第五章 ナマエハ
一段。また一段。
階段を下り続けていた。
足元は暗く、どこまで続いているのか分からない。
私は少女の手を右手に握る。左手は手すりを握りしめ降りる。冷たい。
「ねえ」
前を歩く少女に声をかけた。
「この階段、どこにつながっているの?」
「知らない」
「本当に?」
「うん」
少女は振り返らなかった。
「でも、下に行けば分かると思う」
「何が?」
「あなたが、ここに来た理由」
その言葉に、私は足を止めた。
「……私、ここに来たことがあるの?」
少女も立ち止まった。
しばらく、何も答えなかった。
やがて、彼女は小さく言った。
「あなたは、そう思っているんでしょう?」
「質問に答えて」
「ごめんね」
少女はまた歩き始めた。
階段を下りきると、小さな踊り場があった。
正面には鉄製の扉が2枚あった。
扉には、古い木の板が取り付けられていた。
右の扉には『確認室』
左の扉には『記憶室』
さっきまで全てを知っているかのように澄んだ目をしていた少女。
見せたことのない自然に出ていた驚いた表情。
私は何故か危機感を覚えた。
「これ、どういう意味なんだろうね。」
私が少女に聞いた。
「し、知らない。なんで。何か違う。」
そう返す。
『記憶室』の扉から音がした。
コン。 コン。 コン。
ノックが三回。
続いて、低い機械音が響く。
ウゥゥゥン……。
扉の上に取り付けられていた小さなランプが、私たちに選択を急かすように赤く点灯した。
私たちは『確認室』の扉を開け中に入った。
中は何も見えないくらい暗い。
「ねぇ。いる?」
少女の名前を知らない私はそう叫び少女の声が返ってくるのを待つ。
その直後、明かりがついた。
横には少女が立っていた。
「いるなら返事してよ!」
私は冷や汗をかきながら少女に言った。
だが、少女は無反応。言葉も返さない。
ただ、ずっと何か納得をしていない顔をしている。
壁のスピーカーから声が流れた。
『確認を開始します』
『確認対象、二名』
声は、感情のない機械音声だった。
『一名、確認済み』
『一名、未確認』
少女が、私の手を強く握った。
『未確認対象の名前を入力してください』
私は息を呑んだ。名前。
私の名前を、入力しろというのだろうか。
けれど、私は自分の名前を知らない。
思い出せない。
『入力してください』
機械音声が繰り返した。
『入力してください』
『入力してください』
その声が、少しずつ変化していく。
機械の声に、別の声が重なった。
女の声。子どもの声。男の声。
そして最後に、私の声になった。
『名前を、教えて』
私は耳を塞いだ。
「やめて……」
『あなたの名前は?』
「知らない!」
声が、壁に反響した。
『あなたの名前は?』
「知らないって言ってるでしょう!」
『あなたの名前は?』
私は少女の手を握り。前に走り出した。
走っても、走っても景色が変わらない。
『あなたの名前は?』
『あなたの名前は?』
ずっと聞こえる。
走りながら私は叫ぶ。
「お願い!もうやめて!わからないの!」
その瞬間、機械が止まった。
静寂が戻る。
少女が、私の手を離した。
私はとっさに言葉が漏れた。
「……ごめんね」
「どうして謝るの?」
「痛かったよね。」
私は少女の目線に顔を合わせ肩を軽くつかんだ。
「ねえ。あなたは、私のことを知っているの?」
少女の目が揺れた。
「……うん」
初めてだった。
私の質問にはっきりと答えたのは。
「じゃあ、教えて。私の名前は?」
少女は口を開いた。けれど、声が出なかった。
何かに言葉を塞がれたように、唇だけが動いている。
やがて少女は、苦しそうに首を振った。
「……言えない」
「どうして?」
少女は涙ながらに言った。
「わからない」
私は背を向けた。
もう何も聞けなかった。
少し歩いたところに鉄扉があった。
扉は半開きになっていた。
私は少女と顔を見合わせた。
「……行くの?」
少女が尋ねた。
私は頷いた。
「ここまで来たんだから」
少女は少しだけ目を伏せた。
「分かった」
私たちは、ゆっくりと扉へ近づいた。
扉の隙間から中を覗いた。
そこには、これまでとは別の場所が広がっていた。




