第四話 三騎
「本日付で、この城の扱いが変わりました。王国は、旧魔王城の接収を決定いたしました」
メルヴィンの声は、雪の降りはじめた空気の中でよく通った。
崩れた門の外に、馬が三頭。松明を掲げた二人は騎乗したまま、メルヴィンだけが中央の馬から降り、書状の筒を手に立っている。馬の鼻から白い息が上がっていた。
「――九十日は、どうなった」
「ですから」
彼は封を割った。
「そのことで、お話に参りました。夜明けをもって城門を引き渡し、退去してください。城内の資産は、王国が直接管理いたします」
背後で、足音が増えていた。
鍋を囲んでいた連中が、回廊を伝って門まで出てきている。給金札を握ったままの者もいた。半刻前に湯気を吸い込んでいた顔が、外の冷たさで一気に硬くなっていく。
リゼが薬箱を抱えたまま、列の後ろに立った。診るものが増えると思ったのだろう。抱え方が、そういう抱え方だった。
俺はそれを、視界の隅で数えていた。
二十九、三十、三十一。
全員出てきている。眠っていた者も、咳をしていた男も。
誰も、隠れなかった。
「おい」
リオンが横をすり抜けて、前に出ようとした。
俺は腕を掴んで止めた。
「出るな」
「あいつら三人しか連れてないぞ」
「だから止めてる」
リオンが振り返った。俺は声を落とした。
「ここでお前が前に出たら、これは英雄が国に刃を向けた話になる。明日には、そういう瓦版が出る」
「……なるほど」
「お前が黙って立ってるだけで、向こうは十分に困ってる」
リオンは腕の力を抜いた。剣は速いが、言葉は遅い男だ。だが、遅いだけで、通じないわけじゃない。
俺は門の外へ二歩、進んだ。
「書状を、見せてもらえますか」
メルヴィンは一瞬だけ間を置いて、それから差し出した。
松明の光で読む。字の並びより先に、俺は下のほうを見た。
補給係の癖だ。中身より先に、誰が出したかを見る。物資の受領書でも、偽造は本文より奥付に出る。
「発行は、王国戦後処理局」
「さようです」
「私の辞令も、戦後処理局の発行です」
俺は上着の内側から辞令書を出して、並べて掲げた。
「同じ役所が出した書類が二枚ある。片方が、もう片方を無効にすると書いていない」
メルヴィンは黙っている。
「この接収書状には、整理官辞令の取消命令が付いていません。臨時雇用契約の清算命令も付いていません。付いているのは、城の管理主体を変えるという一文だけです」
俺は書状を返した。
「それと、この城の帰属を裁定するのは国境管理局です。三国の共同管理地だからだ。戦後処理局には、帰属を動かす権限がない」
「――続けてください」
彼の声は、咎めるものではなかった。促す声だった。
「別の役所の裁定が出るまで、私の辞令は生きています。生きているあいだは、この城の管理者は私です」
雪が、松明の火の中を横切っていった。
「仮に、いま私を退去させたとします」
俺は帳面を開いた。昨夜書いたばかりのページだ。
「臨時雇用者三十一名。未払い給金、銀貨百五十一枚。契約は九十日、残り八十五日。全員分を清算するなら、二千六百三十五枚。合わせて二千七百八十六枚を、国庫から支払っていただくことになります」
後ろで、誰かが息を呑む音がした。
メルヴィンは表情を変えなかった。
「私の裁量で雇用してよいと書いたのは、そちらの役所です。書いた以上、契約は成立している。国が一方的に打ち切れば、清算義務が生じます」
「その者たちが、正規の雇用として認められればの話ですな」
「認められます。番号と、日付と、仕事の内容と、額が書いてある。控えは本人が持っています」
俺が言い終わる前に、後ろでガルドが札を掲げた。
その隣で、誰かが掲げた。ハンナが掲げ、トビーが掲げ、石工だった男が掲げた。
松明の光の中に、木札が三十一枚、並んだ。
番号が彫ってあるだけの、値打ちのない木片だ。
それでも、三十一枚あった。
「――アルドさん」
列の後ろから、リゼの声がした。
「私は、無資格です。戦時の施術資格は失効しています。私の分を数に入れると、あなたが――」
「リゼさん」
俺は遮った。
言い切らせてはいけない、と思った。理由は、その時点ではうまく言葉にならなかった。
「あなたは今日、二人の足を診た。それは仕事です。帳面にそう書いてある」
彼女は口を閉じた。
メルヴィンが、そのやり取りを見ていた。見ていた、というより、書き留めているような目だった。
「アルド殿。ひとつ、伺ってもよろしいか」
彼は馬の手綱に手をかけたまま言った。
「なぜ、雇ったのです」
「……何を、ですか」
