第八話 最初の給金
十三日目の夕方、城が見えた。
尾根を下りきったところから、黒い城壁の一角に明かりが灯っているのが分かった。東翼だ。俺たちが直した区画に、火が入っている。
「増えてる」
ミラが目を細めた。
「部屋、二つじゃなかった? 明かりが四つある」
「ケインが足したんだろう」
門をくぐると、リオンが立っていた。腕を組んで、本当にただ立っていた。
「揉め事は」
「なかった」
「本当か」
「二回あった。立ってたら収まった」
俺は笑いそうになって、こらえた。
中庭に入ると、セロが炉室から出てきた。手に紙を持っている。
「アルドさん。魔石の残量、毎朝記録しました」
「どうだった」
「三割から、二割四分まで減ってます。四日で六分。このままだと、十六日で尽きます」
俺は炭で数字を書き足した。
「暖房を止めれば」
「延びます。ただ、暖房を止めると給水も落ちます。同じ炉なので」
「止めるな。十六日ぶんは、十六日で何とかする」
セロがうなずいて、それから少し早口になった。
「あと、炉室の奥に予備の魔石があるかもしれません。魔族が撤退したとき、全部持ち出したとは限らない。封鎖されてる区画があって、そこは俺たちまだ入ってません」
「地下か」
「地下です」
俺は、五日目の夜に聞いた軋む音を思い出した。
「目録が済んだら開ける。今は炉を止めないことが先だ」
ケインは、東翼の部屋を四つに増やしていた。崩れた回廊の石を割り直して積んだという。
「五つ目もいけるが、石が足りん」
「足りるようにする」
「どうやって」
「崩れてるところは、まだいくらでもある」
「そりゃそうだ」
ケインは頬の傷を掻いて、それきり何も言わなかった。
◇
大広間に、卓を一つ置いた。
その上に帳面を広げ、銀貨の袋を置く。四百五十枚。袋の口を開けると、松明の光を受けて中が鈍く光った。
誰かが息を吸う音がした。
「一人ずつ来てくれ」
俺は言った。
「番号順じゃない。名前順でもない。来た順でいい」
最初に来たのは、ガルドではなかった。井戸掘りだった男だ。名をヨルという。彼は札を握ったまま、卓の前で止まった。
「……本当に、出るのか」
「出る」
俺は彼の欄を指した。
「ヨル。一日目、王都から出発。二日目、荷車の押し。三日目、車軸の応急処置の手伝い。四日目、行程。五日目、導管の圧の確認。六日目から九日目、目録。十日目から十二日目、居住区の水回り」
「……そんなに書いてあるのか」
「書いてある」
俺は数えた。
「十二日。銀貨十二枚だ」
枚数を数えて、卓の上に並べた。一枚ずつ置くと、時間がかかる。だが、まとめて袋のまま渡すのは違うと思った。
ヨルは十二枚を両手で受け取って、しばらく動かなかった。
「次」
次はガルドだった。彼は札を卓に置いて、帳面の自分の欄と見比べはじめた。
「七番。ガルド・レン」
「合ってるか」
「……五日目の欄に、継ぎ手破断時の警告って書いてあるな」
「書いた」
「あれは、ただ叫んだだけだぞ」
「叫ばなかったら、あんたは今ここに立ってない」
ガルドは指で番号をなぞった。
「十二枚だな」
「十二枚だ」
彼は受け取って、数えた。二度数えた。
「……合ってる」
「合ってなかったら困る」
「いや」
男は銀貨を握って、少し口を歪めた。
「前の隊じゃな、移動日は日当がつかなかった。行きも帰りも自腹だ。討伐の日だけが仕事ってことになってて、それで文句を言う奴はいなかった。そういうもんだと思ってたからな」
「そういうもんじゃない」
「今、分かった」
彼は列の後ろへ戻っていった。
◇
トビーの番になった。
彼は卓の前に立って、なかなか札を出さなかった。
「どうした」
「……俺、四列しか乾かせてないんです。一日に四列って言ったのに、途中で二列しかできない日があって」
「知ってる。八日目だな」
「はい」
「あの日、あんたは厨房の竈も見てた。二人分の仕事をして、片方が半分になった。それは減らす理由にならない」
俺は十二枚を並べた。
トビーは銀貨に手を伸ばして、途中で止めた。
「……あの」
「なんだ」
「俺、火魔法が弱くて、どこのパーティでも三日でクビになるんです。パン屋も三日でした。だから、十二日ってのが」
彼はそこで言葉に詰まった。
「十二日って、俺の最長記録なんです」
誰も何も言わなかった。
俺は帳面に、その日の欄を書き足した。トビー、十三日目、と書いてから、何を書けばいいのか分からなくなって、手を止めた。
結局、こう書いた。
――継続、十三日目。
「もういいか」
「はい」
彼は銀貨を握って、走るように列を離れた。
◇
リゼの番は、最後から二番目だった。
彼女は十二枚を受け取って、掌の上でしばらく重さを確かめていた。
「六十万ルクレ」
「はい?」
