第三十五話 封じる紙
百五日目、ヘンドを町へやることにした。夜の預かりを売りに行ってもらう。板を読ませるだけでは売れない、と分かったからだ。
出す前に、決めておくことがあった。
売れれば、その晩に誰かが番をする。夜番の刻を、どう数えるか。
起きていた刻と、うとうとした刻は分けられない。分けられないものを、後から決めれば、ほかの八人の取り分が動く。
「一晩をそのまま数えたら、俺ばかりになるぞ」
ヘンドが言った。
「半分は座ってるだけだ」
案を二行にした。
――今回の夜番は、実の刻の半分で数える。
――今後の夜番をどう数えるかは、本ぎめのときに決める。今回の扱いを、そのまま当てない。
坂と長屋にいた六人には、その場で読んだ。畑に出ていた一人には、ハンナが回った。町へ下りていた二人へは、ヘンドが道すがら読む。
――百五日目。夜番の刻の数え方、九人へ着手前に提示。承知の順と場所を記録。町の二名は返答待ち。返答が来るまで夜番は受けない。
ヘンドが戻ってきたのは夕方だった。
「町の二人も、承知だと」
それを聞いてから、二行を決めた紙に写した。
「タルグが、今夜の車で試すと言った」
「条件は」
「ある」
彼は手のひらに書いてきた字を読んだ。書いたのはタルグのほうだ。忘れないように書いてくれと頼んだのだろう。
「誰が番をしたかを、紙に書け。名前だ」
俺は聞き返した。
「荷の中身と数ではなく」
「それも書く。そのうえで、名前だ」
ヘンドは手のひらを閉じた。
「何かあったとき、誰に聞けばいいか分からん荷は預けられん、と言った」
正しかった。
二枚で買えるのは手であって、信用ではない。信用というのは、どこの誰かが分かっていて、逃げないということだ。
◇
車は日暮れに着いた。
紙は、荷に触る前に書いた。
――百五日目。預かる荷、麦の袋十二、塩の樽二。返す刻限、明朝の明け六つ。番をする者、ヘンド。荷を受ける者、整理官アルド。
両方が署名した。ヘンドの名は、ヘンドに聞いてから書いた。
「書いていいか」
「いいぞ」
「何かあれば、あんたの名が先に出る」
「出せ。番をするのは俺だ」
書いてから、俺はもう一行足した。
――名の書き方について、まだ取り決めがない。本人の承諾のみで書いた。明日、諮る。
ヤンが土間の入口に立っていた。
夜番は、彼でもできる。座っていればいい仕事だ。呼ばなかったのは、名を書く話だったからだ。
呼ばなかったことも、書いた。
ヘンドは一晩、車の脇にいた。何も起きなかった。
百六日目の明け六つに荷を降ろして、二枚を受け取った。
◇
その朝、土間に十九人が座った。
「紙の話をします」
俺は板を借りて、四つに割った。
一つ。荷主へ渡す紙。預かる荷の中身と数、返す刻限、荷を受ける者の名。荷を受けるのは整理官だ。番をした者の名は、この紙には書かない。
二つ。こちらの手元に残す紙。実際に誰が番をして、誰が荷役に出たかを書く。食い違いが出たとき、突き合わせるための紙だ。宿舎から出さない。
三つ。国へ出す紙。人数の区分だけを書く。名前を省いた形で通るかどうかは、国に聞く。いまは通ると決めない。
四つ。封じる紙。誰の名を、どんなときに、誰へ出してよいかを、本人と決めて書く。ノーラの手元の名簿とは、別に綴る。
「なぜ別にするんだい」
ノーラが言った。
「あんたの名簿は、毎日使うものです。誰が寝てるか、誰が町にいるか。あれを封じたら、あなたの手が止まる」
「止まるね」
「封じるのは、外へ出すときの決め事だけです。誰の名を、どこへ出してよいか。それだけを綴じて、あなたが持つ」
ノーラはしばらく黙っていた。
「あたしが持つのかい」
「持つ人が要ります。俺は帰る人間です」
言ってから、九日前に聞いた言葉を思い出した。城の者が始めた仕事は、城の者が帰ると終わる。
その言葉に、まだ反証はない。反証がないまま、紙を置く人を決めている。
「ヤン」
俺は呼んだ。
「二つ目の紙には、名が要ります。働いた人が誰かを、後から確かめられないと、金の配りようがない」
「それは、外へ出ないのか」
「出ません。三つ目にも、一つ目にも出ません」
「出ないと、誰が決める」
「四つ目に書きます。あなたが決めて、あなたの言葉で書く」
ヤンは右腕を上げて、下ろした。
「俺は書けん」
「ノーラかミラが代わりに書きます。書いたものは、その場であなたに読みます。違っていたら直して、直したことも書きます」
九十七日目と同じ答えを、同じ言葉で言った。そこは変えないほうがいい。
ヤンは二つ目に名を書くことを承知した。一つ目と三つ目には出さない、と四つ目に書いた。
「四つ目は、誰が読めるんですか」
サラが聞いた。
「本人と、預かる人だけです」
「私の名は、二つ目だけですね」
「荷主の紙にも、国の紙にも出ません」
