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終焉から

 


 ◇


「あははは!」

 僕は笑っていた。今までないくらい高らかに。

「おい将吾、そんなに自分の死を見て楽しいか?」

「楽しいさ。僕より酷い死に方してたじゃあないか」

 よりによって、息子に殺されたことが最大の不幸だろう。

 あの時に僕の忠告を聞いていれば、こんなことにはならなかった筈だ。

 あんな年で子どもを産むのが間違いだったのだ。

 今頃は、僕の言葉を無視し、挙げ句の果てに殺したことを後悔しているはずだ。

「そうか?俺から見れば、お前の方が酷い死に様だったように見えるけどな」

 男はよく分からないことを(のたま)う。

 僕は楽に死を迎えた。───めぐみの愛を受けながら。

「お前は本当に分かっていないな。お前は妻に少しは愛されながら死んでいったかもしれない。

 でもな、めぐみに憎まれていた事だって事実なんだぞ」

「そんなこと分かっているさ」

「分かってないじゃないか。幸せなんて、人それぞれで感じ方は変わるものだ。でもな、誰でも分かるよ。お前の死に方はどんな死に方よりも悲惨だって」

 顔が熱くなるのがわかる。

 もし今僕にこの男を殴れるだけの力があれば、殴殺していたかもしれない。

「お前は俺の何を知っている」

「お前は、俺だ」

 男はにやりとして言った。

 そうだった。

 こいつは、僕だ。死後の世界の僕。

「何もかもお見通しなんだよ」

「くそ!」

「そう感情的になるなって。───俺は、お前の妻の死に方を羨ましく思うよ」

「───は?」

 何を言っているんだこいつは。

 実の息子に殺されるのが羨ましい?

