第三十四話 板
百一日目の朝、板を前にして五人で座った。
書く値が決まらない。
「一枚半に下げれば、通ります」
ハンナが言った。
「通る。だが四十人日は埋まらない」
一枚半で十六台なら二十四枚だ。夜の預かりを足しても三十六枚。手はそのままで、金だけが減る。
「上げるのは無理なんですよね」
「上げる理由がない」
御者が一枚半と言ったのは、町で付け替えの馬を借りればその値だからだ。こちらの仕事が、その代わりになる。代わりになるものと同じ値までしか、出してもらえない。
「なら、代わりにならない仕事を出すしかない」
言ってから、自分で少し驚いた。当たり前のことだ。
馬を替えても、積み方の問題が残る車がある。馬は積む順を直さない。馬は夜、荷の番をしない。
「ダン」
「なんだ」
「積み直しだけで上がる車は、四台に一台と言ったな」
「言った」
「あれは、付け替えの馬でも済むか」
ダンは少し考えた。
「済まん。前が浮いてるのを直すのは、馬を足すのとは別だ」
「付け替えを借りた車が、そのあと坂で難儀してるのを見たことがある」
ヘンドが言った。
「馬が二頭でも、前が軽けりゃ滑る。御者は馬のせいにする」
俺は板に線を引いて、欄を二つに割った。
荷を下ろして運び上げる仕事と、荷を下ろさずに積む順を直す仕事。
同じ坂で、別の物を売る。
「積み直しは、いくらですか」
ミラが聞いた。
「二人で四半刻だ。荷役の四半分の手で済む」
「じゃあ、四分の一で一枚に足りませんけど」
「手は四分の一でも、助かる度合いは四分の一じゃない。半日が丸ごと浮く」
「助かる度合いで値をつけるんですか」
ハンナが聞いた。
「向こうはそれで払うかどうかを決める。かかった手で決めるのは、こちらの都合だ」
城では、かかった手で決めていた。人日を数えて、一人日に一枚と置いた。そうできたのは、買い手が国だったからだ。国は撤去費用と比べて、こちらの数字をそのまま読んだ。
ここでは違う。買い手は坂の上を見ている。
「もう一つある」
ミラが板の空いたところを指した。
「夜の預かりは、代わりになる物がありますか」
「ない」
夜着の車の御者は、荷の上で寝ずに番をする。付け替えの馬でも、積み直しでも、そこは代わりにならない。
「じゃあ、いちばん高く売れるはずですね」
「はずだ」
はずだ、と言って、その先が続かなかった。九十九日目に断られている。
そこまで書いて、手を止めた。決めるのは俺一人ではない。
「一枚と置いて、出してみる。通らなければ下げる。通ったら、その値で板に書く。これでいいか」
四人が頷いた。その晩、九人にも一人ずつ同じことを言って回った。
九人のうち三人は、宿舎の別の棟にいた。サラは樋のところにいた。一人ずつ回るのに、夜の半分がかかる。
城なら大広間で一度だ。ここでは、そうはならない。そうはならないと分かった上で、こうしている。
◇
その日のうちに、城への便を書いた。二日で着く。
九十八日目の割当替えについて、書くことを二日迷っていた。
――九十八日目の組み替えは、代理の判断でよい。手順に直すところはない。ただ、俺なら解体を先にした。あんたが解体を後ろにした理由を、次の便で書いてくれ。
それだけにした。良いとも悪いとも書かなかった。
書かずに送れば、ケインは次も同じ迷い方をする。書きすぎれば、次からは俺の顔色を見て決めるようになる。
どちらもよくない。どちらもよくない中で、いちばん短い文を選んだ。
◇
百二日目の昼前、車が一台、坂の下で速度を落とした。
ダンが先に見た。
「あれだ」
荷は樽が六つ。後ろ寄りに積まれている。
ヘンドが竿の紙を持って前へ出た。紙には、昨日書いた三つが並んでいる。
――荷役と積替え、一台一枚半。積み直し、一台一枚。夜の預かり、一台二枚。
「積み直しってのは、なんだ」
御者が聞いた。
「荷は下ろしません。樽の置き場所を変えるだけです」
「それで上がるのか」
「上がらなければ、いただきません」
ダンとヤンが縄を解いた。
俺は荷に触らずに、脇で数えていた。触れば、時間が正しく取れない。
樽を二つ、前寄りへ寄せて、また締める。ダンが右手で縄を回し、ヤンが左手で押さえた。片手が二人で、両手の一人分になっている。
ダンは一度だけ、樽の置き場所をやり直した。
