第三十六話 止まる前に
百八日目の午前、ヘンドとミラと三人で町へ下りた。
タルグの庭は、荷車が四台入る広さがあった。麦の袋と塩の樽が、別々に積んである。
「先だっての礼は言わん。試したのはこっちだ」
「なぜ、あの夜は試したんですか」
「ヘンドがいたからだ」
「二十年、呼べば来る男だ。金にならん日も、帰らずに待ってた。あれが番をすると言うなら、一晩くらいは賭ける」
呼ばれるか分からない日に待ち続けたことが、ここで金になった。そのつもりで待っていたわけではない。
俺は紙を三枚出した。
一枚目は、九十五日目と九十六日目に坂の下で数えた紙だ。二日で上り十九台、下り十四台。坂で止まったのが九台。
「二日で九台が止まっています。一台につき半日。週にすれば、この坂で十五日ぶんの時間が消えている勘定です。二日しか見ていないので、確かではありません」
タルグは紙を取って読んだ。
「あんたのところの車がこの九台に入っていたかは、書いてありません。数えたときに、誰の車かを聞いていませんでした」
「聞いてないのか」
「これから聞きます」
「先月うちの車が何度止まったかは、俺も知らん」
「御者は言いませんか」
「言わん」
「遅れた日に坂のせいだと言えば、こっちは言い訳と取る。取られると分かってるから言わん。俺の帳面には、遅れた日のことが何も書いてない」
二枚目は、九十九日目から百七日目の実績だ。荷役三件、積み直し二件、夜の預かり一件。日付と、かかった時間と、額。
「あんたが数えたんだろう」
「数えました」
「数えたものを信じないとは言わん。信じる」
彼は三枚目に手をかけなかった。
「だが、数は買わん。俺が買いたいのは、止まらないことだ。何日ぶん消えたかを知っても、消えた日は戻らん」
◇
三枚目は、まだ書いていない紙だった。
「では、止まらないことを売ります。条件を決めさせてください」
書き上がったのは、七つだった。
一つ。昼から日暮れまでに坂の下へ着いた車には、半刻のうちに手をつける。
二つ。週に四台まで。五台目からは板の値で、来た順に受ける。
三つ。夜に着いた車は、翌朝いちばんで降ろす。
四つ。枠の確保料、週八枚。荷役と積み直しと夜の預かりの代は、別に板の値でいただく。
「別に取るのか」
「枠の確保料は、手を空けて待っている代です。働いた代ではありません。待たなければ半刻では手がつきませんし、待つ者はその間ほかの仕事ができません」
タルグは四つ目を帳面へ写した。
「半日が四台ぶん消えるのと八枚と、どっちが高いかは俺にも計算できる。計算できんのは、あんたたちが本当に半刻で手をつけるかどうかだ」
五つ目は、彼が言った。
五つ。守れなかった週は、枠の確保料をいただかない。二度続けば、この紙は終わる。
「払いは、いつになりますか」
「締めは月の終わりだ。うちは三十日を一月とする。いまの月の終わりは百二十日目。払いは締めから十日のうちだ」
「初めの月は、端数になります」
「始める日が決まったら、その日から百二十日目までで数える。日割りだ」
六つ。締めは月の終わり、払いは締めから十日のうち。初めの月は、始める日から百二十日目までを日割りにする。
週に八枚と書いても、八枚が毎週入るわけではない。初めの一月は端数で、入るのは百三十日目までのどこかだ。
七つ目は、向こうが言った。
「峠の様子は教えてもらえるのか。通れるか、坂に何台待ってるか」
「月ぎめの荷主には別に代はいただきません。この紙に入れます」
七つ。峠の通行の可否と坂で待つ台数を、月ぎめの荷主へ知らせる。別の代は取らない。
◇
「これで、今日から頼めるのか」
「今日は決められません。坂にいるのは俺ではない。待つ人を決めるのは、待つ人です。持ち帰って諮ります」
「あんたが決めるんじゃないのか」
「決めて連れてきた者は、続きません」
「決まったら使いを寄こせ」
◇
その足で、塩の荷主にも同じ七つを読んだ。
「タルグが続けるなら、こっちも考える」
――百八日目。第二の荷主、保留。理由、先例待ち。督促はしない。断られたのではない。
◇
百九日目の朝、土間で板に数字を並べた。
――荷役と積替え、一枚半で週十二台。十八枚。
――積み直し、一枚で週四台。四枚。
――夜の預かり、二枚で週六台。十二枚。
――枠の確保、週八枚。二口で十六枚。
――峠の報せ、月ぎめのない荷主へ。一口週五枚で二口、十枚。
――合わせて、週六十枚。
「いま、幾つ立ってますか」
ミラが聞いた。
「枠はまだ一口も立っていない。報せは月ぎめの荷主には別に取らない。台数も十六台と置いただけで、まだ届いていない」
いまの実績は九日で八枚半。週にすれば六枚あまりだ。六十枚は目指す形で、いまの形ではない。
――現金費用。見込みの週二十五枚に、紙と炭と報せを運ぶ足で二枚。合わせて二十七枚。
