反論せず口を閉ざした。
「なお父上も公爵から新たな条件は特に提示されていないと確認はした」
「…あるとすれば、公爵からユーデス様に与えられた条件かもしれないと?」
「身分差があるからな」
普通、そういうので苦しむのは家格の低い側だろうが!
何故ユーデス様が死相になってまで働かなければならないのだ!
その間っ私はっただ寂しがって雪ウサギを作るような暢気な日々を恙無く享受していただけじゃないか!
「リーシャ、誰がユーデス様にそのように働くよう命じたのかは分かっていない」
「公爵様も事業がお忙しいので王宮に立ち入る事は稀だそうだよ」
「なら、王子殿下ですか」
「それは無い」
ギランお兄様が頭を振り、素早く否定する。
何故、と問いかける私の瞳に苛立ちを見て取ったのだろう。
泰然としたカメリヤ色の瞳が私を見据える。
「王子殿下ではない、それはグウェンの証言でもあるが俺も保証する」
「お兄様は王宮でお過ごしではないでしょう」
「だがお前とは違い王都での殿下とお会いしている」
「僕もランと同じ意見だよ。
寧ろ見兼ねた王子殿下がユーデス様をご自身の仮眠室へ叩きこんだらしい」
「…それもグウェン様の情報ですか」
「そう。なのに休まずにリーシャへの手紙を認めていたらしい」
それがあの手紙なのだろうか。
なら最後まで書かせてくれたって良かったじゃないか。
「同じく側近候補のイザイエ様が休むよう取り上げ、グウェンに渡したものだよ」
私の思う事が分かるのか、ギレムお兄様が小さく頷く。
「後程グウェンが返したらすぐに封をして、代理で出す様に依頼をされたらしい」
「…」
「中身を見てしまったのは謝るよリーシャ」
「いえ…それは、別に。
寧ろギレムお兄様はあの手紙を見て、何故ユーデス様がそのような暴挙をされていらっしゃるのか推察出来ましたか?」
縋る様に私はギレムお兄様を見るが、今度は力無く首を横に振るだけだ。
自然と、先程まで滾っていた怒りがしゅるしゅると萎んで小さくなってゆく。
ただただ募るのは、不安と心配だ。
恐らくユーデス様は私が馬車事故に遭う未来を知っている。
これは、どうにか私を移動させまいと願う言葉から推測できた。
それだけでも彼は不安を一人で抱え、耐えているというのに更にまた何か、違う件で心身ともに酷使をしているというのだろうか。
どうして私に何も言ってくれないのだろう。
そんなに頼りないのだろうか?
何も、力になれないのだろうか?
口の奥が痺れるのを堪えるように唇を噛む。
滲む視界を誤魔化すように意識して瞬きをした。
「…それでも凄いのは、しっかりと成果を出されている事だろう。
グウェンが言うには王子殿下から任された執務は勿論の事、裁量の及ぶ範囲で随分王宮制度の見直しも手伝われているようで方々から声が掛けられているそうだ」
「元より才覚がある御方だ。それが寝食を顧みず働けばそうもなるだろうけど」
「…それは急務なのでしょうか」
「大人がやるべき、な」
そんな事を言われたら私は泣いてしまう。
もう止めて欲しい!何故私の大切な人が擦り減るのを止めてくれないのだ!
公爵様だって自分の息子がどんな状態なのか分かっているだろうに!
心配じゃないのか!こんな事が続いたら、彼が死んでしまう!
「グウェンからの問い合わせについては早急に返答をした。
恐らく王子殿下も、ユーデス様が望む通りにしておかなければ婚約に響く可能性を考えて、無理矢理止める事を躊躇されていたのだろう」
「でもリーシャへの手紙と共に届いた文で、制止に踏み切ったご様子と分かった。
もうこれ以上は流石に看過出来ないとして対処成されるだろう」
「…本当、でしょうか」
声を震わせる私に、ギランお兄様もギレムお兄様も力強く頷き返す。
「グウェンが定期的に文を寄越してくれる」
「今度は隠さずにリーシャに伝えるよ」
「…ありがとう、ございます…!」
ああ、グウェンダル様が王子だけでなくユーデス様も支えてくれている!
ヒロインはやっぱりグウェンダル様だった!!
