第三十話 九十日
検分の前に、紙を一枚作った。
見る場所、記録する項目、立ち会う者、記録しない事項。四つの欄に書いて、コルトと算定方に読ませた。
「範囲を、先に決めさせてください」
「弊会は、担保物件の状態を確認するために参りました」
「確認する範囲を書いておきたい。書いておけば、次のときも同じ範囲で済みます」
コルトは紙を読んで、二か所に線を入れた。
「北東の隅は、水脈がございますね。これは見ます」
「見てください」
「壁の刻み目は」
俺は答えを持って降りていた。前の晩に、地下で決めてある。
「壁は見せます。数は数えてもらって構いません。ただ、あの部屋にある綴じ帳は見せません。担保物件ではないので」
「所有の争いがあるものですか」
「あります」
嘘ではなかった。彼女は自分のものだと言い、俺は証明を求め、どちらも決着していない。
「では、記録しない事項に書いてください」
算定方が言った。初めて聞く声だった。
◇
降りたのは六人だった。コルト、算定方、俺、ケイン、リオン、そしてヨル。
確認者を連れていくと決めたのは俺だ。見たものが後で違うと言われないためには、こちら側にも確かめる者が要る。
扉は開いたままだった。
ヴェスカは壁の前に立っていた。逃げも隠れもせず、刻み目の並んだ壁を背にして立っていた。
算定方は巻尺を出した。石組みの高さ、天井の梁、床の広さ。数字を紙に写していく。壁の刻み目のところで、彼は一度手を止めた。
「これは、何の数でございますか」
「日数です」
答えたのはヴェスカだった。
「二年と、少し」
算定方は頷いて、それを書いた。書く手が止まらなかったことに、俺は少し驚いた。数を数える者は、数えられたものを疑わない。
検分は半刻ほどで終わった。
帰りの段で、コルトが言った。
「一行だけ、書かねばなりません」
「どうぞ」
「担保物件のうち地下区画に、居住者一名。氏名の記載はいたしません」
エッダが二十五日前に言ったとおりだった。値をつける人は、必ず物を見に来る。見に来た人が、あの部屋の壁を見た。
俺はその一行を、自分の帳面にも写した。
◇
七十六日目の精算は、二百四十六枚だった。
五十人が四日、ハンナとミラが三日。五日働いた週の分を、ここで戻した。給金二百六枚、維持費四十枚。
手取り七十四枚に対して、不足は百七十二枚。債務は千十一枚になった。
七十八日目、第三便が売れた。金具六個で百二十枚、石板二十五枚を束で七十五枚。合わせて百九十五枚。四割の七十八枚が作業者へ渡り、六割の百十七枚は卓の上で差し引かれた。
債務は八百九十四枚に下がった。手元は、一枚も増えていない。四度目だ。
八十三日目、二百四十八枚。不足百七十四枚。債務は千六十八枚になった。
◇
八十五日目、報告書を書いた。
第四話でメルヴィンが言った基準は、いまも覚えている。九十日後、この城が国庫にいくら残すのか。撤去に要する費用を上回るのであれば、国は追い出す理由を持たない。
俺は売却の実績を並べた。
第一便三百二十枚、第二便二百五十枚、第三便百九十五枚。合わせて七百六十五枚。
そのうち三百六枚は、作業者へ渡した。四百五十九枚は、債務の返済に充てた。
国庫へ納めた額は、ゼロ枚だ。
九十日で売った物の代金は、一枚も国に渡っていない。数字を並べ替えても、その行は動かない。
次に、続いて入る金を書いた。乾燥肉が週七十四枚。一年で三千八百四十八枚。灯し脂は週三枚だが、契約も運ぶ手立ても決まっていないので、参考として括弧に入れた。
出ていく金を書いた。給金と維持費で週二百四十八枚。一年で一万二千八百九十六枚。
差引は、九千枚あまりの赤字だ。
俺はその数字を消さなかった。黒字だと書けば、九十日目に嘘が一つ増える。嘘を書いた帳面は、次に読む者の役に立たない。
書いたのは三つだった。
一つ。次の九十日で、この城が国に求める金はゼロ枚である。
二つ。いま撤去するなら、およそ四千枚が即時に必要である。
三つ。その四千枚を、国は今年出せない。
最後に、日付だけの行を足した。
――九十日目をもって、臨時雇用契約五十二名分が満了する。
◇
九十日目の朝、二台の馬車が同じ時刻に門をくぐった。
一台は王城の紋。もう一台は秤の看板の紋だ。
メルヴィンは書状の筒を持っていた。コルトは書類の袋を持っていた。二人は門のところで軽く頭を下げ合って、それぞれ別の椅子に座った。
「先に申し上げます」
メルヴィンが言った。
「整理区の継続は、条件付きで認められます。条件の一つは、御城の債務について、商会との条件変更が成立していることです」
俺はコルトを見た。
「弊会の借換えは」
彼は袋から紙を出した。
「国の継続が認められることを、停止条件としております」
二人とも、相手の成立を条件にしていた。
どちらも先には動かない。動けば、動いたほうが損をする。
俺は卓の上の紙を二枚、向かい合わせに置いた。
「では、両方をここに置いて、同じ刻限に成立させます」
