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パドマの箱庭  作者: 菌床
2/11

02:四歳児の日常


――寝て起きたら大変スッキリである。


ぱちりと開いた視界には見慣れた天蓋が広がる。

どうやら自室に移されたようだ。知らない天井だったら現実逃避でもう一度眠るところだった。


薄い天蓋が下ろされた柔らかな空気の中、のっそりと上半身を起こせばすぐ隣でくぅくぅと愛らしい寝息を立て双子の天使が眠っていた。


王国南西部にあるヴュルテンベルク辺境伯領から遊びに来た双子天使。

妹のオリアーヌは私に身体を寄せ猫の様に丸めては、なだらかに肩を上下させ、その奥に眠る兄のアロイーズは綺麗に仰向けの姿勢で、見本のように穏やかな呼吸を繰り返している。


彼等がこのストラス領に滞在し始めて一か月程経つが、二人の寝姿を見るのは実は初めてだ。

しばし観察した後、乱れた肌掛けをそっと直しては、予期せぬ幸運に目と心が満たされ、胸がほっこりとした気持ちでいっぱいになる。



私が夢と希望とロマンを詰め込んだ、幼女だから許されるお姫様仕様の天蓋付きベッドからそっと顔を覗かせて辺りを見渡すも、生憎人は控えて居ないようだ。

柔らかな部屋履きに足を通し、そっと部屋の外へ出ればすぐに件の護衛と目が合う。


「ありがと、エタン」

「どこか痛みはありますか?」


そっと膝を折りリーシャの顔を覗き込みながら訪ねる彼に頭を振ってみせる。

サラサラと長いシャモア色の、柔らかな赤味を帯びた茶髪が自分の頬を撫でた。


「だいじょうぶ」

「あんまり頭振らない方が良いですよ、後ろにたんこぶありますし、念の為」

「わかった」


癖で頷いてから『しまった』という顔をしたのが面白かったのか、エタンが小さく喉を鳴らす。


「転んで驚いちゃいましたか」

「オーリがゆするから、眠くなっちゃった」

「眠くなっちゃいましたかー、たくさん遊んでましたしねぇ」


寝起きや気を抜くと、四歳児としてはちょっと舌ったらずな話し方してしまう自分にも慣れた。

人間は楽な方に流されて生きてしまうものである。

前世の自分と多分同じくらいの大人に甘やかされるのも今や恥ずかしくない。どんどん甘やかしてくれ。


何故なら現世の自分は伯爵家のご令嬢である。

身分が物言う世界である為、それだけで転生人生大勝利だ。


(そう、思っていたのになぁー)


エタンと話し初めて数分後、離席していた侍女のマノンが戻って来た。

そのままエタンに抱き上げられ移動しつつ、私はぼんやりと幸せお昼寝タイム前に思い出した記憶――浮上した意識について思いを馳せた。




 転生したこの現世を私なりの言葉で表すならば『魔法異世界なんちゃって近世ヨーロッパ風味仕立て~転生要素を添えて~』だ。


この世界に生を受けた瞬間から、私は前世日本で暮らしていた、恐らく成人女性並の記憶と意識がある。

他人様の助力が無ければ何もできない無力さを恥じる程度の理性と、朧げな記憶から推測した結果だ。


ただ、前世を持って転生したのだとは分かれども、自分がどんな人間だったかという記憶が曖昧なのだ。

学校で学んだ程度の知識はあるし、日本のどの地域に住んでいて、仕事は何をしていたかは何となく思い出せるが、家族や友人関係については殆どと言って良いほどサッパリ覚えていない。


普通は印象的で大事な記憶である程覚えているものではないだろうか。

まさか親の顔を忘れるとは、あまりにも不義理な自分が恐ろしい。自分の顔も覚えていないが。


その代わりと言っては大いに難アリだが、近場のコンビニが定期的に商品均一価格フェアをするとか、某会社のCMシリーズの新作がバズったとか、動物動画のお尻が可愛いシーンだとかは覚えている。

特に強く覚えているのが、面白かった読了本が映画化する情報という始末。猶、放映が何時かは忘れた。

俳優情報すら出ていなかったのでまだ先かとは思うのだけれど。


前世であればネットを駆使して記憶が示す時期を推理し、付近で起きた事故事件を調べ「これが私の死因だ!」とか出来るのかもしれないが、ここは異世界。

例え死因が把握できてもこの異世界じゃ何の役にも立たない。ああそう、で終わる。

寧ろ今私にとって最も重要なのは、『この異世界がどの小説やゲームの世界か判る』事だろう。


――転んだ拍子に思い出した私の未来。

顔も名前も知らぬ公爵令息のトラウマとなる婚約者、になるという事。――


などという、前世の誰に聞いても「そういう設定見たことある」やつ過ぎて、正直うんざりする。

そもそもトラウマ抱えた公爵令息はどうせ顔が良いのだろう?

