30:十歳の恋
お父様とお兄様が不在の冬、で思い起こすのは数年前の雪崩災害だろう。
だが邸の中の人々はそれを思い返し怯える様子を見せず、ただただ出会う人誰もが私の事を心配そうに見守っていた。
あのベルトランですら心配した様子で時折用も無いのに私の元へ顔を出のだ。
キミはいいから仕事しなさいな。
皆の心配りは素直に嬉しいが、私も春を迎えれば十歳だ。
社交にも出られる年齢になるのを忘れられてはなかろうか。
ストラス家の長女だって大人になるのです。
もう寂しくて寂しくて、ストールに包まってばかりいる私では無いのだ。
出会いと別れを経て成長していくのはどこの世界でも同じ。
だからそんなに心配をしないで欲しい。
邸の外に出ないのは、別に沈んでいるからとかでは無くて寒いからだよ。
きっとそうだよ。多分。怖くないよ。
恙無くお母様と使用人達だけでの新年を迎えて暫くした頃、お父様が無事にストラス領へお戻りになられるとの先触れを持ってきたのは予想外の人物だった。
「リーシャ!!」
「逢いたかったよ!」
「ラン兄様!!レム兄様!!」
長女、すぐさま妹と化す。
大人になるのだと言ったがあれは一旦脇に置かせてもらおう。
私は玄関ホールで雪塗れのお兄様達へ弾丸のように飛びついては抱き留められる。
軽々と安定して私を抱き上げるギランお兄様は流石だし、厚手の手袋を外しながらも指先が冷えてしまっていたのに気付いたのか、手を伸ばすのを躊躇ってしまうギレムお兄様の気遣いも温かい。
此方からぎゅっとその指先を掴んで自らの頬へ誘う。
ああ、こんなに冷えてまで旅路を急いでくれたのか。
「お帰りなさい!お逢いしたかったです!!」
ギランお兄様との抱擁の次はギレムお兄様の抱っこだ。
今度はギランお兄様が私の髪を撫でる。
「ああ、顔が見たかったぞリーシャ」
「ふふっリーシャとってもあったかいや」
「お二人とも凄く冷えてますもの!早く温かい部屋に参りましょう!」
代わる代わる抱き上げられる度にその肩や頭に掛かった雪を私はせっせと払い除けるも、まだまだ二人の旅装に包んだとは言え身体は冷たい。
きっと仕事の出来る使用人達が急いで風呂の仕度や部屋を暖めている事だろう。
「んふふふっ!嬉しい驚きです!
お兄様達は今年の冬はお戻りにならないと聞いていたので!」
「そのつもりだったんだけどな」
「僕らが我慢出来なかったんだよねぇ」
部屋へ向かう道中、それぞれと手を繋ぎながらご機嫌の私を見て二人も笑う。
ああ静かだった邸が賑やかな温かい空気に変わる。
それは私だけでなく、お母様も控える使用人達も同じだ。
「お帰りなさい、ギラン、ギレム」
「ただいま帰りました母上」
「父上を置いて来てしまいました」
「見れば分かるわ。全く…妹離れ出来ない息子達だこと」
そう苦笑しながらお母様もお兄様達の顔を見て安心した様子だ。
頻繁に手紙のやり取りをしていても、やはり顔を見るのは喜びも一入だよね。
妹離れなど永遠にしなくて良いですと言った面持ちで笑う私を見て、お母様は少し呆れたような眼をされていますが仕方ないでしょう。
こんなに素敵で優しいお兄様達から離れたくありません!
妹の兄離れは永遠に訪れない事を先に謝罪しておきます?