 どうやったらそういう思考に辿り着くのだろう。

「言っている意味が俺にはさっぱりだ。お前は本当に俺なのか?」

「まだ言うのか。勿論お前だよ」

 当然のように彼は言葉を放つ。彼は続けて口を開いた。

「お前の妻、めぐみは幸せな死に方をしていたよ。殺意のある殺しは大体、刃物で行われるんだ。薫は最初、刃物を持っていただろう?」

「───それがどうした」

「薫は最終的に、めぐみに死に方を選ばせたんだ。普通、殺したかったらそのまま刃を振るうだろう。でもそれはしなかった」

 いくら考えても、この男が言いたい事が理解できない。この男は狂っている。いや、僕が狂っているのかもしれない。

「薫にとって、彼女は憎くてもやっぱり母親だったんだよ。肉親の情ってやつかな。彼女の意思に沿って殺しを行ったんだ。幸せじゃねぇか。無惨に切り刻まれたお前と違って」




 ◇


 僕───成宮薫は、自分がいる世界に動揺を隠すことができないでいた。

 自分の姿は無く、人魂であること。

 周りが、過去に自分が愛したあの風景だということ。

 死んだ後に、あの時の景色をもう一度見ることができるとは思わなかった。

 こんなに簡単に来れるのだと知っていたら、もっと早くに命を絶っていただろう。

 青白く光る発光体として宙を漂っていると、小さな小屋を見つけた。

 招かれるままに入ると、不思議なことに僕はきちんと人間の形を取り戻していた。

「成宮薫、ここに来るんだ」

 ひどく篭った声がした。

 どうやら階段の上から声は聞こえるらしい。

 迷わずに階段を上りきると、そこには醜く膨らんだ僕自身の姿があった。

「誰?」

「───君自身だよ、薫」

 風船のような水死体は、奇妙な笑顔で僕を迎えた。



 ◇



「聞いているのか?」

 微笑みながらあの時を思い出す私に、彼女───死後の私が問いかける。異様に真剣な目だ。

「何?」

 どうしても笑顔なしではいられない。自然と頬が緩んでしまう。

「お前の使命はこれで終わった。もうお前は生まれかわることもないよ」

  彼女の言葉は耳を通り抜けていった。それほどまでに私は、幸せな気持ちで満たされているのだと実感する。

「おい」

「なぁに?」

「───お前は殺されたんだよ、息子に」

「分かっているわ。だからここにいるんでしょう?」

 素敵な気分を害され、少し不機嫌になる。

「息子に殺された気分はどうだい?」

「生きていた中で、一番幸せな経験だったわ。将吾も、私に殺されたときは同じように幸せだったのかしら」

「都合のいい女だねぇ。自分自身だとは思えない」

「だって薫、私に死に方を選ばせてくれたのよ?彼は結局、私のことを愛していたから、すぐに殺すことができなかったのよ。───ああ、はやくここで薫に会いたいわ」

 意気揚々と語る私を蔑むように見つめる女。

「お前の考えることは私には理解できないな」

「分からなくてもいいわ。彼と私だけの問題なのだから」

 自分で言った言葉を反芻し、また笑みがこぼれる。

 愛する息子の腕で殺された私は、なんて幸せな母なのだろう。

「そうか。それならいいが。───ああ、言い忘れてたことがある」

 女は表情を変えず、そう言った。

「なぁに?」

 勿体ぶらないで早く教えて欲しいと、彼女に言った。

 息子のことなら、何でも知りたい。それが母というものだ。

「───薫は死んだよ。もうここにいる。でも、お前の顔は見たくないそうだ」

 女ははっきりとそう言葉を放った。




 ◇



「あーあ。もうみんな死んだのね」

 私はそう呟き、腰掛けていた椅子から立ち上がった。もう深夜の二時を回っている。そろそろ眠らないと怒られてしまうだろう。

 ベッドに備え付けのテーブルに置かれた、小さな電灯のスイッチを切り、静寂な闇が訪れる。

 今日はとても楽しかった。

 これほど長く世界に浸っていられたのは久しぶりだ。


 明日はどんな一日目になるのだろう。

 出来るだけ残虐なものがよい。現実味のないものほどよい。

 頭の中で生活している私や将吾や薫が生き生きと踊っている。

 ───嗚呼、何て非現実なのだろう。

 現実を見据えることが出来ない私は、どちらが本物の私なのかが分からないのだ。

 いや、痛いほど分かっている。ただ目を伏せているだけなのだ。

 妄想の中では私は美しい容姿で、美しい容姿の男性と運命的な出会いを果たし結ばれ、美しい子どもを産む。

 幸せを壊してしまうのは、現実との差異に己が耐えられないからだ。


 私───椎名めぐみは、子どもをこの世に授かることもなく旦那に先立たれたという現実から、いつまでも目を背ける事しかできないのだ。

 どこからが真実でどこからが偽りなのかは、曖昧にすればするほど自分を守る盾になる。

 しかし積み重ね過ぎた嘘という泥の壁は突発的に崩れてしまうことを忘れてはならないのだろう。

 そんなことは解っている。

 それでも、嘘を付くことを辞めることはできない。事実を理解したところでどうもなりはしないことも解っているから。


 私の父である椎名優貴は、私が6際の時に肺癌で死んだ。母は私を出産した際に亡くなっている。

 両親に先立たれた私は、親の愛情を余り受けることなく孤児院に入れられた。

 12の秋、面白くも何ともない生活についに飽き飽きし、外を散歩していたときに偶然出会ったのが成宮将吾だ。

 彼と喋っていると時間を忘れられた。つまらないことも嫌なことも総て。

 私は18になり、施設から出て彼と結婚した。

 幸せだった。この頃が人生で一番輝いていただろう。

 それなのに、たった2年で幸せは崩れ去った。

 彼の死によって呆気なく。

 不幸な交通事故だった。

 彼をトラックで引いて逃げた犯人は、未だに見つかってすらいない。

 勿論私は、その犯人を憎み、呪った。頭の中で何千回と殺した。

 しかしそんなことをしても、彼が戻ってくるわけでもないことを痛感した。

 その時には()しくも、私のお腹の中には小さな命が宿っていた。

 過去に彼と話をしていた。子どもが生まれたら、男なら薫、女なら麻里と名付けようと。


 父親のいない子どもを生み育てる決意をした矢先、私は流産した。

 買い物の帰りに階段から落ちて破水し、そのまま子どもも死んでしまった。

 その日から、私は人生について考えることをやめてしまった。

 少しの希望を見つけたとて、それらはすぐに奪われてしまうのだから。

 得られた幸せの数よりも、失った幸せの方が圧倒的に多かった。

 気付けば私は、病院が自分の居場所になった。日に日に処方される薬の量は増え、強さも増した。

 そうして、誰とも会話をすることもなく床に伏せる日々が続いた。

 他人とは話してもこの痛みを理解できる人間はいない。過去に世話になった看護師も、ただ中途半端な偽善で、同情しようとするだけだったから。


 最後に孤独だけが残った。

 孤独と毎日向き合っていると、それすらも慣れ、段々と心地よいものになっていった。

 私を拒まず、全てを受け入れてくれるのだから。

 慣れというのは怖いもので、他人との関わりをも蝕んでいった。

 恩人の成宮聖医師との会話も嫌になり、同じ言葉しか放たない看護師も邪魔な存在になった。

 部屋の鍵を閉め、自ら孤独を選んだ。


 薬の摂取を辞めた途端に、体調が良くなった。薬の副作用に今まで縛られていたのだ。

 自分はもう病気から回復したのだと信じて疑わなかった。

 実際は、鬱が他の方面へ向けられただけなのだろう。考え事が多くなった。

 その日から、私は毎日夢を見るようになった。夢の中では、幸せな日々が永遠に続いていた。

 夢を見ながら死ねたらいいのに、と思うことも多々あった。

 目覚めたら絶望し、目を瞑れば幸福を得ることが出来たのだから。


 絶望は人間を成長させる。

 妄想をすることが趣味になった。

 幸せな日常をもう一度味わいたいが為に。

 己の生を感じたいが為に。

 そして、非現実に逃げたせいなのか、幸せというものが分からなくなっていった。

 いつからか、幸せを得るためではなく、刺激を求めるようになった。

 気付いた時には、殺人さえ厭わない主人公───私自身が生まれた。


 鏡を覗いても醜い皮膚に醜いパーツが埋め込まれただけの泥人形しか映らない。

 五十四という年齢に削ぐわぬ容姿。老いぼれ毛も抜け、皺や染みに彩られたそんな現実は、誰が素直に受け入れられるだろうか。

 非現実の世界だからこそ、私の理想を見出し、実現することができる。

 ───私は若く美しい。しなやかな黒髪、切れ長の瞳、そして陶器のような白い肌。

 非現実が現実に変わることだってあるかもしれない。だから私はこれからも命続く限り、壁に囲まれた殺風景の白い牢獄の中で、幸せで悲惨な物語を紡ぎ出していくのだろう。

 そう、この命が尽きるまで。



 了


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