25:九歳の王都
――― それは唐突に心へ沸いて、当然のように棲み付いた。
否、元よりこの身に宿っていたそれは予言であり、天啓であり、記憶であり、未来であった。
当時は幼さ故に情動を抑える事も宥める事も己で出来ず、喚き当たり散らした。
主の唐突な乱心に、物を投げられた使用人たちは怯えて近づきもせず放置を選ぶ。
嵐の真っ只中に投げ出されたような部屋の中で気を失うように眠り、割れた鏡で自らの肌を傷つけたのだと痛みと共に気付いたのは目覚めた後だった。
(この感情は…何だ)
顔を見た事も無いのに、すっかりと小さな身体を支配していたのは憎悪。
癇癪を起したと知らされているであろうに顔も出さない親兄弟を自身の目の前で惨たらしく殺されたとしたって、この希薄な家族への思いで己が怒り狂う姿は想像も出来ない。
愛読している書物が破られた方がまだ腹立たしいと思える。
自身を取り巻く世界、人々などその程度の狭さと、他所事。
(一体自分は何を憤って、彼への怨嗟に身体を震わせたのだろう)
疑問が過るも理性は漣のように遠ざかり、数秒もせずに激しい感情が波立つ。
ざわり、ざわりと肌を毛羽立たせ、拳の痛みなど忘れて柔肌に見立てた絹の枕を引き千切った。
飛び散る白い羽毛の中、ぼんやりと会敵を果たした時を想像する。
自分はその喉元に飛び掛かるのだろうか。
(違う)
自分はそのツラに爪を立て、生きたまま眼球でも縊り出してやるのか。
(違う、足りない)
その皮膚を引き剝がして肉を露にするなど生温い。
骨を砕き、絶叫する喉や千切った耳に蟲を詰めてやってもまだ至らぬ。
ヤツにこの世の全ての痛みと苦しみを与えてやりたい。
苦悶し蹲り、跪くその背を踏み蹴り倒して嘲笑ってやりたい。
生在る限り与え得る痛みと絶望の全てを味合わせてやりたい。
ああ、ああ、お前が憎い。
憎悪、嫌悪、忌諱。
そんな言葉では言い表せない程の感情が渦巻いては身を焦がす。
きっとこれを前世からの因縁とでも言うのだろうか。
怨敵がこの世に在るのだと、お前には宿命があるのだと神は仰るのだろうか。
そうして、やっと対面を果たした時に確信を得た。
(ああ、コイツに艱難辛苦を与える事こそが僕の生まれた意味だ)
表面上は躾けられた笑みを浮かべ、内心で憎悪が蜷局を巻く。
さぁどうやって責め苦を与えてやろうか。
そう考える時間だけが生きていると実感出来る。
相手の苦しむ顔を想像するだけで胸が高鳴り悦びが脳を満たす。
これは娼嫉なのかと思う事すらあった。
だが姿を思えば、唾棄すべき思考だと思わず顔を歪めてしまう程だった。
故にこれは復讐なのだ。
きっとそれを打ち果たす事が僕の至上命題。
この身が朽ち果てるまで覆る事の無い、命に刻まれた使命。
――― 王都への移動中にお兄様達は無事十六歳を迎えた。
道程も恙無く進み、初めて訪れた王都の街並みはまるで映画や物語の世界のようにストラス領とは賑わいも色合いも全く違い洗練されていた。
何処までも続くように敷き詰められた石畳の大通りには、電気が無い筈なのに街燈が所々に設置されており夜間の人通りも叶うように工夫がされ、店先は大きく複雑なガラスが嵌められたところが多く豊かさを物語る。
下水もそれなりに整備されているのだろう。
田舎よりも人口が密集しているのに独特の臭いもせず衛生的だ。
行き交う人々が纏う服の縫製も生地も一目見て上等なのが分かる。
それこそ貴族階級ではない平民であろうとも、我が領民のそれとは格別であった。
流通している品物の良さ、それを日常的に手に取れる収入。
うーん、分かってはいたけど都会ってすごいな。
王都まで同行していたレオさんから道中ちょこちょこ話は聞いていたが、実際に見てみるのはやはり感じるものが違う。
少しでも土地を有効に利用しようとぎっちり隙間なく建てられた建物はどれも我がストラス邸よりも高層で細長く、馬車から見上げるもその屋根すら見えない。
建築技術すらも随分と地域格差があるのだと思い知り、ああこれは確かに別荘を敢えて広く低く構えるのが豊かさの象徴になると私は一人納得をする。
この世界のホテルにも初めて泊まった。
流石にそこは我が邸の方が造りもしっかりしているものの、整然と扉が無数に設置された長い廊下は走り出したくなるほどであった。
裕福な商家や貴族達が使用するホテルではなく宮殿なのでは?と零した私にお母様が笑っていた。
王宮はもっとゆとりがあって更に広いらしい。
マジか、貴族って健脚必須なんだな。
かと思いきや高位貴族向けのホテルはもう少しこじんまりしてプライベート感があるそうだ。
成程、そもそも他家と別でしたか。
初めて馬車での長距離移動をする事となった私だが、始終お兄様達の膝の上に乗っていたのでお尻は痛くなりませんでした。
寧ろお兄様達の脚が心配です。
私はもう九歳になったのですよ?そこそこ重いですよ?
