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パドマの箱庭  作者: 菌床
10/14

10:五歳児の終わり


 数日後、王家の方々が避暑を終え王都へ戻られるとの報せを受け、両親だけで見送りをした。

それ故に出立時のクロヴィス王子殿下がどのような様子だったのかを私もお兄様方も知らない。

聞きもしなかった。私は聞きたくもない。


ただ、お父様がその日の夜に家族だけの団欒の席で「今年の年末は王都へ出向き、新年祝賀の夜会にギランとギレムを伴い出席する」と零した。

随分と平坦な声音だった。


両親は、お兄様方が学院に入学してから王都の夜会に出席させるつもりだったのだろう。

別に既に彼等は十二歳なので夜会出席自体は問題無いのだが、必然と王都へ伴う幼い私を冬に移動させるのを嫌煙し、ともすれば良い言い訳としてのらりくらりと新年祝賀の夜会を避けていた。


しかし今年は王家が我がストラス領へ避暑に来ただけでなく、王子殿下が邸にご滞在なされた。

本来はそれだけでも祝賀に参加する理由にもなり得るのだが、恥ずべきことに娘が礼を失した行いを見せ不興を買ってしまった。

その謝罪の意も込めて、改めてご挨拶に出向くという流れだ。

というか先方から「出席するのだろう?」と声掛けがあったらしい。

これだから王家は。決定事項のように語るんじゃねーよ。


「では私とリーシャは邸を守りましょう」

「すまないな」

「少しばかり時期が早くなっただけですわ、お任せくださいまし」


お母様は毅然とした姿勢ながらも、隣の夫を励ます様に淑やかに頷いて見せた。

いい嫁だ、かっこいいよお母様。

私もこんな女性に育ちたいところである。理想は高くても良い。


「父上、勿論冬の天候にも依りますが出立は何時頃をお考えですか?」


ギランお兄様の問い掛けに、お父様は少し顔を上向かせ顎を撫で摩る。

ギレムお兄様も何か思うところがあるようで、遠慮がちに口を開いた。


「今年は例年よりも夏が涼しいですから、冬の備蓄についてご懸念がございましょう」

「そうだな…予定より少し早く確保に協力を仰ごうか。

 幸い武術大会も近日に控えておるしな、他家とも話がしやすいだろう」

「お供いたします」


力強くギランお兄様とギレムお兄様が揃ってお父様の言葉に頷いた。

今年からはお兄様達は武術大会準備についても手伝っているので、参加者だけでなく観覧に来る貴族についても把握し目を通しているのだろう。

きっと二人とも、どこの領地に冬の備蓄として何を融通依頼し、掛かる費用や返礼品についてを自分たちの頭の中で組み立てている。

真剣な横顔はそう思えるのに充分だった。


「では私は、矮小な身で恐縮ですが、お母様の手伝いを精一杯致します」

「リーシャが手伝ってくれればとても助かるわ、ありがとう」

「私も一員としてこの席に在る事を許された感謝を」


私のせいで起きた事案だ。

こうして余波を受ける愛しい家族へ、非常に申し訳なく思う気持ちが多大にある。

でもそれをこれ以上謝るのは違う。


反逆した夜にお母様が私に告げてくれた通り、こうして話をしてくれる真摯さや、感情を堪えながらも先を見据えて動き出そうとする強いお父様やお兄様方の心遣いは、全て私への愛情によるものだ。

分かっていつつ、少しばかり卑屈さが出てはしまったが、私は私として、この家の一員としての出来る事を前向きに協力するのが愛情の返し方だと思う。


背筋を伸ばして感謝を伝えよう。

愛してくれて、守ってくれてありがとう。大好きだよ。

だから私も一緒に頑張るから、頼ってね。


そう伝えたい思いを瞳に乗せて、一人ひとりの顔を見れば皆どこか泣きそうな顔をして、微笑む。


「お父様方も!武術大会でお会いする方に是非我が家の夜会のお話もなさってね!