「正規の資格を取るのに要る額。それと、三年」
彼女は銀貨を袋に落とした。
「一日一枚なら、千六百四十年くらいかしら」
「銀貨とルクレの相場が違います」
「知ってる。冗談よ」
リゼは笑った。笑い方が、うまくなかった。
「でも、たぶん、生きてるうちには足りない」
「足りるようにします」
言ってから、俺は自分で驚いた。根拠がない。
リゼも驚いた顔をしていた。それから、少し困ったように口の端を上げた。
「そういうこと、簡単に言わないほうがいいわ」
「はい」
「……でも、書いておいて。あなたが言ったこと」
俺は帳面を開いて、書いた。
十三日目。リゼの資格について、足りるようにすると言った。
◇
三十一人分を払い終えたのは、夜半だった。
最後の一人はリオンだった。
「八枚だ」
「八日か」
「五日目から十二日目まで。到着したのが四日目の夕方だから、その日は数えてない」
「厳しいな」
「厳しくない。正確なだけだ」
リオンは八枚を受け取って、掌の上で転がした。
「なあ、アルド」
「なんだ」
「王宮でもらうはずだった報奨、いくらだったと思う」
「知らん」
「金貨で二百だ」
俺は手を止めた。銀貨に直せば、二万枚になる。
「返してきたのか」
「返してきた」
彼は八枚を袋に落とした。音は、ひどく軽かった。
「こっちのほうが重い」
「八枚だぞ」
「重いんだよ」
リオンは真顔だった。この男は、こういうときに冗談を言わない。
ミラは、その前に済ませていた。彼女は十二枚を数えもせずに袋へ入れて、帳面の自分の欄だけを長く見ていた。
「九日目のところ、書き足してあるじゃない」
「書いた」
「短縮、二日半、って」
「そう書いた」
「……ふうん」
彼女はそれ以上何も言わずに、離れていった。
エッダは、十二枚のうち二枚を卓に戻そうとした。
「多くないですか。私、途中から梱包しかしてません」
「一日目から数えてる。荷を積んだのも、車軸を押さえたのも仕事だ」
「梱包は、思いついただけです」
「思いついて、三人使って、一晩で六百四十七点を箱に入れた。それを仕事と言わないなら、俺の帳面は何を書けばいい」
エッダは二枚を戻さなかった。ただ、袋にしまうときに手が少し震えていた。
ハンナは受け取るのが早かった。
「十二枚。合ってます」
「数えてないだろ」
「数えました。目で」
彼女は袋を振って、音を聞いた。
「船の積荷と同じです。重さと音で分かる」
「便利だな」
「便利ですけど、間違えたら海に落ちます」
ケインは、卓の前で少し迷ってから札を出した。
「六日目からしか働いてないぞ、俺は」
「一日目から歩いてる」
「歩いただけだ」
「歩かなきゃ着かない」
彼は十二枚を受け取って、頬の傷を掻いた。
「……親方が生きてたら、この帳面を見せたかったな」
「石屋の親方か」
「三つに分けろって教わった話、書いてくれたろう。あれで全員の手間が半分になったって」
「なった」
「なら、あれは親方の仕事だ」
彼はそれだけ言って、離れていった。
俺は帳面の余白に、一行だけ足した。書くところがなかったので、ケインの欄の隅に小さく書いた。
――石の三分法。出所、ケインの親方。
◇
卓の上の袋には、八十二枚が残っていた。
俺は帳面の最後のページを開いた。三十一人分の欄が、すべて埋まっている。日付と、仕事と、額と、支払済みの印。
その下に、もう一行あった。
――アルド・カレン。整理官。
その横は、空白だった。
辞令に、俺の日当は書いていない。回収できた資産を報酬にしてよい、とだけ書いてある。つまり、九十日が終わるまで、俺の取り分は決まらない。
決まらないものは、書けない。
俺は空白を、しばらく見ていた。
「まだやってるの」
ミラが、毛布を持って立っていた。
「終わった」
「じゃあ寝なさいよ」
「そうする」
彼女は卓を覗き込んで、開いたままの帳面を見た。
「……ここ、空いてるけど」
「決まってないからだ」
「決まったら書くの」
「書く」
ミラは何か言いかけて、それから毛布を卓の上に置いた。
「寒いから、これ使って」
彼女は行ってしまった。
俺は帳面を閉じて、松明を消した。
八十二枚。次の精算日は二十日目で、そのときには城に五十人以上いる。二十日目に必要なのは、二百枚を超える。
足りない。
城にはまだ書物が四千冊ある。細工物も、まだ出せる。
だが、それも数が決まっている。
いつか、売る物がなくなる。
その日までに、この城が何かを作れるようになっていなければ、この帳面は紙に戻る。
俺は暗い大広間で、そのことを考えていた。
考えながら、いつのまにか眠っていた。毛布は、掛かっていた。
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