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パドマの箱庭  作者: 菌床
二章:忘れ得ぬ温もりよ
30/50

29:九歳の仲冬


「リーシャも気付いていただろうけど、ストラス領は僕等の避難先候補地だった」


静かな声で、アロイーズが天蓋を見上げながら呟く。

少しだけ首を動かし赤味の残る目元を見つめた。


「候補に過ぎなかったのにね。

 こんなにも居心地が良くて心が温かくなれる場所だとは父上も思わなかった」

「ストラス家の人々に出会えた事が何よりも、私達を此処へ向かわせたの」


そっとオリアーヌが私の首筋に顔を埋めながら囁く言葉がすっと心に溶けてゆく。


「本当は毎年、こんなに頻繁に顔を出すべきじゃなかったのよ」

「それでも僕等はリーシャ達に逢いたかった」

「だから、負担を強いていたのは私達。我儘だったのは私達なの」


彼女はしっかりと抱き締める腕に力を入れ掠れた声音を漏らす。

せっかく涙が落ち着いたのに、私の頬をまた雫が伝った。


大好きだよ、オリアーヌ、アロイーズ。

だからそんな風に言わないで。


「オーリとアロに来て欲しいと思っていたのは私達もだよ」


だって最初から泣いて別れを惜しんだのは私だ。

もうあの頃からどれくらい経ったのだろう。

二人が来ない夏の方が私の記憶では少ないくらいだ。


それくらい、私を成す日々として、時間として、二人の存在は大きい。


「大好きなの」

「私もよ」

「僕もだよ」


「来ないなんて、嫌だよぉ」

「私だってそうよ」

「僕も…誰一人望んでいないよ」


ぽろぽろと再び三人で泣きながら抱き締め合い、ベッドの上で団子になる。

今じゃもう身体は一番私が小さい。

あの頃のように似た腕の長さで、頭も飛び出さずに固まれる訳じゃない。

それでも胸も身体も満たす安心感は何一つ変わらなかった。


温かくていい匂い。

優しい空気、静かに満ちる幸福。

無くなって欲しくない。

失いたくない。


寂しさは何処まで行っても消えず、ぐずぐずと私の思考を掻き乱す。


「この世に、完全で確実な安全地帯なんか無いよ」


だからストラス領でも役に立てる事はあるんじゃないか。

取り留めも無く、確かな事実も無く、そんな夢想ばかりを嘆く。


少なくともアロイーズもオリアーヌも、こんなに幸せに過ごせる土地だ。

今は王都に居るお兄様達だって卒業後の再来年にはお戻りになる。

双子を護る力も、きっと今より大きく確かになるだろう。


なのに、それでも足りないのだろうか。


「もっと私が二人を護れるように強くなってもダメなの?

