31:十歳の懐疑
私が十歳の夏、婚約者のユーデス様は御領地に戻らずにストラス領で過ごされる運びとなった。
そのため、領内だけでなくストラス邸にも公爵家の人が忙しなく出入りした。
確かにこの状況であれば、ヴュルテンベルク辺境伯家の双子が今年の夏に避暑へ訪れないのは正解だったのかもしれないと私は思った。
幾らユーデス様が良い人だろうと、その周囲の人間を雇っているのは公爵閣下だ。
最終的な命令権はかの御人が持つと考えれば下手に双子とユーデス様を近づけるのはまだ時期尚早なのも良く分かる話である。
それでも初めての恋に浮かれている私は矢張り、二人にもユーデス様と仲良くなってもらいたいと願ってしまうもので。
この点に関しても手紙が出せないのは意図せず幸いであっただろう。
恋バナ相手は専らマノンやお母様となった。
二人とも嬉しそうににこにことお話を聞いてくれるから嬉しい。
もう最近ユーデス様が何をしていてもかっこよく見えてしまうのだ。
これが恋か!と自分でも高揚っぷりに驚くのだが、お兄様達の目も無い中できゃっきゃとはしゃぐのは堪らなく楽しい。
ついでとばかりに気になっていたマノンとエタンの事情も探った。
どうやら二人はもう既にお付き合いをしていて、来年の夏、お兄様達が領地に戻られ落ち着いた頃合いを見て結婚をする予定だと聞いた!
おめでたい!!私の周囲で結婚する人は初めてだ!!
わーっわーっ!!来年かぁ!楽しみだなぁ!
二人への結婚祝いは何を贈ろうかお母様と相談しなくちゃ!
より一層にこにこと喜ぶ私にユーデス様が不思議そうな顔をされていたが、こっそりと実はですねと教えたあげたら彼も幸せそうに頷いて祝福をしてくれた。
「リーシャが幸せそうなのが嬉しい」
照れながらそう仰る安定のかっこよさと優しさです。
私の婚約者様が素敵!
ところが忘れてはならない。
一応我々は借金絡みの婚約であるという件だ。
この件に関しては早々にお父様にもご相談した。
とりあえず当初の計画通り、返金をしてから改めて先方の意向を聞くようにしようと前向きなお話を頂けた。
良かった。
私はユーデス様を幸せにしたいので、よろしくお願いいたします。
ついでにガラスペンの売り上げが好調なようで借金返済の目途が随分早まりそうだとも聞かされた。
嬉しい事である!
我が家の財政が落ち着いた方が先方への印象も良いものな!
まぁ家格差もあるし、今度こそ曾祖母様の横槍が入るかもしれないが。
でもユーデス様御本人も私を大事にしてくれている。
ふへへ恥ずかしくも嬉しい。
だからと胡坐を掻く訳にはいかないが、生来の楽観さが顔を出しては私は浮かれるのであった。
そんな嬉しそうな私を見てユーデス様も安心したのか、仕事に精を出された結果、鉱脈の採掘が前倒しで始められたそうだ。
無事にそれなりの量が採れたようでお父様も安心していた。
私も少量の銀を融通してもらってはせっせと銀粘土にして領民と装飾品づくりに勤しむ夏となった。
勿論ユーデス様にも作って銀細工を贈った。
今回はもっとカッコいい狼の横顔モチーフのブローチだ!
あまりの出来の良さに驚かれたユーデス様の御顔がとても可愛かった。
数年で私の粘土細工技術も上がったのですよ。
絵は苦手ですがね!手先はそれなりに器用だと自負しているのです!!
「狼の造形も見事だが、周囲の飾りの立体感が圧巻だな」
「彫金で作るとなると技術が必要なところですよね」
「そうだな、それが無くともこれだけ素晴らしい品が作れるのは凄い」
狼を縁どる装飾は、ギレムお兄様が春に贈ってくれた書籍を参考に作った。
早速活用させて頂いておりますギレムお兄様ぁ!流石ですぅ!!