知ってる(実際は知らないが)。

それを学園で出会ったヒロインに癒されて真実の愛を知るとかそういう展開なのだろう?

トラウマ持ちはヒロイン争奪の参加条件だもんな。


因みに私は更に「転生したけど死ぬ予定?!そんなの回避してやる!」と頑張る主人公のお話をたくさん読んだ覚えはある。仔細は覚えていないくらいにたくさん。


そもそもトラウマとはなんだ、その仔細を教えてくれ。

自他共に認めるとかそんな評価は要らない。

誰だ、この情報を与えたのは。私の脳だ、足りないのは道理だった。


人にトラウマ植え付けるのも土台問題であるが、この設定から「(死亡)を含む」気配がする。

気のせいであれと思う程匂うのは何なのだ。

そして私が彼のトラウマにならないと物語が成立しないとか、何かそういう作品も読んだ気がする。

否、読んだ。思い出した事がこれか。いらんわ。


なぁ顔も知らない公爵令息よ、私が幸せにするからトラウマ持つのやめよう。

爵位差あるけど生き残れるのならば頑張るよ私、多分。



(…何にせよ、正直なところ気鬱案件すぎて)


かと言って、普段からへらへらしている四歳児の私が、急に「この世の終わりだ」みたいな面持ちをしていれば当然周囲は不審がるし、心配をかけてしまう。

この家に転生して良かった!現世も生活水準充分最高!みんないい人ばっか!大好き!であるため、覚えていない前世の家族友人への不義理を果たすべく、現世は人を大切にしたいのだ。


故に、私の設定とやらを思い出したと態度には出さない。


私だって家族や友人に「私、自他共に認める婚約者のトラウマ令嬢になるみたい」とか語りたくないし、語られた相手も困る事は眼に見えている。


(そもそもトラウマになるって何…思い出せ私…一つ出たら、こう、するすると出るものでしょうよ)