仲良し兄妹で良い事じゃないですか。
「まずは冷えた身体を温めて来なさい」
そうして二人を纏めて風呂に向かわせている間に、お母様は家族用のお茶会室で私に向き合うと口を開いた。
「旦那様が二人に今年の夏の事をお伝えしたそうよ」
「…それ、で」
わざわざお兄様達は戻る予定では無かったのにストラスまで来たのか。
冬の、新年明けの社交を捨ててまで。
「ヴュルテンベルク辺境伯家の方々が手厚く慰めてくれたから、リーシャは大丈夫だと語ったらしいのだけれどもね」
双子の事を信頼していない訳じゃない。
でもやっぱり心配だったのだろう。
お兄様達の愛情を感じながらも、申し訳無さが募る。
私が何時までもしっかりしないから二人に迷惑が掛かってしまった。
「リーシャ、分かっていると思うけれどくれぐれも」
「はい、我儘はもう言いません」
「…分かっていないわね」
お母様が長い溜息を零す。
私の言葉は信じられないのだろうけれども、此処は信じてもらいたい。
もう大好きな人達に迷惑を掛けるのは、私の失態で振り回すのは嫌なのだ。
「リーシャの思う我儘とは?」
「それは、お兄様達に王都へ戻って欲しくない、とか」
「言ってあげなさい。それが聞きたくて戻って来たのだから」
「え」
予想外の言葉に私は眼を丸くする。
いや、慌ててわざわざ戻って来た二人にそんな事言える訳無いだろう。
お母様ご乱心か?お兄様達が戻って来た事がそんなに衝撃か?
我ら兄妹の仲の良さは今に始まった事じゃないだろうに。
「ギランもギレムもリーシャの為に戻って来たのよ。
リーシャを心配する事を、寂しさを慰める事を本人達が望んで駆けたの」
「……」
やんわりと語るお母様の声音は、微笑み交じりで優しい。
久し振りにそんな声をお聞きしました。
「もしかして、また迷惑を掛けたと思っているのではないかと思ったけど」
「…はい」
「アロイーズ様もオリアーヌ様もそんな事は仰って無かったでしょう?」
「はい」
そして安定のお見通しであります。
娘は、迷惑を掛けた事を自省しておりました。
それは事実かもしれないが、お兄様達や双子が私を思いやる気持ちも真実だ。
反省は大事だ。
でもそれよりも心を傾けてくれる、誰かの愛情を蔑ろにするなとお母様は語る。
「思いきり甘えてあげなさい」
「はい…っ!」
それが私に出来る最上級のおもてなしで、愛情に関する感謝ならば!
喜んででれでれしますし引っ付きますよ!!
大義名分を得た私はここぞとばかりにお兄様達へ甘えまくった。
もうでれでれどころじゃない。べっちゃべちゃに甘えた。
邸内の何処に行くのも引っ付いていたし、また久し振りに寝物語を二人揃ってと強請っては乙女な寝台の上で眠るように仕向けた。
今はまさに私とお兄様達の蜜月である!
元気フルチャージで笑顔を振りまく私を、お兄様達は呆れたり嫌な顔など何一つせずもうずっと可愛がってくれる。
最高です!幸せです!!ギランお兄様ギレムお兄様大好き!!!
私がせっせと世話をしている庭の雪像達も見せた。
例の竜と、今度こそ可愛い雪ウサギである。
かまくらは流石に三人では入れなかったが、お二人も幸せそうに顔を緩めて双子の面影を探すように白い庭を眺めていた。
「そっか、楽しかったかリーシャ」
「はいっ!」
「また一ついい思い出が出来たんだねリーシャ」
「そうですっ!」
こうして、溶け消える前にお兄様達にも見て貰えたのも嬉しい。
オリアーヌやアロイーズもそれは予想していなかっただろうなぁ。
ふふふ、思い出が私達だけのものじゃなくなったよ。
「そういえばオーリとアロは新年明けの社交には出ると話してましたが」
「やっぱそうか」
「手紙にもあったものね」
今お兄様達はストラスに居るから、オリアーヌが予想していた通り入れ違いで会えないままなのだろうか。
ごめんよ二人とも。申し訳ない、私がお兄様達に愛されているばっかりに。
とか思っていたらお父様が帰ってくるのと入れ違いでお兄様達は王都へ発たれた。
何故ですか!!このまま移動しやすい春まで居れば良いじゃないですか!
