第三十三話 一枚半
九十七日目の朝、長屋の土間に十九人が座った。
城なら、ここで全員に言ったことになる。ここではならない。八人が町にいて、四人はどこにいるか分からない。
だから、言い方を変えた。
「今日決めるのは、ここにいる人のことだけです」
俺は紙を読んだ。前の晩に書いて、ミラに二度読ませた紙だ。
――仮の取り決め。
一つ。説明を聞いて、自分でやると言った者だけで始める。
二つ。始めるのは、峠で車の手伝いをすることだけ。ほかは決めない。
三つ。ここにいない者の仕事も、取り分も、名簿に名を載せるかどうかも、この場では決めない。
四つ。宿舎の全員に関わることは、町へ出ている者へ同じ紙を読んでから決める。
五つ。仮のあいだにやってしまったことは、戻せない。戻せないと、先に書いておく。
六つ。入った金は、先に認めた実費を引く。残りは、働いた時間に応じて配る。働いた者は、その日のうちに自分の時間を書く。
七つ。配る日は百七日目の朝。それまでは袋に入れておく。
八つ。この先の本ぎめの条件は、仮のあいだに済ませた仕事へさかのぼって当てない。
「五つ目が分からない」
ヘンドが言った。
「戻せないなら、仮じゃないだろう」
「戻せるものは戻します。戻せないのは、働いた日と、受け取った金です」
「時間ってのは、どこからどこまでだ」
「坂に出て、荷に手をかけて、離れるまでです。歩いて上がる分も入れます」
「書くのは誰だ」
「働いた本人です」
ヤンが右腕を上げた。
「俺は書けん」
「ノーラかミラが代わりに書きます。書いたものは、その場であなたに読みます」
「読まれて、違ってたら」
「直します。直したことも書きます」
「四つ目が気に入らない」
ノーラだった。
「同じ紙を読む、と書いてある。読んで、それで決めるんだろう。読まれたくない者は、どうなる」
「読まれたくない、というのは」
「名前の話だよ」
「読むのは、仕事の取り決めの紙だけです。名簿は、この取り決めに入れません」
俺は紙にそう書き足した。彼女は首を振った。
「まだ気に入らない」
「どこがですか」
「入れないと書いたら、いつか入れるということだ」
そのとおりだった。
入れないと書く必要があるのは、入れる話がどこかにあるからだ。
俺は反対を書いた。消さずに書いた。
――ノーラより反対。名簿を取り決めから外すという書き方そのものが、後で名簿を扱う含みを持つ、との指摘。反対のまま記録する。
手を挙げる前に、ヘンドが一つ聞いた。
「やると言ったら、町へは下りないのか」
「坂で待つなら、町にはいません」
「呼ばれたときに、いないことになる」
「なります」
「それで、こっちがいくらになるかは、まだ決まってない」
「決まっていません」
彼は黙って、それから膝を叩いた。
「呼ばれるか分からん日を待つのと、来るか分からん車を待つのは、同じだ」
「同じなら、どうして」
「近い」
一里と四町の差だった。理由としては、それだけだった。
やると言ったのは、九人だった。
十人には、一人足りない。
やらないと言った者にも理由を聞いた。二人が畑の刈り入れを挙げ、一人が「城の者が始めた仕事は、城の者が帰ると終わる」と言った。
三つとも書いた。三つ目は、まだ反証がない。
サラが最初に手を挙げた。
「私は一里を歩けない。峠は、ここから四町だ」
歩けない者が、歩ける場所のほうを先に知っていた。
◇
九十八日目、ヘンドに連れられて町の外れまで下りた。
八人のうち、会えたのは五人だった。
五人とも別の場所にいた。荷主の庭先、粉挽きの裏、井戸の脇。集めるのは無理なので、同じ紙を五回読んだ。
ミラが横で、読んだ場所と刻限を書いた。
――九十八日目。町にて、同一の紙を五名へ個別に読み上げ。場所と刻限を記録。残る三名、所在不明。
二人が「やってみる」と言った。二人が「いくらになるか分かってからにする」と言った。一人は何も言わなかった。
何も言わなかったのを、賛成にも反対にも数えなかった。
宿舎の九人に、町の二人が加わって十一人になった。ただし町の二人は、町にいる。
いくらになるか分かってから、と言ったうちの一人は、粉挽きの裏で石臼の縁を掃いていた。女で、名はレナといった。
「いま、いくらもらってるんですか」
「日で違う。少ない日は飯だけ。多い日は二枚」
週で均せばいくらになるかを、彼女は答えなかった。
「あんたが持ってくる話は、均した数だろう」
「均した数です」
「均した数で暮らしたことがないんだ」
残る三人の所在は、誰も知らなかった。ノーラも知らない。四人には線を引かないと言い、三人には知らないと言った。同じ「分からない」でも、言い方が違った。
帰り道で、ハンナが聞いた。
「五回読むの、疲れませんか」
「疲れる」
「城なら一回です」
「城なら一回だ」
一回で済む場所と、五回かかる場所がある。