 私、子供部屋ではしっかりと皆さまをおもてなし致しましたのですから!」

「ははは、そうだな…その繋がりも大事にしなければな」

「リーシャが景品で渡した陶器やおもちゃの舟、売れ行き良いらしいしね」

「リーシャが商売、レムが領地経営、俺が武力面を担えばウチは安泰だな」


双子が身を乗り出して妹の言葉に同意すれば、もう先程の張り詰めた空気は霧散する。

軽やかな空気が漂い、団欒らしい賑やかさに変わるのはすぐだ。


「ふふっでは私は社交かしら?」

「俺に任される仕事が無いのだが…」

「私と一緒に社交をすれば宜しいではありませんか」

「本当…もう暫くは、アレをやらなくていいと思っていたのだがなぁ」


お父様は見かけ通りに社交が苦手なご様子だ。

先日の夜会は大変頑張ったのだろう。


遠い目をするお父様を宥め賺しつつ、見守るお母様の優しい表情がとても美しい。

愛おしいね、素敵だね。

苦手なものを嫌だとは言わないけれど態度で甘えてしまう夫も、頼もしい子どもたちも。

お母様が大切にしてきたからこそここにあるんだよ。

大好きだよ、みんな、大好き。



 少しだけ私の中の成人女性がしんみりと、しかし温かな気持ちで満たされた夜を経たものの、翌朝には何事も無かったように元気な五歳児三人が邸を賑やかす。

ああ本当にキミ達が滞在してくれていて良かった!大好き!

オリアーヌやアロイーズを可愛がって慕っているのは私だけじゃなく、他の家族や使用人たちも同じだ。

誰も彼もがにこにこと笑い、時にやらかしたのを叱りながら、満ち足りた時間を過ごす。


準備に勤しんだ武術大会も終われば今度こそ待ちに待った、敷地外の森へのピクニックだ!

本日は素晴らしい晴天!

神様っ祈りを聞き届けてくださりありがとうございます!


いつの間に仕立てたのだろうか、私達三人は色違いで意匠の似た服に身を包んでいた。

自室で着替え終わって顔を合わせた瞬間のお互いの表情ったら無い。

あれ?あれ?とそれぞれの服と顔をきょろきょろと忙しなく見比べたと思った途端、破裂するように揃ってはしゃぎだしてしまった。

嬉しすぎる!これはどなたの案ですか!!最高ですね!

どこからどう見ても我々は兄妹です!三つ子です!!魂がそう叫んでいる!


「あーーー!!お兄様達もっボタンが!」

「お揃い!お揃いだぁ!!」

「嬉しいーーーー!!」


流石に我々の意匠は子供向け過ぎるのでギランお兄様とギレムお兄様は二人で揃えた年相応の衣装だが、細部を飾るボタンや刺繍は私達三人とお揃いである。

もう二人はお揃いなんて着ないのにね!なのに着てくれたの嬉しい!!

御覧くださーい!我々は全員がストラス家の子供でーーす!!!

仲良し家族でーす!素敵でしょー!かっこいいでしょー!可愛いでしょーー!


嘘であってもそう叫び出したくなるほど私は嬉しかった。

森の中でも見失わないように色味の強い服を纏っているで並ぶと目が大変なのだが、それでも見守る両親やお付きの人達は誰もがにこにこと微笑ましいものを見る穏やかな眼をしていた。


「お母様っこの服は辺境伯閣下達にも御見せしなければ!」

「そうね、ご都合を伺っておきましょうね」


私のその発言を受け、当日の帰りにでも別荘によるのかと思ったが、意外にも先方の都合がつかずに我々は真っ直ぐにストラス邸へと帰る事となった。

加え、この衣装に袖を通す次の機会が秋の深まった別れの時だった事を述べておく。



馬車に分かれて乗車し目的地へと向かい、大きな湖の側に降り立てば走り出そうとする私をお父様が、オリアーヌをギランお兄様が捕まえた。

アロイーズだけは良い子にしており、それを褒めるようにギレムお兄様が頭を撫でていた。

それが正解でしたかぁ、と言いたげな女児二人の顔を見てまたみんなが笑う。


「このあたりの水辺は浅いが、近づく時は三人だけではダメだぞ」

「以前来たところですものね!」


今回遊びに来た森は三歳の時に泳いだ場所である。

深さはそうでもないのを知る私はしたり顔でお父様の忠告に頷くのだが、その目線がちょっと呆れているのは何故でしょうか。

今日の御召し物はとてもお気に入りですので泳ぎませんよ!汚したくない!