「ガラスの瞳は後嵌めか」
「いえ、銀粘土の焼き入れ温度の方が低いのでなんとかガラスは耐えます」
ちょっと柔らかくなりかけるようなので、あまり大きなガラスを嵌め込む事は出来なさそうではあるものの今回の実験も上手く行ってほくほくである。
ダブグレーの色ガラスを今回専用に用意させたが実験という事もあり、折角ならばと私の髪色のガラス玉を狼には嵌めた。
より本物の狼らしいブローチとなった。
何より銀色はユーデス様の髪色にも近いし、狼くん以上に瓜二つである。
ユーデス様にはきちんとダブグレーのガラスを嵌めた側を差し出したのだが、彼はシャモア色の瞳の狼を手離そうとしなかった。
「そっちはリーシャが持っていて欲しい」
「んんんんん」
恥ずかしくて唸る私を彼が笑う。
いや、浮かれて作ったのは私自身なのだがな。
淑女が持つようなブローチじゃないからこそ自分の髪色ならまだ言い訳が立つと思ったとか、それこそ此処で言い訳として用いたものの彼は首を横に振る。
「作ったのはリーシャだけど、私が贈った事にすればいいだろ」
「ひぇ」
その方が余計恥ずかしいわ。
「それで御礼には何が欲しい?私もリーシャに自分の色を贈りたい。
今年も結局それらしい贈り物を持ってこなかったし」
「んーでも滞在を伸ばしてくれただけで贈り物みたいなものですけど」
「はぁ…」
溜息を漏らすと彼は両腕を広げ、私を誘う。
何かここの所そういう仕草が増えたな。
なんかもうこの流れ、お兄様達と似ているのだが。
まさか手紙のやりとりで教え込まれたのだろうか。
妹は両手を広げると抱き込まれに行きますよ、的な何かを。
とりあえず私は行くが。
抵抗などせずに抱き締めて甘えさせてもらいますが、ええもう。
その辺りはかなり上級者なので。
「兄君達がキミを溺愛するのが痛いほど分かる」
「それを私は喜ぶべきかどうか…」
「複雑?」
私の髪を指で玩び、ユーデス様が小さく笑う。
「家族愛と婚約者の愛は同じなのです?」
「…」
更に抱き締める腕の力が強くなった。
多分、そういう事なのだろう。
言っている私も少し恥ずかしくて、埋める顔を上げる事はしなかった。
ただただ与えられる温もりと少し早い心音の心地良さを享受する。
「最近本当に王都に戻るのが嫌になってきた」
「ユーデス様はもう立派なストラス領民ですねぇ」
「茶化さないで」
何度も音を立てて目元や額に唇を寄せられる。
これにはまだ慣れない。
だってお兄様達とも殆どしないスキンシップだ。
とろりとしたダブグレーの瞳が、私を見下ろしていた。
「…温もりから離れがたいのは私の方だな」
大事そうに頬を撫でられながら微笑みと共に零された言葉に私は赤面した。
あんな、無表情でクールだった御人がこんなにも他人に心を預け、人肌を心地良いと思ってくれるだなんて思いも寄らなかった。
それが自分である事の喜びと気恥ずかしさで胸がいっぱいになる。
与えられる愛情の深さに溺れないよう、抗うように私はせっせと銀粘土細工でお兄様達への卒業祝い品作りに精を出した。
ユーデス様との触れ合いは安堵するし好きだがこのままではいけない。
私はまだ十歳!前世からすれば発育は良いからか無性に堪らなくなるけどさ!
しかしまだまだ節度を持たなければ!
時折ユーデス様がめちゃくちゃ大人っぽい顔をするから流されそうになるけど!
私には成人女性の前世がある筈なのに何故これ程狼狽しているのだろうか!
ええい!心頭滅却!今はお兄様達への贈り物を作るんだ私よ!!
邪念が蔓延っているからか中々上手く作り上げられず憤悶とする私に、ユーデス様が何食わぬ顔で何を作っているのか尋ねてきた。
はぁその取り繕う強い精神がほんと御立派で羨ましい。
「耳飾りを贈ろうかと」
「ブローチよりも随分細かい作業となるな、だから苦戦しているのか」
「耳介に付けるものを考えては居るのですが」
指輪も良いけれどもっと自然に身に着けられるものが良い。
ピアスはどちらも開けて居ない筈なので、イヤーカフ的なものを考えている。
というかこの世界ではピアスを贈るのは恋人同士だ。流石の妹も自重する。
「耳介?」
「ええ、この軟骨に」
私は話ながら自分の耳でつける場所を示す。
じっと見ていたユーデス様が、ああ、と思いついたように頷いた。
「指輪と違って型が無いのか」
「そうなのです!かと言って自分のものを測るのも難しくて」
なので手探りでサイズを調整して作るのだがこれが微妙で。
然程個人差は無いとは言え、意外と良い位置で留まってくれないのだ。
もうそれを考えずにデザインを考え直すべきなのだろうか。
「私で確かめるか?」
「え?!いや、それは流石に」
公爵家嫡男様から型取りなんて畏れ多いわ。
「そんなに気負う必要も無い、困ったら声を掛けてくれ」
「ありがとうございます」
このままではユーデス様の耳介をお借りする流れになってしまう!
