第十九話 札の数
四十一日目の精算は、二度目の前渡しで払った。
その日の朝、村の子どもの腕の話を聞いて、午後に八十枚のうち五十二枚を派遣へ回すと決めた。決めた時点で、夕方の精算が払えないことも分かっていた。
だから、決める前に全員へ言った。
「今日、派遣に五十二枚使う。手元に二十八枚残るが、これは食料と薬の予備だ。動かせない。今夜の精算分二百七十二枚は、商会から借りる」
八行目は四十一日前ではなく、七日前に作ったばかりだ。金を借りるときは、先に全員に言う。
言ったからといって、話が軽くなるわけではなかった。
「反対だ」
ヨルが最初に手を挙げた。
「一度で終わると思ってたか」
「思ってない」
「じゃあ、なんで借りる」
「村の子どもの腕が、猪にやられたからだ」
「それは、うちの帳面と関係ないだろ」
正しかった。
城の帳面に、あの子の名前はない。人の帳面にも、仕事の帳面にも載っていない。載っていない人間のために借りるのは、ここにいる五十六人から見れば、筋の通らない話だ。
「関係ない」
俺は認めた。
「関係ないが、三日前に断った。断った結果が、あの腕だ」
「断ったのは正しかったろ」
「正しかった。それでも腕は裂けた」
部屋が静かになった。
手を挙げた反対は、九人だった。俺は数えて、名前を書いた。
諮る相手は五十二人だ。城には五十六人いるが、子どもが三人と、俺が一人いる。子どもは日当をもらっていないし、俺は雇う側だ。決めるのは、雇われている五十二人になる。
「アルド」
リオンが後ろから言った。
「反対したのは九人だ。賛成は」
「聞いてない」
「聞けよ」
俺は少し迷って、聞いた。
賛成に手を挙げたのは、十四人だった。残りの二十九人は、どちらにも挙げなかった。
俺はその数も書いた。
――反対九名、賛成十四名、意思表示なし二十九名。
「三十人近くが、どっちでもないのか」
リオンが覗き込んだ。
「決められないんだろう」
「お前は決めた」
「決めるのが仕事だからだ」
言ってから、少し違うと思った。
決めるのが仕事なのではない。決めた結果を書くのが仕事だ。書かなければ、決めたことにならない。
◇
その夜、コルトがまた来た。
頼む前に来ている。二度目だ。今度は驚かなかった。驚かないことに、少し嫌な気分になった。
証文の額は、二百七十二枚だった。
「なぜ、この額です」
「弊会にて算定いたしました」
同じ答えだった。
担保は、前回と同じ西翼と玉座の間。前回の二百十七枚と合わせて、四百八十九枚になる。
金具と石板を全部売って、四百八十九枚を上回るかどうか。俺は上回ると踏んでいた。踏んでいるだけで、確かめてはいない。
値は、買う奴が決める。
その買う奴が、金を貸している奴と同じだった。
署名する前に、一つだけ聞いた。
「二度目です。三度目もあると、そちらは思っていますか」
コルトは書類を揃える手を止めなかった。
「弊会は、御城が立ち行かなくなることを望んでおりません」
「それは、答えではない」
「はい」
彼は初めて、はっきりとそう言った。
俺は署名した。
◇
四十五日目、第一便が出た。
柱二本ぶんの金具が十個。石板が三十七枚。荷車で四台になった。
十三日かかった。二十一人が三日ごとに組を替えて入り、毎日八人から十人。十三日で、延べ百二十日ぶんの仕事になる。
四十日目の朝、二本目の柱を落とすときに、支保が一つ滑った。柱が予定より半歩ずれて落ちて、石板が四枚割れた。下に人はいなかった。
「ケインの図のとおりに組んだんだがな」
ガルドが割れた石板を見ていた。
「図が間違ってたのか」
「図は合ってた。俺が石を一つ少なく噛ませた」
彼はそう言って、自分でそれを俺に書かせた。
――四十日目、支保の石不足により柱が想定外に落下。石板四枚破損。原因、ガルドの噛ませ不足。負傷者なし。
「原因まで書くのか」
「書く。次に組む奴が読む」
「格好悪いな」
「格好悪い」
俺は言った。
「だが、書かないと、次も同じところで滑る」
ほかに、一人が指を挟んだ。リゼが爪を抜いた。怪我はそれだけだった。
ヴェルデへ運んだのは、ハンナと解体組の八人だ。
商会が引き取り、値をつけた。
三百二十枚。
俺はその数字を三度確かめた。金具十個で二百枚、石板三十七枚で百二十枚。相場は分からない。ただ、安くはなかった。
「これ、高いのか安いのか、あんた分かるか」
俺はハンナに聞いた。
「分かりません。ただ、値切られませんでした」
「一度も」
「一度も。こっちが言った数を、そのまま書いてました」
値切られないのは、いいことのはずだった。
商いというのは、互いに値を動かして決めるものだ。動かない相手は、動かす必要がないから動かさない。
あの老人は、十一日目に言った。安く買えば、次に売る物がなくなる。
まだ、その理屈で動いている。
