第二話 給金引換札
翌朝、西区の宿舎前に集まったのは五十人を超えていた。
昨夜、俺が声をかけたのは十数人だ。どこから伝わったのか、見覚えのない顔が半分以上を占めている。革鎧のまま眠ったらしい男、片手に子どもの手を引いた女、痩せた老兵。俺は帳面を開いて、その数を数えた。五十三。
「連れて行けるのは、三十人だ」
ざわめきが起きた。当然だ。
「なんだそれ。人が余ってるから選ぶってか」
前に出てきたのは肩幅の広い男だった。四十がらみで、鼻の骨が一度折れて曲がっている。前衛職だろう。
「昨日の役人と同じ口の利き方だな、兄さん」
「違う」
俺は帳面を裏返して、書き付けた数字を見せた。
「魔王城の倉庫に残ってる保存食が、乾燥肉で四百八十、豆が九袋、塩が三樽。俺が二か月前に自分で数えた。水は井戸がなくて雨水槽が一つ。ここから城まで、荷車で四日」
「……だから?」
「五十三人と俺で五十四人。それだけ連れて行くと、着いた時点で残り六日分だ。三十人と俺で三十一人なら、十一日分ある。その十一日で城の給水を直せなければ、どのみち全員が引き返すことになる」
男は口を開きかけて、閉じた。
「六日と十一日の差は、俺には五日ぶんの余裕に見える。それだけの話だ」
「……あんた、何者だ」
「補給係だ。だった、というべきかな」
俺は帳面に目を落とした。
「選ぶ基準は言う。第一に、城で手が動く者。石を運べる、火を扱える、水路が読める。第二に、いま出発しても倒れない者。熱のある人と、乳飲み子を抱えてる人は、悪いが今回は連れて行けない」
「そりゃあんまりじゃないの」
ミラだった。今朝は地図筒を背負っていない。取り返せなかったらしい。
「置いてかれた側は、明日どうすんのよ」
「最短で、二十日後だ」
言ってから、自分でも驚いた。だが口にしてしまえば、それは計算すべき数字になる。荷車二台、往復八日、その頃には給水が通っているはずで、そうすれば――
「水と、最初の給金を確保できたら、必ず知らせる。できていないうちは呼ばない」
「できなかったら」
「知らせが行かない。それも約束のうちだ」
ミラは何か言いかけて、やめた。
「残る二十三人には、昨夜のうちに東区の聖堂へ話を通してある。閉じるのは戦時予算で建てた宿舎だけで、聖堂の炊き出しはまだ動いてる。熱のある人と乳飲み子を抱えてる人は、先にそっちへ回ってくれ。ここに残る分の食料も置いていく」
「昨夜のうちにって……あんた、いつ寝たの」
「寝てない」
「置いてくって、あんたらの分は」
「十一日ある。四日で着けば、七日で炉を直せばいい」
俺は帳面を閉じた。
「直せなかったときのことは、直せなかったときに考える」
誰も返事をしなかった。
俺は帳面を閉じて、荷車のほうへ歩いた。歩きながら、自分の言葉が嘘に近いことを考えていた。
直せなかったときに考える、というのは、考えていないのと同じだ。補給係として二年半、俺が一番嫌ったのがそういう物言いだった。行けば何とかなる、現地で調達する、そのとき考える。そう言った隊は、たいてい途中で止まった。
それでも、今は言うしかなかった。
残り十一日という数字だけが、確かなものだった。
◇
人を選ぶのに半日かかった。選ぶあいだじゅう、俺は誰の顔も見ないようにしていた。見れば、基準が揺らぐ。
三十人が決まって荷車に荷を積みはじめたころ、さっきの前衛の男が近づいてきた。ガルド、と名乗った。
「聞くが、先払いは、ないのか」
周りの手が止まった。皆、それを聞きたかったのだ。俺は嘘をつくかどうか、一拍だけ迷った。
「ない」
舌打ちが、あちこちで鳴った。
「国からの支度金はゼロだ。俺の手持ちは、宿代を引いたら十二ルクレしかない。それが今の全部だ」
「じゃあ、どうやって払う」
「食事と寝床は、今日から出す。城の備蓄を使う。それは払うんじゃなくて、先に渡すものだ」
俺は荷車の縁に帳面を広げた。
「日当は一日ぶんずつ帳面に書く。名前と、その日やった仕事と、額を。城の資産を売った金が入り次第、週ごとに現金で精算する。額は一人一日、銀貨一枚だ」
「歩いてる四日は」
「雇用は今日から始まってる。歩くのも仕事だ。城に着くまでの四日も、同じようにつける」
「……入らなかったら?」
「入る」
俺は言い切った。
「魔石炉が三基ある。動かなくても、魔石そのものに値がつく。書物庫の棚が四十二列。魔族の細工物が、俺が数えただけで六百点以上。売り先を探すのが、俺の仕事の半分だ」