「同時ということでございますか」
「同時です。国の書状に、商会の条件変更が成立したことを書き添える欄を作ってください。商会の証文に、国の継続が認められたことを書き添える欄を作ってください。両方の欄が埋まった時点で、両方が効きます」
メルヴィンは少し黙って、それから羽根を出した。
「役所は、そういう書き方を嫌います」
「嫌いますか」
「ええ。ですが、無効にはできません」
彼は欄を作った。コルトも作った。
俺は二枚に署名した。ヨルが横で、二枚とも読んだ。
◇
国の条件は、五つだった。
期間は次の九十日。一年ではない。九十日ごとに再審査する。継続の条件は、商会との条件変更が成立していること。新しい国費は出さない。そして、百八十日目までに、資産の売却によらない現金収入を、週二百四十八枚の半分——週百二十四枚まで引き上げること。
「いまは、いくらでございますか」
メルヴィンが聞いた。
「七十四枚です」
「五十枚、足りませんね」
「足りません」
五つ目の条件は、金ではなかった。
「オルデンの閉鎖された宿舎に、行き場のない者が残っています。整理区の業務として、これを片付けていただきます」
「人数は」
「三十人前後と聞いております」
「運営の金は」
「出ません」
金の代わりに、人が来る。
国庫から一枚も出さずに、国の抱えている問題が一つ、こちらの帳面へ移る。
◇
商会の条件は、四つだった。
証文八通を一本にまとめる。残高は千六十八枚。今日必要な百七十四枚を足して、千二百四十二枚。期限は百八十日目。
「最低返済額は、置かれないのですか」
俺は聞いた。置かれると思っていた。
「置きません」
コルトは首を横に振った。
「毎回二十枚お返しいただいても、その二十枚を弊会から借り直されるだけです。残高は動きません。書類が増えるだけになります」
そのとおりだった。
代わりに置かれたのは、枠だった。
「九十七日目以降、精算のたびに不足額を同じ証文へ足していただけます。ただし、追加の累計で千五百枚まで。一回につき百八十枚まで。今日の百七十四枚は、この枠には含みません」
「返済したら、枠は戻りますか」
「戻りません」
三つ目。資産の売却代金は、これまでどおり六割を元本へ充てる。加えて、資産の売却によらない継続収入が週百二十四枚を超えた場合、超えた分の半分を元本へ充てる。
「半分に割れないときは」
「一枚は、御城の運転にお残しください」
二枚超えれば一枚。三枚超えても一枚。国が引き上げろと言った数字と、商会が返せと言う数字が、同じ百二十四枚から始まっている。
国は近づけろと言い、商会は超えた分を出せと言う。同じ線の両側から、同じ方向へ押されていることになる。
四つ目。乾燥肉、金具、石板の三品について、集荷と決済と、新しい買い手の仲介を、商会が専属で担う。
「買い手は」
「ヴェルデの食料商のままでございます。品代八十枚も変わりません。控除は運搬実費の六枚のみ」
値は変わらない。運ぶ手間も減る。
変わるのは、三品について自分で売り先を探せなくなることだ。第二十話の夜、誰も読まない場所に一行だけ書いたことがある。売り先を増やす。
その一行は、この三品については今日で閉じた。
俺は署名した。ヨルが確認者の欄に名を書いた。
◇
五十二人の契約も、その日に書き直した。
九十日で満了する紙を、もう一度九十日で作る。日当銀貨一枚、週四日、次の再審査までの九十日。
二年半前、王都の広場では、契約が終わった翌日に何もなかった。今日は、終わった同じ日に次の紙がある。
それだけの違いだ。それだけの違いを作るのに、九十日かかった。
夜、俺は追加の枠を計算した。
いまの収支が続くなら、精算ごとの不足は百七十四枚。枠は千五百枚だ。
九十七日目から数えて、八回は満額を借りられる。八回で千三百九十二枚。
九回目に借りられるのは、残りの百八枚だけだ。
六十六枚、足りない。
その日付を数えた。百五十三日目だった。
国の再審査は百八十日目だ。金が止まるほうが、二十七日早い。
俺は帳面に書いた。
――現在の収入構造が続いた場合、追加の枠は百五十三日目の精算で尽きる。不足六十六枚。収入が週あたり増えれば、この日付は後ろへ動く。増えなければ、動かない。
書いてから、卓の隅の紙を見た。
メルヴィンが置いていった一枚だ。閉鎖宿舎の所在と、人数の欄がある。
所在、オルデン。人数、三十人前後。
前後、と書いてある。誰も数えていない。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本話をもって、第1部「九十日」は完結です。
第2部は、準備のため数日お休みをいただいてから開始する予定です。
アルドたちの物語は、まだ続きます。続きをお届けするまで、もう少しお待ちいただけるとうれしいです。
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