 今のストラス領の力じゃ確かに足りないかもしれないけど、でも」

「違うのよリーシャ」

「ストラスが足りないところなんて、何もないよ」


そうアロイーズは言うけれどそんなの誰が聞いたって建前だ。

他を押し退ける武力も、権力もこの地には無い。

でもこれからなら変われる。

二人を護るために、私が変えていけば良い。


だから来なくなるなんて言わないでよ。

二人の口から、聞きたくないよ。


「私達が耐えられないの、ストラスが変わる事に」

「もしリーシャ達を巻き込んだらと思うと」


ぎゅうとアロイーズの腕の力が一際強くなった。


ああ、そうか。

私達を想って居てくれるからこそ、そういう考えも彼等は持ちうるのか。


「僕等がストラス家と誼があると嗅ぎ付けられたのなら、キミ達が危ない」

「私達の周囲にはきちんと訓練された護衛が居るわ。

 でもリーシャ達には?現に、街に降りた際に接触を持たれてしまった」


辺境伯領の警備体制と田舎のストラス領のそれは比べるまでも無い。

故に双子が街に降りられなかったし、私の行動情報が漏れた。

こんな事は、彼等の故郷では有り得ない失態なのだろう。

それが当たり前の土地で生きている二人にとっては、如何にストラスが長閑で穏やかな場所に見えたのだろうか。

外の世界を殆ど知らない私には想像出来ない感覚。


だからと言って私が気を抜いた事には変わらない。

前世の、成人の記憶だってある筈なのに大事なところで役に立たない。

結局私の危機管理意識はいつだって抜けていて、二人を護るのには足りていない。


「…私じゃ、二人を護れないのね」

「僕等がまだストラス家を護れないんだ」


涙で濡れた眼をアロイーズが私に注ぎ、頬を撫でてくれる。

傍に居たいのにどうしようもなく力不足を分からされたのは、泣き喚いた私だけじゃなかった。


縋るように抱き締めてくれるオリアーヌも。

今もなお大事そうに私を見つめるアロイーズもそれは、同じだったのだ。

悔しい、そう思う気持ちが触れる熱から伝わってくる。


何故私達はまだ大人になれないのだろうか。

今となっては翻す反旗も持ち上げられない程、現実に打ちのめされる。

こんなところばかりが成長してゆく。

諦めを覚えてしまった私達。


それでも言い訳のようにアロイーズは告げる。


「絶対なんかこの世界に無い。でもこれだけは誓うよ、リーシャ。

 離れて居たってリーシャを、お兄様達を護れるくらいに僕達は強くなる」


私はここで素直に頷くべきなのだろう。

それを、アロイーズも、きっとオリアーヌも求めているのだと分かる。


道理だと分かるが、嫌だ。

ただのうのうと待っているだけの守られるばかりの自分が嫌だ。


「…どうしてあの頃のように一緒に抗う術を考えてくれないの?」


ぽつりと零した私の言葉に双子は揃えて口を噤んだ。


ああ、そっか。

きっともう随分前から、目線違っていたのだろうね。

私だけがそれに気づかなかったのか。

分かろうとしなかったのか。


三人が進んでいく路は何処で分かれていたのか。

私だけ理解していない。


ストラス領は穏やかだ。

それこそ、前世の平和さを持ち合わせた私がのびのびと生きられる程。

殆ど滞在しなかった王都も、そこへ向かう道中だって見えるものは限られ守られていたのに、私はその安全を当然として受け入れて疑問すらも持たなかった。


一方、幾年もストラスへと足を運んできた二人は色んなものを見て来たのだろう。

きっと、私が今でも何処か遠い世界と感じているような様々なこの世界の現実を。


(ああ、私は何て幼いのだろう)


「ごめんね、忘れて」


アロイーズもオリアーヌも随分前から私を守ってくれていたのだ。

なのにずっと気付かずに、時には前世の意識を衒らかしていた自分は何処までも子どもであった。

二人を守るだなんてどの口がほざくのか。

それこそ戯言にしか聞こえない。


(もう、児戯じゃ済まないんだ)


ぽつりとそんな思いが染みのように、意識に刻まれた。



こびり付くそればかりに気を取られている内にいつの間にか私は眠ってしまっていたようで、起きたらもう二人はベッドから居なくなっていた。


「っ!!!」


見送りも出来なかったのかと跳ね起きて寝室から飛び出せば、ソファーには驚いた顔をした二人がのんびりとお茶を楽しんでいる姿があった。


「アロ!オーリ!」

「どうしたのリーシャ?」

「やだ、寝癖付いてるわよ」


眠る前の事がまるで悪い冗談だったかのように二人はいつも通りだった。

本当に夢だったのだろうかと顔を抓る私を見てオリアーヌが笑う。


「寝癖が付いてるのは顔じゃないわよ、髪よ」

「夢?」


きょとりと零した私の言葉にアロイーズは悲し気に首を振る。

彼の察しが良いのは夢も現実も同じだ。


「話す前にリーシャが寝落ちするから」

「…そっかぁ」


悪夢であっても夢であれば良かったのに。

そう呟く代わりに溜息を吐き、私は寝癖を片手で整えつつソファーへと腰掛けた。

マノンが甲斐甲斐しく私の身支度を整えるとすぐにお茶も用意してくれる。

非常にありがたい事である。

もう双子の前ではだらしない姿を家族同様に見せているお嬢様でごめんよ。


「伯爵から事の顛末を聞いた時にお願いをしたんだ」

「お父様に?」

「そ、今年の冬に王都へ向かわれる際に私達も同行させて欲しいと」


アロイーズの言葉尻を拾ったのはオリアーヌだ。

音も無く茶器を置く姿はもう充分立派な淑女だった。


「同行、と言っても途中までだけどね」

「…でもそれって」

「今慌てて出て行くよりは安全でしょう」

「かもしれないけれど」


悠長に構えている間に何かあったらどうするのだ。

我が家では二人を守り切れない。

勿論、持てる力の限りを尽くして守るつもりではあるが。


「幸い今回の護衛は経験豊富な人材で揃えているし頼れる者が多いの」

「それに、ストラスの冬も楽しんでおきたいしね」


降って湧いた事案に気負うのは私ばかりで、双子は泰然とした様子で再びお茶を口にしては微笑みを浮かべてくれる。

まるで此方を安心させるような視線。

気遣うのは、彼等でなく私であるべきなのに。


(…また、守られているな)