その気持ちを体現するように、準備が整えられ広げられた厚手の敷物の上にちょんと澄ましてお座りする。


「リーシャ、お腹空いたの?」

「ご飯はまだじゃない?」


何故私が大人しく席に着くとそういう話になるのだ。

小首を傾げるヴュルテンベルク辺境伯の双子天使を見上げて、ちょいちょいと手を拱く。

そうすれば二人はいそいそと靴を脱いで私の両隣りに腰掛ける。

何を言い出すのか期待に満ちた眼差しを向けるオリアーヌと対照的に、アロイーズは何をしでかすのか心配そうな顔をしているのが何とも可笑しい。

まぁ待ちなさい、今日は良いものを持っていているのだ。


私が座ったまま視線を荷馬車へと向ければ、大柄の護衛が「心得ております」とばかりに誇らしげな顔をして一艘の舟を運んで来た。

それを見て、両隣の二人が思わず立ち上がる。


「舟!!あれ!リーシャ!」

「景品で渡していたものねっ!それにしても大きいわ!」


そう、先日の夜会中、子供部屋でゲームをした際に私が景品にした木製の小舟だ。

「舟」と言っても人は乗れないが、大人でも片手で持つには大きいくらいのものを用意させた。

景品が大きくてすみませんでしたよ、他家従者の皆さん。


地元の裕福な子どもは大体持っている湖に浮かべて遊ぶ小舟は、元々置物として生まれたらしく中々造り込まれており、工房により違いのある彫刻も味が合って見事なものなのだ。

凝ったものでは帆を張られて風で動くようにもなっているし、私は人形を乗せて浮かべたりもする。

手を離した後に「転覆したらどうしよう」と気付き早々に引き戻したが。


さてこのおもちゃの舟だが、私が手洗いから戻ってきてから行った背中伝言ゲームの景品となった。

六、七人の男女別で複数の列を作り、最後尾の一人だけにお題を教え、仲間の背中で伝言して一番早い組が景品を貰えるようにした。

勝利回数により品物は違ったのだが、その中で一番良い品物がこの舟だった。


男子優勝チームへの羨望の眼差しは大変熱かった。

なんだって、義理で参加してくれた王子殿下すら欲しそうにしていたのだ。

私が工房にお願いする時に「船首へ強そうなドラゴンを付けてください!」とお願いしたからな、幼い男の子の心には物凄く響いたようで何より。


女の子の優勝チームに贈呈した小舟はもっと淑やかで品がある、ゴンドラのような形だ。

人形を乗せたり花や布で飾りたくなるだろうね、私もやりたい。

でも転覆の恐れがあるからお気に入りは乗せないようにね。

湖は深いところはめちゃくちゃ深いから。沈んでいる倒木が小さく見えるよ。


「どうして教えてくれなかったの?!そしたら人形持ってきたのに!」

「ひっくり返っちゃったら大変だよ、オーリ」

「リーシャはもう引っくり返したの?」

「寸前で気付いて下ろしたの!」


風が穏やかと謂えど自然の中だ、何が起きるか分からない。

周囲に護衛も居るし賑やかにしているので野生動物も近づかないのだが、茂みから天使が顔を覗かせてくることはあるので、この森は。


どこか厳かに護衛が一抱えもある舟を敷物の端に置けば我々はすぐに近寄り観察を始める。

船首にドラゴンとそれに跨る男性の雄姿が取り付けられていた。

顔立ちがちょっとギランお兄様に似ているのは、妹の欲目かな。


まだ真新しいのは、景品を購入するために工房へ訪れた際に依頼し、今年新調したばかりの舟だからだ。

まだ艶やかな薬剤の輝きが残る見事な造りを五歳児達だけでなく大人達も目を輝かせて見ていた。


「凄いな、これは」

「応接間に飾っておいても遜色なさそうだね」

「見事な品をありがとう、とご家族に伝えて欲しい」


ギランお兄様が持ってきてくれた護衛にそう声を掛ける。

大柄な熊のような彼は、嬉しそうに礼をして見せた。

どうやら彼はこの工房の家筋なのだろう。


「私の予想以上の素敵な品物をありがとう!

 職人さんたちには忙しくさせてしまいましたけど、お元気かしら?」

「ええ、もうそれはそれは楽しく仕事させて頂いておりますよ。

 皆さまにお喜び頂いたお姿が、我々には何よりのやりがいと力になるのです」


なんて良い人だ、優しい熊さんだ。

更にこちらを幸せにしてくれるなんて出来た息子さんだなぁ!


