15:六歳児の迷走
まさに夏らしい熱気を味わう人々の歓声は午後になっても勢いを衰えさせる事はなく、終日ストラス領の闘技場周辺は賑わいに満ち溢れ、夜には街の酒場まで大盛り上がりだったそうだ。
こってり昨晩お母様に叱られ萎びていた私に翌朝、エタンがにこにこと嬉しそうに語ってくれた。
午後からの成人女性の部では白樺の樹皮で作った白い花を胸元に飾った選手がちらほらとおり、それが意味する事を分かる人の方が観覧者には多かったのだろう。
彼女達には一際大きな拍手が巻き起こっていたのが印象的だ。
それにメインである成人男性の部では、ストラス邸の護衛長までもが参戦し、ヴュルテンベルク辺境伯家の護衛達といい勝負をしていた。
試合終わりには熱い握手と抱擁をしていたのはちょっと可愛かった。
やはり年齢を重ねても武を尊ぶ者は強者との戦いを愉しむ心があるようだ。
例年はもっと一般の出場者が多いため我が家の護衛達は出場を遠慮していたところもあったので、そういう意味では気分転換のいい機会になったのであろう。
実に良き事だ。
どうかそのままぐんぐんと腕っぷしを上げて、是非私を馬車事故からも守って欲しいと切に願うよ。
無茶を言っている自覚はある。
馬車事故と言っても原因が分からないと防ぎようも無いからね。
それこそ雪崩とか転落だったらどうしようも無い。実に事故である。
とりあえず十二歳には馬車での遠出を避ければどうにかなるのだろうか…。
私がそんな事を考えているのを露知らず、アロイーズ達は今、護衛に抱えられながらベランダで遠くを見て言葉を失っている。
「…別荘からは、全く見えなかった」
「ねぇリーシャ…森は戻らないの?」
彼等と同じようにエタンに抱えられた私をオリアーヌが悲しみを湛えた瞳で見る。
オリアーヌ達を悲しませたくはないが、ストラス領の自然を惜しんでくれているその気持ちは嬉しいだなんて、どこか歪な自分の心境を誤魔化すように私はある点を指さす。
「あの辺りの…湖の畔には植える予定だけど、全部は難しいみたい」
「そうなの…森はすぐに戻る訳じゃないとは分かっているけど…」
高台にあるストラス邸のベランダからは、避難者向けの住居建設や区画の再整備など復興の進んでいる姿も見えるが、まだ湖から山肌にかけて残る生々しい災害の痕も良く分かる。
麓の区画は撤去された後、場所を変え新たな区画として街を整理した。
真新しい家々が並ぶ街並みにはところどころ人影が見え、少しずつ彼等が新しい生活を送っているのだと窺わせる。
雪崩に巻き込まれた場所は倒壊した家屋などを片付け、今は真っ新な土地となっており、そこは農耕地にする計画が進み山側には新しい区画から植え替えた木々の頭が並ぶ。
例え移植でも上手く根付くのにも数年はかかるだろう。
「秋には片付けながら、雪崩の勢いを弱める柵を設置するの」
元々、麓の区画周辺の山肌には設置が成されていた。
雪崩の発生自体を抑える事は困難だが、被害を少しでも減らす取り組みは以前から行われていたのだ。
それでもこうして被害があったのを踏まえての区画見直しである。
ただ、貴族の別荘が立ち並ぶ区画付近は背の高い木々も多く自然の柵となったのも理由の一つであるが、美しい山肌に柵があるのは領民なら見慣れているものの、観光客からはあまり美しいとは思えないようで昔から設置を控えていたらしい。
去年の冬は冷夏の影響か例年よりも降雪量が多かったし、急に温かく晴れた日が続いたのもあったのが木々を薙ぎ倒す程の大雪崩を引き起こしたのでは無いかとベルトラン達は語っていた。
木々が薙ぎ倒された斜面は再び雪崩が起きやすい地域となってしまう。
今までそれを押し留めていた木々が再生するまでは、人工で勢いを弱める対策をしておかなければならない。
今回は麓の区画だけでなく貴族の別荘地に程近い場所も設置を行う。
勿論それが設置し終えても、貴族の別荘は同じ区画に立てる事を許可しない。
それも踏まえて再建用の土地を用意したりなんだの、お母様だけでなくお父様もまだまだ忙しそうだ。
「ああ…だから父様は」
ふとアロイーズが小さく呟くが、その続きは紡がれなかった。
彼の中で何かを納得したように未だずっと、その明るい赤の瞳は自然の脅威が引き起こした爪痕を見つめていた。
「自然って美しいのに、こうして恐ろしい面もあるのね」
「上手く付き合っていくのが大事だよね」
「ふふっリーシャ、とてもかっこいいわ」
護衛に抱えられたままとは思えない程、嫋やかにオリアーヌが微笑む。
今まで子どもらしく在ればそれで良かった時は間も無く終わるのだろう。
きっと、ヴュルテンベルク辺境伯の双子も自分たちの領地を思い考える教育が実用レベルで始まっているのかもしれない。
私の場合は事態が引き起り、無理矢理にでも場に出る必要があった。
