第五話 四十二列
六日目の朝、俺は大広間の壁に炭で線を引いた。城の見取り図だ。二か月前に頭の中で作ったものを、そのまま引き写した。
「区画は五つ。書物庫、細工物庫、厨房と食料庫、工房区画、居住区。ここを六班で数える」
「数えるって、どうやって」
声を上げたのは、昨日パン屋だと言ったトビーだった。
「棚にあるもんを、全部書き出すんですか」
「そうだ」
「四十二列ありますよ」
「だから書物庫だけ二班つける。他の四区画は一班ずつでいい」
俺は帳面を破って、六枚の紙を配った。
「書く項目は四つ。品目、数、状態、重さだ。分からない字は絵でいい。読めればいい」
ガルドが紙を受け取って、しばらく眺めていた。
「重さも要るのか」
「要る。城から出せなければ、売れない。売れなければ、あんたらの給金にならない」
男が紙を折って懐に入れた。話が早い。
◇
昼までに、六枚の紙が戻ってきた。俺はそれを並べて、しばらく黙った。
書き方が、六枚とも違う。
一枚は「壺、たくさん」と書いてある。一枚は壺の柄まで細かく写生してあり、二列で紙が尽きていた。一枚は品目を書かずに数だけが並んでいて、何の数なのか分からない。
「……やり直しだ」
「はあ?」
ガルドが眉を上げた。
「俺たちは真面目に数えたぞ」
「疑ってない。ただ、このままだと俺が二度数え直すことになる」
俺は「壺、たくさん」の紙を掲げた。
「たくさんは、いくつだ」
「……そりゃ、棚いっぱいだ」
「棚がいくつあるかは、その紙に書いてない」
ガルドが口を閉じた。
俺は自分の帳面を開いて、昨日書いた欄を見せた。名前、日付、仕事、額。四つの欄が縦に並んでいる。
「昨日、あんたに渡した札の番号は七番だった。あれが仮に『前のほうの番号』って書いてあったら、精算のときにどうなる」
「揉めるな」
「そういうことだ」
俺は壁に、もう一枚紙を貼った。
「今日から、書き方はこの通りにする。品目は、あんたが知ってる呼び名でいい。壺なら壺だ。数は、必ず数字で書く。状態は、使える、直せば使える、壊れてる、の三つだけ。重さは、一人で持てる、二人で持てる、持てない、の三つ。それ以外は書かなくていい」
「三つだけでいいのか」
「細かくすると、書く人によって変わる。変わるくらいなら、粗くていい」
石工だった男が、貼った紙を見上げていた。
「……それ、うちの親方がやってた石の分け方に似てるな」
背の低い、頬に古い傷のある男だった。名前をまだ聞いていなかったことに、俺はそこで気づいた。
「名前を」
「ケイン」
「ケイン。石はどう分けてた」
「三つだ。すぐ積める、削れば積める、捨てる。現場で四つ以上に分けると、必ず誰かが間違える」
俺は帳面に書いた。ケイン、六日目、目録様式の助言。
「なにしてんだ」
「仕事を書いてる」
「今のは、ただの雑談だぞ」
「その雑談で、明日から全員の手間が半分になる」
ケインは何か言おうとして、やめた。ミラのときと同じ顔だった。
◇
七日目から、数えは速くなった。
書物庫は、天井が見えなかった。
棚は三階分の高さまで続いていて、上のほうは松明の光が届かない。四十二列が闇の奥へ並んでいる。人間が読むために作られた部屋ではなかった。梯子は、どこにもない。魔族は、どうやって上の段を取っていたのか。
二班が入った。棚は四十二列あり、一列に平均で百八十冊。天井近くまで積まれた列は、梯子がなければ届かない。ハンナが荷車の縄を持ち出して、梁から吊るす仕掛けを作った。
「船の帆と同じよ。人を吊るす縄は、荷を吊るす縄の倍の太さにするの」
「決まりか」
「そう教わった。理由は聞いてない」
俺は書いた。ハンナ、七日目、書物庫の昇降索の設置。
問題は湿気だった。二年、閉めきってあった書庫は、下の三段が黴で貼りついている。剥がそうとすると紙が破れ、破れた本は値が落ちる。
「トビー」
「はい」
「乾かせるか」
若い男は棚の前に立って、しばらく手のひらを開いたり閉じたりしていた。
「……薪と同じなら、いけます。ただ、近づけすぎると焦げます」
「どのくらい離せばいい」
「三歩です。それと、一列ずつしかできません。俺の魔力だと、一日に四列が限界かと」
「四列なら、十日で四十二列だ。上等だ」
トビーが目を丸くした。
「上等、ですか」
「他に乾かせる人間がいない。一人しかできないことは、遅くても上等だ」
「でも、四日で終わる人がいたら」
「いない。だから比べようがない」
俺は帳面を開いて、彼の欄に書いた。トビー、七日目、書物庫の乾燥、五列。
「五列って、書くんですか」
「書く。四列って言ったのに五列やった。それは記録に残す」
「……一列くらい」
「一列も百八十冊だ」
