第二十話 薪と麦
四十六日目の朝、三人がラーデン村へ出た。
罠の点検だ。掛けたのは五日前なので、これは初回の安全確認になる。定期の点検は、ここから半月ごとだ。
出たのは罠師二人と、ロッドだった。四十一日目に行けなかった弟のほうだ。兄のトゥーレが「今度はお前だ」と言って、自分は解体に残った。
「一日で戻る」
ロッドが言った。
「泊まってもいいぞ」
「いい。家に寄ると、母が長い」
俺は帳面に書いた。四十六日目、罠点検、三名、一日。継続の仕事。
継続、と書くのは二度目だった。一度目は十二日目の夜、まだ作ってもいない乾燥肉に書いた。
◇
その日の夕方、村から荷車が来た。
薪が二十束、麦が三袋。毎月の一回目だという。
運んできたのは村長の使いで、三十八日目に来て、断られて帰った男だった。今日は片足を引きずっていない。よく見ると、引きずり方は変わっていない。歩く速さが違うだけだ。
「これで足りますか」
「足ります」
俺は薪の束を数えた。二十束。城の竈と、余熱の部屋と、診療所の火。冬まで持つ量ではないが、買わずに済む分だけ、金が浮く。
浮いた金は、銀貨に換算して十五枚ほどだ。
小さい。次の精算に必要な三百枚に比べれば、無いに等しい。
それでも、俺は帳面の右の欄に、新しい行を作った。
――継続。ラーデン村。薪二十束、麦三袋、毎月。対価、罠の点検。
この行は、売っても減らない。
書庫は売れば空になった。細工物も、金具も、石板も、売れば無くなる。
薪と麦は、来月も来る。
その違いを、俺はうまく言葉にできなかった。
補給係のときは、こういう区別をしなかった。倉に何がいくつあるか、それだけを数えていた。倉の中身は、隊が進めば必ず減る。減る前提で数えるのが仕事だった。
いまは、減らないものがある。
「なにニヤついてんの」
ミラが横を通りかかって言った。
「薪だ」
「薪でニヤつくの、あんたくらいよ」
「二十束だぞ」
「二十束ね」
彼女は荷車を覗き込んで、それから少し声を落とした。
「……村、大丈夫だった?」
「畑は半分やられたが、種は残ってる。冬までに戻せるそうだ」
「そう」
彼女はそれだけ言って、行ってしまった。
三十八日目に断ったことを、ミラはあれから一度も口にしていない。
◇
その日の夕方、ロッドが村から戻ってきた。
罠は十二か所のうち、四か所が壊れていた。二か所は獣に踏み抜かれ、二か所は木が腐っていた。掛け直して、位置を二つ変えたという。
「変えたのか」
「猪の道が、ずれてました。前の群れを片付けたから、次のが別の道を通ってる」
彼は手を洗いながら言った。
「ミラさんの地図、あれ、三年前のでしょう。あのとおりには来ないです」
「じゃあ、地図が間違ってたのか」
「間違ってない。獣道は変わらないけど、どの道を使うかは変わるんです」
俺は書いた。ロッド、四十六日目、罠の点検、四か所補修、二か所移設。獣道は不変、使用は可変。
「そんなことまで書くんですか」
「半月後に、また行くだろう。そのときに読む」
ロッドは自分の名前が書かれた欄を、しばらく見ていた。村では、誰も彼の仕事を書かなかったのだろう。
◇
四十八日目。
三週間の試行が明ける日で、精算日でもあった。
朝、俺は壁の紙を外した。二十四日目に貼ったものだ。三週間の試行としては全員同意、と書いてある。
「今日で三週だ」
俺は言った。掲示したのは二十四日目だが、実際に割り当てを週四日にしたのは二十七日目からだ。そこから数えて、今日で三週になる。
「約束どおり、もう一度諮る。週四日を続けるか、やめるか」
「やめたら、七日に戻るのか」
「戻る。ただし、戻すと払えない」
俺は数字を壁に書いた。
週七日にすれば、五十二人で三百六十四枚。維持費と合わせて四百枚を超える。いま入ってくるのは、乾燥肉の週八十枚と、村の薪と麦だけだ。
「戻したら、毎週三百枚以上借りることになる」
「四日のままなら」
「毎週二百枚借りる」
部屋が静かになった。
どちらにしても借りる。差は、借りる額だけだ。
「アルドさん」
トビーが手を挙げた。
「三日の分は、いつ払われるんですか」
「払われない」
俺は正直に言った。
「週四日というのは、三日ぶんを後で払うという話じゃない。その三日は、城が仕事を出さないという話だ。日当も出ない」
「じゃあ、俺たち、週の三日は無職ってことですか」
言葉が刺さった。
誰かが小さく笑って、すぐにやめた。
「そうだ」
俺は言った。
「三日ぶん、あんたらはこの城に雇われていない」
言ってから、自分の言葉が耳に残った。