働けシナプス!と念を送っていたが、目の前に香り高い紅茶が出てきた事で意識を其方にも向けた。

淹れてもらった適温の紅茶が喉を滑り落ち、鼻孔を豊かに満たす香しさに嘆息した後、私の靴を履き替えさせ傍らに控える侍女のマノンを見上げる。

視線が合った彼女はシトロン色の瞳を瞬かせ、私の意図を汲もうと聴く体勢に入ってくれた。


「如何なさいましたか、リーシャお嬢様」

「ねぇマノン、紅茶は美味しくて嬉しいのだけれど…一人では寂しいわ」

「お兄様方の元に行かれますか?」

「ご迷惑にならないかしら?お勉強の時間でしょう?」


こてりと淑女らしく頬に手を当て小首を傾げれば、マノンは微笑ましいものを見るように眼を細める。

全く凄いな幼女効果は。大概の動きが可愛がられる。素晴らしいことだ。


「相手を気遣えるのは流石でございますね。

 先触れを出し、横で本を読むお過ごし方は如何でしょうか?」

「素敵な予定ね!マノン!」

「ありがとうございます。では少々お待ちください」


部屋に置いてあった御用聞きのベルを鳴らし、言付けを頼めばすぐに迎えが来た。

マノンと手を繋ぎ、兄達が勉強している図書室へと向かう。

その合間にどんな本を読むかと聞かれ少しだけ間を置いてから口を開く。


「最近ね、読める字が多くなったから、少し難しい本にも挑戦したいの」

「それはよろしゅうございますね。であれば、少し長めのお話に挑戦されますか?」

「ううん、短い方が疲れても読み切れる気がするから…そういうお話がいっぱい載ってるの、ある?」

「短編集ですね、幾種か見繕いましょう」

「ありがとう!」



話していれば少し離れた図書室までの道のりもあっと言う間だ。

防音のための重厚な扉を侍従が開き、独特のインクと紙の匂いに満ち溢れた静かな空間が眼前に広がる。

硬い木材の床を叩く靴音は良く響いた。


書架の合間を抜けた先に見えた、如何にも年代物な大きい机には、仲良く椅子を並べて勉強をしている双子の兄達がいた。


「ラン兄様、レム兄様」


待っていたかのように揃って微笑み手を振っては、間に用意していた子供用の椅子を叩き、歳の離れた妹へそこに座る様促してくれる。


「よぉたんこぶリーシャ、具合はどうだ?」

「暫くは頭を撫でるのを我慢しなきゃだね」


兄妹の髪の色味はよく似ているが、流石というか双子同士は殆ど同じ色だ。

どちらも美味しそうな焼き菓子を思わせる優しい茶色をしている。


ラン兄様ことギランは、気質通りにサッパリとした短髪だ。意思の強そうなカメリヤ色の瞳を細め、合間に座った間抜けな妹をにやにやと揶揄うように笑っていた。

対してレム兄様、ギレムは耳に掛かる程の長さの髪をさらりと揺らし、藍玉を思わせる青い瞳を緩ませては心配そうに微笑んでいる。


どちらの兄の顔もしっかりと見上げ、たっぷりそれぞれ三秒は目線を合わせ、私はいっぱいの幸せな気持ちで胸を膨らませた。


「元気です!ご心配ありがとうございます。たんこぶの場所を避けて撫でて下さいませね」

「ならでこだな」

「あんまり力強くはダメだよ、ラン」

「わーってるって」


リーシャが言い終わるよりも早くギランが手を伸ばし、前髪を分けてまろい額を撫でてくれる。

その力は動作の素早さに比べて随分と優しい。

ギランの手が退くや否やギレムもゆっくりと手を伸ばして何度もさりさりと撫で摩り、頬まで愛でてくれた。


相変わらず双子兄の甘やかしスキルは最高である。抗えない、これは成人意識があろうと陥落する。

兄妹での触れ合いを堪能している間にマノンが数冊の本を抱えて戻って来た。

目の前に並べられた中から、一冊の本を手に取る。


「リーシャ、神学に興味があるの?」


ギレムが眼を瞬かせ、思わずと言った様子でリーシャと本を見比べた。

確かに、四歳児の興味関心が向く系統ではない。神童でもない限り。

彼の問い掛けになんと答えるのが当たり障りないだろうか、と少し考えるように小首を傾げて見せれば上からくっと喉を鳴らした笑い声が落ちてくる。


「リーシャ、それ読むと眠くなるぞ?レムが夜読んでくれるってよ」

「寝物語はいつもの魔法のお話が良いです、レム兄様」

「勿論いいよ。今夜の寝物語は僕がするって後で母上に伝えておくよ。

 それよりギランこそもう少し神学押さえておかないと」


穏かに微笑み妹のお願いを快諾していたギレムが顔を上げ、何が可笑しいのかにやにやと笑っている少年をむすっとした表情で見据える。


「一般教養程度で充分だよ、俺は」

「もう…学院に入ってから困るよ」

「そんときゃお前を呼ぶよ」

「これだから…」


はぁと盛大な溜息を吐きギレムが頭を振るも、相手はどこ吹く風だ。


彼等は五年後、十六歳で王都の学院へ入学する。

通う理由としては勿論知識を付けるためでもあるが、貴族としての社交や誼を結ぶ目的の方が大きい。

そこで周りからどう見られるのかが今後にも影響してくるため、今から勉強をしているのだ。


だが中々身が入らない片割れを、真面目な弟のギレムが案じているのだろう。

二人はいつもこのような調子だ。

未だすやすやと夢の中であろうヴュルテンベルクの双子とは見事に逆である。


それを横目にリーシャは手元の本を開いた。

彼女が神学を手に取ったのには明確な理由があった。


(大体この世界がなんらかの作品なら、世界観と宗教が紐づくのが定番)


