03:四歳児の手紙
ストラス伯爵領はこのデュドネ王国の北部に位置し、背には万年雪を被った山脈を持つ避暑地だ。
清涼を湛えた青く深い、ギレム兄様の瞳に似た美しい澄んだ湖が白樺の森の中にはあちらこちらにあるし、かつて山脈を支配したと言われる竜と戦った者の伝説が残り、夏には武術大会も開かれる。
会場となる大きな闘技場には、ギラン兄様の瞳を思わせる椿のようなカメリヤ色の布があちこちに張られ華やかに飾られ、出場者だけでなく観客の心も昂らせてくれるのだ。
春が短くあっと言う間に過ぎれば涼しい日々が暫く続くため、特に夏季は観光客で賑わい活気が溢れる。
ヴュルテンベルク辺境伯嫡子嫡女である、アロイーズとオリアーヌもこうした避暑目的で遊びに来た子どもだ。
偶然、リーシャ達が森でピクニックついでに駆け回って遊んでいた際、どうやらオリアーヌが図鑑で見たシャモアかと思い覗きに来たのが出会いだ。
リーシャの長い柔らかな髪は、まさしくシャモア色だがまさかそんな間違いをされるとは、と吃驚していたのは本人だけで双子の兄は腹を抱えて笑っていた。
幸い、お互い同い年だしそれくらいでへそを曲げるような性格をしていなかったので仲良くなり、遊び相手もたくさん居る伯爵邸に二人が来るようになったという訳である。
伯爵邸であれば、七つ年上のギランとギレンも暇を作っては三人と遊んでくれるのである。
そりゃあ来るだろう。
辺境伯閣下は当初数日自身の別荘に滞在したものの、すぐに子どもたちに誼が出来ると領地へ戻ったそうだ。
夫人が困った人だと笑っていたが、ヴュルテンベルク辺境領はほぼこのストラスとは反対側、王国の南東部にあるため長期不在をするのはもとより考えていなかったのだろう。
加え、ヴュルテンベルク辺境領は騎馬民族の行動圏と近く、更には他国を臨む立地だ。
今は落ち着いているが、国防面からもそう離れる事ができないのであろう。
諍いは国力を落とすと分かっているものの、そこで動く莫大な資金があるのも確かだ。
どうかこのまま理知的な思いでそれぞれ国を治めて欲しいものである。
キミ達ほぼウチの子だよね?っていうか最初からウチの子でしょ?
ほら早くお風呂入っちゃいなさいごはん出来てるわよ、となるには土地柄からかそう時間は掛からず。
恐らく出会ってから本当に数えるくらいしか黄色の双子は自分の別荘を見ていないだろう。
因みに何時頃までストラス領で過ごすのかは知らない。
寧ろ子どもたちがのびのび遊び過ぎて滞在がめちゃくちゃ伸びてそうだ。
もうほんと、ウチの子になろうよ。ダメか、キミ達嫡流ど真ん中だもんな。
そんな寂しさを抱いたのも一瞬で、すぐに忘れるくらいに笑い合う楽しい毎日を過ごした。
出会ったのは最近なのに、もうずっと前からこんな風に一緒に遊んでいたのではと思う程だ。
肉体年齢同年代と純粋にはしゃいで遊べる私の精神年齢が幼い訳じゃない。
もう、一緒に同じことで笑って、抱き合って、はしゃいで怒られて、過ごす時間が嬉しいのは年齢とか関係ない悦びだと思う。
ふとした折りに、そのありがたみを思い知り、振り返ってしまうのが大人なだけで。
故に私は四歳児として泣いて良い。
「やだぁぁあああぁぁっぁぁぁぁあああーーーー!!帰っちゃっ、かえっちゃ、やだーー!!!」
まごう事無きギャン泣きである。
秋が本格的になればあっと言う間にストラス領は冬になり雪が積もる。
領地へ帰らなければならない双子は最大限まで一緒に居てくれたのは分かっている。分かっている。
それでも帰って欲しくない!!!いやだ!!二人は!ウチの子です!!!
「り、リーシャが、そんな…な、泣くと…っ!」
顔を真っ赤にさせて震えながらも、涙は堪えていたオリアーヌの大きな瞳からぽろりぽろりと雫が落ちる。
少しずつ上がる彼女の泣き声がどんどん大きくなり、もう今やリーシャと張り合うかの如く泣いた。
二人でぐしゃぐしゃの顔を寄せ、抱き合い、死んでも離れないとばかりにぎゅうぎゅうと固まる幼子に周囲は微笑ましいものを見るような眼をしている。
「っ、オリアーヌ…やくそく、したでしょ…!」
この三人の中でお目付け役を任されてしまう不憫なアロイーズが、ポツンと取り残されたままオリアーヌを責めるもその声はとても小さい。
よろりそろりとオリアーヌの服を掴むが嫌がられてしまい、いよいよ彼も堪らなくなったのかだばりと目から大量の涙を噴出させる。
「さみしい、のは…!!かえり、たくないのはっ!僕も同じだよぉ…!!!」
うわぁ、わぁと一人で泣き始めたアロイーズに二人で駆け寄り、ぎゅうと抱き締め団子になる。
もう我々は梃でも動かぬ!!このまま冬まで!冬さえ来てしまえば我々の勝ちだ!