わざわざ寒い中、大変な雪道を移動する事はないじゃないですか!!
というか寂しいので行かないで下さい!!まだ蜜月は始まったばかりです!!
「元よりそのつもりだったんだよ、拗ねるな」
「だから父上を置いて先発するのをお許し頂いたんだよ」
「うううーーーーーーッ!!!」
ぐずる私をよしよしと二人が宥めるも、二人の間に陣取った私は頑として動かず絡めた腕を解こうとはしなかった。
嫌です。お兄様達の家は此処です。
向こうに帰るみたいな言い方はとても私の地雷です。
ギランお兄様もギレムお兄様もストラス領の誇るべき素晴らしい嫡男だー!!
王都にはちょっと顔を出してやっているだけだぞ!王都自重しろ!!
「アロとオーリの顔も見てくるからな」
「二人の様子、リーシャも気になるでしょう?」
「手紙で知らせてやるから」
「うっぐうう…!!!」
流石ギランお兄様である。
妹の手が緩むツボを押さえていらっしゃる。
それをつんつん突くギレムお兄様の手腕も見事でございます。
抵抗も敢え無く私は腕を掴む力を緩める。
でもお兄様達は自ら引き抜くなどしない。
そういうところはお厳しい。
私からちゃんと離しなさいという訳ですかぁ。
嫌ですぅ。でも王都での双子の様子も気になるんですぅ。
今度こそやっと手を離した私を褒めるように左右から頭を撫でられる。
嬉しいですもっと撫でて!
「…我が家の速達よりもレオさん経由の方が到着が早かったです」
「ははは!そりゃ凄いなレオは!」
「辺境伯家への忖度かな」
成程。
支援元のご嫡男ご嫡女からお預かりした文、そしてお求めになっている返信なのだからと、レオさんが奮発して手続きを頑張ったのなら仕方ないな。
そりゃ我が家の速達も抜かれてしまうかもしれない。
「レオさんにもよろしくお伝えくださいね」
「ああ、勿論だよ」
「レオもリーシャの事気に入ってるからなぁ」
「では私も今度こそはレオさん便を使えるかも?!」
「そりゃどうだかな!」
声を上げて笑うギランお兄様、クスクスと喉を鳴らすギレムお兄様。
ああお二人が揃うだけで本当に空気が明るくなる。
それをお父様とお母様も微笑ましそうに見ているこの空間がとても幸せだ。
久し振りに一家で揃ったのに、もう発たなければならないのが残念である。
「よろしく頼むぞ、ギラン、ギレム」
「ええ、我儘をお許し頂きありがとうございました父上」
「母上もどうかご無理はなさらず」
「ありがとう、ギランもギレムも体に気を付けるのですよ」
「はい」
「行ってまいります」
もう一度それぞれを抱き締め合い、玄関ホールで半泣きになって見送る。
今度はちょっと泣いても良いんじゃないかと甘えた気持ちが出た。
ちょっとである。ほんのちょっとだけである。
だって寂しいんだもん。
そんな私を分かっていたのか春になると王都から大量のお土産が届いた。
ギランお兄様とギレムお兄様が、昨年の間で私達へと買い貯めた品物だ。
まぁほぼ私向けだったのは言うまでもない。
お母様がこめかみを抑えて溜息を吐く一方、お父様は爆笑していた。
「わぁ…!可愛い!」
