35:十一歳の徴候
夏の盛りを過ぎれば緩やかに秋の空気がストラスの地を満たしてゆく。
グウェンダル様の滞在や予想以上に賑やかとなった武術大会があったからか、余計に今年の秋は一種のしめやかさすら帯びているように感じた。
どこか大人びた心地すら覚えるのは、今年、私の手元に届く手紙がユーデス様の御領地での執務近況を綴ったものが多かったからかもしれない。
ほぼ日報かと思う程、どんな仕事をしたのかばかりが記されていた。
(ぼ、忙殺されているのでは…)
私にとって、手紙を書くのは勿論自身の近況報告もあるが気分転換も兼ねている。
それはユーデス様にとっても同じだと思われるのだが、それも許されない状況なのではと推察せざるを得ない程、手紙の中でも執務について考えていらっしゃる。
気が回る御人なのにそれすら出来ぬ程とはどうされたのだろうか。
とても心配である。
因って私の返信もその身を案じる文面になるのは仕方が無いのかもしれないけれど、そればかりを書いている此方としても気分が盛り上がらない。
なのでせっせとちょっと少しでも笑顔になってくれと笑える話を無理やりに練り込んだのだが、それに対する反応も芳しくない。
本当に大丈夫だろうか。
今年のユーデス様の誕生日には、領地で良く用いられる雪晒しをした真っ白な生地を使った触り心地の良い生地で作った安眠セットを贈った。
枕カバーとポプリという、個人的にとても母親味のある品である。
まぁ寝具に該当する枕カバーはちょっと大きな一枚布っぽいものにしたので、どうにか貴族的なマナーには触れないでくれと祈るばかりだが。
折り込まれて見えなくなるとしてもちゃんと端の方も刺繍はしたのだ。
(どうか少しでも安らいで欲しいなぁ)
そんな私の祈りは届いたのかどうなのか。
西の御領地での仕事は何とか片付いたようで、秋には王都へ戻る予定が最新の手紙では語られていた。
王都に戻れば公爵閣下も居るしもう少しは執務も落ち着くだろう。
とか思ったのも文面の途中までだった。
『王都に戻ればいよいよクロヴィス王子殿下の側で執務に当たる事になる。
大変名誉な事ではあるが、やはり国政に関わる事となると些か気が重い。』
(珍しい)
西の御領地運営だって充分国政に関わる程の重大な仕事であるし、彼が任された仕事に関して「気が重い」と零す事は今まで無かった。
常に冷静沈着に取り組み、前向きな姿勢だった。
十歳にも満たない内からそのような真面目な方だったので、素直に尊敬もしていたし同時に無理をしないで欲しいとも思っていたのは確かだが。
(…それだけお疲れって事なのかなぁ)
ユーデス様の清廉とした文字は歪む事なく整って文面を彩っているが、そこはかとなく漂う鬱屈とした気配に私は何度目かになる溜息を吐いた。
心配が拭えない。
会いに行ったら少しは元気になるのだろうかという気持ちが浮かぶも、私はまたぐっと冷えた空気を吸い込み窓の外を見る。
間も無くストラスの地には雪が降り始める。
もし王都へ向かうならその前に、決めなければならない。
(まだ、十二歳になるまで時間はある…)
今、馬車に乗って出掛けてもきっと事故は起きないだろう。
だがそれこそ、未来を過信している気もするのだ。
冬が来る前にストラスを出立出来たとしても冬の間に戻るのは厳しいだろうか。
私はまだ本格的な冬の移動をした事が無いのもあり、お父様に頼んでも首を縦に振ってくれるイメージを持てない。
(ユーデス様が春に迎えに来てくれるって、言っていたけれど)
会いたいなと思う気持ちは恋しさだけではない。
純粋に彼が心配で、もどかしい。
これが十二歳を目前にした状況で無ければもう少し積極的に動けたのに、自分の『未来』への不安が頭を擡げるのだ。
私が約束を違えて彼に逢いに行き、事故にあったら目も当てられない。
それに、ずっと気を配ってくれていたアロイーズとも連絡が取れない中で、不用意に馬車で移動する事は避けた方が彼の誠意に背かないだろう。
しかし、どうしたってそれが今は動かない事の言い訳のように思えてしまう。
二の足を踏んでいる私を見てどう思っているのか、お兄様達が心配そうに此方を窺ってくれているのは分かるのだが上手く相談も出来ずにいた。