これが本当のほぼ六歳児だったらもっと苦しかったのだろう。
実際に領民や家族の力になれた場面も存在した事を振り返れば、意識が成人女性という稀な自分の状況を幸いだと思える。
の、割に至らない事も多々あったが。
それでも足りない部分はこれから学んでいけば良い。
なんせまだまだ世間的に大人になるまでは時間があるのだ。
「リーシャが領の財政までも考えていたのには驚いたけど、納得したよ」
「そんなに意外だった?」
護衛達に降ろしてもらい、三人で室内へ戻る。
ここは二階の家族用お茶会室だ。
今は許可を貰って入っているが、用事が済んだので速やかに退室して階下にある何時ものお茶会室へ向かう。
「だってリーシャの頭が回った時って、アレだよ?」
「アレだったものねぇ…」
しみじみと六歳児が思い出を噛み締めるのが何とも可愛い。
たった一年前の事じゃないか。
さももっと昔の事を振り返るような口振りに私も護衛達も小さく笑う。
「私は昔から機転が利いたって事ね!」
「この前向きさ」
「心強い筈なのに何故か不安になるのよねぇ」
「じゃあその不安を取り除けるように、二人はもーっとしっかり私の手綱を掴まなければいけないね!」
胸を張って言い張る私を見て、二人は無言で顔を見合わせた。
「アロ、頑張りましょうね」
「オーリ、一蓮托生だよ」
真剣な面持ちで頷く彼等の手を取り仲良くお茶会室に到着すると、もう既にテーブルには美味しそうな軽食やお茶が用意されていた。
ウチの使用人達はとても優秀だなー!息ぴったり!
「ところで今年の過ごし方はどうする?」
「湖には去年ピクニックに行けたし…ねぇ東の物見塔は入れるかしら!」
「オーリ、高いところ平気?」
街の東外れにある物見塔は我が邸よりも高く見晴らしが良い。
しかし都市構造が丸見えになるので立ち入りは制限されている場所だ。
まぁこの双子であれば許可は降りそうだが、意外なところを希望された。
手紙にもそんな事は書いていなかったのだがな、と私は内心小首を傾げながら会話で彼女の意図を探る。
「大丈夫!私達の城にも塔は幾つかあるから上り慣れているもの!」
「あははっ!あのねリーシャ、オーリは毎回塔に上っては、『この高さならストラス領も見るかも』『ストラス領はどちら?』って言ってたんだよ?見えないと『今日は天気がダメね』って」
「だって!あんなに我が領も境界もその先も、隣国の端だって見えるのよ!ストラス領まで見えたって可笑しい話じゃないわよ!それに天気によって見晴らしが変わるって教えてくれたのアロでしょ!」
笑って暴露するアロイーズの様子にオリアーヌが早口で言葉を返す。
必死に言い募るのだがただ可愛いだけである。
今年も天使達がとてもかわいくて癒されるなぁ!お茶が美味しい!
「オーリ達のお城からストラス邸が見えたら嬉しいのになぁ」
「でしょ?!ホラっリーシャなら絶対こう言ってくれるもの!」
「ごめんって、オーリが心配していたよって伝えたかったんだ」
アロイーズはオリアーヌの機嫌を取ろうとするのだが、今更である。
まぁオリアーヌが私を味方に引き入れて陣営を整えようとしたのを遅まきながら察して内心慌てているのだろう。
偶に出るアロイーズの迂闊さもほっこりする。
可愛いなぁこの二人は。天使かな、天使だったな。
「もう!聞いてよリーシャ!アロが最近私を子ども扱いするのよ!」
「同い年じゃないか」
「アロって落ち着いてるからねぇ」
この三人で集まると比較的落ち着いているアロイーズが面倒見役というか、ストッパー係として周囲からは見られがちである。
それがちゃんと機能しているかはさておき。
「じゃあじゃあオーリ!アロが子どもっぽくなっちゃう程楽しい事をやろう!
何かいい案なーい?」
「ええ…楽しい事は好きだから良いけどさ…」
「アロが子どもっぽくなる事?」
ふむ、と腕を組んでオーリが暫し考え込む。
彼女の希望は東の物見塔だし、アロイーズの希望も聞いておきたい。
去年のピクニックのように満場一致ではあるものの、どうやら彼はそこまで物見塔へ興味があるようにも見えないのだ。
恐らく彼等の城が有する塔の役割を深く理解している為だろう。
「やっぱり外で遊ぶのは好きよね、武術も」
「それはオーリもだね」
「どれだけ強くなったのかラン兄様にも見せないとね!」
今日はまだ武術大会の片付けもある為お兄様達は時間が取れないが、これからの滞在中に機会などたくさんあるだろう。
何せギラン兄様もギレム兄様も天使達と遊ぶのを楽しみにしてくれているのだ。
全くもって優しいお兄様達である。
「あっ!じゃあ乗馬は?」
「もうオーリ達乗馬出来るの?!」
これには私が驚いた。
こんな身体が小さいのに乗馬出来るのか!流石にポニーか?!