王都で流行のレース細工やガラスの小物。
まだ私には早いと思う紅だが、陶器の器がとても可愛らしい。
一緒に届いたお兄様達の文に詳細が書かれていたが、他には面白かった古本や色味の綺麗な織物に夏向けの帽子など様々な品物が入っていた。
荷解きもそこそこに早速したためたお兄様達への御礼の手紙には、アロイーズ達の元気そうな姿を教えてくれた感謝も添えた。
勿論、念の為少々ぼかしてだ。
無事に双子はお兄様達が参加する社交場にも顔を出せたようだ。
残念ながら言葉は交わす事は出来なかったようだが、お互いに姿を見れただけでも安心出来たことだろう。
私にはお兄様達という最強の甘え先があるが、二人はそうじゃない。
いや、もしかしたら閣下や夫人達を始め、辺境伯領にそういう存在が居るのかもしれないけれど少なくとも話には出て来た事は無い。
余計だったかもしれんが、心配ではあったのだ。
少しだけ安心をした私はお兄様達の読書感想文、もとい贈り物の詳細を片手に新たな古書との出会いを愉しむ春先となった。
鉱石や各地の伝統図柄に関する書籍は完全に私向けだろう。
後、ギランお兄様が推していた推理小説が本当に面白かったので是非同じ作家の他作品も邸の蔵書に加えてもらうようにお願いしよう。
お兄様が既に持っている作品と被らないようにしなければ。
一方ギレムお兄様が好んだ海外の伝記は王都でも少ないようなので、セプタント経由で先に揃えておいた方が良いかもしれない。一冊が枕かと見間違う程分厚いし重いので是非邸に戻られてからゆっくり楽しんで欲しい。
遠く離れながらも大事な人の存在を感じつつ穏やかな春を終えた頃にユーデス様がストラス領へいらっしゃった。
去年に引き続き初年よりも早目のご訪問だ。
「良かった…元気そうで」
私の顔を見た第一声がそれである。
何故彼が私の心労を慮ったのかが分からず、思わず真顔になった。
(やっぱりあの画家がネウストラ公爵家に情報を?
でもだからと言ってユーデス様が私を心配する理由が分からない)
「どうしてそう思われたのですか?」
「リーシャ嬢?」
思わず猫を総動員して構えた私にユーデス様が目を瞬かせる。
おや、今年は最初から随分表情を隠されないのですね。
彼の不安げな面持ちは仕草にも出ており、そっと伸ばされかけた手に私は気付く。
私の視線が其方に向いて初めて彼も気付いたようで、己の動きに戸惑いながらもそっと手を下ろされていた。
「…手紙が、冬から途切れたままだったろう?
兄君達が一時ストラスへ戻られたのにすぐに王都へ向かったと聞いたから、塞ぎ込んでいるのではないかと思ったんだ」
「お心配りありがとう存じます」
あ、ヤベ。
確かにユーデス様への返信が去年の冬から滞っていた。
丁度その頃は双子との別れの後だったからまともな返信を書ける気がしなくて、後にしたまま結局忘れていた。
勿論お兄様達フィーバーで読書に没頭してしまったのもあるが。
これは完全に私の落ち度である!助けてお兄様達!
そしてごめんなさいユーデス様!
私はそこそこ元気ですけどその優しさに甘え、此処は卑怯な淑女ムーブさせて頂きますね!