沈みそうになる気持ちを叱咤して私も努めて顔を上げ、微笑む。


優しい思いに、真っ直ぐな愛情に甘えてばかりいたくない。

私だって二人に笑顔で居て欲しいのだ。


「そっか!じゃあ思いきり冬らしい遊びをしようね!」

「ねぇリーシャ、まだガラス玉残っている?」

「ストラスの降雪量なら竜も作れるかな」


飛び切りの冬にしよう。

今しかない、一度きりの時間なのだから。

三人の大切な思い出になるように、大事に一つ一つを重ねてゆこう。

何時かきっと、その温かみが自分の支えになるだろうから。



 こうしてオリアーヌとアロイーズに気遣われた結果、彼等は夏を越え秋を経てもストラスの地を離れる事は無く、我が邸に滞在をしてくれた。

時間が出来たからか、彼等は思い出を持ち帰ろうと絵筆を握ぎる時間が増えた。

双子がせっせと日常の一幕を残す傍らで、いつの間にか家令までキャンバスを並べていたのは驚いたけれど。


私はそんな孫とおじいちゃんの交流みたいな光景を眺めながら、同じ空間でゆったりと本を読んだり刺繍に勤しむなどおばあちゃん活動をしていた。

今までにない時間の楽しみ方だった。


これまでだって充実した毎日を満喫して、面白おかしく楽しく過ごしていた。

でも今年の過ごし方は先を惜しむように柔らかく一時を味わう事が増えた。

忘れっぽい私だってこの光景は忘れないだろう。


彼のキャンパスに緻密に描かれた森は、若々しい夏の色合いをしていた。

時折、秋色に染まった窓の外を眺めるアロイーズの瞳にはそう見えていたのかもしれないと思う度に胸が締め付けられる。

一方オリアーヌは初めて見るストラスの景色を懸命に描いていた。

この時を、この瞬間を噛み締めるように。


絵の中の登場人物は主に家令だった。

家令は畏れ多そうにしながらもとても嬉しそうにしていた。

孫に描いてもらえてよかったね。本家の辺境伯祖父様に申し訳ないね。


どちらの絵も、恐らくストラス領を描いたものだと分かるものだが、それ以上の関係性が分からないように注意されている事に気付けば気付く程、お兄様達の自画像がどれほど特別だったのかと良く分かる。

私は一人偶にお兄様達の部屋に赴いてじっと絵を見つめ、二人の想いの深さを思い知っては現状に打ちのめされた。


やがて秋が冬を引き連れる代わりに過ぎ去り、廊下ですら白い息が漏れ始める。

それすらもオリアーヌ達は新鮮なのか最初の内は面白がって何度も何度も窓を曇らせ、そこにデフォルメされた私を描いては遊んでいた。

結露した雫が溶けてどろどろになる私の似顔絵を、指をさして笑いながら私も二人の似顔絵を描いては同じ目に合わせる。


消えちゃう絵なら、私も描いてくれるんだね。


パッと描けてしまう程の画力も流石だが、その迷いのないオリアーヌの白い指先が綺麗で切なくて、愛おしかった。

アロイーズは矢張り人物は苦手なようで、挑戦するもすぐに消してしまった。

冷えて濡れた手を、私が送った刺繍入りのハンカチで拭う。

白い布地に描かれた可愛いシャモアは少し子どもっぽかっただろうか。

でもとても、ストラスのちょっと良い民芸品らしく出来たとは思っている。


婚約者よりも先に自分の色の糸の刺繍を贈ってしまったよ。

でも、私からだとは分からない品物だから使ってくれているんだよね。


本格的に雪が降り始めた庭ではしゃぐのは私達よりも先にピピさんだった。

強面のヴュルテンベルク辺境伯家の護衛達と一緒になってお互いを投げ飛ばし合っては、一面真っ白な雪の上で手足をばたつかせる様はまるで子ども。

そんな彼等の楽しそうな姿を笑う双子は、何だか大人びていた。


私達はアロイーズのリクエストで一緒に巨大な竜を作った。

いつの間にかお父様がエタンに彫刻道具まで運ばせてきた為本格的な像となった。

アロイーズは絵画よりも彫刻向きなのかもしれないな。

竜の面持ちの鋭さは夜中とかに見たら本物と見間違う程の出来だ。


「以前見た飾り布の竜が忘れられなくてね」

「ああ、あの竜も見事でしたものね」


彼等はストラスに度々滞在しているが、街の中、至る所に設置された竜を象った飾りを多く見ている訳じゃない。

それこそ、我が邸の書物や領民が刺した飾り布で見たくらいだろう。

アロイーズの中で膨らみ続けた想像上の竜の雄々しさや物々しさかと思うと、一際眼前の雪像が強そうに感じられるから不思議だ。


頬や鼻の頭を真っ赤にしたまま微笑み、嬉しそうに雪像を見上げるアロイーズを私もオリアーヌも手を繋ぎながらずっと笑顔で見守る。

寒いけど、寒くない。

心は何処までも温かかった。


今年はかまくらも作った。

何たって辺境伯家の護衛が居るからな、人海戦術万歳である!