そんな邪さが伝わったのだろうか、我がお母様が熟練の手つきで私を団子の中から取り出し、抱える。
これがお父様やお兄様だったら暴れるのに、お母様の華奢な手にぽんぽん背を撫で摩られるとその気も泡沫のように消えてしまうからやめて欲しい。
「ほらリーシャ、そんなお顔でまたねってするの?笑って来年の約束するんでしょう?」
「うっううーーー、うっ、ウ゛ン゛ッ…また、また来年、ぜったいぜったい、来てね…!!!」
来年こそはウチの子になってもらうぞ。冬滞在の実績を残す事からまず始めようじゃないか。
「うんっ…!!!うんっ!絶対っ絶対!すぐに来るからねっオーリの事っ忘れないで…!!!!」
「僕の、事もぉおお!リーシャ!すぐっ忘れるからっダメだよ!忘れちゃ!!」
最後の二人の捨て台詞にちょっと涙が引いてしまった。
私はそんな忘れっぽいだろうか。
確かに思い出した、公爵令息のトラウマ婚約者という未来についてはすっかり埒外だったが。
考えたって仕方が無いじゃないか。
何がどうしてそうなるのか皆目見当がつかないのだから。
で、あれば今を目いっぱい楽しもうとするのは自然の理。
二人も冬前には帰っちゃうのだし。
ああなんて今年は寂しいのだろう寒さが余計に身に染みる、と暫くお母様と一緒に眠った。
交代でギラン兄様やギレム兄様とも眠った。
お父様とは眠らなかった。柔肌には起き抜けのひげが痛いのだよ。
しょんぼり期間も二週間目に突入して暫く、私の元に二人からの手紙が来た。
そうかその手があったか!文明の利器に慣れ過ぎていてすっかり忘れていた!
きっとこの気の利いた事してくれるのはアロイーズだろうな!
オリアーヌが私も!と便乗している姿が目に浮かぶ!嬉しいな!嬉しいな!
眼に見えて生気を取り戻した娘に父親はほっとしたような顔で手紙を渡してくれた。
もう嬉しいからお膝乗ってあげるし、ペーパーナイフ一緒に握ってもらっちゃう。
大サービスである。キミの娘は可愛かろう?
「お父様はっ見ちゃダメ!これはリーシャへの手紙です!!」
だがここからは見せない、と終了を言い渡して膝から飛び降りた。
執務机の椅子に一人で座るお父様が絶望顔をしたとしても、此処は譲らない方が良いであろう。
こういうのは、後から見せてあげる方が幸せが長続きするものだ。
あと夫婦の会話の種になる。良く出来た娘であろう?
私はふんふんと鼻歌交じりで執務室のソファーに腰掛け、双子からの手紙を開いた。
(お手紙作戦は夫人でしたか、流石です。父宛ての礼状とは別封筒なところも流石です)
気をどうにか持ち直した父が令状に書かれた事を要約してくれるには、どうやら二人も随分萎びれたようだが、道中折り返し地点で筆を握り元気になったようだ。
体調を崩したなどは文面に書かれていないようだが心配になる。
私は屋敷でぬくぬくしているので多少しょぼくれようが大丈夫だが、二人は馬車移動中だ。
具合が悪くなるとさぞ辛かろうに。
(どうか身体を崩さないで、元気に領地へ戻ってね)
オリアーヌの手紙には、滞在中何が楽しくて、美味しくて嬉しかったかがぎゅうぎゅうに書かれていた。
いっぱいの嬉しいが詰まった文面は見ているだけで此方も嬉しくなる。
(今年は邸の敷地内ばかりだったから、来年は外も出掛けたいなぁ)
辺境伯の邸に比べれば小さいが、我が邸もそれなりに広く設備も充実している。
四歳児達はちょっとの本とゲームと庭さえあれば、永遠に遊んでいられる生き物である。
でももっと二人に、折角来たストラス領の良いところも楽しんで欲しい。
ほんわかと温かくなる胸を押さえながら、自然と口元に笑みが浮かぶ。
(来年はもっと水遊びもしたいけど難しいかな…ピクニックなら出来そう)
水辺に行くとなれば安全を期して大人を大勢連れて大掛かりになる。
しかしピクニックならば庭先でもしたし、森の浅い部分なら許してくれるかもしれない。
オリアーヌもそんな事を思ったのか来年やりたい事をあれもこれもと書き連ねてあった。
再会を約束して一時のお別れをしたのに、もう次に会う事を考えている。
(幸せだな)
少しだけ大人の意識が出て、現世の幸福を噛み締める。
きっとこうやって純粋な四歳児では理解し切れなかった今のありがたみを慈しめるのは、転生特典だ。
ふふと笑いながらオリアーヌの手紙を読み終わり、次はアロイーズのだと重なった便箋を捲った時。
(ん?)
二つに折られた小さな紙が合間に挟まっているのを見つけ、それだけをそろりと開く。
『ストラス邸に滞在中に言うか迷ったんだけど、言えなかったので手紙で伝えます。
変な事を書いたので、読み終わったらどうかこの紙は燃やしてください。
邸に泊ってる時に見た夢の中で、恐らく、多分、僕はリーシャの葬儀に参列していた。
棺は閉じられたままで、それを見下ろす僕の視点。
その映像しか夢を覚えていないのに、分かるんだ。
棺が開けられないのは、キミが馬車の事故に遭い遺体の損傷が酷過ぎるからだって。
キミはまだ十二歳という若さなのに死んでしまうんだって事が。何故かはっきりと、当然のように。
あまりにも現実みたいな変な夢で、怖くて。
伝えられたところで困るよね、ごめんね。
でも僕はずっと、この夢の事を忘れられそうにありません。』
お父様と一緒に手紙を読まなくて大正解だった。
ねぇアロ、ちょっとキミどういうこと?
私は、リーシャ・ストラスは十二歳で、馬車事故で死ぬってこと?