辺境伯領の英才教育が凄い、生存戦略味が強い。
「まだまだ一人では走らせられないわ、大人に手綱を引いてもらって歩かせるくらいだけど」
「それでも凄い!わー!かっこいい!!」
「私もアロも筋が良いって褒められたのよ!」
誇らしげに胸を張るオリアーヌと私がきゃいきゃいはしゃぐ一方、少しだけアロイーズは考え込む素振りを見せてから顔を上げ、笑みを添えた口を開く。
「リーシャも乗馬やろうよ、そしたら馬車要らずで移動出来るよ」
敢えて彼がそうやって私に言葉にしたのはしっかりと伝わった。
ので、私もにっこりと笑い返して頷く。
「そうだね!馬車に乗らなくても移動出来るのは良いね!
それに自分で馬を走らせるのってとても気持ちよさそう!」
「そうなのよ!ねぇ早く私もリーシャに乗馬しているところを見せたい!」
どうやら今日の午後は急遽乗馬になりそうだ。
準備はどうかな?とマノンを見上げてみれば頷きが返され、扉付近に居た使用人が廊下の護衛と打ち合わせに向かった。
「乗馬ならレム兄様もお呼びしたいな」
「レム兄様も乗馬お好きなの?」
「そ!よく走らせているよ」
「嗜まれているのは知ってたけど、そうなんだ」
そうか、ギレムお兄様は避暑観光で混み合う時期は湖方面へ走らせる事をしないし、森に向かうとしても専ら春先に衛兵の巡回へ付いて回るのが殆どだ。
双子が邸に滞在中に騎馬姿は見たかもしれないけれど、趣味にしている程とは知らなかったのかもしれない。
新たに知れたギレムお兄様の一面に、二人は嬉しそうにしていた。
どうかギレムお兄様の都合もついて一緒に乗馬出来たら私も嬉しい。
その後護衛達から双子の乗馬技術について教えてもらい、打ち合わせた結果、庭先でまずポニーで慣らして様子を見る事となった。
どうやら辺境伯領で飼育されている馬より我が家の馬は大きいようだ。
確かに戦場を駆けるなら断然サラブレッドみたいに小柄で足の速い種が重視されるだろうし、それこそ幼少期から学ばせるのなら、いざとなった時に騎乗して逃げる事を想定して駆逐馬に慣れさせているのかもしれない。
生憎我が邸にはそういった種はまだ交配が進んでおらんでな。
多少足が早い子も居るんだが、それこそ緊急時の伝令用なので子どもの手習いには流石に貸し出してくれない。
「リーシャー!」
ポニーの上で悠然と手を振る二人に私も大きく腕を振り返す。
良く晴れ渡った涼やかな空気の中で、庭先と謂えども騎乗すれば普段より視線がぐっと上がり見える景色も違うのか、二人の頬は高揚で赤らんでいた。
何とも楽しそうな姿を目にしては私は草の上で溜息を吐く。
あーあー!かっこいいなーいいなぁー!私も早く乗りたい!!
そう、乗馬全くの初心者である私は馬との触れ合いもそこそこに落ちた時の受け身の取り方練習をさせられていた。
寧ろ私はまだ乗せないぞ、という気概を使用人や護衛達から感じられた。
何故だ。ギレムお兄様が居ないからか。
勿論私達はギレムお兄様もお誘いをしたのだが、どうやら私の先日話した領の民芸品販路の打ち合わせでどうしても席を外せないようだった。
身から出た錆、って言っても良いのだろうか…。
いや、領の為になると思って進言したのだから錆じゃない!錆じゃない!ただ私本人じゃなくて周囲へ皺寄せが行ってしまっているのが申し訳ないだけだ!!