彼の人柄も大いにあり、水面に舟を浮かべたり運ぶ仕事を専任してしまった。

おもちゃの舟の扱いも慣れているようだし、何なら手入れや修理のためにと道具も持ってきていたと聞いた時には「しごできか!」と口にしたくなった程だ。


あー嬉しいなぁ。嬉しい!

私の我儘が発端なのに、こうして多くの人が善意で協力してくれてる。

端々から「楽しんでくれたらな」「喜んでくれたら嬉しいな」って気持ちが溢れているのが分かる。

この優しい世界を本当に私は愛して止まない。

寧ろ前世で大人になってからは、これほど人の温かみや優しさに浸れる時間はずっと少なかったのではないだろうか。

成人意識を持っているからこそ有難みが沁みる。


私も早く大きくなって、大好きな家族や、大切な領地の為に力になりたいな。

みんながこうして毎日幸せや温かい気持ちを抱いて過ごせるように、頑張りたい。

きっとこうやってお兄様方も立派になったのだろうな、という思いが募り見上げれば、目が合った二人は「どうした?」と言わんばかりに目を瞬かせていた。

舟に気を取られていたのか、十二歳にもなるのに。かわいいである。


私はただにっこり笑ってから、風で揺れ動く舟と並走して走る双子を追いかけた。

三人で走り出せば、いつの間にかただの追いかけっこになってしまい、ポツンと放置された舟を寂しそうに熊さんが見ていた。

ごめんよ、ごめんて。舟は大事に大事にさせて頂きますから。


大所帯で賑やかに過ごすピクニックは予想通りにとても楽しくて、幸せで、良い思い出となった。

外の昼寝も乙なものである。また是非やりたい。

前世の北欧スポーツであったような、立てた木片を遠くから投げた木片で倒す遊びもした。

材料はその場で調達した。これぞ森の遊び。


「真ん中を倒す!」と狙いを定めればその通りに百発百中、私は倒せた。

だが毎回一つしか倒せない!何故!

アロイーズとかボウリングの如く大量になぎ倒すのに!

何故!私は毎回!一本だけなのだ!確実に倒すけれど!!

情けで私だけ手持ちの木片を大きいものにギレムお兄様が変えてくれたけど結果は同じだった。


遊び疲れた帰りの馬車から降ろされた記憶は無い。

でも念願のピクニックが出来た記憶があるので全く問題ではない!

翌朝には「次はいつ?明日?」と打診してしまうくらいには満喫したし、邸で双子と遊んでいる間にそんな発言をした事すら私は忘れてしまった。

そんなもんだ、五歳児だし。



湿度の低いさらりとした涼風が、ひやりと身を竦める冷たさを伴い様相を変えた頃、再びの別れの時が私達の元を訪れた。

だが身を包む揃いの衣装に、寒くないように加えられたこれもまた揃いの羽織があれば心強い。

毎年こうやってお揃い増やして行こうな!!形の無い思い出も!形ある物でもな!

我々の魂が三つ子である事を世に知らしめていかなければならない!!


「また帰りの道中で手紙を書くわ!」

「うんっ!楽しみにしてる!」

「今度はお土産も添えるよ!」

「ありがとう!」


オリアーヌもアロイーズも私も、涙目ではあるが笑顔を浮かべて我慢し、挨拶を交わす。

一年で随分我々は逞しくなったものであろう?保護者達よ。

子どもの成長は早いのだ、どうぞ噛み締めて下さい。

ただ最後に馬車を追いかけて大きく手を振ってしまうのは見逃して下さい。

うわーーーー寂しいよぉ!寂しいよぉ!来年ねっ早くねっ来てねっ!!


