第三十九話 残る者
百二十一日目の午前、便が着いた。
――百十八日目、精算。必要額二百四十八枚。乾燥肉七十四枚。不足百七十四枚。枠から百七十四枚。追加の累計六百九十六枚。債務千九百三十八枚。
――百十九日目。オルデンより二枚、受領。共通資金へ入れた。内訳の紙も綴じた。
二枚は、二百四十八枚の中では見えない。見えないが、書けば残る。
その下に、ヨルの字があった。ケインの字より角が立っている。
――二枚の内訳を読んだ。坂で働いた四刻の代だと書いてある。城の三名が働いた分を、城が受け取る形だ。二重取りではない。確かめた。
――整理官が城を空けて二十八日になる。戻る日を書け。書けないなら、書けない理由を書け。
書けない理由を書け、というのは、俺が使ってきた言い方だ。
六十九日目に確認者を頼んだとき、この男は一つだけ確かめた。言った事実がないと分かったら署名しないが、それでいいのか、と。
いまは、俺が書かないことを確かめに来ている。
返事を書こうとして、また手が止まった。百日目と同じだ。あのときは、書くことがなかったから止まった。今度は、書くことが多すぎて止まった。
◇
百二十二日目、帰るために要るものを並べた。
一つ。荷主の紙で荷を受ける者を、現地の誰かへ移すこと。いまは整理官だ。俺が峠を越えれば、責めを負う先が二日先になる。
二つ。償いの袋。四枚。二台を受けられる四十枚までは、三十六枚足りない。
三つ。封じる紙。ノーラが持っている。これは済んだ。
四つ。板の値。据え置き。これも済んだ。
五つ。次の払いの期限。百三十日目までに十二枚半。百六十日目までに二口で六十八枚。どちらも期限で、入る日ではない。
六つ。四つの紙を、誰が回すか。
済んだのは二つで、残りは四つだった。
六つ目を書いたところで、手が止まった。
いまはミラが回している。彼女が帰れば、ノーラが毎日の名簿に四つを足して持つ。
「あの人は読み書きができます」
ミラが言った。
「だから回せる、という話にはならないです。できる人が一人しかいないと、その人が寝込んだ日に全部止まります」
「止まる」
「城では、止まらないようにするのに五十二人いました」
ここには、坂に出られる人が十二人いる。紙を書ける人は、ノーラ一人だ。
「ヤンさんは、書けません」
彼女は続けた。
「でも、読み上げれば合っているかどうかを言えます。あれは確かめる側の仕事です」
書けることと、確かめられることは別だ。ヤンは自分の名が並んだ紙を、二度読ませて確かめている。
書ける人を増やすのは時間がかかる。確かめる人なら、明日からでも増やせる。
そこまで書いて、俺は六つ目の下に線を引いた。線の下は、まだ空いている。
◇
百二十三日目、俺は宿舎から動かなかった。
国へ出す紙の下書きを作っていた。人数の区分だけを書く紙だ。名は書かない。
坂には、ノーラとヘンドとサラとヤンがいた。
下書きは三度書き直した。三十一、二十七、十九、八、四。この順なら減っていくように読め、順を変えれば少ないところが目立つ。
どの順でも嘘ではない。嘘ではないが、同じではない。
結局、数と一緒に、それぞれが何の数かを長く書いた。長い紙になった。
夕方、ヘンドが帳面を持って上がってきた。
――百二十三日目。夜の預かりの申し出、一件。荷は反物十二反。断った。
断った、と書いてある。
「いくらの荷だ」
「荷主の言い値で四十枚だ。書いて見せた」
ヘンドが言った。
「いま約束できるのは四枚まで。それより上は償えん、と言った」
決めてあることを、決めたとおりに言っただけだ。ただ、それを言ったのは俺ではない。
「向こうは何と」
「四枚では預けられん、と」
「上げなかったのか」
「上げない。袋に四枚しかない。四枚しかないと書いてあるのに、六枚と言うわけにいかん」
断る理由が、こちら側にもある。向こう側にもある。どちらも同じ紙を読んで、別々に決めた。
「それで、帰したのか」
「帰さん。昼に積み直すなら一枚で受けると言った。明日の朝だ」
断って終わらせなかった。
反物は幌の下で偏りやすい。ヘンドはそれを知っている。
――百二十三日目。夜の預かりの申し出、一件。荷主の申告する値、四十枚。こちらが約束できる額、四枚。荷主、四枚では預けないと回答。約束できる額は引き上げず、預からない。代わりに翌朝の積み直しを提示、明朝で成立。断りの理由を荷主へ口頭で告げ、帳面に記載。ノーラ記す。
ノーラの字だった。
俺は一行も足さなかった。足すところがなかった。
百日目に、断った三人のうち一人がこう言った。城の者が始めた仕事は、城の者が帰ると終わる。
あのとき、反証はないと書いた。
いまも証明にはならない。俺はまだここにいる。