「どうせ帰りは尻を痛めるだろうから」とのギランお兄様の弁だが、それでもこれから不慣れな王都で過ごされるお兄様達を疲れさせるのは別だろうに。
でも抱っこの吸引力に抗え無いのだよなぁ。
幸せな道中だった。
王都で一泊をした後、いよいよ学院での入学式に参列となった。
会場にてストラス家に視線が集まったのは、家族総出で出席している家が少ないからだったと思いたい。
私はまだ九歳なので顔にベールを被せられて誤魔化されているものの、それなりに視線を浴びている事はひしと感じていたので精いっぱいの猫を引き連れて背を伸ばしていた。
見たければ見れば良い!私が噂のストラス家の長女である!
入学生の中でも燦然と輝く双子のお兄様達を愛し、愛される妹である!
めでたい新入生の数は百を下らない程と中々に居た。
しかしこの群衆に交じろうと、ギランお兄様とギレムお兄様の華々しいお姿は一際目立っていて私だけでなく他の紳士淑女の眼を惹いていた。
だよねぇかっこいいよねぇ、素敵だよねぇ!!
既に恋に落ちたのでは?というお嬢さん達がちらちらお兄様達を見てる!
その中で私の義姉様になって下さる方はいらっしゃいますか!!
優しくて温かい人が良いです!
お兄様達をもっともっと幸せにして下さる心意気審査は私が担当しますが!
私の敬愛するお兄様達ばかり見ていたが、式典が終わった頃にお兄様達の元へ見慣れた顔が近づくのに気付いた。
数年前のストラス領武術大会で見たイケメンである。
決勝戦で相まみえた彼はお兄様達と同い年だったのか。
もうあの時のように解説してくれるギレムお兄様は隣に居ない。
寂しいですぅ。
にしても三人で纏まると更に絵面が良い。
なんだこの貴公子達の集まり、目の保養とはこの事か。
ほーら周りの少女達も色めき立っているじゃないか!
あ、ギランお兄様が笑った。
おお、黄色い声が上がって驚いてる。可愛いなぁ。
そろそろお兄様達もご自身の見目の良さをもっと自覚した方が良いぞ。
大丈夫かなぁ、同年代の女子と関わるの滅多に無かったからなぁ。
妹は心配です。女は怖い生き物だぞ。
何時までもお兄様達を見つめている私の肩をそっとお父様が撫で、促されるままに踵を返し会場を後にする。
入学式に参列、と言っても語り掛けたり寿ぐ事が出来るのは開始前までだ。
もうここからはお兄様達は学院生で、私達は部外者である。
寂しいよぉ!近くに居るのに突撃も出来ないし不埒な視線の牽制も出来ない!
扇で口を隠しながらも三人の貴公子から目線を外さない一部のご令嬢!
お前達だ!なんかその雰囲気嫌だからお兄様達には近づかないでくれ!!
赤毛のイケメンは勝手に好きにして良い!私が許す!
などと馬鹿な事を内心考えつつ馬車乗り場へ戻る貴族の波の中、一人の従者がお父様の側仕えへ慇懃な態度で声を掛けてきた。
お父様の知り合いかと思っていると、側仕えから用件を伝えられたお父様は私に顔を向ける。
何でしょうと小首を傾げる私にそのどこか疲れた視線は不可解です。
入学式は大人しくちゃんと淑女してましたでしょう?