今年も寂しさが寒さを囃し立てるように身に染みる。

しかも年末はお兄様方が領地を離れて王都へ向かってしまう。お父様もだ。

王都へ同伴するのは双子のどちらか一方だけでも良いとも思うのだろうが、双子だからこそ扱いの差を周囲に見せたくないであろう。


恐らく領主として立つのはギランお兄様だ。

ギレムお兄様も明言こそしていないがそのつもりのように立ち振る舞っている。

で、あるとしてもどちらも愛おしい我が子であり誇れる子息なのである。

この辺りはもしかして夏の夜会で、下手な横やりを入れられたのかもしれない。

どっちも優秀だしね、欲しがるところは多いだろうな。

やらんが。私のお兄様達だ。


ただ、二人が揃ってお父様と王都に向かうとなると、ヤツを増長させるのではと私は危惧している。

なので、「新年祝賀が終わったらすぐに帰って来て下さいね!お土産もいりません!じゃないと私が寂しくて寂しくてお母様と一緒に目を溶かしてしまうかもしれません!」と必死に脅した。

そのあたりはお兄様方も抜かりなく言い訳をちゃんと用意しているようで、「必ずすぐに帰ってくるよ」と快い返事を頂いた。


本当あの王子殿下いけ好かない。

普通、王子殿下なんて貴族子女だけでなく街娘すらも魅了するような憧れの御方じゃないのかよ。

アイツこそ難アリ問題児なんだからヒロインに攻略されて性格是正されろ。

我々の関係無いところでどうぞお幸せになってくださーい。



などと一人内心で考えた事すら忘れたとある日の事だ。

数日前に出立したお兄様達は今頃どの辺りかなぁと思い馳せながら、今日も今日とてお父様の執務室に飾られた王国の地図を眺めていた昼下がり。


「―――?」


少しずつ大きくなりやがて消えた、低い地鳴りのような音に気付いた私は窓へ視線を向けた。

控える家令やマノンも一緒に窓の外を不思議そうな面持ちで眺めていたが、何かを見つけるとすっとその眼差しを険しくさせた。


「マノン?」

「…リーシャお嬢様、御覧頂けるように抱えますね」

「うん」


リーシャが私を抱えあげ、視線を高くしてくれる。

邸の二階にあるお父様の執務室といえど、雪に微睡む街並みや雄大な森を見渡せる高さはある。

見慣れた冬の景色だ。


毎年、冬にお父様の執務室へ遊びに来ればこうして抱えてもらい、どの家が見える、あの辺りは少し色味を変えないと雪の中じゃ見えないだろうなぁと街の構想について話をしていた。

