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siesta  作者: 月美カノン
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第四章 出席者

目を覚ました時は、目の前に少女が居た。

少女が私の手を引いた。


「行くよ」


何処かで見たことのある景色。

そう、さっきの出来事が起こる少し前に戻っていた気がした。

ただ一つ違うのは廊下に少女の声しか響き渡っていなかった。


「でも……」


「お願い」


その声は、震えていた。

私は初めて、少女が怖がっていることに気づいた。

何を恐れているのかは分からない。

ただ、疑問だけが残った。


さっきの光景はなんだったのか。

私たちは歩き出した。

扉が勢いよく閉まった音が廊下に響き渡った。


バタン。


まるで扉に怒りをぶつけたように。

その音が、やけに大きく響いた。


廊下の突き当たりに、職員室があった。

扉の上には、黒い文字で「職員室」と書かれたプレートが掲げられている。

少女はその前で立ち止まった。


「ここなら、何か分かるかもしれない」


「何が?」


「あなたのこと」


私は少女を見た。


「あなた、私のことを知ってるんじゃないの?」


「知ってることもあるよ」


「何を?」


少女は扉を見た。


「ここに来ること」


それだけ言って、扉を開けた。

職員室の中は、ひどく荒れていた。

机の上には書類が散乱し、棚の扉は開いたままになっている。床には紙が落ち、壁際には古いロッカーが並んでいた。

窓には板が打ち付けられ、外の光はほとんど入ってこない。

私は入口の近くにある机に目を向けた。

名札が置かれていた。


『教頭』


文字は薄れていたが、かろうじて読めた。

その横には、古い出席簿が積み重ねられていた。

私は一冊を手に取った。

表紙には年度が記されていた。


平成。その後の数字は、擦れて読めなかった。

ページを開く。

生徒の名前が、クラスごとに並んでいた。

一人ひとりの名前の横に、出席を示す印がついている。

最初は、普通の出席簿だった。

しかし、数ページめくったところで、妙なことに気づいた。

ある生徒の欄だけ、毎日欠席の印がついている。

それなのに、備考欄には同じ言葉が繰り返し書かれていた。


『登校確認済み』


『登校確認済み』


『登校確認済み』


欠席しているのに、登校している。

日付を確認した。


一日目。欠席。登校確認済み。

二日目。欠席。登校確認済み。

三日目。欠席。登校確認済み。


その先も、同じだった。

私はページをめくった。

次の月も、その次の月も。

記録は続いていた。

途中から、筆跡が変わっていた。

『登校確認済み』という文字だけが、異様に濃い。

紙に跡が残るほど強く書かれている。

私はページを閉じた。

別の生徒の欄には、名前がなかった。

名前があったはずの部分だけ、紙が切り取られている。

その生徒の欄には、出席の印だけが残っていた。


毎日。毎日。毎日。

卒業の日付まで、ずっと。


「……何なの、これ」


ため息交じりの言葉をこぼす。

少女は、私の手元を見ていた。


「知ってる?」


尋ねると、少女は首を横に振った。


「知らない」


「でも、ここは学校なんでしょう?」


「そうだよ」


「だったら、何で……」


「知らないよ」


少女は繰り返した。

その声には、怒りも、悲しみもなかった。

ただ、ひどく疲れているように聞こえた。

私は出席簿を机に置いた。


机の上に、もう一冊のファイルがあった。

表紙には、黒いペンで文字が書かれていた。

『地下施設 立入記録』

私はその文字を見た瞬間、胸の奥がざわついた。


「先生」頭の奥で、声がした。

私はファイルを開いた。

中には、数枚の紙が綴じられていた。

日付はばらばらだった。


『地下階段付近にて異常音を確認』


『複数名の声を確認。音源不明』


『現場に血痕あり』


『関係者への聞き取りを実施』


その下には、細かな記録が続いていた。

しかし、どれも途中で途切れている。

文章の最後が不自然に切れていたり、ページの一部が破られていたりする。

あるページには、こう書かれていた。


『同一人物と思われる声を複数箇所で確認。声の内容は一致せず』