クソっそんな事はさせないぞ!と私は心を燃やし、なんとか渋るエタンの耳を借りてあれこれと試行錯誤をさせてもらった。
エタンは耳が弱いようだった。可愛かった。
あとマノンがめちゃくちゃ楽しそうだった。
お兄様達の耳も弱かったらどうしよう。
私がお嫁に行けなくなってしまう。
お兄様達が可愛すぎて。
などと馬鹿な事を考えてながらも私はイヤーカフ作りを止める事はしないのだからお察しである。
そんな私をユーデス様が苦笑して見守ってくれていた。
私のお兄様達大好きは今に始まった事じゃありませんからね!
執念が詰まった贈り物が出来上がった頃にはもうすっかり周囲は秋一色。
温かい飲み物が齎してくれる安堵感が一入である。
今年はもっと街に一緒に行こうとあらかじめ手紙で誘ってくれていたのに、邸で粘土細工ばかりしている婚約者で申し訳ない。
ユーデス様も時折街へ降りられていたが、それは仕事の都合だ。
私は工房に顔出しついでの巡視程度。
デートらしいデートをしていない。ごめんなさい。
でも毎朝二人で相乗りしての散歩は、天候が許す限り欠かさなかった。
お陰で横乗りで輓馬に乗る事も抵抗が無くなりました。私はちょろい女である。
それにしてもユーデス様は春の終わりから秋までと、随分ストラス領に長く滞在されているのだがまだ戻られる気配がしない。
ユーデス様の御誕生日も我が家でお祝いさせて頂いたし、何だかもう一緒に暮らしているような感覚に陥っている今日この頃である。
もしかしてこのまま来年までお過ごし下さるのだろうか。
であれば嬉しいな、と私の楽観が顔を出した頃合いで先の予定を告げられた。
「新年の宴には顔を出す様に、と父に言われてしまった」
でしょうね。
ほぼ一年社交から離れていらっしゃいましたしね。
まだ十一歳とは言え御嫡男は流石にそろそろ御顔を出さなければでしょう。
公爵閣下も年末年始だけ、と許して下さった方が意外でもある。
思ったよりも自由が許されているのだなユーデス様。
「今年の冬の社交にはキミも伯爵閣下も参加しないとも聞いた」
「そうですね…」
その辺りはお父様だけでなくお母様も交え相談し合って決めた。
ユーデス様と一緒に王都へ向かう事も考えたが、やはりまだ社交に私を出すつもりは無いらしい。
というかユーデス様も意見を変えたようで、私の社交には乗り気ではない。
なんだ、日頃の私を見て社交に不安を覚えられたのだろうか。
猫を総動員すればそれなりになると思うのだが。
まぁ出なくて良いのならそれに越したことは無い。
でもアロイーズやオリアーヌの顔が見たかったなぁ。ちぇっ。
「来年の春にはまたリーシャも王都へ来るのだろう?」
「ええ、その予定です」
何せお兄様達の卒業式があるからね!是非赴かねば!