きっと胸の内を曝け出せば、いつものように親身に聞いてくれるのに。
遅疑逡巡としている間に外は雪がちらつき、あっと言う間に庭は白一面に染まる。
(もうユーデス様は王都で、忙しくされているのだろうな)
だからだろうか。
勿論冬の輸送が滞るのはいつもの事だから仕方が無いのだが、頻繁に出されていたユーデス様からの文が急にピタリと止まった。
代わりというようにギランお兄様やギレムお兄様の手元には王都から社交への誘いの手紙が何通も届けられているのを目にして、私はまた密やかに嘆息を零す。
(…物分かりの良い振りをするなんて、何だか情けないや)
分かっているのだ。
例え冬であってもストラスの輸送は命綱だから多少の遅延はあれど滞る事は絶対にないのだ、そのように整備されている。
だが私の元には一通の手紙も届かない。
(どうしたのだろう、ユーデス様)
私からは既に返信を送り、更にもう一通出している。
それに対する返しも来ていないのにまた手紙を出すのは夏の忙しさを知る側としては憚られたし、何よりちょっと五月蠅過ぎる気もした。
なんて、また自分に言い訳をして誤魔化す。
ああもうここ最近やたらそんな事ばかりだ、嫌になる。
偶に庭に出てはウサギっぽいものを量産して、双子の色ガラスをその瞳に嵌めては気を紛らわす。
ユーデス様のダブグレーの色ガラスも部屋にはあるが今は少し、見たくない。
そんな沈んだ私の姿を見て声を掛けたのは、お母様でもお兄様達でもなく、なんとも珍しい事にお父様だった。
久し振りにお父様の執務室でソファーに座り、二人だけのお茶に招かれた。
「ユーデス様からの手紙が来てないんだって?」
お父様、ドストレートに聞いてきますねぇ。
もうそういうところですよ!私だから良いですけど!
年頃の娘にそんな聞き方したら怒られますからねっ!
「そうなのです。夏も大変お忙しかったご様子ですし、王都に戻られてからは王子殿下の側近としてのお勤めも始まったそうですので、暇が無いのは分かってはいるのですが」
「俺の耳にも入っているよ、随分お忙しいご様子だとな」
「やはり、そうなのですか…」
はぁー、傍目から見てもそんなご様子なのかぁ。
忙しない様子はあまり見せないのが貴族なのに、周囲にまでそう言われてしまうのは相当なのだろう。
おい王子仕事してんのか?
敏腕なユーデス様にばかり仕事させてるとかじゃないだろうな。
「元々感情の起伏が薄い方と見受けられていたが、輪を掛けて泰然自若というか、…一部では冷然とまで言われているようだ」
そりゃ忙しくて配慮が無くなる事だって人間だからあるだろう。
お父様なりに言葉を選んでどうにかマイルドな表現にしようとしているご様子に、私は苦笑を零して頷きを見せた。
「早くストラス領でのんびりして欲しいですね」
「そうだな…」
お父様はまだ煮え切らない様子で背凭れに身体を預けた。
そんなにユーデス様の事を心配してくれていたとは知らなかったな。
目を瞬かせる私を見つめながらゆっくりとお父様が口を開く。
「なぁリーシャ、俺は少し心配なんだ」
「ユーデス様がですか?」
「ユーデス様もだが、というよりか王都が、か」
去年までお兄様方を王都へ向かわせていたお父様らしからぬ発言である。
それとも私はそこまで信頼が無いのだろうか。
確かにちょっと気が抜けているところはあるが、まだ学院に入るまでは四年近くあるのだしそこまで心配されるのはちょっと心外だ。
「我が領で和やかに過ごされるユーデス様を見たからかもな。
元々王都育ちのユーデス様ですら、そうなるような場所にお前は近づく」
「と言いましても、もっと経験を積んでからでしょう。
それに、彼程頻繁に出入りをするような立場にはありませんよ」
「だが出入りする御方を支える立場にはなる」
そんな事を言ったら王宮で奉公に上がった貴族子女の方がよっぽどお父様の危惧する位置に近いと思うのだが。
未だに首を傾げては、言わんとする事が把握できない私である。
結局お父様は何が言いたいのかね。
「はぁ…我が娘が可愛いのは当然とは言え、俺も相当な親バカだったか」
「今更ですか」
「そうだなぁ、本当に…まぁ本人達が決めるのが一番だな。
それはそうと喜べリーシャ、このままあと二年もすれば約束の額に届くぞ」