――手。見込みの週四十人日に、枠を空けて待つ手、報せを運ぶ手、予約を書く手で七人日。合わせて四十七人日。
「待つ四人日は、まるまる余分か」
ヘンドが言った。
「坂にいるあいだ、縄も繕えるし飼葉も刻める。手入れと飼葉で八人日と五人日を見てるだろう。待つ四のうち三は、そっちに入ってる」
「報せは」
「町へ下りる用は、もともと週に一度はある。二のうち一は重なる」
――手。四十七人日から、重なる四人日を引いて四十三人日。一月やってみないと定まらない。
「昼から日暮れまで、誰かが坂にいるんですね」
サラが言った。
「そうでないと、半刻では手がつきません」
「私がいます。町へは行けない。畑にも出ない。坂の上なら、毎日いられます」
誰も反対しなかった。
彼女は週に五日と言った。俺は四日に直した。
「五日にすると、休む日がなくなります。休む日のない仕事は、続きません」
「休んでも、することがないです」
「樋があります」
彼女は少し黙って、四日で承知した。
残る三日は、ヘンドと坂を上がれる二人で埋めた。四人で七日を分ける。
決まってから、ヘンドが町へ下りた。
夕方に戻り、タルグの署名した紙を置いた。始まりは明日からだという。
――百九日目夕、月ぎめ一口、成立。履行と課金は百十日目から。
――初めの月は百十日目から百二十日目までの十一日。週八枚の日割りで十二枚半。端数は双方の承知で丸めた。
――払いは百三十日目まで。見込みには百三十日目に入るものとして置く。期限であって、入る日ではない。
坂に立つ人が決まってから成立した紙だ。今回も、決めてから引き受けた。
差引は、六十から二十七を引いて三十三枚だ。
――以上は本運用の見込み。費用も手も、一月動かしてから直す。九十六日目に置いた二十五枚・四十人日とは、まだ合わない。
◇
「この三十三枚から、城へ十五枚を出す案があります」
土間が静かになった。
「城へ」
「城へです。残るのは十八枚。四十三人日で割ると、四日働いて一枚半あまりです」
「出さなかったら」
「三十三枚が残ります。四日で三枚に近い」
九十六日目に板へ書いた十五枚は見込みの数字だった。いまは、袋から引かれる数字になっている。
「なぜ城に出すんだい」
ノーラが言った。
「城が困ってるからかい」
「困っています。それは本当です。ただ、それは理由になりません」
俺は荷主の紙を出した。
「ここに、荷を受ける者、整理官アルドと書いてあります」
「あんたの名だろう」
「整理区の名です。荷が減ったとき、濡れたとき、朝までに返らなかったとき、責めを負うのはこの名です」
「責めを負うと、何が出る」
「まず、俺が出ていきます。話を聞くのも、詫びるのも、数え直すのも俺です」
「金は」
「そこが決まっていません」
俺は正直に言った。
「どこまで償うのか。上限はいくらか。その金をどこから出すのか。三つとも決めていません。決めないまま、いくらでも出すとは言えません」
タルグが名を書けと言ったのは、番をする者が逃げないと分かるためだ。逃げないというのは、後ろに誰かがいることでもある。その誰かを、こちらは決めきっていない。
「十五枚は、その仕組みを作って、俺が帰ったあとも置いておくための代です。施しではありません」
「決まってないものに、先に払えと」
「順序としては、逆です」
俺は認めた。
「あんたが帰ったら」
ノーラが言った。
「その裏書きは、ここに残るのかい」
答えを持っていなかった。
「残るようにします、とは言えます。残ります、とは言えません」
「じゃあ、まだ払えないね」
挙手を求めた。九人のうち、賛成三人。反対四人。どちらでもない二人。
――百九日目。城への週十五枚、正式に提示。賛成三、反対四、意思表示なし二。決定せず。理由、償いの範囲と、帰城後に引受が残るかが未確定のため。本運用の合意にあわせて再度諮る。百七日目までに配った分には適用しない。
反対の四人の名も、本人の承諾を得て書いた。四人とも、書けと言った。
◇
百十日目の午前、便が着いた。二日前に城で書かれた紙だ。
――出張の三人。九十一日目から今日までで十八日。精算した日当は二週ぶんの八日。今週の四日は百十一日目の精算に入るので、合わせて十二日。差は一人六日、三人で十八人日。日が延びれば増える。戻ってからの均しで、一人六日ずつ割当を外れる日ができる。解体はそのぶん遅れる。ヨルが確かめた。
その下に、もう一行あった。
――ヨルより。整理官が城を空けて十八日になる。確認者として、いつ戻るかを書いてほしい。
戻る日は、まだ書いていない。
卓の上には、三つある。
タルグの紙が一枚。月ぎめ、一口。
ケインの手紙が一枚。
それから、決まらなかった欄が一つ。城へ出す十五枚の、賛成と反対だけが書かれて、下が空いている。