「…ネウストラ公爵家のユーデス様がお前にお会いしたいそうだ」
「まぁ」
それは予定外過ぎてお父様もその様なお顔になるわなぁ。
今日中に王都を出立する旅程で宿も押さえているのだが大丈夫なのだろうか。
まぁちょっとくらい顔を出す程度なら、然程響かないのか。
良く分からんが、先方からのお声掛けを断れる我が家ではないのは確かだ。
「出立前にお出ししたお手紙でリーシャが申し入れたのかしら?」
「詳しい旅程は控えましたが、とんぼ返りになるのはお伝えしました」
お母様がおっとりと淑女の仮面を着けて私を尋問する。
お手紙の内容にはお母様も眼を通されたと思うのだが。
私はアレ以外お出ししておりませんよ、誓っても良いです。
ユーデス様もお忙しいし、此方の都合を無理に捻じ曲げるような方では無いと思ったのだがなぁ。
何かしら取り急ぎ私に伝えたい事でもあるのだろうか。
とりあえず、呼ばれているのは私だけだとしても一人で行かせる訳にはいかないので、両親と共に公爵家の使用人に案内されるがまま学院から馬車を出立させた。
その間は家族会議である。
既に旅程のずれ込みについては先触れを飛ばしている。
お父様の仕事が早いぜ。
「…ユーデス様との交流は恙無いようで何よりだが」
「この僅かな時間でも顔を見たいと言われる程とは、女冥利に尽きるわね」
「そういう情熱的な御方にはお見受けしませんでした」
「分からないものね…」
直にユーデス様と会話し、手紙の内容を把握しているお母様も密かに嘆息を零す。
恐らくお母様も私と同じく彼が急遽呼び出すような御人だと考えて居なかったのだろうから、その溜息は良く分かる。
用件が思い浮かばないが故の不安を抱く胸を宥めるよう、私も深呼吸をする。
「もしかしたら書籍をたくさんお渡ししているのでそれに関するお話かも」
「それこそ手紙でのやりとりで間に合うでしょうに」
それもそうかぁ。
「ではお兄様達の入学に関するお言葉でしょうか?」
「それをリーシャに?」
そうだよなぁ。
「…何でしょうねぇ」
「それが知りたいのだがなぁ…」
頭を突き合わせての家族会議は遅々として進まなかった。
結局何も分からず予想もつかないままで、気が付けば我が家の馬車は公爵家の豪奢な門を潜り宏大な土地を走っていた。
もう庭だけで我が家が二つは丸っと入るのではないだろうか。
めちゃくちゃに広い。最早公園だ。
あれだけ大通りでは敷地をせっせと分け合って居を構えていたのに、流石は国内流通を牛耳るネウストラ公爵の邸である。
改めて家格の違いを目の当たりにする。
マジでこの家と我が家が婚約関係にあるって可笑しな話だ。
ウチって貴族だったっけ?平民ではなく?
長くも美しい前庭園を抜け、馬車が止まったポーチも相当に広い。
玄関前に噴水って設置するものなの?庭ではなく?
馬車から降りて左右を軽く見渡せど邸の全貌が見えない。
端が見えないのはあからさまに顔を動かすのを控えたからだと思いたい。
道中に泊まったホテルよりもでかいし長いぞ。
おい高位貴族はプライベート感のあるこじんまりを好むのでは無かったのか。
最早ここは城なのでは?離宮か何かか?
総動員した猫を何重にも纏い、執事に案内されるまま一家で応接室へ通された。
はぁーここもめちゃくちゃ広いし豪勢である。
遠目からでも分かる程精緻な彫刻と絵画で彩られた天井も、吊り下げられた煌びやかなシャンデリアの値段も相当に高い。
ここ二階までぶち抜いて造られた部屋なのでは?
え?一階だけです?まさかでしょう?