彼女は少し考えた。
「樋を直したことは、どこにも書かれてないですね」
書かれていない。誰にも頼まれていないからだ。頼まれていない仕事は、どの紙にも載らない。
「四つ目に、書けますか」
「書けます。ただ、書いたものが仕事になるわけではありません」
「それでもいいです」
◇
ノーラは、最後まで一つだけ譲らなかった。
「三つ目だよ。国に出す紙」
「人数だけです」
「人数だけで済むと、あんたは思ってるのかい」
「思っていません」
俺は正直に言った。
「五十七日目に、同じことを言われました」
城の帳面に総数を書いた日だ。ヨルが反対した。国へ報告すれば接収の口実になる、と。俺はそれを分かったうえで書いた。
「書いたのかい」
「書きました」
「それで、どうなった」
「まだ何も起きていません。起きないとは言えません」
あのとき俺は、書くか書かないかしか考えていなかった。書いたあと、その数がどこへ行くのかを決めていなかった。
「今度は、出す先と出し方を先に決めます。人数の区分を出して、名は出さない。名を出せと言われたら、そのとき諮ります。諮る前には出しません」
「諮って、多数で決まったら」
「多数では決めません。名は本人のものです」
ノーラは、それでようやく板から目を離した。
譲ったとは言わなかった。言わずに、封じる紙の綴じ紐を、自分の前掛けから出した。
◇
昼過ぎ、峠を越えてきた車が便を置いていった。二日前に城で書かれた紙だ。
――百四日目、精算。必要額二百四十八枚。乾燥肉七十四枚。不足百七十四枚。枠から百七十四枚。追加の累計三百四十八枚。債務千五百九十枚。ヨルが確かめて署名。
累計は千五百の枠の、四分の一に近づいた。
その下に、俺の問いへの答えがあった。
――解体を後ろにした理由。罠は夏が終われば取れなくなる。脂は夏の獣からしか出ない。石は逃げない。
三行だった。
解体を遅らせれば返済が遅れる。それは正しい。だが遅れるだけで、石はなくならない。罠は、遅らせれば今年の分がなくなる。
俺が数えていたのは金の遅れで、ケインが数えていたのは季節だった。
便の紙を綴じて、返事を書いた。今度は迷わなかった。
――理由、了解した。俺の考えが足りていなかった。次も、あんたの判断でいい。
◇
百七日目の朝、袋を卓に出した。
中は七枚半。九十九日目の一枚半、百二日目からの四枚、昨日の二枚。引いた実費は楔の一枚だけだ。
働いた時間を足した。九十九日目が二刻。百一日目から百四日目までが七刻。百五日目の夜番と百六日目の荷降ろしで六刻。合わせて十五刻だ。
その六刻の内訳は、夜番が実の六刻を半分にして三刻、明け六つの荷降ろしが三人で一刻ずつの三刻になる。
七枚半を十五で割ると、一刻が半枚になる。
ヘンドが四刻で二枚。ヤンが三刻で一枚半。サラが三刻で一枚半。残る六人のうち四人が一刻ずつで、半枚ずつ。
そこで止まった。
残る二人が、半刻ずつだ。半刻は四半枚になる。銀貨はそこまで割れない。
俺はその二人を呼んだ。
「四半枚は渡せません。二人分を合わせても半枚で、割れば同じことになります」
「じゃあ、なしか」
「なしにはしません。二人への払いとして残ります。次に働いた分と足して、単位に届いたところで渡します」
二人は顔を見合わせた。片方が言った。
「次がなかったら」
「試行が終わるまでに届かなければ、袋の外から足して払います。足りない分をどこから持ってくるかは、こちらの仕事です。二人に分け方を決めさせません」
二人は受けた。
――百七日目。配った額、七枚。袋に残した額、半枚。半刻二名分、各四半枚は未払いとして残す。次回の配分に合算。試行終了までに銀貨の単位に届かない場合は、整理官が不足分を補って各人へ支払う。分け方を当人に委ねない。
サラが一枚半を握って、しばらく手を開かなかった。
樋の分ではない。坂に出た三刻の分だ。
「時間で払うんですね」
「時間で払います」
「坂に出た時間には、こうして値がつくんですね」
「つきます」
樋の時間には、まだ値がついていない。誰にも頼まれていないからだ。
ヤンは一枚半を受け取ってから、ノーラのところへ行った。
「二つ目の紙を読んでくれ」
ノーラが読んだ。九十九日目、百二日目、百四日目、百六日目。ヤンの名が四つ並んでいる。時間と、何をしたかが書いてある。
「合ってるか」
「合ってる」
ヤンはそれだけ言って、戻ってきた。
紙に名が載ることを、彼は二年怖がってきた。その同じ紙に、載っていることを確かめに行った。
載る紙と載らない紙を、彼はもう分けて考えている。
ヘンドは二枚を数えて、上着の内側へ入れた。
「町の日雇いなら、二日ぶんだな」
「そうですね」
「八日かかってる」
そのとおりだった。
俺は数字を直さなかった。直せる数字ではない。