その次のページ。


『記録者本人の声を確認』


さらに次のページ。


『扉の向こうから返答あり。開閉の事実なし』


私はページをめくる手を止めた。


「……ねえ」


私は少女に声をかけた。


「この地下施設って何?」


少女はファイルを見つめていた。


「知らない」


「本当に?」


「うん」


「じゃあ、どうして私がここに来ることを知ってたの?」

少女は黙った。

その沈黙が、答えよりも怖かった。

私は最後のページを開いた。

そこには、短い文章が手書きで残されていた。


『記録を残すな』


その下に、別の筆跡で書き足されている。


『先生が来る』


私は紙を握りしめた。


「……先生って、誰?」


少女は答えなかった。

職員室の奥を見つめていた。


「どうしたの?」


「誰かいる」


私は振り返った。

職員室の奥には、ロッカーが並んでいる。

その間に、細い通路があった。

暗くて、先が見えない。

そこから、かすかな音が聞こえていた。


すう。はあ。すう。はあ。


私は息を止めた。

音も止まった。


数秒後。また聞こえた。


すう。はあ。


今度は、私が息を吸うのと同時に、向こうも息を吸った。

私が息を吐くと、向こうも吐いた。

まるで、私の呼吸を真似しているようだった。

私はゆっくりと後ずさった。

足が、床に落ちていた紙を踏んだ。

かさり。


その音に反応するように、ロッカーの奥で何かが動いた。


ガタン。


少女が私の手を握った。


「行こう」


私は頷いた。

ファイルを持ち、職員室を出ようとした。

そのときだった。

廊下の向こうから、足音が聞こえた。


コツ。コツ。コツ。


革靴の音だった。

廊下の奥に、男が立っていた。


黒いスーツ。片手に封筒。

見覚えのある姿だった。


「……黒瀬さん?」


男はゆっくりとこちらに歩いてきた。

病室で会ったときと同じ顔。

同じ服装。同じ、感情の読めない目。


「無事だったか」


黒瀬は言った。


「何で、あなたがここにいるんですか!」


私の声が廊下に響いた。


「ここは何なんですか? 病院は? 私がいた部屋はどこに行ったんですか?」


黒瀬は答えなかった。


「私は三日前まで、どこにいたんですか? 何で記憶がないんですか? あなたは本当に警察なんですか?」


黒瀬は、私の手にあるファイルを見た。


「それを見たのか」


「質問に答えてください」


「……そうか」


黒瀬は小さく息を吐いた。

そして、私の隣にいる少女を見た。

その瞬間、彼の表情が変わった。

ほんの一瞬だった。

けれど、確かに変わった。

驚き。いや、それだけではない。

恐怖に近い何か。

黒瀬は少女を見つめたまま、低い声で言った。


「……お前まで連れてきたのか」


少女は何も答えなかった。

ただ、黒瀬を見返していた。


「知り合いなんですか?」


私が尋ねても、二人は答えなかった。

黒瀬は封筒を握り直した。


「ここから先へ行くな」


「どうして?」


「危険だからだ」


「何が危険なんですか?」


「お前には、まだ早い」


私は歯を食いしばった。


「またそれですか。みんな、私には何も教えてくれない」


黒瀬は目を細めた。


「知らないほうがいいこともある」


「じゃあ、私は何を知っているんですか?」


その問いに、黒瀬は黙った。

沈黙が続いた。

やがて、彼は私から目を逸らし、廊下の奥を見た。


「……もう始まっている」


「何が?」


黒瀬は答えなかった。

代わりに、少女をもう一度見た。

その目には、先ほどとは違う色があった。

責めるようなあるいは、何かを諦めたような。

私には判断できなかった。


「待って!」


私は追いかけようとした。

しかし、黒瀬は振り返らなかった。

廊下の角を曲がる。

その姿が見えなくなる。

私も角を曲がった。

誰もいなかった

廊下はまっすぐ続いている。

左右に教室の扉が並んでいるだけ。

階段も、出口もない。

黒瀬が隠れられる場所は、どこにもなかった。


「……消えた?」


背後から少女の声がした。


「だから、言ったのに」


私は振り返った。


「何を?」


「黒瀬さんを、信用しちゃ駄目だよ」


「あなたは、あの人のことを知ってるの?」


少女は答えなかった。