「まぁ!流石お父様です!」
畏まった空気を娘と持つのは苦手なのか、お父様がにこにこと本当に嬉しそうに笑い去年からの財務諸表を引っ張り出して来ては自慢げに語る。
お父様もお母様も、そして王都に居た筈のお兄様達も私の知らぬところでも懸命に事業投資や節約などで資金を稼ごうと頑張ってくれていたのだと良く分かる。
ああ、私のガラスペンの売り上げもしっかり加算されている。
嬉しいな。本当に、総出で皆が私を支えてくれている。
愛されているのだとこんな形でも実感して思わず胸を熱くさせながら、お父様と目が合う度にくすくすと声を上げて悪戯に成功した子どものような時間を過ごした。
また家族の団欒でも説明するそうだが、まず第一に私へ聞かせたかったらしい。
そういうところお父様は可愛いですよね。
お母様がにっこりするのが目に浮かぶ。
沈んだり浮かんだりを繰り返すのが人生だと分かってはいるものの、最近は幼少期のあの考え無しでただ只管に楽しかった日々が懐かしく思える程度には摩耗していたのだろう。
今年の冬はお兄様達が私の側で暖を取る機会が増えた。
偶に何処か物言いたげな視線を感じるのだが、恐らく、先日のお父様とのお話はお兄様達が何か申告をしたのでは無いかと鋭い妹は考えている。
いや、だって、王都の情報がお父様のお耳に入る事はあると謂えど、領主に届ける情報としてはちょっとピンポイント過ぎるよね。
名探偵リーシャの推理では、こりゃ恐らく情報筋はグウェンダル様だ。
彼は王子殿下の近衛見習いをされているのだし、ユーデス様も顔見知りである。
「鉄仮面」だなんて言い様をしていたが、それは恐らく王宮でのユーデス様の様子を周りが語る時に使われている表現なんだと思うし、何より私がユーデス様を大事に思っている事を彼は良く知っている。
故に、余りにも疲労困憊なユーデス様を見てお兄様達の文に零したのだろう。
お兄様達とユーデス様は以前も手紙のやり取りをしていたが、今はどうなのか。
少なくとも私に彼から手紙が届かないのもあってか、その話題になる事は無い。
アロイーズやオリアーヌへの接し方を見ていると比較的お兄様達は年下に甘い。
それがユーデス様にも当て嵌められるのならばそこまで無関心でも無いとは思うのだが、如何せん彼はお兄様の不在を補うように邸へ滞在していたのだ。
必然と友好を築く時間はアロイーズ達よりも少ない。
王都の社交でも言葉を交わす事はあったとも聞くし、何より私の婚約者様である。
それなりに関心はあるのだろうからこそお父様に具申したのだろうとは思うけれど、正直、お父様とのあの会話からお兄様達の意図までを推察出来ていない。
でも、団欒の場で融資金額返金目途が立った事や改めて婚約を見直す際、私は前向きである事が改めてお父様の口から説明もされた。
だからこそお兄様達は私にぴったりと張り付きはするものの、婚約について多くを語らないのだと思う。
お父様の零した通り、「本人達次第」という訳である。
今猶周囲には多大なご心配を今も引き続きお掛けしておりますがね。
どうぞよろしくお願いしますよ。
妹はユーデス様と幸せになりたいのです。
雪もまだ深く春の兆しは見えぬ頃だ。
王都は新年の社交が一段落したのだろうか、待ちに待ったユーデス様からの手紙が私の元に届いた。
「わっ!ユーデス様からだ!!」
「良かったねリーシャ」
丁度一緒に居たギレムお兄様が喜色満面の私の頭を撫でながら嬉しそうに頷く。
んふふふ幸せ倍増ですね!手紙も嬉しい!ギレムお兄様が一緒に喜んでくれるのも嬉しい!撫でられて更に嬉しい!
堪らずにその場で開こうとした私をギレムお兄様が止めた。
「婚約者からの大事な手紙なのだから、部屋でゆっくり見ようね?」
そうなのか、そういう物だったのか。
普段自室に居る時に渡される事ばかりだったから気にもしなかった。
何だったら返信とかも双子の前で書いてたぞ。
恐らく私が待望しているのを分かっている使用人が、逸早く渡そうと気を利かせてくれたのだろう。
気が利かない主でごめんね。
私は淑女らしい笑みを浮かべ礼を取り、ギレムお兄様の前を辞して私室へ足早に向かった。
嬉しい!ユーデス様からのお手紙だ!久々だ!