二年半前、王都の広場で、俺たちは全員が同じことを言われた。契約は終了した。今日から、あんたらは雇われていない。
あのときは、七日ぶんだった。
いまは、三日ぶんだ。
減らしたのは俺だ。
◇
議論は長かった。
ニコが最初に口を開いた。
「俺は、続けろに一票入れる」
「三週間前は、恒久化に反対したろ」
「した。いまもする」
彼は壁を見ていた。
「三週間やって、分かったことがある。俺は休みの日に解体へ出てた。あれで十枚もらった。日当より稼いだ」
「全員が解体に出られるわけじゃない」
「そうだ。だから、恒久には反対だ」
彼は俺を見た。
「もう三週、試す。そのあいだに、解体以外の出来高を作れ。それがあんたの仕事だろ」
俺は返す言葉を探して、見つからなかった。
結論は、もう三週間の試行だった。同意は全員。ただし、条件が一つ足された。
――三週のあいだに、解体以外の出来高の仕事を作る。作れなければ、次の再協議で週四日は廃止する。
俺が課された最初の宿題だった。
解体以外の出来高。
思いつくものは、いくつかあった。乾燥肉の増産、書物庫の残りの千四百冊、地下区画の整備。どれも、売れる先が要る。
売れる先は、いま二つしかない。ヴェルデの食料商と、ヴェルデ商会だ。
どちらも同じ町にある。
俺は壁に書いた宿題の下に、小さく一行足した。
――売り先を増やす。
誰も読まない場所に書いた。読まれると、まだ何も決まっていない話が、決まった話になる。
◇
その日の精算は、三度目の前渡しで払った。
四十七日目に乾燥肉の八十枚が入り、手元は百八枚になっていた。必要額は三百枚。
足りない百九十二枚を、コルトが持ってきた。
三度目だ。額を聞かなくても、こちらが必要とする数字ちょうどだった。
債務は、二百九十七枚から四百八十九枚に戻った。
第一便を売って減らした分と、同じ額だ。
俺はその二つの数字を並べて、しばらく見ていた。
署名するとき、ヨルが横に立っていた。
「言うな」
「言わねえよ」
彼はそれだけ言って、離れた。
◇
コルトが帰る前に、もう一つ話を出した。
「アルド様。集荷と保管の件、ご検討いただけませんか」
「集荷」
「乾燥肉も、金具も、いまは御城から荷車を出しておられます。人と日数がかかります。弊会が城まで引き取りに参ります。あわせて、ヴェルデの倉庫をお使いいただければ、雨で品が傷むこともありません」
「費用は」
「品代から差し引きます。運搬費の実費のみで結構です」
悪い話ではなかった。
いま、乾燥肉を運ぶのに二人と馬を出している。週に二日ぶんの手が空く。二日ぶんの手は、解体か、村の点検か、まだ作っていない出来高に回せる。
悪い話ではない。だからこそ、少し考えた。
「保管を預けると、こちらの倉には何も残りませんね」
「はい」
「品がそちらにある状態で、値が決まる」
コルトは表情を変えなかった。
「弊会は、相場を下回る値を付けたことがございません」
三度目に聞く台詞だった。
「返事は、次までに」
「お待ちしております」
彼は馬車に乗って、帰っていった。
俺は門のところに立って、その馬車を見送った。
金を借りている。買い手も同じ相手だ。そこへ、運ぶのと、置いておくのも預けることになる。
断る理由は、いまのところ一つもない。
断る理由がないというのが、いちばん引っかかった。
大広間に戻ると、リオンが卓の前に座っていた。
「断るのか、受けるのか」
「まだ決めてない」
「受けたほうが楽だろう」
「楽だ」
俺は座った。
「二人と馬が空く。週に二日ぶんの手が浮く。宿題は解体以外の出来高を作ることだ。手が要る」
「じゃあ受けろよ」
「受ける」
「なんで、そんな顔をしてる」
俺は自分の顔を触った。どんな顔をしているのか、自分では分からなかった。
「王宮に呼ばれたとき」
リオンが言った。
「次の式典と、巡行と、南部の徴募の顔になれと言われた。全部、悪い話じゃなかったんだ。飯は出るし、宿も出る。俺は剣を振るだけでよかった」
「断ったろ」
「断った。理由を聞かれても、うまく答えられなかった」
彼は卓の木目を見ていた。
「一つずつは、全部いい話だった。ただ、全部受けたら、俺の一年が全部埋まってた」
俺はしばらく黙っていた。
「……お前、そういうことを、もっと早く言えないのか」
「言葉が遅いんだ」
昔からそうだ。
◇
その夜、俺は帳面の右の欄を見た。
継続の行が、二つある。乾燥肉と、ラーデン村の薪と麦。
どちらも、ヴェルデ商会を通っていない。
いま、この城で商会を通らずに入ってくる物は、それだけだった。