「ご足労ありがとうございます」
驚いて猫が逃げ出しかけていた私はユーデス様が入室するや否や背筋を伸ばした。
猫もサッと駆け寄って来てくれたよ、良い仕事振りである。
速足で入って来たユーデス様は私に目を向けると、いつもの無表情ながらもどこかほっと息を吐き出し安心した様子をしていた。
何が安心出来たのかは謎である。
もしかして王都の噂を耳にした私が凹んでいるとか思われたのかな。
流石に入学式典でそんな不躾をする他家はおりませんでしたよ。
視線は物凄かったが。
「皆様ご健勝のようで何よりです。ご子息達の進学もおめでとうございます」
「勿体ないお言葉とお気遣い、光栄でございます」
代表してお父様がお言葉を返す。
お母様と私は粛々と礼を取るだけに留めた。
さっとユーデス様がソファーに腰を下ろし、促されてやっと私達も座る。
「ご一家揃って式典にご参加なされたのですね。仲が宜しい事です」
「何かとあって息子達を王都へ連れてくるのも初めてでしたから」
「さぞ心強かった事でありましょう」
供されたお茶に素早く彼は手を付けるもののすぐに置いた。
何とも急いだ様子なのは、此方の都合を慮ってくれているのだろうか。
「王都の滞在は何時まででしょう?」
「折角足を運んだからにはそうしたいのは山々ですが、北方の田舎領地と謂えども長く不在にするのは心許なく。今日中には出立する予定です」
「長い冬が終わればかの地は特にお忙しいでしょう」
「御領地に比べれば我が領など暇ですよ。我が身が不才なだけでして」
「何を仰る。ストラス伯爵の堅実で誠実な手腕は私も見習うところです」
「それこそご謙遜を」
私は家族の領地経営手腕しか知らないが、お父様はそうではない。
それこそ例え謙遜だとしてもユーデス様の御歳で経営に関わっていらっしゃっているのだ、彼は決して非才の身ではないのだろう。
「しかしそうですか、昨日届いたリーシャ嬢の手紙にもありましたが…。
折角遠路はるばる王都に出向かれたのにご滞在なされないのは余りに忍びない。
どうでしょう、我が邸に暫しご滞在なされては?」
おおおっと?どうしたユーデス様?!
キミはそんな無茶振りムーブする人じゃないのだと思ってたよ?!!
ちょっとがっかりだよ!
「滅相も御座いません、それこそこの身に過ぎます」
「私の我儘ですので旅程の調整や費用は持ちますよ」
「お心遣いへの不義をどうか御赦し願いたい」
しかしそこは流石お父様。しっかりきっちりお断りをさせて頂く。
深々と頭を下げて顔を上げないお父様を見ていたユーデス様の視線がちらりと私に向かう。
私を見たところで我が家の意見は変わりませんよ。
私だってお兄様達が心配だが、早くストラス領へ帰りたいのも本心だ。
「リーシャ嬢は王都の店や見てみたい場所などは?」
「私には王都の華やかさはまだ早い様子ですわ。
もう少し大人になってから改めてお誘い頂けると嬉しいです」
「…そうか」
そりゃ最先端のドレスや宝飾なんかも興味はあるけど、然程ではない。
それよりも私は領地で銀粘土開発をしたいし輓馬にも乗れるようになりたいくらいに田舎生活を謳歌しているのだ。
是非とも帰らせて欲しい。
「また初夏前にストラス領でゆっくりお会いできるのを楽しみにしております」
だから今は滞在をせずに帰るぜ。
急な予定変更はしない。
田舎者がフットワーク鈍い訳じゃないぜ。
ヴュルテンベルク辺境伯家からの誘いだったらそりゃもう私も両親も意志がぐらぐらして、滞在を伸ばしてしまうかもしれないくらいではある。
悪いがネウストラ公爵家との仲がその程度なのである。
それも分かっていると思うんだけどなぁユーデス様。
どう考えたって悪手なのにな、本当にどうしたのだろうか。
「…そうか。初夏前まで待たずとも良いのか」
うん?
ユーデス様は何を納得されたのだ。何だその不穏な発言は。
「ストラス伯爵閣下」
「は」
「私も貴殿らの戻りに同行しても構わないだろうか」
おおおおいい??!!!ユーデス様ご乱心ですか!
無茶振り過ぎるだろう!そんな思い立ってすぐに動ける程、キミこそフットワーク軽く無いだろうよ!
なんせ天下の公爵家嫡男様であるぞ?!!
バカを言いなさるな!!