そこそこな降雪量を誇るこの北部領は、冬の雪に家が埋もれて分からなくならないように外壁を色鮮やかに塗っているので、こうして高台から見るととても見ごたえがある。

夏でも華やかで素晴らしいのだが、特に雪の中に点々と浮かぶ可愛らしい街並みが、夜に漏れる灯りや明るい月の光に照らし出される姿は幻想的ですらある。


まだ灯りの要らない時間帯の街を眺めていた私の視線を促すよう、マノンが領の背である山脈を指さす。

その中程から濛々と白い湯気が立ち昇っていた。

いや、遠目から湯気のように見える程の勢いで山肌の雪が吹き上がっていたのだ。


「雪崩?!」

「そのようですね。お嬢様、一度部屋に戻りましょう」

「うん…」


この邸からは離れた場所だが、あの雪崩が起きた地域は貴族の別荘地に程近い。

私達が退出した執務室の扉を無言で施錠する家令もそれは理解しているようで、私を部屋まで案内するように廊下で待機していた護衛に声を掛けると素早くその場を後にした。

恐らく、お母様の元に向かったのだろう。


「何かあったのですか?」

「貴族の別荘街付近の山肌で大規模な雪崩が起きたようです」

「な…!」


早足で歩くマノンの言葉に、私に付いた護衛達が言葉を無くす。

いち早く衝撃から立ち直ったのはエタンだった。


「お嬢様を送り届けた以後、護衛は俺が終日専任する。

 お前達は護衛長の元に報告をし、指示を仰げ」


交代を辞退し、緊急時の人出として動けるように他へ指示を素早く出す。

そうしているうちに私は自室へ辿り着き、抱えられたままだったマノンの腕からソファーへと下ろされた。


「マノン、エタンにも入ってもらって」

「ですが…」

「交代なしに護衛してもらうのだから、廊下は冷えるわ。

 それに長時間気を張っているのは疲れてしまうもの」

「…私の方からも、お嬢様のお心遣いに感謝を」


そう一礼し、素早くマノンは廊下で扉を守るエタンに声を掛け、温かい部屋へ招き入れた。

簡潔に私の意を聞いたのだろう彼は深く頭を下げ、室内に入ってくれたものの扉の前から動こうとはしない。

真面目か。


「エタン、貴方が疲れてしまったら私とマノンを誰が守ってくれるの?」


こんな非常時に突撃してくる賊などいないだろうが、だからこそだ。

平常心を失い、緊張状態を長く抱き続ければ続ける程大事な場面で失敗をする。

立ち上がり駆け寄っては少し冷えたエタンの手を引いて、ソファーに連れてきて座らせる。

マノンにも同じようにしようとしたら、彼女は微笑んでお茶の準備をし始めた。

こういう時は女の方が強い、とはよく言ったものだ。


座ったエタンの手をぽんぽんと叩いた私は、今度は自分の机に向かいすぐに筆を握った。


「お嬢様?」

「情報が集まれば私の元にも何かしら声掛けで人が来る筈。

 その時に私の予算を全て使うようにお母様への言付けを託します」


異常時に敢えて言わなくても使ってくれれば良いのだが、他に割り当てられる予算があればそれを削って対処に回すのであろうことは眼に見えた。


今、悔しいが我がストラス伯爵家には頼れる男性家族が誰も居ない。

大きな予算をお母様の権限で動かす事も出来なくはないが、普段から領地経営に口を出さない彼女がお父様程財政を把握しているとは正直言い難い。

そのため、恐らく己の身銭を切るのだろう。

そう、お母様に割り当てられた予算だ。

一貴族の夫人なのだから、それなりの額はあるのだろうけれど念には念だ。

娘の私も協力する姿勢をすぐに見せ、多少なりとも額を嵩増した方が気分は違うだろう。


さっと記した書面を仕上げれば、マノンのお茶が入ったようだ。

書面のインクが乾くのを待つ間にほっこりと心を和ませてくれる温もりに一息つく。


「二人の家族や親族は、別荘地辺りには?」

「私はおりませんが…」

「俺は…冬季の警備職についてる親族が居ます」


エタンの面持ちが心配で強張る。

本当は話を聞いた瞬間に飛び出して確認しに行きたかったであろうに。

それでもこうして、己のすべき事を選び取り、尽くしてくれる強い人だ。

隣のマノンが歯痒そうにその横顔を見つめていた。


「マノン、手を握ってあげて」

「え?」

「私は対面に座っているし、五歳児じゃテーブル越しも届きません」


ツンと澄ましてそう言えば、彼女はぱちりと眼を瞬かせた後に優しい顔を私に見せ、そっとエタンの手に己の白い手を重ねた。

そうすれば彼も、その手をゆっくりと握り返した。


不安を、辛い思いをさせるのを、一人でさせない為に室内に招き入れたのだ。

誰かと分け合え支えられるのなら迷わずそうするべきだ。

だがいちゃいちゃはするなよ、五歳児の前だからな。


私も心を落ち着ける為に何かしよう。

そう思い立ってオリアーヌとアロイーズがくれた手紙を読み返してどれ程経った頃だろうか。


部屋に訪れた家令から、雪崩被害の把握と対応の為、今夜から暫くお母様は忙しくなる旨を言い渡された。

当たり前だが食事も一緒に摂れないし、寝物語なども無くなる。

寂しいが仕方ない事だ。


「わざわざ伝えてくれてありがとう、分かったわ。

 どうかお母様やみんなが頑張り過ぎて寝食を忘れないように、家令がちゃんと見張ってね?」

「…はい」

「あと予算は必要でしょうから、私のものも使って。その旨を記してあるからこれをお母様に」

「お嬢様…」


噛み締めるような声音に喝を注ぐよう、音を立てて数度家令の腕を叩いた。

お父様不在での非常時だからって気弱になり過ぎよ。


「起きた問題は解決して片付ければ良いだけ、簡単でしょう?いつもの事よ。

 きっとお母様も分かっていらっしゃるわ」


けらりと私が笑えば、妙齢の家令も少し眉間を解き微笑んで頷いた。

彼の退室を見送った後の大人二人の感極まった顔がなんだか面映ゆくありつつも、大袈裟だなと思ってしまい、私の顔に浮かんだのは苦笑だった。


さて、私はまた晴天の神様にお祈りをする仕事でもしようか。




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