「お返事が遅れまして申し訳ございませんでしたわ。
冬の寒さは矢張り、寂しさを助長させてしまって…」
「そうか…私はストラスの冬は知らないけれど、想像に難くはない」
エスコートをしようと差し出された腕にそっと触れれば彼は面持ちを緩める。
暖かな陽気に似合う穏やかな微笑みだった。
「それでも兄君達の顔を見れたのは幸甚だったろう」
「ええ、それはもう!驚きましたが大変嬉しい驚きでしたわ」
「良かったな」
素直に笑みを浮かべて見せれば彼も嬉しそうに頷いた。
そこに滲むのは純粋な心配と、安堵。
先の事があったから構えてしまった私に罪悪感を呼ぶ程、彼は真摯に私の事を案じてくれていたのだ。
「お戻りになった際に聞いたかもしれないが、兄君達の御活躍を話そうか?」
「はいっ!是非!」
だって、自分の事じゃなくて私が喜ぶような会話を優先してくれる。
手紙が滞っていたからご自身の近況をお話になるかと予想していたのに。
彼は滞在の間、ずっと私が落ち着くように、寂しく思わないように、折に触れてはお兄様達の御活躍を語ってくれた。
それ以外に話す事が思い浮かばなかったという訳でも無さそうである。
「ユーデス様は御領地でどのようにお過ごしになられたのですか?」
「主に領地経営に携わっていたが、特に輸出入品目の確認に時間を割いたよ。
ほら、手紙でも書いたけれど王子殿下の婚約祝いが多くて」
「目新しいものに多く触れる機会があったとか。ご興味を惹かれた品も?」
「それこそリーシャ嬢との会話を思い出して、陶器やガラス製品が目に付いた」
「まぁ」
私が彼の事へと水を向ければ嬉しそうにたくさん語ってくれた。
元よりお茶の席での会話が途切れる事は少ない関係だが、去年以上に彼の事を多く話してくれるようになったのは良い変化なのかもしれない。
実にうまくいっている婚約者同士の交遊である。
「粉砕機の事も領内で調べたのだ」
「ふふ、それこそ私の悪い影響ですわね。聞かれた人も驚かれていたでしょう?」
「確かにな。今まで興味を寄せなかった部類ではあるから」
自分が誰かの影響を受けているって気づく瞬間はちょっと面白いよね。
私も双子の影響を受けて最近は絵筆を握るようになった。
どうしたって彼等のような緻密な絵も、躍動感に満ちた絵も描けないのだが、あの空間に居るだけで落ち着くようになってしまった。
今は家令のキャンバスと私のキャンバスが並んでいる。
「リーシャ嬢も絵画を嗜むようになったのは家令の影響か」
「まぁそんなところですわ。ギランお兄様も絵を好みますし」
「ああ、王都の美術館で良くお姿を見かけるとは噂になっていたよ」
ギランお兄様の出没スポットが噂になっている。
でもお兄様も好きなものを楽しめる程余裕があるみたいで嬉しいな。
名高い芸術作品を中々ゆっくり見る機会は無いだろうから是非楽しんで欲しい。
「ギレムお兄様もご一緒かしら?」
「毎回、ではないそうだけれど、偶に。
ギレム殿はどちらかと言えば外の方がお好きではないか?植物園が多いらしい」
「私に植物の書籍を勧めたのはギレムお兄様ですからね」
「成程、道理で。もしかして乗馬も?」
「ええ!ご明察通りですわ!」
ユーデス様の御話をしてもらっていたのに、気が付けばいつの間にか私のお兄様達トークに移ってしまう。
申し訳無いなぁ、いっつもこうだ。
それに私が気付いて軌道修正するのがいつもの流れ。
「ですから我が家の馬も良く躾けてくれていたのです。
ユーデス様も今年は輓馬に騎乗をされてみたいと手紙でお話されていましたね」
「ああ、是非挑戦してみたい。
リーシャ嬢も一緒にやってみないか?」
「そうですね!」
ごめんなさいギレムお兄様。
妹はまたお兄様の眼を盗んで乗馬のステップアップをしてしまうかもです。
だが十歳ではまだ輓馬は早かったようだ。
というか私の体格が恐らく少し小さいようである。
アロイーズなら同い年でも騎乗出来ただろうに。
オリアーヌもぎりぎりか。
見事に輓馬を乗りこなすユーデス様を見守りながらそんな事を考えた。
もしきっと、今年も双子が遊びに来たのなら念願の輓馬を走らせる事になったのだろうな、と取り留めも無く思う。
「私ばかりが楽しんでしまったな」
下馬した彼が少し申し訳なさそうに私の元へ戻り、そんな事を呟いた。
「見ている私も楽しかったですよ?」
人が楽しんでいる姿は見ているだけで心が温かくなる。
そう素直に伝えたつもりだが、ユーデス様は困ったように笑うだけだった。
「リーシャ嬢は横乗りはしないのか?」
「そういえばやった事は御座いませんねぇ」
何時だって騎乗服に着替えて乗馬を楽しんでいた。
ドレスやスカート姿で騎乗する訓練もしなければならないのだろうけれど。
いや寧ろするのか?それ?いるのか?