「いまのは」
「重いほうを、もう半尺前だ」
半尺で変わるのかと聞きたかったが、聞かなかった。二年ぶん、この男は縄を掛けてきた。
四半刻だった。
馬は、同じ坂を一度で上がった。上がりきるまで、九人のうち出ていた四人が下から見ていた。誰も声を出さなかった。
御者は坂の上で止まって、しばらく車の前を見ていた。それから降りてきて、銀貨を一枚置いた。
「明日も通る」
「板を立てておきます」
「どこに」
「坂の下に」
彼は頷いて、行った。
俺は帳面に書いた。
――百二日目。積み直し一件、一枚。着手前に提示。所要、二人で四半刻。
◇
百三日目、板を立てた。
使っていない棟の戸板を外した。外す前に、ノーラへ断った。
「戸板を外すのかい」
「値を書いて、坂に立てます」
「立てたら、誰でも読むね」
「読みます」
「読むのは値だけだろうね」
「値だけです。人の名は書きません」
彼女はそれ以上言わずに、金槌を持ってきた。釘を抜くのは、彼女のほうが早かった。
値を三つ書いて、坂の下の道の曲がりに立てた。上がってくる車から、いちばん先に見える場所だ。
立てた日の午後、荷役が一件入った。一枚半。
板を見た御者は、値の話をしなかった。板を指して、これを頼む、と言っただけだった。
六十七日目にハンナが持ち帰った紙の意味が、そこで分かった。値が板に貼ってあるというのは、値の話をしなくて済むということだ。
夕方、ヘンドが町から人を一人連れてきた。若い御者で、ヘンドの古い知り合いだという。
「タルグんとこの車も、よく止まるぞ」
「タルグ」
「町の荷主だ。麦と塩を峠の向こうへ出してる。おれを呼ぶのも、たいていあそこだ」
ヘンドが言い足した。
「呼ばれるときは、急ぎの日だ」
「急ぎの日というのは」
「向こうの町の市に間に合わせる日だな。遅れると、値が落ちる」
若い御者が横から言った。
「遅れた日のことは、荷主には言わんよ」
「言わないんですか」
「言えば、こっちのせいにされる。坂のせいだと言っても、通らん」
俺はその言葉を書いた。
荷主。
書いてから、坂で止まっている車の後ろに誰がいるのかを、一度も考えていなかったことに気づいた。
止まっているのは御者だ。だが、半日が消えて損をするのは御者ではない。
そして損をしている当人は、半日が消えたことを知らない。御者が言わないからだ。
俺は帳面の新しい頁に、一行だけ書いた。
――誰が、何を知らないでいるか。
書いてみて、これが何になるのかは分からなかった。ただ、二日ぶん道端に座って数えた紙を持っているのは、この谷でこちらだけだ。
◇
百四日目、板の前に二台が来た。
積み直しが一台。荷役が一台。合わせて二枚半。
今日は城で精算の日だ。五十二人が四日で二百八枚。維持費を足して二百四十八枚。乾燥肉が七十四枚。足りない額も、借りる額も、ここに座ったまま分かる。
分からないのは、ケインがそれをどう回したかだ。それを知るのは二日後になる。
その日の夕方、四日ぶんを数えた。
――百一日目から百四日目。積み直し二件で二枚。荷役二件で三枚。合わせて五枚。
実費が一つ出た。車止めの楔を町で二つ買った。一枚。
――引いた実費、一枚。袋に入れた額、四枚。
九十九日目の一枚半と合わせて、袋の中は五枚半になった。
時間も書いた。四日で、九人のうち六人が坂に出ている。合わせて七刻。
百七日目に、この袋を割る。割り方は、九十七日目に決めてある。
板には、まだ埋まらない欄が一つある。
夜の預かり、一台二枚。
四日のあいだに、夜着の車は三台あった。三台とも断られた。
三台目のとき、ヘンドが板を指して言った。二枚だと。
御者は板を読んで、それから宿舎のほうを見上げた。
「あそこは、閉じてる建物だろう」
「人はいます」
「いるのは知ってる。だから寝ずに番をする」
悪意ではなかった。知らない相手に荷を渡さないというのは、この道で長く働いた者の正しさだ。
サラが水を持っていった。水は受け取った。三度目だった。
荷を下ろすのは、見ていればわかる。積み直しも、上がるか上がらないかで結果が出る。
夜の預かりだけは、朝になるまで結果が出ない。朝になるまで、こちらを信じてもらうしかない。
板は立った。値は三つ書いてある。
そのうち一つは、まだ誰も買っていない。