ただ、今日の一件に俺の名はどこにも出ていない。断るのも、代わりを出すのも、書くのも、坂にいた四人でできた。
できたのは一件だ。一件でできたことが、十件でできるとは限らない。
それでも、百日目に「反証がない」と書いた行の下に、俺は今日の日付を足した。
――百二十三日目。整理官の関与なく、断りと代替の提示と記録まで現地で完結。一件。
◇
百二十四日目の朝、坂の下で反物の車を積み直した。四半刻で上がって、一枚を受け取った。
――百二十四日目。積み直し一件、一枚。前日の申し出の代替として成立したもの。
これも、俺は見に行かなかった。
同じ日、ミラが残ると言った。
俺が言い出したのではない。先に言われた。
「私が残ります」
「理由を」
「四つの紙です。いまは私が回しています。帰れば、ノーラさんが一人で全部持ちます」
彼女は紙束を卓に置いた。
「整理して、書ける人をもう一人か二人つくります。ノーラさんが書いて、ノーラさんが確かめる形だと、城でやってきたことと逆になります」
確認者だ。城では、整理官と確認者を分けた。ここでは、書く人と確かめる人が同じ一人になっている。
「いつまでだ」
「次の締めまで。百五十日目です」
「延びたら」
「延ばしません。延ばすなら、そのとき諮ってください。私が決めることではないので」
期限を先に切ったのは、彼女のほうだった。
九人にも、ノーラにも諮った。ノーラは長いあいだ何も言わずに、それから一つだけ聞いた。
「あんたは、あたしの名簿を見に来るのかい」
「見ません」
ミラが答えた。
「私が見るのは、仕事の紙です。封じる紙も、荷主の紙も、あなたが持つほうです。私が触るのは、こちらに残す紙だけにします」
「それを、紙に書けるかい」
「書きます」
ノーラは頷いた。頷いてから、前掛けの綴じ紐を締め直した。
――百二十四日目。ミラ、百五十日目までオルデンに残る。本人の申し出。目的、記録を整理し、書ける者を増やすこと。触れる紙は、宿舎に残す紙のみ。封じる紙と名簿には触れない。ノーラ承知。期限の延長は改めて諮る。
その晩、ヤンが土間の端に座っていた。
「読み上げるのを、やるそうだな」
「ミラから聞きましたか」
「聞いた」
彼は右腕を膝に置いた。
「読めんぞ」
「読むのはノーラかミラです。あなたは、合っているかどうかを言う」
「それだけか」
「それだけです。それだけを、間違えずにやる人が要ります」
彼は少し黙って、それから頷いた。
二年、紙に名が載るのを怖がってきた男が、紙を確かめる側に座ろうとしている。
うまくいくとは書かない。まだ何も起きていない。
◇
百二十五日目、均しを数え直した。
九十一日目から今日までで三十五日。精算した日当は四週ぶんの十六日で、今日の精算予定を入れれば二十日になる。今日の精算はまだ確かめられないので、予定として置く。
帰る日で数え直す。百二十七日目に着くなら、九十一日目から三十七日。給金の対象は二十日のままだ。
差は一人十七日。ハンナとダンの二人で、三十四人日。城の手は、そのあいだ薄くなる。
九十一日目に、俺はこの決め方を紙に書いた。四日を超えた分は、戻ってから割当を減らして均す。
五日や六日の話だと思って書いた。三十七日の話だとは思っていなかった。
規則が間違っていたのではない。長さを見誤ったのは、書いた俺だ。
それから、枠を数えた。
追加の累計は六百九十六枚。千五百まで、八百四枚ある。
送った二枚は、百十九日目に共通資金へ入っている。百二十五日目の不足は百七十二枚になる。累計は八百六十八枚だ。
そこから百四十六日目までに三回、百七十四枚ずつ。累計千三百九十枚。百五十三日目に借りられるのは百十枚で、六十四枚足りない。
もし百十八日目から週十五枚が入っていれば、不足は百五十九枚だった。そのときは百六十日目まで届いて、足りないのは百三十五枚になる。
七日の差だ。
二枚では、日付は動かない。二枚で動いたのは、足りない額が二枚ぶんだけだ。
俺は帳面に書いた。
――百五十三日目。現在の収入構造での枠切れ。不足六十四枚。送金があれば後ろへ動く。払いの期限は百三十日目までに十二枚半、百六十日目までに六十八枚。前者は間に合い、後者は間に合わない。
書いてから、戻る日を書いた。
――百二十六日目発、百二十七日目夕に帰城。ハンナとダンを連れる。ミラは百五十日目まで残る。
書いた紙を、ヘンドとノーラに読んだ。ノーラは読み終わるまで何も言わなかった。
「帰るんだね」
「帰ります」
「また来るのかい」
答えを持っていなかった。持っていないまま、そう書いた。
――再訪の予定、未定。
ノーラは、その行を指で押さえた。
「消さないでおくよ」
彼女は、誰の名も消さない人だ。