「それまで邸に滞在を願いたいところだが叶わないだろう。
追って合流を許して頂きたいのだが」
「は…」
これにはお父様も驚いて言葉が出ない。
なんだそれ、後追いでも良いから一緒に行きたいって何。
だったら普通に初夏まで待って、しっかり準備してくれば良いじゃないか。
そこまでして我が家と一緒に移動したい何かでもあるのか、ユーデス様。
もしかして私ではなくお父様とゆっくりお話したい事でもあるのだろうか。
完全に虚を突かれた形で、あれよあれよという間にユーデス様はお父様の側仕えと自分の従僕に打ち合わせをさせ、ご自身の現在抱えている仕事を超特急で片付け公爵閣下にも伝令を入れたご様子。
気が付けば王都から少し離れた二回目の宿泊地ではユーデス様御一行と我が家は合流した。
道程の半ばまでもまだまだある、本当序盤で追いついてきた。
何なんだユーデス様。そんなにストラス領に来たかったのか。
借りていた本や必要最低限以外の荷物は後続便で運ばせる程の急ぎっぷりは、最早高位貴族の移動としては異例も異例である。
かと思えばしっかりみっちり護衛を揃えて来ているのは流石嫡男。
護られるべき御人である。
無事に合流出来てひと心地着いたのか、ユーデス様は私を公爵家の馬車へ誘ってくれるものの流石に申し訳ないので遠慮していたのだが、そうしたら何故か彼が我が家の馬車に乗った。
おかしいだろ。
公爵家の高級で設備も段違いに宜しい馬車がすぐそこにあるだろう。
何故お尻を痛めようとするのだ。
何だよ寂しいのかよ!可愛いなのかよ!こんな暴挙しておきながら!
こちとらまた領地に先触れとして伝令を走らせたり大変だったんだぞ!
お父様には公爵閣下からの詫びの手紙が渡されていたが、それでも流石になぁ。
因みに公爵夫人はユーデス様ご出産後、産褥が芳しくなく儚くなられた。
だからと言って私のお母様に憧憬を抱くような様子も見せず、一淑女に接する形をきちんと取っているので家族愛に飢えているともお見受けしない。
本当に急にどうしたのだろうか、ユーデス様は。
あんまり無茶振りムーブをされるのは私の地雷ですぞ。
ただその無茶を彼自身も深く反省しているのだろうか、道中はお父様と領地経営について真面目な談義ばかりをしていた。
少しでも何か我が家の役に立とうとしてくれているのは隣に居ても分かった程。
特に王都で活動している貴族家についての情報量は凄かった。
どの家が最近何に手を出したのか、流行の兆しについて、物価の変動。
未だ社交に出ていないとは思えぬ程のユーデス様の見識にお父様だけでなくお母様も深く感銘を受けつつ、きっとその情報がすぐにお兄様達へ届くようにと宿泊地では夜毎文をしたためていた。
お兄様達も驚くだろうなぁ。
領地へ帰ってしまった家族がすぐさま送ってきた大量の情報もだが、同行者にまさかユーデス様がいらっしゃるとは努々思わないだろう。
私達だってそうだ。
道中半ばも過ぎた頃には、最初からそんな計画でしたが?な面持ちをしていたが。
見事にユーデス様の立て直しに嵌った我々は最初の驚嘆などどこへやら、穏やかな日程で恙無くストラス領へ戻る旅を愉しんだ。
私は特に王都までの流通経路のお話が興味深かった。
成程なぁ東の整備は北の街道よりも鈍いから、通すなら北だが関税が高いと。
「宝飾等を運ぶ事が多い北街道は道中の安全も整っているから仕方ないと言えばそうだが、単価の低い農作物などはどうしても東街道が主になる」
「でもそれでは日持ちしないものは困るでしょう」
「ああ、だから農作物の流通は南が主だ。王都への街道もなだらかだし」
「では東の作物は地場で消費されるものが主なのですね」
「殆どそうだな、国内外問わず輸出入はほぼ無いに等しい」
ほあー皆無ではないのか。
つまり辺境伯領より上では隣国とは言え近隣村と取引している、と。
確かに東街道から王都へ抜けるには、低いとは言え幾つか山も抜けないといけないので日数が掛かるのは確かだ。
比べて隣国までは湿地が延々と続くものの道中は平坦だと言う。