私達に触発されて彼等も思い思いのかまくらを作っていた。

庭がキャンプ地みたいになった。


「凄いわ!雪の家ね!」

「風が当たらないからかな?雪の中なのに暖かい」


長い毛織物を足元に敷いて三人で固まりながら温かい飲み物を飲む。

最高の冬である。


「私も初めて作った!もっと大きいの作れば良かったね」


お兄様達ともした事が無い、初かまくらを三つ子で楽しめたのは嬉しい。

もうお兄様達の背丈の人が入る大きさを作るのはちょっと大変なのだ。

アロイーズは少し狭そうだけど、団子になってぎゅうと押し込められても文句が出ないのでその点は問題ないのかもしれない。

今も笑いながらぎゅっと更に私達へと身体を寄せてくる。


「いいよ、丁度いい」

「こんなに狭い所に入るの久し振りだわ」

「寧ろ経験あるの」

「まぁ色々とね」


どんな経験をしたのだ双子よ。

そんな天使の如し外見をしておきながら。

本当、辺境伯領の教育は相当に厳しいらしい。


「ねぇ折角だから此処で今日は過ごさない?」

「オーリ、それは流石に風邪ひくよ!」

「ふふっ邸の中でも団子になるの、あんまりないからね」


許されてはいるのだが、それにそれぞれが甘えないようになった。

だから余計、温もりを惜しむようにオリアーヌは私達に身を寄せる。

柔らかい彼女の髪に私も鼻先を埋める。


「リーシャのストールもあれば完璧なのに」

「汚したくないの、許して」

「部屋に戻ったら皆で包まろう」


お兄様達を包んでも大丈夫だった大きさのストールは、勿論、大きくなったとはいえ私達三人纏まって包んでも余りある程だ。

その安心感はまるで本物のお兄様達のようだ。

勿論、本物が一番心強くて嬉しいのだが。


初夏はいつも私一人が包まっていたストールも、今は三人で使う。

それが嬉しい。

大事な品物に、また大切な思い出が染みついてくれる。

私はきっとあのストールを目にする度に、お兄様達だけでなくアロイーズやオリアーヌの事も思い出すのだろう。


優しく、穏やかな二人の温もりを。



いよいよ年の瀬が近づいて来た、冬の最中。


私は泣かず、微笑んで二人を見送る為に玄関ホールへ立っていた。

旅装に身を包んだ二人は冷えるだろうに手袋もしていなかった。

その赤い指先には私が贈った銀の指輪がそれぞれ煌めいていた。


「リーシャ、大好きだよ」

「リーシャは私達の大切な人。それは永遠に変わらないわ」

「私もだよ、アロイーズ、オリアーヌ」


最後に一人ひとりを抱き締める。

離れがたい思いを引きずる様にゆっくりと喉の奥を震わせ、殊更に私は笑う。


「大好き、大好きだよ二人とも。

 私の大事な家族。かけがえのない存在…元気でね」


もう私達は手紙のやりとりも控える事となった。

二人用に買い揃えた便箋は、別の文箱へと最近やっと移した。


「リーシャも…早く社交場で顔だけでも見たい」

「王都の社交がリーシャに辛いのは分かっているけど」

「うん、私も二人の顔だけでも見たいから、頑張る」


ゆっくりと熱が離れてゆく。

私の体温では二人の冷えた指先を温める事も叶わない。


薄暗く吹雪く早朝、二人は私のお父様と共に王都へ発った。

言葉少なに別れを告げる私達を、少なくない数の使用人たちが静かに見守ってくれていた。


「…此処は冷えるわ、皆早朝からありがとう」


そう私は告げてお母様の背を促し、温められた室内へと戻った。

もう泣かなかった。

私が泣かずに済むように、二人が滞在を伸ばしてくれたのだと思うから。

その気持ちに報いるため誇れるようにと背筋を伸ばし、窓の外にしんと広がる雪深いストラスの地を徐に眺める。


冬の冷たさが肌を刺し、寂しさを増幅させる。

でも自らが吐き出す白い息で思い出すのは、オリアーヌやアロイーズ達と窓辺で過ごした日々だ。


(本当に…二人は何でも、お見通しなんだね)


ぐっと溢れてくる想いを飲み込み、私は止めていた歩みを進める。

仄暗い庭は様々な瞳の色をした小さな雪ウサギ達が賑やかし、本物と見間違う白い竜は凛とした面持ちで虚空を見つめていた。


春になれば溶け消える彼等だが、思い出はずっと私達の中に残り続ける。




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