ガルドは腕を組んだ。
「帳面に書くだけ、ってのがな。あんた一人が持ってる紙だろ」
もっともな話だった。俺は荷車の上から、昨夜のうちに削っておいた木札を掴んだ。手のひらに収まる大きさで、端に穴を開けて紐を通してある。
「これを渡す」
札には数字が彫ってあり、その下に俺の署名がある。
「番号は帳面と同じだ。俺の帳面と、あんたの札。二つが揃わないと精算できない。俺が帳面を書き換えたら、札と合わなくなる」
「札をなくしたら」
「帳面に残る。帳面が焼けたら、札が残る。片方が消えても、もう片方が証拠になる」
ガルドは札を受け取って、しばらく指で撫でていた。
「……この署名、読めねえな」
「アルド・カレン。昨日、名簿から消えた名前だ」
男は、はじめて短く笑った。
◇
三日目の午後、雨が降った。街道を外れて旧軍道に入ったところで、二台目の荷車の車軸が折れた。ぬかるみに車輪が半分沈み、押しても引いても動かない。
「橋も落ちてる」
先を見に行っていたミラが、雨具の水を払いながら戻ってきた。
「三つ先の谷。半年前に流されたっきりみたい。荷車じゃ渡れない」
「迂回は」
「北へ二日。南は……」
彼女は地面に木の枝で線を引いた。
「南に、石切場の作業道があったはず。地図は取られたけど、覚えてる。使えれば半日で済む」
「覚えてるだけで行けるか」
「行ける」
ミラは即答し、それから少し声を落とした。
「三年、描いてたから」
俺は帳面を出して、その場で書き付けた。ミラ、三日目、経路選定、日当一日ぶん。
「なにしてんの」
「仕事を書いてる」
「地図を見ただけよ」
「その地図で、三十一人が二日ぶんの食料を節約した。乾燥肉に直すと六十食だ」
ミラは何か言おうとして、雨の中で口を閉じた。
車軸のほうは、セロという若い錬金術師が膠を煮て、木片と縄を巻きつけて応急処置をした。強度は半分だと本人は言ったが、半日は保った。リゼは道中で足を痛めた二人を診た。資格は失効している。彼女は薬箱を開けるとき一度だけ手を止めて、それから開けた。誰も、そのことに触れなかった。
◇
四日目の夕方、魔王城が見えた。
黒い岩を積み上げた城壁が、灰色の空を切り取っている。門は片方が外れて傾き、その隙間から冷たい風が吹き出していた。二か月前、俺はここを歩いた。あのときは戦いのあとの熱が残っていて、松明の火が回廊のあちこちで揺れていた。いまは、何もない。
「……でかいわね」
ミラが呟いた。
中に入って五分でわかった。想定より、ひどい。
中庭の雨水槽は、上の樋が崩れて土砂が流れ込み、底が泥で埋まっていた。汲めるのはせいぜい二日分。厨房の竈は無事だったが、水がなければ意味がない。そして、いちばん奥の炉室。三基の魔石炉はすべて冷えきっていて、導管に触れると指が貼りつきそうなほど冷たかった。
「アルドさん」
セロが炉の側面を覗き込んで言った。
「これ、給水も兼ねてます。地下水を汲み上げてるのは、たぶんこの炉の圧です」
「つまり」
「炉が動かないと、水も出ません。暖房も」
三十人の吐く息が、白く漂っていた。備蓄は十一日ぶん。水は二日ぶん。俺は帳面を開いて、その二つの数字を書いた。書いてしまえば、ただの事実になる。
「今夜は大広間で固まって寝る。毛布を全部出せ。火は厨房の竈で焚く。水は明日の朝までに、雨水槽の泥を濾す」
「それで足りるの」
「足りない。だから明日、炉を動かす」
外で、門のあたりが騒がしくなった。ガルドが駆け込んでくる。
「おい、誰か来たぞ。馬だ」
俺は炉室を出て、崩れた門まで走った。雨上がりの薄暮のなか、一頭の馬が城門をくぐってくる。乗り手が外套の頭巾を後ろに落とすと、金の髪が傾いた日を受けた。
「アルド」
リオンだった。首に、あの金の首飾りはなかった。
「返してきた。叙勲も、報奨も。全部だ」
「……お前、何を」
「王宮に呼ばれてな。次の式典と、その次の巡行と、南部の徴募の顔になれと言われた。俺は剣を振ることしかできない。それ以外の使い道をされるのは、たぶん、間違ってる」
リオンは馬を降りた。膝が、旅程の疲れでわずかに笑っている。
「お前、荷物を運んでただけって言ったろ」
「言った」
「じゃあ俺は、剣を振ってただけだ」
彼は城の暗い回廊を見上げた。
「ここ、寒いな。水は?」
「出ない。それと、お前が来た分、備蓄が一日減った」
「そうか」
リオンは袖をまくった。
「なら、何か持ち上げるものはあるか」