普通に騎乗出来るだけで充分な気もするけどな。
「では今年はそれに挑戦してみないか?そうすればきっと輓馬も騎乗出来る」
「ふふふ、ユーデス様も一緒に乗って下さる?」
なーんてな。
絵に描いた恋人達のような騎乗姿を思い浮かべて笑ってみれば、ユーデス様の顔が分かりやすい程に赤くなった。
なんだ可愛いな。照れてるの初めて見た。
「…それを、誘うための口実だ」
あれぇごめんなさい。
ユーデス様の方が私よりもそういう情緒面がお育ちのようだ。
去年だって、私が乗馬出来なかったら相乗りをするおつもりだったのかもな。
いやそれは考え過ぎかな。
でも何だろう、本当に。
こんなに大事に思ってもらえるような交流をした覚えはないのだがな。
ユーデス様は私を慮り、大切にしてくれる。
それが寂しさが吹き荒れる心をくすぐってくる。
嬉しいな、素直に。
こうした目標もあったお陰か、初夏の半ばには二人で輓馬に相乗りして散歩へと出られるようになった。
そもそも乗馬の基礎が出来ている私は横乗りなど容易い。
ふはは何時どんな体勢で転ぼうとも無傷で居られる自信があるぞ!
なんたってピピさん仕込みかつ太鼓判を頂いた受け身があるからね!
試した事は無いけど二階から落ちたって私は平気だぜ!多分!!
「昨日兄君達からの手紙を受け取っていただろう?
今年の夏はお戻りになるのか?」
「いえ、残念ながら王都に滞在されるそうですよ」
今年の初夏は気温が高い。
去年は朝でもストールが手離せなかったのを思い出しながら、ふと最近慣れた匂いと体温を私は見上げた。
「寂しいな」
目が合ったダブグレーの瞳が気遣うように細まる。
私は小さく頷きながら、意外と引き締まった肩に頭を寄せた。
途端、硬くなるのが分かるから笑ってしまう。
可愛い人だな。
「仕方が無い事です」
「私の前では物分かりの良い事を言わなくたって、良い」
再び見上げたユーデス様の視線はまっすぐに前を見ていた。
少しだけ、その耳が赤い。
「私が、キミの前で感情を無理に隠そうとしなくて良いのと同じだ。
リーシャも隠そうとしなくて良い」
「そうですか」
思わずくすくすと笑い、肩の力を抜く。
自然とユーデス様に凭れた身体を、彼は優しく、少し躊躇いがちに片腕を回して引き寄せてくれた。
なんだか久し振りに誰かに抱き締められた。
安心する。
ユーデス様の体温も匂いも。
「では寂しいので、毎朝の散歩は必ずこうして下さいね」
「散歩の時以外でも」
「ふふっ甘やかしすぎです」
「構わない」
言質を頂いたこの日から一段と、エスコートの距離が近くなった。
ふとした時に手を繋ぎ肩を寄せ合うのが自然となるのは道理で、私のお気に入りのストールを二人して膝に掛けて並んで読書するのも日課となった。
私は寂しいと見境なく人肌を求める生き物なのだろうかな。
でも人は選んでいるつもりなのだけど。
ただ、きっと、ユーデス様がまた御領地に戻られる際には寂しくなってしまう。
そう感じるのは確信していた。
「リーシャには黙っていたのが、今年はストラスで過ごす」
なのにユーデス様は初夏が終わる前にはそんな事を仰るので私は吃驚した。
こちとら少しずつ心構えをしたいたのに!とお門違いな愚痴が頭に浮かんだ。
「兄君達にもその旨を伝えてあるし、ご相談も以前からしていたんだ」
「お兄様達と…」
それも初耳である。
ユーデス様もお兄様達と手紙のやり取りをしていらっしゃったのか。
しかも察するに私についてのお話が主なのだろう。
何だ、婚約者にもお兄様にも心配される私って!