興味があって、というよりは全くの打算であった。

思い出す切欠があればよいのだがと願いながらそろりと静かに読み進める。


マノンが選書したものであるから、小難しい神学というよりは、創世神話や神様の小話が優しい言葉で記されており難易度としてはリーシャに丁度良かった。



 ――かつてこの地は一度神々に見捨てられた。

地面は燃え燻ぶり、水は濁り空気は淀んだ。見渡す限りに命の吐息は無く、ただただ時間だけが過ぎる。

その時、再生の雫を与え全てを清めたのが主神である女神ロテュスだ。

彼女が世界に授けた清浄の力が退廃した世界を押し流し、緑が溢れ水が輝き空には風が舞った。


こうして今我々が命の輝きを慈しみ、享受できるのは、全て女神ロテュスの御力。


世界を清めたのを見届けた女神ロテュスは、この世の果てにいる。

無限に広がり終わりのないその世界にある水面の上、淡い紅色の幾重にも重なった花びらの中で、そっと佇み、いつかは訪れるすべての命を受け入れるために待ってくれているそうだ。


我々が生まれ、死んで、辿り着く先は、全て女神ロテュスの元。


たった一人で待ち続ける女神ロテュスが寂しくないように、老いては朽ちる命を時に助け時に試練を与えては、辿り着いた先で女神ロテュスの慰みになる物語を紡げるようにと動くのが他の神々だとされる。


(女神様は花びらの中…蓮華座みたいなもんか)


脳裏に浮かんだのは前世で見た宗教画だ。

それこそ女神様の花を蓮華に置き換えれば、それが浮かぶ水面など極楽浄土そのまんまである。

成程納得。


この世界は女神ロテュスを主神として奉る単一神教、ロテュス教徒が大多数を占めている。

まぁ前世でもそうであったように宗教は地域差が出るものだ。教義が地域によって若干違ったり、他の神も厚く信奉していたりするし、場所によってはそもそも女神ロテュスではない別の神を主神と崇める宗教もある。


その多様性や覚える事の多さから、ギラン兄様が神教を嫌煙するのも分かる気がする。

私も一般教養程度で十分だ。

この本の中ですら、文脈から同じ神様だと思われるのに御名が幾つも出てくるし、解釈違いです!と反論しているかのような物語が収められているのだから察して余りある。

寧ろ人を窘められる程にギレン兄様は把握しているようで、素直に驚く。


(まぁ、魔法の力も神様の御力を乞うからなぁ)


ギラン兄様は身体を動かす方が好きで、どちらかと言えば武術に精通している。

ギレン兄様は頭を使う方が得意らしく、魔法の才能も高いと聞いている。


(とてもバランスが取れた双子だよなぁー、私はどっちかなー)


自分が人のトラウマになる未来をすっかり忘れて暢気に大人しく読み耽っていると、天使がお昼寝から起き、こちらに来る旨を知らされて顔を上げる。

リーシャと同じく手を止めた両側に視線を向ければ、二人共苦笑して本を閉じ片付け始めた。


「俺たちも茶にすっか、レム」

「そうしよう。リーシャも静かに本を読めて偉かったね」

「はい!お邪魔したお詫びに、ラン兄様とレム兄様をお茶に誘ってもいい?」

「詫びじゃねー、そういう時は頑張ったご褒美って言えリーシャ」

「んふふ!分かりました!」


可愛い双子と、大好きなかっこいい双子とお茶だなんて、これぞ両手に華である。満開だ。

堪らず行儀悪くも足をぷらぷらさせてしまう。

机の下なのでマノンには見えていない筈。苦笑しているけど見えていない筈である。


「リーシャ!ここにいたっ!」

「オーリ!」


図書室の硬質な空気感を物ともせず駆けてきたオリアーヌを、手前に居たギレム兄様が捉えて持ち上げる。

一瞬きょとんとしたオリアーヌだったが、すぐに零れるような笑みを浮かべた。


「走っちゃ危ないよ、オーリちゃん」

「はぁいレム兄様」

「捕まえてくれてありがとうございますレム兄様」


声を上げて高い視界を楽しむオリアーヌを見上げたアロイーズがほっと息を零す。

しかし彼もまた、ぱっとギラン兄様に抱えあげられて眼を丸くしては、すぐにくすぐったそうに笑う。


「アロも捕まったぞー」

「ありがとうラン兄様、レム兄様!そのままお茶会室に連行してください!」

「れんこー!」


抱えあげられたままのオリアーヌが未だに幼い口調で続け様に叫ぶが、どう考えても言葉の意味を分かっていないのがまた可笑しくてみんなで笑った。

兄達は片手で双子を抱き上げ、私は空いた二人の両手を繋いで弾む足取りでお茶へ向かった。


ここ最近になってこのストラス伯爵家でよく見られる、とても微笑ましい日常の一幕である。




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