その頃までオリアーヌやアロイーズも王都に居るのだろうか。
社交場じゃなくても何処かでばったり出くわすなど運命的なあれこれが起きれば良いのに。
はぁ、逢えなかった一年もあっと言う間だったな。
ユーデス様がストラス領に残ってくれなかったらもっと長く感じただろう。
ヴュルテンベルク辺境伯家の双子としては微妙な気持ちだろうけれど。
「冬の移動にも慣れておきたいから、年明けに迎えに来る」
「え?」
ふと私が他所事を考えて居る最中、ユーデス様がそんな事を仰る。
新年の宴に出席するために王都に戻った後またストラスへ来るのは、どう考えたって手間だろうに。
まるで僅かばかりでも私を寂しくさせまいとしてくれているようだ。
でも、流石にそれは申し訳なくて私は首を横に振る。
「春も近いと謂えどストラスは雪が多く残るので危ないですよ」
「それに慣れておきたいんだ」
努めて普通にしているようだが彼の空気は少し硬い。
そう、まるでアロイーズ達が何か不穏なものを隠すような空気。
何とも言えぬ緊張感に私の肌が泡立つ。
彼は一体何を警戒しているのだろう。
「此方から出立するのはそれもあって降雪が始まってからとなる。
流石に冬真っただ中に移動するのは控える」
「…そう、ですか」
「心配せずとも公爵家の護衛はそんなに軟じゃない」
「でも」
言葉を続けようと私も口を開くが、何を言えば良いのか分からなくなってしまいそのまま情けなくも勢いを萎ませた。
不慣れな彼の雪の中の移動が不安なのは確かだ。
でももっと、根本的に彼が何故それ程私を心配しているのかが気になった。
去年、王都の公爵邸で話してくれなかった理由だろうか。
今なら語ってくれるのだろうか。
でも耳にするのが、怖い。
俯いてしまった私の手をそっとユーデス様の冷たい手が握る。
じわりと、私の熱と彼の肌が似た温かさになった頃にやっと彼が口を開く。
「必ず迎えに来る。だから待っていて、リーシャ」
「…はい」
結局私が返せたのはそれだけだった。
宣言通りに雪が降り始めるとユーデス様は一行を伴い王都へと戻られた。
見送る私に彼は何度も何度も繰り返し、必ず迎えに来るから待っていてと告げる。
別に、ユーデス様の言葉を疑うつもりなど毛頭ない。
そう私は笑うけれど、彼はどこか不安そうな面持ちを取り払わなかった。
公爵家の一行を見送った後、私は自室でぼんやりと机に向かっていた。
机上には、懐かしいアロイーズの手紙。
(ユーデス様も、もしかして何かを知っている…?)
それがアロイーズと同じ夢だとしたら、彼は私の葬儀に出席していたのだろうか。
でもそれなら猶更、事故が起きるのはまだ先だと知っている筈。
(…アロと、ユーデス様が、同じ葬儀に?)
ふと私は引っ掛かりを覚え、あえかに息を呑む。
(政敵同士が同じ故人を悼む場に居るのは不思議じゃない。
でも、待って、今この状況でそれは起こり得る事?)
ユーデス様は私の婚約者だから葬儀に参列していても不思議ではない。
一方、アロイーズやオリアーヌは私達との誼を隠すために離れた。
少なくとも、公になっていない関係性だ。
なのにどうして十二歳のアロイーズは私の葬儀に出席出来たのだ。
(これから先、社交場で仲良くなれるという事?)
だが私は今年の冬の社交にも出ていない。
来年の社交は分からないが、お兄様達が王都からストラスに戻られたのならわざわざ出向いて参加する理由も無い。
(私以外の家族とアロが仲良くなってという線もある?)
寧ろ今年の冬の社交でお兄様達と誼を結んだ体になればそれもあり得るのか。
だがわざわざ知り合いの親族の葬儀に辺境領から出てまで参列をする事は違和感があるのではなかろうか。
第一、この話を聞いた時は私達と双子の仲だから違和感は無かっただけで。
世間的な基準が分からない。
どれ程の仲なら参列しても不思議が無いのだ。
ただ言えるのは、現状ではアロイーズが私の葬儀に出席する理由は、無い。
再び視線を手紙に落とす。
何度見ても内容は変わらない。
四歳のアロイーズの不安と畏れが綴られた文章。
『…手紙には書かなかったんだけどさ』
思い起こすのは数年前、やっと二人きりで話せた時の言葉だ。
『うん?』
『あの夢を見た時、映像以上にね…『忘れちゃいけない』って僕が思っていた』
何故アロイーズは、私の死を「忘れてはいけない事だと記憶した」のだろう。
もしそれなら私は「婚約者のトラウマ令嬢となる事を忘れてはいけない」と記憶したのか。
確かに何かが引っ掛かるのに解く糸口が見つからない。
(やだ…なんか、これ、まるで)
私もアロイーズも、もしかしたらユーデス様も。
そういう「設定」とかじゃなくて、まるで「前世」を覚えているようじゃないか。
しかも、これから繰り返されるであろう未来を。
だがその通りの未来が訪れる気がしないのは、良い事なのか、悪い事なのか。
縋る温もりが無い時に限って不安が私を苛んだ。