遮蔽物が無いので警備は大変そうだがな、山よりはマシか。
東部国境の見晴らしの良さは国防的にはありがたいのだが。
「ストラス領の輸出品は主に北経由と伺ったが、どちらかと言えば王都までではなくセプタントで消費されるものが多いのだろうね」
「まずは北の都で眼に留まろうとかと」
「悪くないと思う、堅実的な手段だ」
数年前から始めている民芸品の販路拡大は、王都までではなく北の他領から始めているとギレムお兄様からも聞いていたが、ユーデス様の語る通りの関税も関係しているのだろうな。
はぁ流石ギレムお兄様である。
安心安定の手腕でございます、好き。
「セプタント侯爵領なら他国への輸出も担う商人が居るし、商品が眼に留まれば国内よりももっと広い販路が獲得出来るだろう」
「やはり他国との取引は魅力的でしょうか」
「一長一短だが、切り拓くとは常にそのようなものだろう」
はぁーしっかりされておりますなぁ。
先日の無茶振りムーブをかました御人だとは思えない。
マジで何だったんだか。
「…急に都合を捻じ込み、団欒に邪魔をしたのは深く反省している」
今日はお父様やお母様とは別に、私だけユーデス様の馬車に乗っているからかそんな事を彼が零した。
もう私達は誰もそんな事を気にしていないのに。
いや、理由があるのならちゃんと聞いておいた方が良いが。
何か心配事だとか相談事があるなら言ってくれて構わない。
ただ力になれるかどうかは、正直我が家の家格的に約束は出来ないけれど。
「お気になさらず。私こそもっとお早くお報せをすれば良かったですね」
「いや…」
先程までの雄弁は何処へやら、ユーデス様は口先を濁す。
表情を変えず公爵邸で見せたような躊躇いの様子を滲ませるも、彼は二人きりになってもその続きを私に語ろうとはしなかった。
「それこそユーデス様の方が大変だったでしょう?
任されているお仕事の調整に日数も掛けられませんでしたし」
「珍しく父が驚いていた」
そりゃあ驚くだろうよ。
どう見たってキミはそういう衝動で動くタイプには見えないもの。
「我が家の人間が出入りして騒がせるだろうから、伯爵家にも迷惑を掛ける」
「お仕事ですもの、仕方ありませんよ」
ユーデス様はある程度の仕事を閣下に投げたそうだが、どうしても手離せないものはストラス領で引き続き取り組まねばならないようだ。
その為に公爵家の人が我が領を訪れるという件も詫びられていた。
打ち合わせは街ですると仰られていたが、お父様は邸を使ってもらう予定だ。
勿論無理強いはしないし秘匿するべき情報なのであれば街でも構わないが、ユーデス様はストラス邸に滞在されるご予定なのでその方が良いだろう。
彼もそれを了承はしていた。
「寧ろ御立派に働かれているのは尊敬いたします」
「リーシャ嬢も被災の際、精力的に動いたのだろう?」
おや、その話を何処で耳にしたのだろう。
「王都に被災状況が届いたのは春先だが、詳しい話を父が聞いたらしい。
夫人やリーシャ嬢の働きに感銘を受けていたよ」
「光栄ですわ」
おっと公爵閣下経由ですかぁ。
流石の情報収集というか、北の地の災害状況など気にされるのですか。
どこに何が落ちているか分からないのが情報とは言え、そこまで耳にお入れになるとは恐れ入る。
「元々ストラス領は安定していたけれど、成程納得した。
リーシャ嬢にも領民思いの領主家の血がしっかりと流れているのだな」
「と言っても家の者の助力があってこそです」
「それでも、だよ」
ふっとユーデス様の表情が少しだけ緩み、視線はストラスの地に注がれる。
森の木々に白い樹皮が混じり始めればもう我が故郷だ。
「以前の帰りは暗くてよく見えなかった竜を探すのを手伝ってくれるかい?」
真顔でそんな可愛い事を仰るものだから、私は大きく首を縦に振った。
今度は明るい春の日差しの中で色とりどりの街並みや、あちこちに散らばる竜モチーフを二人で車窓から探して見つけては会話する、中々に楽しい時間を御過ごし頂けた事だろう。