お兄様達の楽しい交遊の手紙である筈なのに、私の問題ばかりを書かせて申し訳ない気持ちで一杯だが、本当に救われた心地を覚える。
今度会ったらしっかりと御礼をしなければ。
寧ろ今夜から感謝の祈りを捧げよう。
「それこそリーシャは何か心当たりは無い?」
「ハッキリとは…ただ、春に頂いたお手紙以降は殆ど政務の事を書かれていて。
いつもよりも随分…その、さっぱりとしたというか…言い方は良くないですが、淡泊な手紙が多かった印象を受けました」
「リーシャに?」
「はい…」
これはまだお兄様達に話しても無かったが、話しても良い内容だろう。
ちょっとした愚痴にも聞こえてしまうので言い辛かったのだが、ずっと私は違和感を感じていたのだ。
普段はもっと穏やかで、一緒に過ごす時間の事を考えてくれているのだと分かるような優しい文面なのに妙だなと首を傾げていたのだが、忙しさからだろうと言い訳をしてきた。
どうか飽きられたとかではありませんように、と密かに祈っていたのだ。
反して今回届いた手紙では、驚くほど感情的であった。
それは同じくユーデス様からの手紙を見たギレムお兄様も違和感を感じたのか、怪訝な面持ちで口を閉ざして何か考え込む。
「レム」
「…情報が足りないしまだ推測だから口にしたくない」
「分かった。リーシャ、王都の情報を集めやすいのは俺達の方だ。
時間は掛かるだろうし気持ちは逸るだろうが、少し待て。
分かったら包み隠さずちゃんとリーシャに教えるから」
「ありがとうございます。お兄様達が協力して下さって、心強いです」
本当にそう思う。
私だったらまた、一人で抱えてだらだらと先延ばしをしてしまうだろう。
でもユーデス様の心身が掛かっているのだ。
うかうかなどしていられない。
改めてお兄様一人ひとりと感謝の抱擁を交わし、その日の話は終わった。
以降は特に進展もなく春を迎え、私も、ギランお兄様もギレムお兄様もまた一つ年齢を重ねた。
お兄様達は十九歳。
私はいよいよ、アロイーズが見た夢の中で死んだ、十二歳を迎えた。
(今のところは、生きているよアロ)
最後に会ったのは十歳を迎える前、九歳の冬だ。
もうあれから丸っと二年は経過しているとは、時間が経つのは本当に早い。
(元気だろうかなぁ…)
昔、三人で転げ回った邸の庭に寝転んで空を見上げ、そんな事を思う。
あの時に思い出した事をまさかここまで本当に覚えていられるとは、我ながらちょっと褒めてあげたい。
だが両親から見たら色々至らないのだろう、今年の社交も控える御達しである。
ただ、武術大会にも出場するとあって来年の夏からは社交を始めようかと提案されたのは喜んで私も首を縦に振った。
私が社交に出ればいつかはアロイーズ達に私の様子が聞こえ漏れるかもしれない。
少なくとも、生きていると知ってくれれば特にアロイーズは安心してくれる筈。
まぁこのように私の至らなさはもう生まれつきというものであるが、今思えばこそユーデス様に関わる事だから忘れてはいけない大事な『未来』だ。
しかし時折忘れるくらいには、正直、幼少期の私には遠い未来というか、何処か他人事のような気楽さもあったのは確かで。
(私が死ぬ夢を見て、アロ泣いちゃったくらいだもんなぁ。可愛いよなぁ)
まさかあの夜会の夜、トイレで泣いていたとは知らなかった。
可愛すぎるなぁアロイーズ。
思い出し笑いを抑えきれず小さく肩を揺らし、一人で笑う。
(でもこの歳を乗り越えればオリアーヌへも、笑い話として披露出来る)
いつかきっと、また三人でこうして草の上に寝転がりながら話して笑い合いたい。
そんな事を想像出来るくらいに心が軽いのは、グウェンダル様からの定期連絡が途絶えずお兄様の元に届き、私にも教えて貰えるからである。
心配していたユーデス様の忙しさは、完全にでは無いが多少軽減したようだ。
公爵領の経営についても公爵閣下の手元に戻されたようだが、それでも王宮の執務からは離れられないのは変わらないらしい。
せめて王宮から離れる時間を作って欲しかったのだがなぁ。
でも何とか食事や睡眠は摂っていらっしゃるようで、そこは少し安心した。
表情は相も変わらず硬いままだそうだ。
グウェンダル様が凄い心配している、らしい。
一方王子殿下は、元よりユーデス様がそういう御方だと思っているそうだ。
表情については然程気にされていないご様子に納得のような腹立たしいような。
まぁ殿下の采配で、仕事の割り振りなどや強制的に休憩へ叩き込めるようになったのは感謝しているのだが。
ユーデス様からはあの手紙以降、一切連絡は届いていない。
休めるようになったのは嬉しいのでまずは休んで欲しいが、正直ちょっと寂しい。
私は返信を認めたのだがちゃんと届いて読んでくれたのだろうか。
(あの最後の空白に書かれた言葉は何だったのでしょうか、なんてね)
ちょっと淑女ぶってみた返信に彼が笑ってくれていたらいいのに。
どんなに疲れて、表情が死んだって、心は死んでいないのだ。
その証拠があの手紙だ。
なら私はまたユーデス様に言葉を届ければいいだけ。
きっと、そう、惚れた弱みと言うヤツだ。
また笑ってくれると信じている。
(ね、早くユーデス様もストラスに来れたら良いのに)
そして私と同じように何もするでもなく寝転んで、夏の空を見上げて風を浴びて。
取り留めも無い思い出やこれからの事を考えて、時に沈んで、時に思い出し笑い。
(そこにアロイーズやオリアーヌも居たら、私が最高なのになぁ)
中々そこばかりは上手い方法が見い出せていない。
まずは目下、今年を生き残るのが私の最大目標ではあるのだが。
できればそう遠くない未来に、叶えられたら良いなとは思う。
(それこそ、王都の学院とかで仲良くなるとかー?!)
想像するだけで楽しくなってきた。
ユーデス様は私達三つ子より一つ上なので、先輩だ!
先輩にまとわりつく私達の姿を思い描いては一人でニヤニヤしてしまう。
(困るとちょっとユーデス様表情固まるんだよねぇ、可愛い)
それを分かって仕掛けてしまいそうな自分が居る。
悪戯する私をオリアーヌとアロイーズが呆れた顔をしながらも、一緒になってユーデス様を揶揄いそうである。
で、結局皆一緒になって笑うのだ。
(ああ、良いな、そんな学院生活だったら凄く、いいなぁ)
幸福な微睡みを抱き夏を過ごし、秋が気付かぬ間に過ぎ去る。
そうすればいつの間にかストラス領には雪が降り始めた。
深々と降る雪が街並みを静かに満たすある日の夜、その報せは密やかに、だが忙しなくストラス邸へ舞い込んだ。