お父様は復興の融資元への挨拶周り、ギランお兄様は武術大会の片付け監督、お母様は他家のお茶会に赴いて芸術家の伝手を探しているし、ギレムお兄様は商会との打ち合わせ。
はぁ…私だけ六歳児満喫していて良いのだろうか…。
私だけが遊んでいる現状をまざまざと感じて少し気落ちするのをどう思ったのか、受け身を指導してくれていたヴュルテンベルク辺境伯の護衛の女性がかがんで私の顔を覗き込む。
「リーシャお嬢様も早くポニーに乗りたいですよねぇ」
「うん…でもレム兄様が教えてくれるのも楽しみだから、我慢は出来るわ」
柔らかい草の上をころころするのも楽しいしな。
身体を動かす事は相変わらず好きだ。
少しだけ、気分を上向かせた私を見て相手も安心したように頷く。
「仲が宜しいのですね」
「とっても優しいお兄様達なの、大好きよ」
「武術大会でも皆さまの仲の良さはお見掛けしましたし、お嬢様の声援はとても微笑ましかったですよ」
ふふふと笑う彼女の口元に笑窪が浮かぶ。
そうやって笑うと、涼やかな面持ちの彼女は少しだけ幼く見える。
今年初めて見る顔の人だが、意外と年齢はそう高くないのかもしれない。
「ギラン様の剣術も素晴らしかったですが、体幹や目の良さは御血筋でしょうかね?リーシャお嬢様も受け身の取り方が素晴らしいです」
「ありがとう」
受け身の取り方の才能って何だい。
使いどころがめちゃくちゃ限られるような、いや寧ろ汎用性があるのか?
「今は転ぶぞって構えてから転んでいるので猶更ですが、身体をどのように動かし衝撃をどこで受け流せば良いのか考えてらっしゃるのが良く分かります。
更に立ち上がるまでの流れが描けているというか」
「武術訓練でも教えてもらっているから、それが活かせているのなら嬉しいわ」
なんかめちゃくちゃよく見てるなこの人。
武術訓練の護衛とかでも、相手が子どもだからか教えた通りに出来ているかくらいしか気にしていないのに。
手習いレベルではなく本職として生かす為の目線な気がする。
どこかギランお兄様に似ている視野である。
「とても身軽でいらっしゃる。筋力鍛錬もそう多くないのでしょう?」
「ええ、まだ身体が小さいから」
「女性は特に筋力が付きづらいですし男性には力負けしますからね~。
その分身体の動かし方や受け流し方を、自らの身体でよく把握するのが大事なのですよ」
「確かにその通りね」
いつの間にか私を励ます会から女性向け武術談義になっている。
他の護衛は特に気にしないのか、殊更ヴュルテンベルク辺境伯の護衛は男性も含め「全くその通りです」と言わんばかりに深く頷いていた。
「この自分の身体がどう動くか、可動域がどの程度かを把握するのって口で説明するだけでは中々難しいし、訓練でも時間が掛かる項目なのですけど。
お嬢様は分析は勿論それを自身に反映する才がございます」
「そ、そう…?まぁ無いよりはあって良かったのかしら?」
「ええそれはもう、私も苦労した口ですから」
分析とまで言われているが、きっとそれこそ前世でアクション映画やアニメで物凄い動きからパルクールなどの幅広い動きを見て来たのが生きているのだろう。
これは自分で無理だけど、似ているのなら出来そうかなーとか、あの映画でこうやって転がっていたのが今なら現実として分かるぅ!楽しいー!ってなっているだけなのだが。
動きのイメージが出来ているというのは大きなメリットだ。
剣術については恐怖心が勝るし、何よりアニメや漫画のように軽々と振れないからまだまだなのだが、こうした受け身や避け方については大変実感をしている。
やる度に体育でのマット運動を思い出すぜ。
楽しくてそのままマットからはみ出て体育館の硬い床に強か身体を打ち付けた時の衝撃や痛みを思い出した程である。
あんな痛い思いはしたくないので!私は必死に受け身を学んでおります!
それこそ高い所から落ちるとか!小学校の鉄棒から落ちるのだってお尻凄い痛いのに!馬の高さから落ちた時なんてもっとだろう!?
想像は恐怖を与えるが、心構えを確かにもしてくれる。
漠然とした不安よりも対策を教えてくれるのならば解決へと進めるのだ。
「ああ…勿体ない…こんなに適正高いのに…受け身しか教えられないのが…」
「ピピ殿」
見守っていたエタンが真顔で首を横に振る。
普段にこにこ笑っている彼が感情を抑えた顔をすると何とも緊迫した気になってしまう私を他所に、ピピと呼ばれた女性護衛はからりと笑って立ち上がった。
「分かっておりますよ、エタン殿」
「気に掛けて下さるなら邸の護衛を是非」
「んー、それは…」
笑みを苦笑に変え、ピピさんは小首を傾げるもののピタリとその動きを止め、真顔になる。
今度は彼女が真顔になるとは何事だろうか。
先程から二人の顔を見比べる私の事を忘れているのではあるまいか。
「いや、でもそっか…そうすればお嬢様にも…」
「すみません出過ぎた真似でした忘れて下さい今すぐに」
エタンが息継ぎなしで不穏なピピさんの言葉に被せた。
一体私は何を目指して指導されるのだろうか…。
とりあえずポニーや馬から落ちてもどうにかなる能力を今は教えて下さい。