男は返事をしなかった。ただ、その日の夕方まで、彼は一度も休まなかった。五列乾いた。
◇
細工物庫のほうは、数えるより値をつけるのが難しかった。
魔族の細工物というのは、要するに用途の分からない金属の塊だ。装飾なのか、道具なのか、それとも儀式のためのものなのか、誰にも分からない。
「これ、いくらで書けばいいの」
ミラが小さな環を持ち上げた。掌に載る大きさで、内側に細かい刻みが入っている。
「分からん」
「分からんじゃ困るでしょ」
「困る。だから、値の欄は空けておく」
「空けたら目録にならないじゃない」
「ならない」
俺は環を受け取って、光にかざした。刻みは規則的で、何かの数を刻んでいるように見えた。
「値は、買う奴が決める。俺たちが決めるんじゃない。俺たちが決められるのは、それが何個あって、どんな形で、持ち出せるかどうかだ」
「買う奴に会うまで、値は分からないってこと」
「そうだ。だから売りに行く」
ミラが環を見て、それから俺を見た。
「あんた、意外と行き当たりばったりね」
「補給係は行き当たりばったりだ。何が要るかは、いつも現場が決める」
その日の夕方、細工物庫から女が一人、俺を呼びに来た。昨日、導管の破断を布で塞いだ女だった。
「これ、このまま荷車に積んだら、着くまでに半分は傷みます」
彼女は手のひらに、細い金属の細工を三つ載せていた。表面に、擦れた跡がついている。
「揺れると擦れます。売り物に傷は要らないでしょう」
「布はあるか」
「毛布を裂けば足ります。でも毛布は要る」
「どうする」
「天幕の古いのが二枚、荷車にあります。あれなら破れてても使えます。切って挟めば、六百点ぶんは足りるかと」
俺は帳面を開いた。
「名前を」
「……エッダです」
「エッダ。それ、あんたが仕切ってくれ。人が要るなら言え」
「三人いれば、明日の朝までに終わります」
俺は書いた。エッダ、八日目、細工物の梱包設計。三人の名前も、その下に並べた。
書きながら、妙な気分になった。俺は物を数えるつもりでこの城に来たのに、紙が埋まっていくのは人の欄のほうだ。
◇
九日目の夜、目録が形になった。
書物庫、四十二列、七千五百二十冊。うち持ち出せる状態のものが六千百。細工物、六百四十七点。魔石炉三基。厨房什器、工房の道具類。紙にして十一枚。
俺はそれを卓に並べて、上から順に見ていった。
数は揃っている。だが、値がない。値がなければ、メルヴィンの言った「国庫にいくら残すのか」には答えられない。
俺は紙の隅に、別の数字を書いた。
この城を壊して更地にするなら、いくらかかるか。石を割る人足、運び出す荷車、道の整備。二か月前に城の中を歩きながら、俺は勝手にそれを見積もっていた。癖だ。
銀貨にして、およそ四千。
目録の十一枚を、もう一度上から見た。書物は一冊いくらか分からない。細工物は用途すら分からない。厨房什器は、まあ、鍋は鍋の値段だ。
全部足しても、四千に届く気がしなかった。
「アルドさん」
顔を上げると、セロが立っていた。手に、薄い板のようなものを持っている。
「書物庫のいちばん奥の列で、これが出ました。本じゃないです。綴じてはありますけど」
俺は受け取って開いた。魔族の文字だ。読めない。
ただ、形は分かった。
縦に線が引いてあり、その左に短い記号が並び、右に別の記号が並んでいる。同じ形が何百行も続いている。
俺は自分の帳面を隣に置いた。
名前、日付、仕事、額。
線の引き方が、同じだった。
「ミラ」
大広間の向こうから、彼女が振り返った。
「ちょっと来てくれ。これ、何に見える」
ミラは覗き込んで、少し眉を寄せた。
「……文字は読めないけど」
彼女は指で、左の列をなぞった。
「これ、物の帳面じゃない。並び方が違う。同じ記号が、何度も出てくるでしょ。物なら、こんなに同じものは並ばない」
「じゃあ何だ」
「人の名前が並んでる。あたしにはそう見える」
俺は綴じ帳を閉じて、しばらく手の中に置いていた。
魔王軍が、部下の名前を数えていた。
誰が、どこで、何をしていたか。それを書き留めていた者が、この城のどこかにいた。
――そいつは、今どこにいる。
窓の外で、雪が降りはじめていた。城の中は暖かい。俺たちが昨日、それを直したからだ。
その暖かい部屋の下、地下のどこかで、何かが軋むような音がした。
俺以外は誰も気づかなかった。気づいたところで、その夜は誰も動かなかった。
明日、目録を持って売りに行かなければならない。給金の期限が近い。
それが、そのときの俺にとって、いちばん大きな問題だった。
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