「どうして、あの人を怖がらないの?」


「怖いよ」


少女はすぐに答えた。


「でも、あの人とは違う」


「何が違うの?」


少女は、私の手にあるファイルを指さした。


「それ、持っていこう」


「でも……」


「ここに置いていくと、なくなるから」


私はファイルを抱え直した。


「なくなるって、どういうこと?」


少女は職員室のほうを見た。

その目が、ほんの少しだけ細くなった。


「前にも、なくなったから」


「何が?」


少女は答えなかった。

校内放送のスピーカーから、ノイズが流れた。


ザザッ。


私たちは同時に顔を上げた。


『――出席を取ります』


女の声だった。

古びたスピーカーのせいか、ひどく歪んでいる。


『生徒は、教室に戻ってください』


少女の手に力がこもった。


「……来た」


「何が?」


少女は答えず、私の手をつかんだ。


「走って」


私たちは廊下を走った。

壁の掲示物が、風もないのに揺れている。

校内放送は、何度も同じ言葉を繰り返していた。


『生徒は、教室に戻ってください』


『生徒は、教室に戻ってください』


『生徒は――』


突然、放送が途切れた。沈黙。

そのあと。


『先生』


私の足が止まった。

その声。聞き覚えがあった。

私自身の声だった。


『先生、どこにいますか』


喉が締めつけられる。

私は自分の口元に触れた。

声は、スピーカーから聞こえている。


「止まらないで!」


少女が叫んだ。

私は再び走り出した。

廊下の左側に、教室の扉が見えた。

その扉が、ゆっくりと開いていく。

吸い込まれていくように私と少女は入る。


中は暗かった。机が並んでいる。黒板がある。

さっきの奇妙な体験をした教室と同じだった。


私は視線を逸らした。見てはいけない。そう思った。

しかし、教室の中からチョークの音が聞こえた。


ガリ。ガリ。ガリ。


私は一瞬だけ、教室の中を見た。

黒板に文字が書かれていた。


『本日の出席者』


その下に、名前が並んでいる。


一つ。二つ。三つ。


どれも知らない名前だった。

最後の行に、文字が書き足されていく。


一本ずつ。ゆっくりと。

まるで、見えない誰かが私の目の前で書いているように。

最後の一画が、横に伸びた。

文字が完成した。


そこには、『おまえのせいか』と書かれていた。


その瞬間、頭の中で何かが弾けた。

痛い。頭が割れる。視界が歪む。


「先生」


私は頭を抱えた。


「やめて……」


誰かが泣いている。

助けを求めている。

声が聞こえる。


「先生、開けて」


私は後ずさった。


「やめて!」


少女が私の肩をつかんだ。


「見ちゃ駄目!」


その声で、私は我に返った。


教室の中を見た。


すると目の前は普通の教室だった。

さっきまで書かれていた文字も無い。


「……何だったの、あれ」


声が震えていた。

少女は、私の隣にしゃがみ込んだ。


「見ちゃったんだね」


「何なのよ、あれ!」


私は少女の肩をつかんだ。


「何で私の声がしたの?おまえのせいかってなによ!」


少女は何も言わなかった。


ただ、私の手をそっと握る。


「……まだ、思い出してないんだね」


「何を?」


少女は立ち上がった。


「行こう」


「待ってよ!」


私は少女の服をつかんだ。


「もう嫌だよ。何も分からないまま、こんなところを歩くなんて無理!」


少女は私を見下ろした。

その目に、初めて悲しそうな色が浮かんでいた。


「私だって、怖いよ」


小さな声だった。


「でも、ここにいたら、また来る」


「……また?」


少女は頷いた。


「出席が終わるまで、ずっと」


私は言葉を失った。出席が終わるまで。

誰の出席を取っているのだろう。

誰が、出席を取っているのだろう。

その時、スマートフォンが震えた。

画面が点灯する。

掲示板の通知だった。

私は震える指でアプリを開いた。

新しいスレッドが立っていた。


【実況】廃校舎にいる女について


スレッドを開く。


1:名無しの観測者

見たな。


2:名無しくん

あれを見たのか?


3:01-p

まだ早い。


私は画面を見つめた。


4:名無しの観測者

出席を取られた。


5:名無しくん

名前は?