王都の新年明けの社交やお仕事は一段落したのだろうか?
体調など崩されていないだろうか、食事は睡眠は充分摂れているのだろうか?
この時期に届いたという事はきっと春の訪問についてだろう。
以前のように長く滞在するのは難しいかもしれないが、私としては顔を見れるだけでも凄く嬉しいし、何よりも安心できる。
ああ、でもやつれていたりしたらどうしよう!
ストラスで健康になってからじゃないと王都に返せない…!!
手紙を開く前からそわそわする私を、結婚休暇明けのマノンと新たに初冬から侍女見習いとして勤めているメロディが微笑ましそうに見ていた。
メロディはマノンのお兄様の娘さんだ。
つまりマノンにとっては姪っ子に当たるが、お兄様が婿入りした家が南部領なのであまり会えた事は無いと聞いていた。
夏の初めに私とも挨拶を済ませ、「まずはストラス領や祖父母の家に慣れる事から始めては?」と提案させてもらっていたのだ。
侍女を始めとする使用人の多くは基本的に邸の一室に住み込みで働いている。
だが殆どの使用人は実家がストラス領なので、休日や届け出をすればそちらに寝泊まりする事も出来るようになっているのだ。
慣れない土地で、初めての人々に囲まれて生活するのは十代半ばの女の子には辛いものがあるだろう。
少しでも交流があった祖父母の住まう家の方が過ごし易いかもしれない。
それに人も多過ぎるのは不安にさせると思ったのだ。
まずはメロディにとってストラス領でのほっとできる場所が出来ればいい。
そういう私の考えを伝えたら、メロディはとても喜んでくれた。
勿論その間のお給金は全額は出ない。
でも少しずつ邸にも慣れてもらうために、通いで業務を覚えてもらっていたのだ。
実家に戻ればマノンに質問も出来るしフォローもしてもらえたようで、もう今年の冬からは邸で本格的に住み込みで働きだすのだからしっかりした娘さんだ。
私と二つしか違わないのに。
「良かったですね!リーシャ様!」
「うんっありがとうメロディ!」
フォーブ色の髪を揺らしてにっこりと微笑むメロディに私も大きく頷く。
だが歳が近いからこそちょっとした友達のような感覚で話せるのは嬉しい。
本当はそういうのが良くないから、マノンのように少し歳の離れた人を付けるのだそうだがまぁその辺りは流石ストラス家だよねっていう感じである。
というか私の寂しさ紛らわしもあるんだろうなぁ。
あれから社交についての話題を、お母様から触れられた事は無い。
今年の冬にも多少貴族が訪れていたので連れて行ってもらえるかな、とは考えていたものの残念ながら兆しも見えないのはまだ調整中なのだろうな。
それともメロディの見習いが外れるまでは控えておくのだろうか。
そこんところはまた今度聞いておかねば。
今は!まず!ユーデス様からのお手紙である!!