◇
九十九日目の昼過ぎ、最初の車が坂の下で止まった。
麦の袋を積んだ二輪だ。御者は一人、馬は一頭。下から見て、明らかに上がらない。
板は間に合わなかった。炭で書いた紙を竿に挟んで、ヘンドが先に持っていった。
――荷役と積替え、一台三枚。夜の預かり、一台二枚。
触る前に値を出した。そこは直したところだ。
「三枚」
御者は紙を見て、それから坂を見た。
「三枚は出さん」
「いくらなら出せますか」
「一枚半だ。付け替えの馬なら、町でそれだけ取られる」
付け替えなら荷は下ろさずに済む。値は、もうそこで決まっている。
俺は三枚の根拠を持っていなかった。板の上で置いた数だ。
九人のうち、その日坂にいたのは四人だった。呼び集めた。
「一枚半で受けるかどうか、いま決めたい」
「どうやって」
「この四人で決める。残りの五人には、帰って同じことを言う」
ヘンドが先に言った。
「受けよう。一枚半で断って、次に来た奴に三枚と言えるか」
「言えない」
「なら、受けるんだ」
サラが手を挙げた。
「今日だけの値だと、御者に言っておいてください」
それは俺が言うべきことだった。
俺は御者に、今日は一枚半、次からは板の値だと言った。御者は、板が出てから考えると言った。
袋を半分下ろし、坂の上まで二度に分けて運んで、また積んだ。半刻ほどかかった。ダンの言った積み直しでは済まない量だった。
受け取ったのは、一枚半だ。
手順は直っていた。値を先に出し、下げる前に働いた四人へ諮り、決めてから受けた。
直っていて、なお三枚にはならない。
その晩、帳面に書いた。
――九十九日目。荷役一件。提示三枚、成約一枚半。着手前に提示。値下げは坂にいた作業者四名の同意による。今日限りの値である旨を御者へ告知。板の値は未定。
――提示額三枚はこちらが置いた数。町の付け替え相場一枚半が、すでに立っている。
六十七日目にハンナが持ち帰った紙は、この土地の板の写しだった。買い手は値を言わず、板を指す。
指せる板を、こちらはまだ持っていない。
「板には、いくらと書くんですか」
ミラが聞いた。
俺は計算した。一枚半で十六台なら二十四枚。夜の預かりを足して三十六枚。現金費用の二十五枚を引くと、残りは十一枚だ。
四十人日に十一枚。四日働いて、一枚あまりになる。
城の四分の一を、わずかに上回るだけだ。
「三枚で通らないなら、仕組みのほうが立ちません」
「立たない」
ミラは一枚半を袋に入れた。今日使った物はない。縄は宿舎の物だ。
――九十九日目。引いた実費、なし。袋に残した額、一枚半。坂に出た四名、いずれも半刻。
四人分の時間を記録した。ヤンの分はノーラが書いて、その場で読み上げた。
配るのは百七日目だ。それまで、袋は軽いまま置かれる。
その日の暮れ方に、もう一台が坂の下へ着いた。
暗くなってからでは降りられない。御者は荷の上に座って、朝を待つ構えだ。
ヘンドが行って、夜のあいだ見ておくと言った。二枚だと、先に言った。
御者は断った。
「知らん者に荷を預けるくらいなら、寝ないほうが安い」
二枚で買えるのは手であって、信用ではない。
俺たちは焚き火を少し離して焚いて、朝まで起きていた。頼まれてもいないし、金にもならない。
サラが樋の水を汲んで持っていった。御者は受け取った。水は受け取る。荷は預けない。
値を先に言うのは直した。直しても、荷は預からせてもらえない。
◇
百日目の午前、商会の集荷の車が峠を越えた。
御者が袋から紙を出した。城からの便だった。
ケインの字は、思っていたより小さかった。
――九十七日目、精算。五十二人が四日で二百八枚。維持費四十枚。必要額二百四十八枚。乾燥肉七十四枚。不足百七十四枚。枠から百七十四枚を借り入れ。追加の累計百七十四枚。債務千四百十六枚。前の晩に全員へ説明。ヨルが確かめて署名。
数字は合っていた。
その下に、もう一段あった。
――九十八日目、割当を組み替えた。罠の見回りに二人日を回した。灯し脂を増やすため。割当の中からの振り替えで、給金は増えていない。前の晩に全員へ言った。ヨルが確かめた。解体の遅れは、二人日ぶん増えた。
手順に、直すところがなかった。
言ってから決めている。確認者が確かめている。金は増えていない。
俺なら、解体を優先した。
第四便が遅れれば、売却代金が遅れる。代金の六割は元本に充てる。遅れれば、債務が減らない。
ただ、灯し脂は月十二壺に届けば月三十六枚になる。解体は、売るたびに減っていく資産だ。
どちらが正しいかは、いまは書けない。
書けないが、俺なら解体を選んだ。
返事を書こうとして、羽根を持ったまま止まった。
止まっていることに気づいて、卓の上を見た。
ケインの手紙が一枚。
一枚半の代金を入れた袋が一つ。
それから、まだ何も書いていない板が、壁に立てかけてある。