◇
城に戻って、大広間に卓を出した。
三百二十枚のうち、四割の百二十八枚が作業者のものだ。
「札を出してくれ」
二十一人が並んだ。
解体に出た日に一枚。金具を一つ外したら一枚。石板を運び出したら一枚。十三日ぶんの札が、それぞれの手にある。
最初に出したのはニコだった。
「十九枚」
俺は全員の札を数えた。全体で二百五十六枚ある。解体に出た日が百二十、外した金具が十、運び出した石板が三十七、落とす前に張った縄が八十九だ。
百二十八枚を二百五十六で割ると、一札につき銀貨の半分になる。
「一札で、半枚だ」
「半分って、どうすんだ」
「二札で一枚。端数が出た者のうち、札の多い順に一枚ずつ足して、合計が百二十八枚になったところで止める」
「それも先に決めとけよ」
「今決めた。異存があれば言ってくれ」
誰も言わなかった。
ニコの十九札は、九枚と半分。端数を足して十枚になった。
彼は銀貨を数えて、二度数えて、それから俺を見た。
「……十枚」
「十枚だ」
「日当の何倍だ、これ」
「四日で四枚の週が三回だから、十二枚。それより少し安い」
「安いのか」
「休みを潰して、危ない仕事をして、日当と同じくらいだ」
言ってから、俺は付け足した。
「安いと思うなら、次は取り分を上げろと言ってくれ。七行目は、始める前に決めろとしか書いてない。次の仕事の前なら、いつでも決め直せる」
ニコは袋を握って、しばらく動かなかった。それから、小さく言った。
「前の隊で、俺が一番稼いだのは、竜のときだった」
「そうか」
「あのとき何枚もらったか、覚えてねえ。数えなかったからな。もらった額を言われて、そうかって受け取った」
彼は袋を持ち上げた。
「今日は、数えられる」
◇
いちばん札が多かったのは、片手の男だった。
二十七枚。
「縄を張った数か」
「そうだ。落とす前に、必ず縄を張る。張らないと引けない。俺は張るのが一番速い」
「片手で」
「片手のほうが速いこともある。両手だと、つい引っ張るからな」
俺は書いた。名前はダンといった。二十日目に来た男で、左肩が上がらない。
彼の札は二十七枚で、取り分は十四枚になった。
二十一人のうち、いちばん多かった。
ダンは銀貨を袋に入れて、それを膝に載せたまま、しばらく座っていた。
「討伐のあと、俺は使いものにならんと言われた」
誰にともなく言った。
「肩が上がらんと、盾が持てん。盾が持てんと、前に立てん。前に立てんなら要らんと」
「縄は張れる」
「誰も、縄の話はしなかった」
俺は帳面を開いて、三日目の欄を見た。
あの日、俺は二列で聞いた。冒険者になる前と、冒険者として何が得意だったか。
ダンはまだ来ていなかった。彼が来たのは二十日目だ。
二十日目に聞いたとき、彼はなんと答えたか。
俺は指で欄を辿った。
――ダン。前職、船着き場の荷役。冒険者として、盾。
縄のことは、書いていなかった。
聞かなかったからだ。俺が。
三日目の朝、俺は三十一人に二列で聞いた。あのときは一人ずつ、時間をかけた。
二十日目に二十三人が来たとき、同じ二つを聞いた。だが、三日目のようには聞かなかった。人数が増えて、一人あたりの時間が減った。減った分だけ、書かれない欄が増えた。
ダンの縄は、二十五日ぶん書かれなかった。
「ダン」
「なんだ」
「他に、何かあるか」
「他に、って」
「縄以外だ。荷役でも、盾でも、思い出したことがあれば全部書く」
彼は少し考えて、言った。
「……船着き場じゃ、荷の順番を決めるのが俺だった。先に出す荷を下に置くと、二度手間になる」
俺は書いた。書きながら、これは補給係の仕事だと思った。
二十五日、俺の隣に同じ仕事をする人間がいた。気づかなかった。
◇
残りの六割、百九十二枚は、城に入らなかった。
証文にそう書いてある。担保資産の売却代金は、返済に充てる。ヴェルデの卓の上で、そのまま差し引かれた。
四百八十九枚の債務が、二百九十七枚になった。
数字としては、良い日だった。
ただ、城の手元にあるのは、二十八枚のままだ。第一便が売れても、一枚も増えていない。
次の精算は、四十八日目。三日後だ。
五十二人に、四日ぶんの四枚と、繰り越しの最後の一日を乗せて五枚。二百六十枚。維持費が四十枚。
三百枚。
乾燥肉が四十七日目に八十枚入る。手元と合わせて百八枚。
足りないのは、百九十二枚だった。
俺はその数字を見て、思わず手を止めた。
今日、六割として消えた額と、同じだ。
偶然だ。分かっている。だが、机の上で二つの数が並んでいるのを見ていると、そうは思えなかった。
売れば売るほど、債務は減る。手元の金は、増えない。
増えないまま、三日ごとに精算が来る。
俺は帳面を閉じて、しばらく卓に肘をついていた。
大広間の向こうで、ダンが銀貨の袋を膝に載せたまま、まだ座っていた。