私は部屋に入ると脇目も振らず机に向かい、いそいそとマノンに預けていた封筒を受け取る。
「…ん?」
あれ、普段ユーデス様が使われる便箋じゃないぞ。
変えたのかな?随分シンプルだ。
そう思いながら改めて署名を見る。
字も封印もユーデス様のもので間違いはない。
偽物では無さそうである。
というか偽物を寄越されても心当たりが無いのだが。
いや、あるか。
曾祖母様の事すっかり忘れていた。
ちょっと一旦封筒を置き、以前頂いた手紙を取り出して見比べる。
うん、恐ろしい程瓜二つだな。
ご自身のお名前は書き慣れているからか流れるように流暢でもちょっと荒いところあるのだが、私の名前を書く時は途中で一回切る癖がある。
私もユーデス様の御名前を書く時は丁寧になるから気持ちは分かる。
ふふっお揃いだなぁって最初も思ったんだよね、これ。
何となく嬉しくなって、少し冷静になっていた口元が思わず緩む。
他の何通かも取り出して見比べても見事に筆跡は一致した。
私は鑑定士になれるかもしれん。
とりあえず一安心し、今度こそ届いた手紙の封を切る。
封筒も今回は違うように便箋も違った。
というか、罫線も無いような紙に急いで書いたようなものに見えた。
『リーシャへ
返事が遅くなってしまってすまない。
どうしても伝えたくて、執務の合間を縫って書いているので悪筆を許して。
王宮での執務の目途が新年を迎えても立ちそうにない。
社交が終わっても春に、ストラス領へ向かう事は出来ないだろう。
リーシャと約束をしたのに守れなくて、破ってしまってすまない。
リーシャに逢いたい。その気持ちばかりが募るのに動けない自分が嫌だ。
仕事が落ち着いたら何としてでも逢いに行く。
手紙の間隔も開いて、約束も破った私への信頼は無いかもしれない。
でもそれでも、身勝手だと分かっているが乞わずにはいられない。
どうか、私が迎えに行くまで待っていて欲しい。
それを今年の誕生日の贈り物として、私に与えてくれないか。
待っていて。お願いだから。どこにも行かないで。
それさえ叶えてくれれば他に何もいらない。
リーシャ、 』
悪筆と断り文句は入るものの、最初の方はまだいつものユーデス様の美しい字だ。
しかし後半につれてもうほぼ書き殴っているような勢いで書かれた手紙を読み、私は知らず知らず息を止めていた。
「―――…」
ポロリと涙が一粒滑り、便箋に落ちる。
そこは丁度、時間が無かったのか私の名前の脇、不思議な空白の部分だった。
書けなかったのか、書くのを躊躇ったのか。
それすらも便箋は答えてくれない。
何故自分が泣いたのかも分からず、さっと目元を拭って瞬きで涙を散らす。
「リーシャお嬢様?」
その様子にいち早く気付いたのはマノンだった。
流石私の筆頭侍女である。
私は素早く振り返り、何でも無いと軽く頭を振ってみせる。
「ゆっくり読み直したいから少し外していてくれる?何か必要になったら呼ぶわ」
「分かりました」
本音では分かりたくないのだろうなぁという見事な笑みをマノンが浮かべる。
流石マノンのお嬢様である。
マノンはお茶の仕度をするメロディを素早く手伝い終えると、彼女を連れて私の部屋から静かに退出してくれた。
一人になり、やっと背筋から力を抜く。
「………」
ユーデス様からの久し振りの手紙。
嬉しいのに、ここ一番で心配になる。
それは書かれた文字の慌ただしさもそうだが、何より内容だ。
(夏から秋に届いていた手紙は、お気持ちを零す言葉は殆ど無かったのに)
それこそ、王子の側近として仕事が始まる事に対する弱音くらいだった。
なのに今回の手紙は疲労から来る弱音とはまた違う感情で溢れていた。
(ユーデス様は何を焦っているのだろう…やっぱり、私の馬車事故の事?)
今回の手紙から私が感じたものは、第一に悔恨と焦り。
私との約束を果たせなかった事への謝罪から滲む苦味と思慕。
そして最後に掛けて綴られた、端的ながらも切実な願い。
何故だか、とても胸が苦しくなった。
『待っていて。お願いだから。どこにも行かないで。
それさえ叶えてくれれば他に何もいらない。』
私は確かにこの地でユーデス様を待っている。
なのに、彼は何処か迷い子のごとく藻掻いて、その苦しみを吐露した。
(逢いたいよ、ユーデス様。逢って、ちゃんと話を聞いて、手を取りたい)
そう心から願えど彼の希望は私がストラスに留まる事だ。
(ねぇ不安にならないで。約束は必ず守りますから、だから、逢いに来て下さい)
堪らず零れた涙がまた便箋に落ちないように袖で拭う。
待たなきゃいけないもどかしさと、今すぐにでも逢いに行きたい気持ちが鬩ぎ合っては私の肺を突き上げて息が浅くなる。
私は暫くしとしとと泣いて、気が付いたらベッドに横になっていた。
「……」
泣いた後を、手紙をマノンに見られてしまっただろうか。
少し足早に寝室を出て薄暗く人気のない私室の机の上に目線を走らせる。
幸い、手紙は手つかずのまま其処にぽつりと取り残されていた。
ほっと無意識に息を吐き、手紙を片付けようと持ち上げた。
その下から一枚の紙がひらりと足元に落ちる。
薄暗い部屋の中でも分かる、何度も見た文字に心臓が跳ねた。
『起きたら僕とランから話がある』
ぼやけたって見間違えないその文字に私は密かに唇を噛んだ。