「あなたに与えられたのは、資産の整理です。人足を使う裁量はありますが、義務ではない。一人で九十日、目録を作って引き渡せば、それで務めは終わった。報酬も、あなた一人のものになった」
雪が、彼の肩に薄く積もりはじめていた。
「三十一人を雇えば、支払いはあなたの責任になります。私が知る限り、あなたの手持ちは十二ルクレでしたな」
なぜそれを知っているのか、と思った。
思ったが、口に出す前に、答えるべきことがあった。
「宿舎の前に、五十三人いました」
「ええ」
「そのうち三十人が、いま後ろにいます。もう一人は、あとから自分の足で来ました」
俺は振り返らなかった。振り返らなくても、そこにいるのは分かっていた。
「残りの二十三人は、聖堂にいます。どちらの数も、俺が数えました。数えたら、書かなきゃいけない。書いたら、その分の欄が要る」
「欄」
「帳面の欄です」
メルヴィンは、少しのあいだ黙っていた。
それから、初めて笑った。愛想ではない笑い方だった。
「……よく分かりました」
何が分かったのかは、言わなかった。
◇
沈黙が長かった。
やがて、彼は書状を筒に戻した。
「よろしい」
あっさりしていた。
「国境管理局の裁定を待つことといたします。それまで、あなたの辞令は有効です」
背後で、誰かが小さく声を上げた。
「ただし、九十日という期限は動きません」
メルヴィンは手袋を直した。
「では、成果でお示しください。九十日後、この城が国庫にいくら残すのか。撤去に要する費用を上回るのであれば、国はあなたを追い出す理由を持ちません」
「数字で出せということですか」
「数字以外の何で、役所が動くとお思いですか」
彼は馬に手をかけた。それから、思い出したように振り返った。
「ああ。資産目録は、期日までに必ずご提出を。書式は問いません。品目と、数と、見積額があれば結構です」
「期日は」
「九十日目です。ですが、早いに越したことはありません」
三騎が向きを変えた。
松明の火が遠ざかり、雪の中に消えていく。
背後で、誰かが「勝ったのか」と言った。別の誰かが「勝ったんだろ」と答えた。
ガルドが俺の隣に立って、札をしまった。
「あんた、ああいうのが得意なんだな」
「補給係は、役所と喧嘩するのが半分の仕事だ」
「あの文官、思ったより素直に引いたな」
俺は答えなかった。
引いた、というより、確かめて帰った。そういう手つきだった。
それに――
夜明けまでに退去させ、城門を引き渡させるつもりだったなら、三騎は少なすぎる。
三十一人の元冒険者が住み着いている城だ。本気で追い出すなら、二十は連れてくる。
考えても、答えは出なかった。俺は帳面を閉じた。
◇
大広間に戻ると、鍋はもう冷めていた。
それでも、誰も寝ようとしていなかった。
「アルドさん」
トビーが札を握ったまま言った。
「俺たち、追い出されないんですか」
「九十日は、な」
「そのあとは」
「そのあとが、今日決まった」
俺は帳面を開いて、白紙のページに一本、線を引いた。
「城にある物を、全部数える。品目、数、状態、重さ。それに見積額をつけて、九十日後に役所へ出す」
「全部って」
「全部だ」
セロが顔を上げた。
「書物庫、四十二列ありますよ」
「知ってる」
「細工物、六百点以上」
「それも知ってる。俺が二か月前に一人で数えた。今度は三十一人でやる」
ミラが、鍋の向こうから言った。
「数えて、それで足りるの? 撤去費用より高くしろって話でしょ」
俺は手を止めた。
そこだ。
メルヴィンは「この城が国庫にいくら残すのか」と言った。城の資産がいくらか、ではない。
残す、と言った。
「足りない」
俺は言った。
「物の値段だけなら、たぶん撤去費用に届かない。魔族の細工物なんて、誰が買うのかも分からない」
「じゃあ」
「だから、二冊いる」
俺は帳面のページをもう一枚めくって、二本目の線を引いた。
「一冊は、城にある物の帳面。役所に出すのはこっちだ」
「もう一冊は」
「ここで人が何を作って、いくら稼いだかの帳面だ」
誰も、すぐには意味が分からない顔をしていた。
俺自身、はっきり分かって言ったわけじゃない。
ただ、九十日後に俺が持っていくべきものは、たぶん死んだ物の値段じゃない。
この城が、これから毎年いくら生むのか。それを示せなければ、数字は撤去費用に負ける。
「明日から数える。班を分ける」
俺は言った。
「朝までに、誰がどこを数えるか決めておく」
その夜、俺は眠らなかった。
書庫の四十二列を、頭の中で何度も歩いた。
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