しばらく、書き込みは止まった。


そして。


6:名無しの観測者

まだ、名前は呼ばれていない。


私はスマートフォンを握りしめた。


新しい書き込みが表示された。


7:名無しくん

さっきの先生って、誰のことだ?


8:01-p

知らないほうがいい。


9:名無しくん

お前は知ってるんだろ。


10:01-p

知っていることと、覚えていることは違う。


私は画面をスクロールする手を止めた。

その言葉を、何度も読み返した。

知っていることと、覚えていることは違う。

意味は分からない。

けれど、どこかで聞いたことがあるような気がした。

その直後、別の通知が表示された。

マサトからのメッセージだった。


『何を見た?』


私はすぐに返信した。


『廃校舎にいる。教室に化け物がいた。』送信。


既読はつかない。

続けて、もう一通送った。


『黒瀬って何者なの? あの少女は誰?』


返信はなかった。

私は画面を見つめた。

すると、入力欄に文字が浮かび始めた。

自分で入力したわけではない。

一文字ずつ、勝手に。


『先生』


私はスマートフォンを放り投げた。

床に落ちた端末の画面には、さらに文字が表示されていた。


『次の授業が始まります』


その下に、もう一行。


『遅刻しないでください』


私は動けなかった。

少女が、床に落ちたスマートフォンを拾い上げた。

画面を見ている。その表情は、私からは見えなかった。


「……何て書いてあるの?」


尋ねると、少女は画面を伏せた。


「何でもないよ」


「嘘。見せて」


少女はスマートフォンを差し出した。

画面には、何も表示されていなかった。通知もない。

掲示板も閉じられている。

ただ、暗い画面に私の顔が映っていた。

私は画面から目を逸らした。

そのとき、少女が小さく呟いた。


「まだ、間に合うかな」


「何が?」


「……何でもない」


少女は歩き始めた。私は追いかけた。

廊下の奥に、学校にあるなら不自然な階段があった。

壁は鉄張り、恐らく地下へと続く階段だった。

手すりは錆び、壁の塗装は剥がれている。

階段の下は暗く、何も見えなかった。


私は足を止めた。見覚えがあった。

黒瀬が見せた写真。地下へ続く階段。

あのとき、写真を見た瞬間に浮かんだ映像。

私は、あの場所を知っている。

そう思った。理由は分からない。

けれど、あの階段を下りたことがある。

あの暗闇の中で、誰かに呼ばれたことがある。


そして。私は、誰かを置いてきた。


「……私、あそこに行ったことがある」


呟くと、少女が振り返った。


「思い出したの?」


「分からない。でも……」


私は階段を見つめた。


「行かなきゃいけない気がする」


少女は、しばらく黙っていた。

やがて、小さく頷いた。


「じゃあ、行こう」


「怖くないの?」


「怖いよ」


少女は答えた。


「でも、あなたが行くなら、私も行く」


その言葉に、私は何も返せなかった。

どうして、この少女は私についてくるのだろう。

どうして、私を助けるのだろう。

私たちは、初めて会ったはずなのに。

いや。本当に、初めて会ったのだろうか。

私は少女の顔を見た。少女も、私を見ていた。

その目には、私を責めるような色も、恨むような色もなかった。

ただ、何かを確かめるような静けさがあった。


「……行こう」


私は言った。少女は頷いた。

一段、また一段。

暗闇が、私たちを飲み込んでいく。

階段の途中で、私はふと振り返った。

階段の上に誰かが立っていた。

黒いスーツ。手には、封筒。

黒瀬だった。

彼は、こちらを見つめていた。


「戻るな」声は聞こえなかった。

けれど、そう伝えているのだと分かった。

私は足を止めた。黒瀬は、なぜ私を止めないのだろう。

なぜ、戻るなと伝えるのだろう。

戻るなというのは、どこへ?病室へ?廊下へ?

それとも、もっと別の場所へ?


「見ちゃ駄目」


少女の声がした。私は前を向いた。

階段の下から、声が聞こえていた。

誰かが、泣いている。

小さく。途切れ途切れに。

まるで、ずっと泣き続けていた人間が、もう声を出す力も残っていないように。

そして、暗闇の奥から。


「先生」


また、あの声がした。私は、階段を下り続けた。


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