そんなに情緒不安定に見えるのか!ヤダ恥ずかしいわ!もう十歳なのに!!
「伯爵夫妻にもお伝えはしてあるし、父にも話は通しているから」
「わぁ…お仕事が早い」
「ありがとう」
褒めているのだが褒めていない。
私の与り知らぬところでどんどん外堀が埋められていた。
ユーデス様がストラス邸の滞在を伸ばしてくれるのは、私としては嬉しいけど。
ウチの領地としては大丈夫なのだろうか、お父様よ。
「領地の仕事は代務官に任せる事となるが問題は無いだろう。
ただやりとりの為、また邸を騒がせる事となるのは先に謝罪しておく」
「それは我が家としては別に構いませんが」
去年だってそれなりに公爵家の人間が出入りしていたのだ。
それが今年の夏も、と繰り返されるだけだ。
恐らくユーデス様程の気配りが出来る御人なら顔見知りの執務官を邸に寄越させるだろうし、そこも心配はしていない。
「ただストラス領では共同出資業務の方を私が担当する事となった」
「と、いう事は鉱脈開発を?」
「そうだ。
もう下準備はほぼ終えているようだから然程の仕事量にはならないだろう」
わぁ、それでもやはり仕事を振られてしまうのは公爵家の御嫡男。
才ある方は何処に居ようとお忙しいのですね。
今年は仕事の持ち込み量も少なく、折角ゆっくりとストラス領に滞在なされていたのに結局は忙殺されてしまうのだろうか。
お可哀そうに、まだ十一歳なのに。
「心配せずとも毎朝の散歩は一緒に出る」
「いえ、お忙しいでしょう」
「それくらいの差配は出来る」
そもそも私はそんな事を心配している訳じゃないのですが。
多少は話が整っている事業だとしても、これから掘削を本格的にするのだ。
顔出しから事業把握、見通しの確認や修正など忙しいに決まっている。
同じ忙しさでも慣れている御領地のお仕事の方がまだ気安いだろうに。
「だから、後は…リーシャが許してくれれば、良い」
少し硬い面持ちでユーデス様が私を見る。
「キミが望まぬならば私は領地に向かう」
あ、ヤダ。
なにそれずるい。
私に温もりを覚えさせておいて、そんな事を言うのか。
「その言い方は卑怯です」
「卑怯?」
ユーデス様がきょとりと目を丸くしてから堪らないと言った様子でくつくつと笑みを溢れ出すままに零して肩を震わせる。
自然と伸ばされた指先が私の頬を撫でた。
「不思議だ、リーシャに言われる嫌味は心地いい」
「ならそれに甘えてもう少し、素直にならせて頂きましょう。
私はそういう駆け引きは苦手です」
優しく頬を撫でられる度に自分の頬の熱を思い知る。
少しばかり体温の低い、彼の指先が心地良くて気が付けば目を閉じていた。
安堵から漏れ出した私の本音にユーデス様が息を呑むのを感じる。
「…リーシャが心配なんだ」
「はい」
「また寂しくなって、ストールにばかり包まっていたらと思うと悔しい」
「ふふ、はい」
「折角私の側で暖を取る様になってくれたのに」
「気付いておられたのですね」
「当然だろう」
ゆっくりと掌全体で私の頬を包み、冷えた指先は私の耳をも冷やす。
一歳しか違わないのに彼の掌はまるで大人のように大きい。
握り返す度に安心出来た、そのしっかりとした安心感のある、苦労を知る人の掌。
「私が、キミを支えたい」
「支えてください」
「リーシャ」
間髪置かずにそう答えれば閉じた瞼に熱が落とされた。
初めて触れる愛の形は恥ずかしくて、くすぐったくて香しい。
ゆっくりと目を開けば真摯で美しいダブグレーの瞳。
「幸せにする」
それは私の台詞なのですが。
ねぇ、私がトラウマを植え付けてしまう予定のユーデス様。
アナタは私に幸せにされるのですよ。




